土讃線 (3) <高知〜窪川>

<沿革>

 高知県内初の国鉄線として、高知線 須崎〜日下間が開通したのは大正末期の1924年3月。その8ヶ月後の11月には線路は高知まで延びたが、須崎から南の区間の開通は大きく昭和にずれ込んだ。
 1939年に土佐久礼まで開通した後、久礼坂の攻略に手間取り、1駅先の影野まで開通したのは既に戦後の1947年だった。

 窪川までの開通を待ちきれないかのように、1950年に土讃線初の準急列車として「南風」が高松桟橋〜須崎間(高知〜須崎間普通列車)に運転を開始した。
 ようやく線路が窪川まで延び、土讃線の多度津〜窪川間が全面開通したのは、翌1951年のことであった。


 詳細な各区間の開業の時系列については「土讃線(1)」の<沿革>を参照。


 同じ土讃線の多度津〜高知間と比べると、旅客需要の差から来る列車本数等の関係からか、一線スルー化などの線路改良はかなり遅れている。

 国鉄末期の1986年11月15日改正で、ようやくそれまでの通票閉塞方式からCTC(特殊自動閉塞)化された。
 さらに1989年には、土佐加茂・西佐川・佐川・多ノ郷の各駅の交換設備が増強されて、線路容量が大幅に強化された。

 しかし、2023年現在でもこの区間で一線スルー化されているのは西佐川駅のみで、せっかくの高性能振子気動車も性能を持て余し気味である。





<概要>

 国道56号線や建設中の高知自動車道が土佐市を通って高知〜須崎間を短絡しているのに対して、土讃線は佐川方面へ迂回している。
 加えて西佐川〜佐川間はオメガカーブを描いて大きく回り込んでいる。これは、もともとこの西佐川から松山へ抜ける仮称・予土線を建設することを目論んでの配線だった。
 結局予土線は全く別の場所に出来、無駄な配線となってしまった。


 斗賀野〜多ノ郷間はかつて石灰石専用貨物列車が運転され、1983年まではDF50形重連の牽引で有名だった。最盛期は1日16往復が運転されていたこの専用貨物列車は、DF50の引退後はDE10がその牽引の任を引き継いだが、92年9月限りで廃止された。

 かつての貨物側線跡は線路もはがされて草蒸し、一部は道路になっているところもあり、かつての栄華は偲ぶべくもない。


 土佐久礼〜影野間は久礼坂と呼ばれる難所で、約10キロの間に大小合わせて24のトンネルがある。上り列車の進行方向右手にはトンネルの合間から太平洋を望む素晴らしい景色を見ることが出来るが、「あそこまで下りていかなければならないのか」と思えばその大変さが解ることであろう。






<列車&車両>

 列車は特急列車と各駅停車の2種しかなく、特急列車は全て2000系および2700系の振子気動車が充当され、「しまんと」「あしずり」が合わせて8往復、2〜3両の短編成で運転されている。


 普通列車は3往復にキハ32形が充当されている以外は全て1000形化されている。

 しかし近年、末端区間はプレス発表に記載されない普通列車の削減が行われ、特に須崎〜窪川間は5往復にまで減らされ、窪川発の上り普通列車は18時台が最終列車という状況となっている。



※駅名をクリックすると、各駅ごとの詳細情報のページを開きます
営業キロ駅番号駅名(読み)開業年月日電略標高ホーム形態主な施設備考
126.6 D45
K00
(高知)






127.9K01入明いりあけ1924.11.15アケ10 m 片面
1面1線

駅舎無し
128.7K02円行寺口えんぎょうじぐち1964.10 .1エン11 m 片面
1面1線

駅舎無し
130.2K03あさひ1924.11.15アヒ6 m 対面
2面2線
昔は2面3線
131.3K04高知商業前こうちしょうぎょうまえ1986.11. 1チシ8 m 片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
132.7K05朝倉あさくら1924.11.15アク12 m 対面
2面2線
曲線ホーム
昔は2面3線
136.2K06枝川えだがわ1986.11. 1エワ15 m 片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
138.0K07伊野いの1924.11.15イノ17 m 併用
2面3線

