キハ185系 特急形気動車

<1987年ローレル賞受賞>


予讃線 伊予桜井駅
1992年12月29日



〜カラーバリエーション〜
〜室  内〜
〜小ネタ〜



 国鉄分割民営化の絡みで、厳しい経営が予想された四国向けの「最後のはなむけ」的な新型特急形気動車として、老朽化した急行形気動車を置き換え、優等列車の質的改善を図ることを目的として1986年11月のダイヤ改正で登場。
 1987年鉄道友の会ローレル賞を受賞している。


 性能向上よりも経済性の方が優先され、それまで活躍していたキハ181系とほぼ同等の性能を(ランニングコストも含めて)より低コストで引き出すことを目標として設計され、製造コスト削減のために液体変速機や運転制御装置などは廃車発生品が流用されたほか、スポット式の空調装置やセパレート式の冷房装置など既製のバス用部品までが使われた。
 許容最高速度が110km/hと、それまで四国で活躍していたキハ181系よりも10km/h低く設定されているのも、経済性が優先されてたためである。

 客室は基本的にリクライニングシートで、普通車940mm、グリーン車1,160mmだが、キロハ186形の普通室は新幹線の廃車発生品のシートが転用され、テーブルも設置されてシートピッチは1,020mmと若干広くなっていた。
 出入口ドアは先輩のキハ181系と同じ2枚折戸だが、ドア幅は181系の72cmに対して85cmと若干拡大されているほか、各車両とも2ドアとされて、乗降性の改善が図られている。

 当初はグリーンのラインカラーで38両が登場し、予讃線特急「しおかぜ」に重点的に投入され、「しおかぜ」はそれまでの4往復から13往復に大増発となってエル特急化された。


 1988年4月改正に合わせてカラーリングがコーポレートカラーであるライトブルーに変更され、併せて7両が増備された。
 同年12月にはさらに7両が増備され、総勢52両が予讃・土讃・高徳線特急に主力として投入された。


 しかし、JR四国が新たに開発した2000系制御付き振子式気動車の投入によりわずか数年で主力の座を追われ、1992年に余剰となった20両がJR九州に売却された。

 さらに、予讃線電化に伴って8000系量産車が投入された1993年3月ダイヤ改正では、ついに予讃・土讃線の定期特急列車運用から撤退。
 キロハ186形についてもこの時点で一時定期運用が消滅。その後1996年3月改正で「うずしお」に連結される形で復活したものの、これも1998年10月改正で運用が消滅している(さらに後年になって「ゆうゆうアンパンマンカー」として三度復活している)。


 本来は特急用車両であるが、1998年3月から1年間の間、徳島線急行「よしの川」にもこのキハ185系が充当されていたほか、1986年11月の営業運転開始当初は予讃線にキハ185系を使用した普通列車が間合い運用により運転されていた。
 また、牟岐戦の末端区間である牟岐〜海部(2020年10月以降は牟岐〜阿波海南)間では特急「むろと」の間合いまたは末端格下げ扱いで、キハ185系の普通列車が設定されている。



〜普通列車仕様化改造〜
 一部の車輌については通勤形化改造が行われており、塗装も一部変更されているほか、これまでプラ板使用のヘッドマークが自動巻取り式の方向幕化されている。
 新番号区分はトイレ付き車が3000番台、トイレ無し車が3100番台となっている。

(詳細 → キハ185系3000番台)


〜団臨仕様化改造〜
 また、キハ185形0番台車とキロハ186形各2両が、50系アイランドエクスプレス無き後の、新しいイベント専用車に改造された。

(詳細 → キロ186形アイランドエクスプレス四国II)


〜観光列車化改造〜
 「ものがたり列車」第2弾として2017年に3両が「四国まんなか千年ものがたり」に改造された。

(詳細 → キロ185系「四国まんなか千年ものがたり」)

 そして「ものがたり列車」第3弾として、2両が2020年2月に「志国高知 時代の夜明けのものがたり」に改造された。

(詳細 → キロ185系「志国高知 時代の夜明けのものがたり」)

 さらに、キハ47形改造のキロ47形を置き換える形で、「伊予灘ものがたり(2代目)」に改造されて2022年4月から営業運転を開始した。

(詳細 → キロ185系「伊予灘ものがたり(2代目)」)


 このほかに、キクハ32形トロッコ車両(2両)の牽引車両として2両が専属の運用に就いている。
 なお、アイランドエクスプレス四国Uは中間車2両がいずれもものがたり列車に改造されたことから事実上消滅し、車端部にアイランドラッピングの残る2両のキハ185形も、現在は通常の特急列車運用に就いている。

