予讃線 (3) <松山〜宇和島>
内子線 <内子〜新谷>

<沿革>

 1927年に讃予線の名称で松山まで開業した予讃本線は、1930年に伊予市まで、1935年に伊予長浜までが開業して愛媛線と接続し、予讃本線の高松〜伊予大洲間が全通した。
 伊予市から先の予讃線の(伊予長浜経由の)海回り線は、「丙線(四級線)」として建設され、伊予長浜〜伊予大洲間は私鉄の愛媛鉄道を1933年に国有化したいずれも低規格の路線で、地滑り地帯を走る災害区間と言うこともあって運転上のネックとなっていた。

 そのバイパス線として建設された内子経由の新線は、鉄道建設公団の手によって一級線規格(昔の特級線規格)で建設された近代的な高規格路線で、特急列車は平均100km/h程度で駆け抜ける。

 伊予大洲から南西は1939年に八幡浜まで開業した後、1941年に宇和島〜卯之町間が開業した。
 終戦間近の1945年6月に、最後の難所である笠置(かさぎ)峠を越えて八幡浜〜卯之町間が開通し、予讃線 高松〜宇和島間が全通した。

 ただし、この時点では八幡浜〜宇和島間は宇和島線の扱いとなっており、この区間が予讃本線とされたのは、1947年以降1950年までの間と思われる(調査中)。
 ・1947年6月1日改正時刻表
 ・1950年10月1日改正時刻表

 戦後の1950年に高松桟橋〜松山間準急として登場した「せと」が1951年に宇和島まで延長され、高松〜宇和島間の直通優等列車が誕生している。



 一方、私鉄の愛媛鉄道が1918年に伊予長浜〜伊予大洲間を762mm幅のナローゲージで開業。1920年には、現在の内子線にあたる若宮連絡所(現伊予若宮信号場)〜内子間が開業した。
 愛媛鉄道は1933年に国有化されて愛媛線と改称された後、1935年には伊予長浜で松山方面から伸びてきた予讃本線(当時は讃予線)と接続したのを機に、1067mmに改軌されるとともに、予讃本線に組み込まれた。


 各区間の開業の時系列については「予讃線(1)」の<沿革>を参照。





<概要>

 松山〜伊予市間は私鉄の伊予鉄道と競合関係にあるが、運転頻度と松山市中心部へのアプローチでは伊予鉄の圧勝、スピードと運賃ではJR優勢と両者決め手に欠け、結局は自動車利用が多くて鉄道の利用度は高いとは言えない。


 かつて内子線は愛媛鉄道時代の名残で、元々伊予大洲(伊予若宮)から分岐していたが、1935年の改軌の際に線路変更が行われて五郎が起点に改められた。
 改軌の際に一部でルートが変更され、現在もその遺構が一部残っている。

 さらにその後1986年3月改正で開業したバイパス線は、新谷側から伊予大洲(伊予若宮信号場)側に取り付く線形に変更となった(この新線区間は予讃線として建設)ことから、旧内子線の新谷〜五郎間が廃止の扱いとなった。
 そのため、現在の内子線は新谷を起点とした新谷〜内子間の路線ということになっており、「起点から終点方向に向かう列車が全て上り列車」になっている。


 なお向井原〜伊予大洲間は、JRの旅客営業規則第157条により、「選択乗車」の適用対象区間となっている。
 なので、例えば伊予市〜西大洲間の乗車券を購入した場合、運賃は安い内子経由で計算されているが、実際に乗車する区間は内子経由でも長浜経由でもどちらでもOKである。






<列車&車両>

 列車は例によって特急と各駅停車の2種のみで、特急は全て松山運転所の2000系を使用した「宇和海」に統一され、下り17本/上り16本が運転される。
 N2000系を主力として、アンパンマン車両などに量産車が充当されている。
 2025年3月15日改正からは、八幡浜〜宇和島間でワンマン運転(都市型ワンマン)が開始された。


 各駅停車は、伊予市折り返しの電車列車が松山運転所の7000系で運転される以外は、全て気動車列車となり、松山運転所のキハ32/54/185の各形式が使用される。
 編成列車はキハ185系3000番台車が中心で、朝夕にはキハ32形とキハ54形の2〜3両編成も見られる。但しキハ185系は基本的に朝と夜のみの運用で、昼間は車庫で寝ていることが多い。
 中心となる単行ワンマン列車はキハ32または54となるが、さすがにキハ32だと笠置越えや法華津越え、夜昼峠などの勾配区間ではかなり苦しげに登っている。

 伊予長浜経由/内子経由とも毎時1本かそれ以下の頻度で運転されている。

 所定編成では最長でも3両までで、トイレの設置されている車両が皆無のため、全ての普通列車がトイレ無しとなっている。


 貨物列車は、2021年3月改正で南伊予駅横に設置された松山貨物駅までのコンテナ列車(高速貨B)が1日1往復運転されており、岡山機関区のEF210形が9両のコンテナ車を牽引している。
 なお松山以南の区間の定期貨物列車は、国鉄時代の1984年2月改正で一旦全廃されており、松山貨物駅の開業により37年ぶりの復活となっている。



