その他の土讃本線
客車普通列車





土讃本線 区間快速 221列車(高松発高知行)
(1980〜1985年)
土讃本線 普通 226列車(高知発高松行)
(1979〜1985年)
土讃本線 普通 1232列車(琴平発高松行)

(1980〜1986年)


以下に記す編成表は、50系客車および荷物車の場合は連結位置は固定だが、
旧型客車の場合は、日によって形式が異なるため、一例として記載

なお四国においては、オハフ50形はトイレが上り方に
向くように連結されることが非常に多かった(徳島線では逆向き)





土讃本線 区間快速
221レ
高松発高知行
1980〜88年

一番よく憶えているのが、旧客6両をDE10が牽引していた頃


それ以前はDF50が牽引していたはずだが、見た記憶がない(^^;



牽引機関車
DF50
(〜1981年)
DE10
(1981年〜)


(〜1983年)
高知 ← 高松
マニ36
(南トメ)
マニ36
(四コチ)
オハフ61
(四コチ)
オハ35
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
オハフ61
(四コチ)


(〜1985年3月)
高知 ← 高松
マニ50
(南トメ)
スユニ50
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
オハ47
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
オハフ61
(四コチ)


(1985年3月〜)
高知 ← 高松
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)



 列車通学をしていた当時、1985年3月改正までの間、普段乗車する222レと乗車駅で交換していた列車。
 222レが発車するよりもかなり先に同駅を発車するため、この列車を間近で見るためには、222レ発車時刻よりも早めに(到着前ぐらいから)駅に着いておく必要があったため、実際に間近で見ることは意外と多くはなかったが、6両編成という土讃本線山越え区間の客車列車としては最長の編成(1981〜84年当時)が印象に残っている列車。

 元の本州連絡準急列車がルーツで、大阪から直通の二等車を連結していた時期もあった。
 その名残か高松〜多度津間は快速運転となるほか、土讃本線の客車列車としては編成が長く、旧型客車時代の荷物車2両を含めた6両の「長大編成」は、通常は100〜120m程度しかない途中の小駅では、列車の一部がホームをはみ出すほどであった。
 荷物車の重量も手伝って、DF50やDE10が猪ノ鼻越えで黒煙を吐きながら苦闘した列車で、そのエンジン音は線路から遠く離れた実家でも聞こえることがあったほど。

 荷物車は、1983〜84年頃にマニ36形からマニ50&スユニ50形に置き換えられている。


 1985年3月改正でこの列車は転機を迎え、深夜の宇高連絡船に接続する半夜行区間快速列車として、5時間ほど運転時刻が繰り上がり、同時に高松運転所所属の50系客車に置き換えられたうえ、編成は半分の3両と短くなった。

 高松からこの列車に乗車し、まだ未明の高知駅で、寝ぼけ眼で中村行きの731Dに乗り換えた記憶がある(^^;

 瀬戸大橋の開通した1988年4月改正で、姿を消した。


 NSRでは、とりあえず旧客時代のみを再現。


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土讃本線 普通
226レ
高知発高松行
1979〜85年

一番印象に残っている、DF50牽引時代
1979〜80年頃のイメージ


1981年に牽引機がDE10に変更となった


1983年に、荷物車が50系化された


1985年に旅客車も50系化
編成も短くなってしまった



旧型客車時代は一見して221列車と似ているが、
機関車の向きが逆になるので判別可能


牽引機関車
DF50
(〜1981年)
DE10
(1981年〜)


(〜1983年)
高知 → 高松
オハフ61
(四コチ)
オハ47
(四コチ)
オハ35
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
マニ36
(四コチ)
マニ36
(南トメ)


(〜1984年2月)
高知 → 高松
オハフ61
(四コチ)
オハ47
(四コチ)
オハ35
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
マニ50
(四コチ)
マニ50
(南トメ)


(〜1985年3月)
高知 → 高松
スユニ50
(四コチ)
オハフ61
(四コチ)
オハ47
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)


(1985年3月〜)
高知 → 高松
マニ50
(四コチ)
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)



 6両の長い編成だった頃が特に印象に残っている列車。

 列車通学当時、225列車乗車時には下車駅で、普段利用している列車に乗ったときは琴平又は金蔵寺で、それぞれ対向列車として交換していた列車で、つまるところ平日は基本的に毎日見かける機会のある列車であった。
 そのほか、毎年開催されていた町のイベントで県境を越えて徳島へハイキングに行った帰りにいつも乗車していた列車であり、途中の箸蔵での「南風」通過待ちと「あしずり」追い越し待ちの様子や、止まりそうな速度で猪ノ鼻越えをしていたのが強く印象に残っている列車。

 225列車乗車時に下車駅で降りるとこの列車が(改札出口のある)対向のホームに停まっているのだが、下車駅には跨線橋が無く、しかも225列車が発車したあともこの列車が10分近くも居座るため、駅を出るには一旦線路に降りて、226列車の客車の中を通り抜けて、向かいのホームに降り立つ必要があった。
 旧型客車時代はそれで良かったが、自動ドア装備の50系客車化されると、列車の後ろまで遠回りする必要があり、非常に億劫だった(^_^;


 NSRでは旧客時代&50系時代両方を再現。


旧型客車6両をDE10が牽引していた頃の、実際の226列車
1981年5月撮影



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土讃本線 普通
1232レ
琴平発高松行
1980〜88年

小松島・高松配置車で組成されていた1980〜83年頃のイメージ
スハフ43形とオハ41形が目立つ編成



高知配置車で組成されていた1984年頃のイメージ


1985年に50系化


牽引機関車
DE10


(1981年2月〜)
琴平 → 高松
オハフ61
(四コマ)
オハ35
(四コマ)
オハフ33
(四コマ)
オハ41
(四コマ)
オハフ61
(四コマ)
スハフ43
(四カマ)


(1984年2月〜)
琴平 → 高松
オハフ61
(四コチ)
オハ47
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)
オハ35
(四コチ)
オハフ33
(四コチ)


(1985年3月〜)
琴平 → 高松
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)



 列車通学当時、通常は最最寄り駅から222列車を利用していたが、時折琴平駅まで出向いて、琴平始発のこの列車に乗ることもあった。
 また再最寄り駅から222レに乗車してから琴平で一旦下車し、この1232レに乗車することもあり、比較的よく利用していた列車である。

 前日の下り1231列車として到着後、ほぼまる1日琴平駅で昼寝(&停泊)し、翌日のこの列車でまた高松まで行って運用終了で、そのうえ1231/1232列車ともに休日は運休(=週末や祝日を挟む場合は琴平で2日間も停泊)という、実に贅沢な(=非効率的な(^^; )運用であった。


 1984年2月改正までは、小松島客貨車区所属の5両に高松所属の1両がくっついた6連であったが、同改正からは高知区所属の3両編成2本併結の6連に変更となった。
 さらに1985年3月改正で、高松運転所所属の50系客車5両編成に置き換えられ、88年4月改正まで運転された。

 小松島区所属車で運用されていた頃はオハ41形などの珍車や、高松配置のスハフ43形が比較的高確率で連結され、高知区持ちになってからは高知へ転属したスハフ43形(2号車)が連結されることもあった。


 NSRではとりあえず、高知区〜高松所持ちになった1984年以降の編成を再現。
 
 2011年3月にオハ41形を製作したので、高松車+小松島車の併結時代が再現可能となった。


実際の1232列車
1986年3月撮影



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