 キロハ186形については、売却や改造などのため2016年までの時点でトップナンバーの1号車1両のみが原形を保っていたが、当該車両は2016年1月から多度津駅構内の廃車解体待ちの側線でエンジンも下ろした状態で雨ざらしのまま2年間留置され、工場入場後も約5ヶ月間放置の末に、2018年6月になってついに解体されてオリジナルのキロハ186形は消滅し、「ゆうゆうアンパンマンカー」の2号車のみが残存している。


 結果、2023年12月末現在で純粋な特急用途として残存しているキハ185系は15両で、高徳線の「うずしお」、徳島線の「剣山」、牟岐線の「むろと」で活躍中。



 以前は両数的に余力があったことから団体・臨時用としては比較的頻繁に使用され、特に修学旅行臨などの集約臨時列車にもよく使われていて、専用のヘッドマークも用意されていた。
 近年は「ものがたり列車」への改造で運用に余裕が少なくなり、逆に2000系に若干の余裕が出てきていることから、これら臨時運用も2000系などに取って代わられつつある。



予讃本線 丸亀駅
1986年11月1日

 「61−11」改正初日に見られた、団体増結措置による堂々たる10両編成の「しおかぜ17号」。

土讃本線 讃岐財田駅
1986年11月2日

 「あしずり」格上げにより誕生した、キハ185系の「南風3号」。

山陽本線 岡山駅
1989年5月2日

 団体増結措置を除けばキハ185系営業列車としては最長編成記録となる9両編成の「しおかぜ3号」。
 先頭車両が同じ向きに6両も連なる様は壮観だが、編成美という点では・・・

予讃線 高松駅
1991年1月1日

 長らくキハ185系充当の定番臨時列車であった、薬王寺への初詣臨時特急「やくし」号。
 キハ58系使用の急行列車時代は円形ヘッドマークを掲げていたが、キハ185系で特急化された後もごく短期間だけ掲出されていた。

予讃線 高松駅
1991年7月29日

 3代目の高松駅で並ぶ「しまんと7号(左)」と「うずしお21号(右)」。

予讃線 多度津駅
1992年1月1日

 かつて松山〜琴平間に運転されていた、初詣臨時特急「はつはる」も、キハ185系充当の定番波動臨時列車であった。

宇野線 大元駅
1993年2月20日

 2000系の「しおかぜ3号」を待たせて、黒煙を吐きながら大元を通過する、キハ185系の「うずしお4号」。

予讃線 伊予市駅
1996年5月5日

 2両の短編成で運転されていた、臨時「宇和海」。
 このときは、この年の3月改正で登場した特急「剣山」仕様色車が充当された珍しいカット。

徳島線 阿波加茂〜辻間
1999年3月6日

 急行「よしの川」の晩年にはキハ185系が充当された。

牟岐線 牟岐駅
2001年9月18日

 「普通」の方向幕を掲げて牟岐線末端部のローカル運用に就く剣山色車。
 なお、ヘッドマークは変換機能が無いため、特急のヘッドマークを掲げたままである。

予讃線 讃岐塩屋〜多度津間
2007年12月30日

 1990年代末以降20年近く主力として活躍した「代走いしづち」運用。
 近年はこれも8600系や8000系に主力の座を奪われている。

土讃線 塩入駅
2019年2月14日

 DE10形の訓練運転の「客車」として運用されることもある。



〜カラーバリエーション〜
(原則として登場順に掲載)

国鉄色 (現存せず) 1986年11月〜1988年

予讃本線 丸亀駅
1986年11月1日

 左は営業運転開始初日の、キハ185形トップナンバーを1号車に連結した特急「しおかぜ」
 当時はまだ列車無線アンテナが搭載されていないが、準備工事として取付台座が当初から設置されており、屋根上にチラリと見えているのが判る。

 また四国内では1986年11月の時点で、優等列車が走行する区間は全てCTCおよび自動信号化されたため、キハ185系は当初からタブレットキャッチャーが装備されていない。


 ちなみに、おでこ部と前面窓周りが青緑6号(サロンカーなにわと同じ色)、帯が緑16号、窓回しはダークブラウン(ぶどう色2号よりも黒に近い色だが黒ではない)である。
JR四国色 1987年〜

山陽本線 岡山駅
1989年5月2日

 1987年の民営化後まもなく、帯の色をコーポレートカラーであるスカイブルーへの塗り替え(貼り替え)が開始され、1988年までに全て完了している。
 当然、貼り替え期間中は混色編成も見られた。

 塗り替え対象となったのは国鉄時代に新製された38両(キハ185−1〜18/1001〜1012、キロハ18−1〜8)で、以降の車両(14両)は当初からJR四国色として落成している。


 残存数は意外と少なく、2023年11月現在では 19,21,1014,1016の4両のみで、全車が民営化後に増備された新潟鉄工(現・新潟トランシス:以下文中同じ)製の車両となっている。
 この中で1014号車は塗り分けが特殊であった(下記「”異端”色」の欄参照)。