留置側線有
139.5K08波川はかわ1964.10. 1ハカ16 m 片面
1面1線

駅舎無し
141.6K08-1小村神社前おむらじんじゃまえ2008. 3.15オム 20 m
(推定)
片面
1面1線

駅舎無し
143.7K09日下くさか1924. 3.30クサ20 m 対面
2面2線


145.7K10岡花おかばな1960. 8.20オハ20 m 片面
1面1線

駅舎無し
148.6K11土佐加茂とさかも1924. 3.30サモ23 m 対面
2面2線


152.4K12西佐川にしさかわ1924. 3.30ニサ75 m 併用
2面3線
屋跨
154.2K13佐川さかわ1924. 3.30サワ80 m 対面
2面2線

昔は1面1線
156.0K14襟野々えりのの1960.10. 1エリ95 m 片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
158.0K15斗賀野とがの1924. 3.30トノ100 m 対面
2面2線

昔は2面3線&側線有り
163.4K16吾桑あそう1924. 3.30ソオ26 m 対面
2面2線


166.1K17多ノ郷おおのごう1947. 6. 1オコ3 m 対面
2面2線


167.0K18大間おおま1960.10. 1オオ4 m 片面
1面1線

駅舎無し
168.7K19須崎すさき1924. 3.30スキ2 m 併用
2面3線
み旅
屋跨
留置側線有
170.6K20土佐新荘とさしんじょう1939.11.15シセ5 m 片面
1面1線

曲線ホーム
駅舎無し
173.6K21安和あわ1939.11.15アワ12 m 片面
1面1線

駅舎無し
昔は1面2線
179.7K22土佐久礼とさくれ1939.11.15サレ8 m 島式
1面2線


(旧笹場信号場)ささばしんごうじょう1947. ?. ?(?) 113 m
(推定)
(信号場跡) 1947年廃止
スイッチバック
190.4K23影野かげの1947.10.20カケ252 m 島式
1面2線


192.2K24六反地ろくたんじ1961. 4.15ロク251 m 片面
1面1線

駅舎無し
194.2K25仁井田にいだ1951.11.12ニイ235 m 片面
1面1線


198.7 K26
TK26
窪川くぼかわ1951.11.12クホ210 m 併用
2面3線

屋跨
留置側線有
TKTホームは片面1面1線


<仁淀川橋梁>

 伊野〜波川間の仁淀川にかかる、仁淀川橋梁。

 中央付近の1つだけが、長さ・デザインの異なる8連のトラス橋で、全長397m。
 土讃線の橋梁としては、吉野川橋梁に次いで長い。

<顔合わせ>

 線路脇でひっそりと佇む、国鉄バス塗装のJR四国バスの廃車体。

 その横を、今日も、そして明日も列車は通過していく。


※2008年5月撮影
※佐川〜襟野々間


※この廃車体は、2018年時点では撤去されて姿を消している。

<遺構>

 1992年10月1日をもって廃止された、斗賀野貨物線の遺構群。

 廃止から四半世紀が過ぎた2018年現在、その痕跡もほとんどが失われ、はっきりと確認できるのはガーター橋とその上にわずかに残る枕木程度となっている。



 1999年当時は草も少なくてバラストも確認でき、キロポストもまだ残っていた

 2008年になるとキロポストは失われてガーター橋の枕木も腐食が進んだが、バラストや勾配標はまだ確認できる状態で残っていた。


 土讃線から離れた後、かつての石灰石積出場までの間の線路跡は、現在は舗装道路に変わっている


(襟野々〜斗賀野間)
(右の3枚の画像は2018年10月24日撮影)



 なお多ノ郷側の遺構については、須崎市の市街地に位置することから、近年開発が進んで急速に失われて、2008年5月時点でももうほとんど確認することができなかった(多ノ郷駅の項を参照)。
(↓線路跡)

(↓橋梁部に残る枕木)

(↓完全に草木に埋もれた線路跡)

<海辺を行く>

 安和駅を通過する、特急「あしずり」。

 駅の目の前はもう海岸。


<四道トンネル>

 土佐久礼から影野にかけては、久礼坂と呼ばれる約10kmに及ぶ連続25‰勾配が続く。

 その登り詰めるところにある四道トンネルは、土佐久礼〜影野間にある23カ所のトンネルの中で最も長く、全長1,823m。

 ちょうどトンネル出口地点がサミットとなっており、上り列車から見ると、トンネルに入ると同時に25‰の下り勾配となる。




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