※駅名をクリックすると、各駅ごとの詳細情報のページを開きます
営業キロ駅番号駅名(読み)開業年月日電略標高ホーム形態主な施設備考
194.4 Y55
U00
(松山)






197.9U01市坪いちつぼ1964.10. 1チホ14 m 対面
2面2線

駅舎無し
200.3U02北伊予きたいよ1930. 2.27キイ14 m 対面
2面2線

待避線

200.3-松山貨物まつやまかもつ2020. 3.14マカ17 m

201.9U02-1南伊予みなみいよ2020. 3.14ミイ17 m 片面
1面1線

駅舎無し
松山運転所最寄り駅
203.0U03伊予横田いよよこた1961. 4.15ヨコ12 m 片面
1面1線

駅舎無し
204.8U04鳥ノ木とりのき1986.11. 1トリ 4 m
(推定)
片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
206.0U05伊予市いよし1930. 2.27イシ3 m 併用
2面3線
屋跨
208.5 U06
S06
向井原むかいばら1963.10. 1ムカ26 m 片面
1面1線

高架駅
211.6-(三秋信号場)みあきしんごうじょう1963. 2. 1ミキ80 m(信号場跡) 1986年3月廃止
※営業キロは現役当時の数値を元に補正を加えた数値
213.9S07高野川こうのかわ1963. 2. 1コノ32 m 片面
1面1線

駅舎無し
217.1S08伊予上灘いよかみなだ1932.12. 1カミ20 m 対面
2面2線


222.4S09下灘しもなだ1935. 6. 9シモ11 m 片面
1面1線

昔は1面2線
225.0S10くし1964.10. 1クシ20 m 片面
1面1線

駅舎無し
228.2S11喜多灘きたなだ1935.10. 6キタ13 m 片面
1面1線

駅舎無し
昔は1面2線
233.1S12伊予長浜いよながはま1918. 2.14ナマ3 m 併用
2面3線


235.9S13伊予出石いよいずし1918. 2.14イス8 m 片面
1面1線

駅舎無し
239.3S14伊予白滝いよしらたき1918. 2.14シキ8 m 対面
2面2線


241.7S15八多喜はたき1918. 2.14ハキ11 m 片面
1面1線


243.4S16春賀はるか1961.10.20ハル11 m 片面
1面1線

駅舎無し
245.7S17五郎ごろう1918. 2.14コロ14 m 片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
昔は2面3線
247.1 -
(信)伊予若宮いよわかみや1986. 3. 3ワミ14 m

信号場
交換設備無し
249.5 U14
S18
伊予大洲いよおおず1918. 2.14オス15 m 併用
2面3線
み旅
屋跨
留置側線有
251.6U15西大洲にしおおず1961.10.20ニス20 m 片面
1面1線

駅舎無し
253.5U16伊予平野いよひらの1936. 9.19ヒノ23 m 対面
2面2線


260.6U17千丈せんじょう1639. 2. 6セチ26 m 対面
2面2線


262.8U18八幡浜やわたはま1939. 2. 6ヤハ7 m 併用
2面3線
み旅
屋跨
留置側線有
267.5U19双岩ふたいわ1945. 6.20フワ120 m 対面
2面2線


272.4U20伊予岩城いよいわき1945. 6.20イワ215 m 対面
2面2線


275.4U21上宇和かみうわ1945. 6.20カウ215 m 片面
1面1線

駅舎無し
277.4U22卯之町うのまち1941. 7. 2ウマ208 m 併用
2面3線

屋跨

280.0U23下宇和しもうわ1941. 7. 2シウ203 m 対面
2面2線


286.6U24立間たちま1941. 7. 2タマ16 m 島式
1面2線

留置側線有
曲線ホーム
289.0U25伊予吉田いよよしだ1941. 7. 2イヨ5 m 対面
2面2線
昔は2面3線
曲線ホーム
293.9U26高光たかみつ1941. 7. 2タカ29 m 片面
1面1線


296.1 U27
G46
北宇和島きたうわじま1941. 7. 2キウ9 m 島式
1面2線
予土線分岐駅
297.6 U28
G47
宇和島うわじま1914.10.18ウワ2 m 櫛形併用
2面3線
み旅旧宇和島運転区有


208.5U06(向井原)






211.3U07伊予大平いよおおひら1986. 3. 3ヒラ65 m 片面
1面1線

駅舎無し
218.7U08伊予中山いよなかやま1986. 3. 3ナヤ179 m 対面
2面2線
屋跨
225.4U09伊予立川いよたちかわ1986. 3. 3タワ115 m 島式
1面2線