 なお、11,12の2両(これも新潟製)は名目上「アイランドエクスプレス四国U」用で妻面端部のラッピングが異なっているが、内装は一般のキハ185形と変わりないため、繁忙期等には通常の定期列車に使用されることもある。
”異端”色 (現存せず?) ????年〜2020年(?)
↓1996年1月1日撮影


↓2005年11月19日撮影


↓2017年8月15日撮影


↓通常のJR四国色との比較

 上記のJR四国色車の内、キハ185形の1014号車については、何故か前面の帯の角度が通常と異なっている。

 現在は左右の角度が通常と異なる角度で揃っているが、過去画像を見ると左右で角度が異なっていた状態の期間が、少なくとも1996年から2009年までの13年以上とかなり長いことが判明しており、そもそもいつからこの状態なのかは不明である。


 この車両は、2009年10月にリバイバル「南風」「しおかぜ」の団臨が運転された際には、増結用車両として一時的に緑帯となって、20および26と連結して3両編成で運転されたが、このときはJR四国色の上から緑のテープを重ね貼りして応急的に仕立て上げられたもので、一部でスカイブルーが覗いてたらしく、運転終了後にすぐに緑帯を剥がして元のJR四国色に戻されている。

 この一時貼りの際に左右の角度を揃えた可能性があるが、そのときに正しい角度(車両正面に向かって右)ではなく、異なる方(同左)に合わせてしまったのだと仮定すれば、このときから左右の角度が(通常と異なった角度のままで)揃った状態になったと考えられる。


 なお、2020年8月の検査出場時に通常の角度に直っている模様であり、この”異端”色は既に現存しないと思われる。

剣山色 1996年〜

徳島線 佐古駅
2008年5月23日

 1996年3月改正での特急「剣山」の運転開始にあたって、一部の車両が「剣山」仕様に塗色が変更された。

 この塗装は名目上「剣山」用であるが、高松運転所の配属のため、送り込み運用の都合上「うずしお」にも恒常的に使用されている。
 また「代走いしづち」などにも運用さることがある。


 2023年11月現在、9,13,22,24,1017,1018の、合わせて6両が剣山色となっている。
 このうち、9号車のみが新潟鉄工製で、他は全て富士重工製となっている。


 このグループの内の9,13号車の2両は、一時期通勤形化改造(3000番台)されたのち2008年に剣山色として特急仕様に復元されているが、通勤形化改造時に増設されたジャンパ栓受けが撤去されずに残ったままになっている(このページの下方「小ネタ」参照)。
「I Love しまんと号」」カワウソ色 (現存せず) 1997年〜2000年

予讃線 多度津駅
1998年1月

 1997年の夏に予土線に臨時特急「I Love しまんと」が運転された際、2両(キハ185−9 + キハ185−1016)のキハ185形が専用塗色に変更された。
 97〜98年年末年始の「しおかぜ・いしづち」分離運転に際しても代走として駆り出され、高松〜多度津間を「いしづち」のマークを掲げて走行した。

 しかし、「I Love しまんと」はその後の利用が不調だったために2000年春から運転が休止された。


 その後、キハ185−1016は元のJR四国色に戻されたが、キハ185−9については普通列車仕様に改造されてキハ185−3009となったのち、2006年6月1日時刻修正に伴う「むろと」増発のために特急仕様(剣山色)に戻されている。
「あい」色 (現存せず) 1998年〜1999年

徳島線 阿波加茂〜辻間
1998年5月2日

 1998年4月、明石海峡大橋の完成にあわせて徳島線に特急「あい」が新設された。
 この列車は、4月末から8月末までの期間限定付きで運転を開始し、キハ185−12とキハ185−1002の2両に専用塗装(前頭部のみ:ステンレス部分はラッピング)が施された。

 この時期は「カワウソ色」も併存しており、当時の四国のキハ185系の塗色バリエーションは5種類だった。

 特急「あい」は1999年3月改正で特急「剣山」に吸収される形で廃止され、この2両も元の塗装(JR四国色)に戻された。



 その後、この旧「あい」塗装の2両はいずれも再改造(改装)を受けている。

 キハ185−12は、1999年に「アイランドエクスプレス四国II」の4号車(上り方先頭車)に改装され、妻面側に専用ラッピングが追加された。
 キハ185−1002は、1999年7月に普通列車仕様に改造されてキハ185−3102となったが、さらに2016年度に「四国まんなか千年ものがたり」の3号車・キロ185−1003に再改造されて、翌2017年1月に出場した。

「緑帯」車 (現存せず) 2003年〜2017年
キハ185−20

伊予大洲駅
2003年8月10日
キハ185−26

岡山駅
2003年10月5日

「緑帯車」2両編成の「剣山5号」

高徳線 徳島駅
2010年1月21日

 2003年までの間に、キハ185−20と、キハ185−26の2両が、トロッコ列車併結用としてグリーンのカラーに変更された。
 これは、もっぱらキクハ32形トロッコ車両との組み合わせで運用することを前提としたもので、帯の色をトロッコ車両に揃えたものである。

 これについて、市販の情報誌等やネット上には「元の国鉄色に戻された」などという誤解も散見されるが、この2両はいずれもJR化後に当初からライトブルーで登場した車輌であり、またオリジナルの国鉄色は正面窓回りとライトケース周りの緑色の色合いが、側面帯のそれとは違って深いグリーンになっているほか、側面窓周りもブラックではなくダークブラウンが本来の色で、このとき緑帯となった2両はいずれも国鉄色ではない。


 このうちキハ185−26については、2015年にアンパンマントロッコ専用車としてキロ186化改造された。
 残ったキハ185−20についても、2017年9月にペアを組むキクハ32−501と共に、「幕末維新号」に改装リニューアルされたため、このグループは消滅した。
アンパンマン色 2015年3月〜

予讃線 香西駅
2015年8月5日

 上記の緑帯車のうちキハ185−26については、通常ペアを組んでいたアンパンマントロッコ用キクハ(502号車)に合わせる形で、2015年に塗色変更のうえで普通車からグリーン車に格上げされ、キロ185−26に改番し、同年3月21日から営業運転を開始した。

 ちなみに富士重工製。
復活国鉄色 2017年3月〜

予讃線 高松駅
2017年5月21日

 2017年3月から、四国デスティネーションキャンペーンとJR四国発足30周年記念を兼ねて、キハ185−17とキハ185−18の2両が、国鉄色に復元された。

 この2両は上記の緑帯車とは異なり「本物の」国鉄色となっているだけでなく、1986年11月改正で実際に国鉄色で新製投入されたグループであり、その意味では正真正銘の復活色であるが、JRマークが当時より小さく(そもそも登場時はJRマーク自体無かった)、厳密な復刻ではないのがちょっと残念ではある。



復活国鉄色のJRマーク

民営化当時のJRマーク


 2両共に、富士重工製。
「幕末維新号」色 (現存せず) 2017年〜2020年

土讃線 斗賀野駅
2019年9月29日


予讃線 高松駅
2020年6月1日

 元の「おおぼけトロッコ号」が「幕末維新号」に改装リニューアルされ、緑帯のキハ185−20が専用カラーに改装された。
 2017年9月23日から営業運転を開始したが、同列車は2019年秋をもって運行終了となった。

 「幕末維新号」化の際に、側面のサボ受けが撤去されてしまっており、今度復活するのかどうかも注目されるが、2020年6月1日はペアを組むキクハ32−501と共に従来の仕様のままで全検出場したが、その後は徳島線での試運転の模様が確認された後、まもなく多度津工場に入場して同年9月29日に装いも新たに「藍 よしのがわトロッコ号」に衣替えして出場した(↓下記)。


 なお、この車両は新潟鉄工製となっている。
「藍よしのがわトロッコ号」色 2020年9月29日〜


土讃線 阿波池田駅
2020年10月31日
(2枚とも)

 ↑の「幕末維新号」色車・キハ185−20が、徳島線で運転される新たなトロッコ列車に改装されることとなり、装いも新たにして2020年9月29日に出場試運転が行われた。
 同年10月3日から4日にかけて、コンビを組むキクハ32−501とともに四国西部の各地で車輌展示会が行われ、同10日から営業運転を開始した。

 左右で大きくカラーリングが異なっている。

 この色に関しては単なるベタ塗りではなくテクスチャ処理がされている


 なお、室内は従来通りで変更はない模様。



〜 室 内 〜

↓キハ185-1014

↓キハ185-9

 キハ185形の運転台。

 主観制御機器はキハ58系の廃車発生部品を流用しており、マスコン及びブレーキハンドルとも横向き操作の縦軸式である。


 運転台は特急形としては珍しく助手席側がオープン構造。

 なお、画像上端にチラリと見えているのは緊急避難用の梯子で、近年の追加装備品。

(↓キハ185-19)

(↓キハ185-17)

 現在の客室内。

 単なるモケット貼り替えではなく座席自体が交換されており、立ち客用の取っ手が追加されている。


 なお、キハ185形の9号車と13号車はシートが異なる(下記小ネタ参照)。



 登場時のキハ185−1010の客室内と、その座席。


 1987年4月7日撮影

 非常に画質が悪いが、キロハ186−7の普通室からグリーン室の方を見たところ。


 1989年5月2日撮影

 現在の洗面所(キハ185−25)。

 (2019年2月23日撮影)



 写りが悪いが、登場時の洗面所↓
 
 (1987年4月8日撮影)