曲線ホーム
駅舎無し
築堤上
232.0
<0.0>
U10内子うちこ1920. 5. 1ウチ70 m 併用
2面3線

EV
高架駅
<1.6>U11五十崎いかざき1920. 5. 1イキ68 m 片面
1面1線

駅舎無し
ホームの端がトンネルの中に入っている
<4.1>U12喜多山きたやま1920. 5. 1キヤ21 m 片面
1面1線

駅舎無し
<5.3>U13新谷にいや1920. 5. 1ニヤ14 m 対面
2面2線

駅舎無し
<8.8>-(信)伊予若宮









<スタジアムとワンマン電車>

 市坪駅近くに威容を誇る坊ちゃんスタジアム。
 他にもマドンナスタジアムや武道館なども建ち並んでおり、イベント時には臨時列車も運転される。

 下り列車は駅を出るとすぐに重信川を渡る。

 重信川橋梁は予讃線最長の橋梁だが、それでも270mしかない。


(市坪〜北伊予間)

<菜の花を見ながら>

 海沿いの旧線沿線は、随所に菜の花が咲き乱れる。


(喜多灘〜伊予長浜間)

<ゾロ目キロポスト>

 四国では唯一ここだけにしかない、「222km」の2×3桁のゾロ目キロポスト。

 下灘駅から少し上り方にある。


 このときに現れたキハ54形は、「キハ54−3」の順目ナンバーであった。


(伊予上灘〜下灘間)

<犬寄トンネル>

 道路トンネルも含めて、四国最長6,012mの長さを誇る犬寄トンネル。
 1986年に開通した予讃線バイパスルートのメイン施設(?)。

 トンネル内は18‰の勾配はあるものの一直線(伊予中山側出口付近にわずかにカーブがあるが)で、特急列車はこのトンネルを平均120km/h近い速度で抜ける。


(伊予大平〜伊予中山間)

<快走>

 内子経由のバイパスルートのうち、向井原〜五十崎間は特に線路規格が高い。
 向井原近くにある500Rや23パーミルを除けば、概ね800R以上&18‰以下に抑えられて踏切も存在せず、列車の速度も高い。

 現に特急「宇和海」は、ほぼ全てが内子〜伊予市間を平均100km/h以上で駆け抜ける。


(伊予立川〜内子間)

<肱川を渡る>

 伊予大洲を出ると、すぐに短い勾配を登ったのち、2007年に再建されたばかりの大洲城天守を見ながら肱川を渡る。

 全長269mの肱川橋梁は、予讃線では重信川橋梁に次いで2番目に長い橋梁。


(伊予大洲〜西大洲間)

<夜昼トンネル>

 夜昼トンネルを抜ける、2000系「宇和海」。

 全長2,870mで、1939年開通。
 1986年に犬寄トンネル(6,012m)が出来るまでは、予讃線最長のトンネルであった。

 前後の区間は33パーミルの急勾配があり、単行のキハ32形では最高でも40km/h程度しか出ないが、特急列車は最大90km/h程度で登坂する。


(伊予平野〜千丈間)



<予讃線 向井原〜内子ルート>




 予讃線の向井原〜内子間は、それまでの伊予長浜経由の区間に代わるバイパス線として1967年に内山線の名称で工事が始まった

 伊予長浜経由の区間は車窓風景こそ美しいが、海岸に沿った地滑り地帯を走り、線路規格が低く急曲線が多くて災害も多いという区間で、特急列車でも平均速度が60キロを割る(10キロ走るのに10分以上かかるということ)ほどの運転上のネックであった。

 新線区間は鉄道建設公団の手で建設され、オイルショックや国鉄末期の地方ローカル線建設凍結の嵐の中にあっても、幹線のバイパス線に当たるこの区間は細々とながらも工事が進められ、1986年3月3日の雛祭りの日にようやく開業にこぎ着け、この日から特急・急行などの優等列車は全列車が新線経由となった。

 この際、旧内子線の線路改良も同時に行われ、内子駅と五十崎駅は移転、さらに予讃線との接続も変更され、新谷〜五郎間の区間を廃止し、新谷から伊予大洲に取り付く新線が新たに建設された。これにともなって、内子線の起点が五郎から新谷に変更された。
 この内子線の改良工事の際は、内子線 五郎〜内子間(当時)の全区間を運休し、代替バスが運行された。


 なお新線開業当時は松山以南には2往復の客車列車が残っていたが、いずれも長浜経由で運転され、この新線区間を定期客車列車が走行したことは一度もない。



近代的な高規格路線を快走する特急「しおかぜ」
伊予中山〜伊予立川間(2008年4月13日)


 新線区間はサミットの犬寄峠を四国最長6,012mの犬寄トンネルで貫き、途中の区間は最急曲線が500R、最急勾配が18‰(一部24‰)に抑えられた高規格路線で、2000系「宇和海」のほとんどはこの新線区間を平均時速100キロ以上で突っ走る。

 このバイパス線の完成によってスピードアップと災害の防止、それに距離の短縮による値下げという1石3鳥の成果があった。

 松山自動車道の延伸が進んでいる今もなお、松山以南でJRが優勢を保っていられるのも、間違いなくこの内子バイパス線のおかげである。




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