 当初は冷水器と紙コップが設けられていたが、後年撤去された。

 トイレ内部。

 昔ながらのステンレス便器の和式である。

 なお、一部の車両は洋式にリニューアルされている。

 画像は、キハ185−13。
 このほか、キハ185−12等も該当する。

 洋式トイレはドアもリニューアルされており、容易に判別が可能となっている。



キハ185系座席番号表


側面方向幕

側面方向幕
オーソドックスな電光巻取り式
号車番号と座席種別は、
昔ながらの挿し札式

「代走いしづち」では、
列車名が表示されない
こともある

「臨時」表示だとこうなる

「普通」標記もある

登場時の方向幕
「しおかぜ」の文字の前のエル特急マークが懐かしい





〜 小 ネ タ 〜

ヨーダンパ取付準備? ・・じゃないよw
現在のDT55形台車

徳島運転所
2008年5月22日

落成当初のキハ185−1の台車

予讃本線 丸亀駅
1986年11月1日

台座だけが残った状態

山陽本線 岡山駅
1989年5月2日

キロハ186形の前位側TR240台車

予讃線 多度津駅
2017年2月22日

 キハ185系のDT55形台車には、台車中央部から見て車端側に台車梁から下へ伸びる突起状の物が付いている。
 その形状と位置から、ヨーダンパ取り付け準備工事かと思ってしまうが、実はこれは落成当初に装備していたフランジ塗油器の油タンクの台座である。


 左画像上から2枚目画像は、営業運転開始初日のキハ185−1の台車である。
 ご覧の通り、台車の前位側車軸に注油するためのフランジ塗油器(の油タンク)が装備されている。

 しかし、これはかなり早期に撤去されてしまったらしく、当方手持ち画像では、左画像上から3枚目の通り、遅くとも1989年までには既に撤去済みの模様である。


 なお、この突起があるのはキハ185形/キロ185形前位側のDT55形、およびキロハ186形/キロ186形前位側のTR240形台車のみである。



エラー?試験?お遊び?
「はつはる号」のキハ185−1015
手すりとノズルが水色なのがくっきり

予讃線 多度津駅
1992年1月1日

遅くとも1993年1月までこの姿で活躍(左)

予讃線 伊予中山駅
1993年1月31日

 JR四国色のキハ185形の内、前面の手すりとウォッシャノズルが水色に塗られた異端車が、かつて存在した。

 当方所蔵画像で確認出来る範囲ではキハ185−1015が該当し、少なくとも1992年の元日から1993年1月31日までの間、この姿で運用されているのが記録されている。
 また、交友関係諸兄との画像の突き合わせにより、ほかにもキハ185−1018が1992年11月以降1993年元日までの間に、同様に水色塗装化されているのが確認できる。

 いつまで水色塗装だったのかもはっきりしておらず、試験塗装的な物なのか、エラーなのか、はたまた多度津工場職員の遊び心だったのか、まったくもって不明である。



流行らなかったエンブレム

予讃線 高松駅
1996年4月28日


予讃線 伊予大洲駅
2003年8月10日

 1996年3月16日改正での特急「剣山」登場を機に、四国をモチーフとしたエンブレムが剣山カラーのキハ185系に貼付された。


 ↓JR四国ニュース No.102 より
 


 剣山色以外のキハ185系のほか、同時期に登場した6000系にも貼付されたが、キハ185系と6000系以外の車種には波及しなかった。
 疑似国鉄色車への塗色変更、及びキハ185形3000番台車への改造後も、しばらくは貼付されたままであった(2005年3月時点のキハ185−3013の例→)。


 シールの劣化進行が比較的早く、また劣化した物を新しい物に貼り替えた様子もほとんど無く、2010年頃までにはほとんど剥がされて、2022年時点では現存している車両は無い模様。


鋼体継ぎ目のズレ
 ↑やや高い位置にある、1988年新潟鉄工製の車両。


↑通常はこの高さ

↑両者の比較

 国鉄時代からJRにかけて、全部で3社で3回に渡って増備されたキハ185系は、製造ロットによる外観上の差異が散見される。

 その内の比較的大きな違いの一つが、民営化後の1988年4月に新潟鉄工で落成したキハ185形0番台車の後位側の鋼体部分で、左画像のように鋼板の継ぎ目の位置が何故か少し高い位置にある。
 該当車両はキハ185形の19〜21号車の3両で、現在は20号車が藍よしの川トロッコ色、他の2両がJR四国色となっている。


 理由は不明であるが、メーカーの手違いとか、同時期製造していた他の車両との材料合わせなのか、鋼体強度の関係なのか、色々と推察されているが真相は謎である。


 なお、キハ185形1000番台車については同様な事象は見られない。また、キロハ186形は国鉄時代のみの製造で民営化後の増備は無い。


サボ受けの位置が・・・?
↓通常の高さ
(1015号車)
↓若干低い車両
(1018号車)
↓比較(その1)
(1016+25号車)
↓比較(その2)
(26+20号車)

 キハ185形の中で、22〜26号車と1017〜1018号車の合わせて7両は、側面の号車札&サボ差しの位置が他の車両よりも若干低い。

 通常は、号車札の上端部分が窓周りの茶色の部分よりも高い位置に来るのであるが、上記の7両については号車札上端部分の方がそれよりも低くなっている。
 通常の高さの車両と連結した場合には、左画像のように高さの違いが明瞭である。

 当該の7両は、昭和63年度増備(12月落成)の富士重工製であるが、同じ年の4月に新潟鉄工で落成している1013〜1016号車等は通常の高さとなっており、その間に仕様変更が行われたということになる。
 低い位置に変更された理由は謎であるが、地上からサボの差し替えを行う際の作業性を考慮したものではないかとの憶測もある。


 1986年11月改正で登場したキハ185系は、当初は「しおかぜ」「南風」のみの運用でしかも両列車は共通運用であったが、1988年4月改正で運用列車が「しおかぜ」「いしづち」「南風」「しまんと」「うずしお」と一気に増えて編成バリエーションが増し、特に車両基地等のホーム無い場所での(地上からの)サボなどの差し替えを行う機会が大幅に増えたことから、現場からの改善要望があったと推測すると、時系列的にも矛盾はない。


サボ受けの位置が・・・?(その2)

↑日本車輌製

↑富士重工製

↑新潟鉄工製

↑新潟と富士重の比較

 キハ185系の国鉄時代の製造分38両については、日本車輌・新潟鉄工・富士重工の3社で製作されメーカーごとの違いはほぼ無いが、外観上の違いがたった一つだけある。
 実は号車札等札挿しの位置が、新潟鉄工製の車両だけわずかに低くなっている。

 違いは微妙であるが、新潟製の車両はすぐ上の鋼体継ぎ目との間に隙間があるので判別できる。


 左の例示画像の車両番号はそれぞれ以下の通り。

 日本車輌製=キハ185−1 + キロハ186−1
 富士重工製=キハ185−18 + キハ185−17
 新潟鉄工製=キハ185−12 + キハ185−11 (アイランド2ラッピング車)
 新潟と富士重=キロ186−4(新潟製)+キロ180−8(富士重製)


「やくし号」と「やくおうじ号」
↓1991年の「やくし号」
↓2008年の「やくおうじ号」
↓JR時刻表1995年12月号より
↓JR四国NEWS No.170 より
↓JR四国NEWS No.182 より


 登場からわずか数年で主力の座を降ろされたキハ185系であるが、その後も特に波動臨時列車として活躍を続けている。

 中でも、日和佐にある薬王寺への初詣列車は、長年キハ185系が活躍する定番臨時列車としてすっかり定着している。
 「やくおうじ号」の愛称で毎年専用のヘッドマークも掲げられている同列車であるが、昔日を知る鉄道ファン諸兄には、「やくし号」の愛称を懐かしむ方も多いかもしれない。

 では、いつから「やくし号」から「やくおうじ号」に変わったのか? であるが、これは結論から言うと、「やくし号」が「やくおうじ号」に変わったのではなく、両者は元々別の列車だったのである。


 薬王寺初詣列車は、国鉄時代からキハ58系による「やくし号」が高松〜牟岐間に、急行「むろと」に併結の形で運転されており、通常は朝出発〜夕方帰着というスジで、それがJRにも引き継がれた。
 民営化後、1988年4月のダイヤ改正で昼間の高徳線の優等列車がほぼ全て「うずしお」となり、残った牟岐行の急行が「阿波」に改称され、「やくし号」もその「阿波」に併結の形となった。

 さらに1990年11月改正では急行列車が消滅して、高徳・牟岐線は全て特急列車となったことから、1991年の正月からは「やくし号」はキハ185系使用の特急列車に格上げとなり、高松を前夜出発して翌未明〜早朝に戻ってくるダイヤに変更となった。同時に、運転区間は日和佐までに短縮された。

 その後(早くとも1993年正月以降)「やくし号」とは別に昼間運転の「やくおうじ号」が高松〜日和佐間に設定され、2002年の正月までは両者は併存していた。
 なお、「やくおうじ号」は当初は高松〜徳島間は定期「うずしお」に併結だったが、ほどなく全区間単独運転となった。

 ところが、翌年2002年12月1日発行のJR四国NEWS No.182を見ると、「やくおうじ号」の名は見えるが「やくし号」は消え、その後は二度と復活することなく現在に至っている。

 そして2020年の正月からは、「やくおうじ号」の高松乗り入れも廃止された。


 なお、左画像のNEWS No.182に掲載されている未明の徳島発着臨時普通列車は、従来より運転されていたもので、「やくし号」の流れをくむ列車ではない(1995年12月号時刻表を参照/なお、この列車もついに2019年の元日から運転が無くなってしまった)。



格下げの残骸


 キハ185形の9号車と13号車は、一時通勤仕様化改造されてキハ185形3000番台となっていたが、2006年6月に元の特急仕様に復帰(塗色は剣山塗装)した。

 このとき、3000番台化の際に追加設置改造されたジャンパ栓受けがそのまま残されているため、他の通常の車両と容易に区別することが出来る。



(左蘭上画像)
 キハ185−13に残るジャンパ栓受け。もちろん、現在はもう使用していない。

※2007年7月2日撮影


(左蘭下画像)
 通常タイプと並べると違いがよく判る。
 左が特急仕業に復帰したキハ185−9、右が通常タイプのキハ185−1018。

※2008年8月15日撮影



 ちなみに、同じ通勤仕様の3100番台から「四国まんなか千年ものがたり」に再改造されたキロ185−1003(元キハ185−3102)については、きちんと(?)ジャンパ栓受けが撤去されている。


”ちょっと良い”シート

 キハ185形の中で、一旦通勤仕様車(3000番台車)に改造された後に特急仕様に復帰した、上記のキハ185−9とキハ185−13の2両については、復帰時に8000系のリニューアル改造によって捻出されたシートをモケットを貼り替えて転用している。

 これは、通勤仕様に改造した際、当初は接着剤でリクライニング(のレバー)を止めていたが、接着剤が取れてリクライニング可能となってしまう座席が出現したことから、対策としてリクライニング機構そのものを撤去してしまったため、特急仕様復帰の時にシートの継続使用が出来なくなったためである。

 このため、この2両はシート自体が異なるだけでなくフットレストも装備されており、通常のキハ185形よりも快適性が向上している。


 画像はキハ185−9の例(2019年2月23日撮影)で、キハ185−13も同様。



排気管
2001年に登場した現行の3代目


 現在キハ185系の排気管は、キハ185形の運転台側のみ排気ガスが車体に対して斜め内側に排出されるように排気管が付いているが、これは本来の排気管にボルトのようなもので継ぎ足す形で延長されている。
 材質は恐らくステンレスで、綺麗な状態であればステンレスシルバーなのが確認できる。


 このタイプ(仮に3代目と呼ぶ)の出現が確認できるのは2001年9月であるが、全車一斉施工ではなく全般検査等の比較的大がかりな検査の時に改造施工した模様で、遅くとも2003年10月までは2代目タイプと併存していた。

当初の排気管

1991年9月まで残存

 なお、キハ185系の登場時の標準仕様は、屋根上への出っ張りがほとんど無いタイプであり、真っ直ぐ上に排気が上がる構造だった。当方所蔵画像では、少なくとも1991年9月まではこのタイプの排気管しか確認できない。(コレを仮に標準タイプと呼ぶ)

1991年末に2代目に移行
確かに斜めに排気されている


1991年末に全車一斉に改造施工された

2代目は2003年秋まで残存し、時には3代目と混結も

手前が2代目
奥が3代目


 1991年秋以降に、在来の排気管に継ぎ足す格好で排気を車体外側に向かって吐くような形で、排気管の継ぎ足し改造が行われた模様。キハ&キロハともに運転台側・妻面側両方に施工されている。(コレを仮に2代目と呼ぶ)
 運転台側に比べて妻面側がかなり太くなっているように見えるが、コレは角度の関係と思われ、実際は両方とも同じ太さではないかと思われる。


 改造は全車ほぼ一斉に行われたようで、当方手持ち画像では1991年秋の時点では全く見られなかったのが、1991年大晦日から翌元日までの間にかけて撮影した画像では、既に標準タイプは確認できず、全て2代目に変わっていた。


 その後、既述のように2001年9月に3代目タイプが出現したが、2代目タイプも2003年10月までは残存し、過渡期には2代目と3代目の混結も見られた。


 なお、妻面側の延長パイプは3代目では全て撤去された。
九州独自の再改造


 ちなみに、1992年に20両が譲渡されたJR九州ではさらに独自に改造を行っている模様で、運転台側は四国の2代目の物を短くしたような感じだが微妙に太く見えるので別の物を取り付けているのかも?
 妻面側については四国時代の物を撤去して真っ直ぐ上に排気するタイプを延長施工している模様。



キロハ186形の「前」と「後」

← 廃車留置中のキロハ186−1(日本車輌製)。

 ドア下端左に@のマークがあり、こちら側が「前」であることを示しており、その妻面には銘板類や検査標記も無く、こちら側が「前」であることに間違いない。



←  富士重工製キロ186−8(元キロハ186−8)の銘板(第3位端)。

 いかにも後付けという感じの鉄板に銘板が取り付けられている。

← 少々判りにくいが、同車の反対側妻面(第2位端)。

 ビードの無い空きスペースがあるのが判る。

 鉄道車両では、予め定められた規定によって車両の「前」と「後」が、さらに言えば「第1位」「第2位」「第3位」「第4位」という位置がそれぞれ決められている。
 これらの車輌の位置のことを「位置称呼」といい、予め定められた優先順序に従って車輌の前後が決められ、車体にもその旨が表記されていて、車輌の保守などの際に位置を特定するときなどに活用されている。

 片運転台の車輌はもちろん、両運転台の車輌や中間車についても、その原則に則ってそれぞれちゃんと「前」と「後」が決められている。


 そんな中で、キハ185系キロハ186形については、何故か優先順序3番目の項目がスルーされて、優先順序7番目の項目に従って、ロ室側の方が「前」と定められている。


(参考)
 1999年版 JR全車輌ハンドブック 349項「位置称呼」

 この原則によれば、3番目の項目に従って動台車のあるハ室側が「前」となるはずであるが、実際は何故か逆になっている。


 原則から外れた扱いとなった経緯は不明であるが、製造途中での変更であったのか、富士重工製の車両についてはいかにも後付けっぽい鉄板に製造銘板が「後位側」取り付けられ、その反対側妻面には本来銘板が取り付けられるはずであったであろうスペースにはビードが無くて空いているのが確認できる。

 これは富士重工製の6〜8号車のみで確認され、日本車輌製(1〜3号車)や新潟鉄工製(当時:4〜5号車)では見られない。
 さらに、製造時期も富士重車が一番最後のはずであり、なぜ同社製だけこのような構造になってしまったのか謎が残る。






<キハ185系運用>
 (2021年3月改正)

 高徳・徳島・牟岐線のみの運用。

 「剣山」「むろと」のみが全列車キハ185系での運転。
 かつては牟岐線末端区間の特急仕様車による普通列車運用もあったが、現在は「むろと」が朝夕の1往復のみとなっている関係で消滅している。

<キハ185系による「うずしお」>
 9/32号

<キロハ186 × 1>
「ゆうゆうアンパンマンカー」
 69D → 4005D → 4008D → 92D



形式キロ185形キハ185形キロハ186形
0番台1000番台
製造元日本車輌
1〜61001〜10061,2,3
新潟鉄工20 (多度津工場改造)7〜12,19〜211007,10084,5
富士重工
13〜18,22〜261009〜10186,7,8
製造(改造)初年(2015年)1986年
製造(改造)両数(1)26188
画像
アンパンマン車
(キロ185−26)
予讃線 宇多津駅

JR四国色
予讃線 多度津駅


剣山色
高徳線 徳島駅


復活国鉄色
予讃線 高松駅


復活国鉄色
予讃線 高松駅

JR四国色
高徳線 徳島駅


剣山色
徳島線 阿波加茂駅

↑営業運転初日の
キロハ186形
1986年11月1日
予讃本線 丸亀駅


↑こちらは「ゆうゆうアンパンマンカー」
キロハ186−2
土讃線 阿波池田駅

 トイレ・洗面所付きの制御車。

 キロ185形はキハ185形の格上げ改造車。

 屋根後端部は、ユニット式のトイレ洗面所を搬入搬出するための穴を塞ぐ蓋。
 トイレ・洗面所無しの制御車。

 屋根上は同時期に登場したキハ54形とほぼ同じ。
 中間車。
 半室グリーン車で、エンジンは1台のみ搭載。

 8両が登場した。
寸法21,300 mm
2,943 mm
3,845 mm
台車中心間距離14,400 mm
重量(?)39.0 t38.4 t33.7 t
車体ステンレス
機関形式
出力
DMF13HS
250PS/1,900rpm × 2
DMF13HS
250PS/1,900rpm
変速機 TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比2.613
燃料タンク容量600 L × 2800 L × 1
ブレーキ方式 機関ブレーキ付
応速度増圧付き CLE
ブレーキ装置踏面両抱
台車形式 DT55
DT55/TR240
軸距
車輪直径
2,100 mm
860 mm
補助電源装置機関直結
空気圧縮機機関直結
冷房装置 AU26
28,000 〜 40,000 kcal
キハ185は機関直結、キロハ186は専用機関搭載
客室暖房装置温風式(車内放熱器)
許容最高速度110km/h
車体構造・客室2扉クロスシート 2扉リクライニング
(キロハの普通室は現在はリクライニングシートに交換済み)
ドア幅850 mm × 2
シートピッチ(?)940 mm 普通席 1,020 mm
グリーン席 1,160 mm
床面高さ1,250 mm
出入口ステップ高さ965 mm
乗車定員(?)6064 グリーン:24
普通:32

※さらに詳細はスペック一覧表参照

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