客車普通列車


予讃・土讃本線 通勤快速
122レ+222レ
1980〜88年

(DF50+35/43/44系:〜1981年)
(DE10+35/43/44系:1981〜82年)
(DE10+50系:1982〜88年)


昭和55年頃の(現実世界の)国鉄・予讃本線
かつての優等客車、スハフ43形やスハ43形を中心に組成された
通勤快速が存在した・・・編成は10両(日によって11両)!



列車番号122レ(+222レ)を名乗るこの列車は、
高松では宇高連絡船に接続し、本州連絡の重責も担っていた

これをDF50形が牽引し、坂出〜高松間はノンストップ・快速運転、
平均時速60km/h超で突っ走っていた




あれからもう四半世紀が過ぎた・・・
追憶の意味を込めて、この通勤快速がNSRで復活!



この列車の「目玉」は、6/10号車に連結された「特ハ」スハフ43形




1979〜1982年2月

牽引機関車
DF50
(〜1981年)
DE10
(1981年〜)

122レ(豊浜→高松)
増1号車1号車2号車3号車4号車5号車
オハフ33
578
スハフ42
2051
オハフ33
576
オハ46
692
オハ47
85
スハフ42
2259
222レ(阿波池田→高松)
6号車7号車8号車9号車10号車
スハフ43
スハ43
399
スハ43
275
スハ43
400
スハフ43
15
 
※多度津〜高松間併結運転
※全車 四カマ 所属
※多客時は増1号車を連結
※オハ46/オハ47形のうち片方は、オハ35−728に変わる場合あり
※増1/1/2/5号車は連結位置が入れ替わる場合あり

※牽引のDF50形は、Tomix車またはMicroAce車限定
 (KATO車は牽引定数不足により単機牽引不可能)



1981年には、牽引機がDE10形に変更となった

10両編成の客レは、DE10形単機牽引としては全国的に見てもかなり長い方であった


1982年3月〜1988年4月

牽引機関車
DE10
(1981年〜)

122レ(豊浜→高松)
1号車2号車3号車4号車
オハフ50
423
オハフ50
425
オハ50
187
オハフ50
424
222レ(阿波池田→高松)
5号車6号車7号車8号車
オハフ50
428
オハ50
287
オハ50
288
オハフ50
429
 
※多度津〜高松間併結運転
※全車 四カマ 所属
※1/2/4号車は連結位置が入れ替わる場合あり
※122レは1985年3月改正以降は、川之江→高松間の運転



1982年3月には、高松運転所に新製投入された50系に置き換わった


高松駅の連絡船桟橋から撮影した、1982年8月当時の同列車




 珍しく前置きが長くなったが(^^;、中学校に進学した私が当時通学に利用していた列車が、この222レであった。

 1981年の通学開始後しばらくして牽引機がDF50形からDE10形にチェンジ。
 翌1982年2月には、50系客車に置き換えられ、編成が4両+4両と短くなってしまったが、それでも当時は四国内最長の旅客列車(定期列車・所定編成で)であり、本州連絡快速列車(そもそも当時は快速列車自体が少なかった)という点でも、当時の四国内普通列車の中では別格的存在であり、瀬戸大橋の開通する直前の昭和62年10月のダイヤ改正まで、この列車は走り続けた。

 特に旧型客車時代の222レは、5両編成の中にかつての特急客車・スハフ43形が2両も連結され、他の3両も急行形のスハ43形という豪華編成で、毎日阿波池田〜高松間を1往復するだけ(222レ〜229レ)の限定運用が組まれていた。この運用体制は50系に置き換わってからも継続し、結果的に毎日同じ車両が使われていた:1980〜87年当時)。

 DF50形およびDE10形にとって、満員の乗客を乗せた10両編成の旧型客車(しかも編成の半分以上が「ス」形式)はやはり重かったのか、動き始めてから列車の全編成が多度津駅の場内を抜けきるまで、2分近くを要していた。

 ちなみに、私が毎日乗っていた車両は、最初の1年ぐらいは9号車スハ43−400、その後は8号車のスハ43−275のいずれも1番ボックスで、ほぼ「指定席」と化していた(w
 今になって思うと、何故スハフ43形に乗らなかったのか、、、なんとも勿体ない(^^;

※多分、降車する丸亀駅での跨線橋の階段の位置が関係していたと思われる(^^;

 TR−47形台車を履いたスハ43形・スハフ43形は、当時の四国の車両の中ではかなり乗り心地が良い方の部類に入り、私的には50系客車やキハ40系よりもスハ43/44系の方がお気に入りであった。
 実際50系に置き換わった当初は、フワフワと落ち着きのない客車だと感じたものである(w

 連絡船に接続していたので、通学以外でも本州へ列車で旅行に行く際に乗車することもあり、中学の修学旅行でも高松までこの列車の利用するなど、非常に思い入れのある列車である。
 なお、122レの多度津までの区間は休日運休となり、休日は全区間が222レの単独運転であった。



 NSRでは、1980〜87年頃の同列車を再現。

 222レは、旧型客車&50系とも実際に当時限定運用されていた車両番号を付与し、さらに車両の向きも当時の実車に合わせた。
 122レは完全な限定運用ではなかったので、当時高松運転所に在籍していた客車から適当に寄せ集めて編成して車番を付与。
 旧型客車については、各車とも車番だけでなく窓枠のアルミサッシ化についても、当時の状況を(ほぼ)再現。

 ちなみに旧型客車の場合、10両編成で空車換算30両と、実車より若干軽量。

 さらにちなみに、牽引定数の関係上、2010年購入のKATO製DF50はこの列車の牽引は不可能。



 122レ+222レの多度津駅での連結手順を見る(笑
 ※時刻・編成は1980年10月1日改正当時のもの


 1982年11月15日改正当時の運転時刻



<122レ+222レ 区間快速 略歴>

1950年10月1日改正当時
 ・土讃本線114レ:阿波池田発丸亀行
 ・対応する予讃本線側の列車は存在せず
1956年11月当時
 ・予讃本線14レ(観音寺始発)+土讃本線114レ(阿波池田始発)
 ・多度津〜高松間普通列車:讃岐塩屋・八十場・讃岐府中・香西のみ通過
 ・宇高連絡船への接続無し
 ・14レは休日全区間運休
 ・114レは休日は多度津止まり
 ※当時はこの1本前の12レ(川之江始発)+112レ(讃岐財田始発)が、連絡船に接続する区間快速列車だった
1961年10月1日改正
 ・予讃線列車、豊浜〜観音寺間延長
 ・当時の列車番号:324レ(予讃)+424レ(土讃)
 ・予讃本線列車も毎日運転に変更
1965年10月1日改正当時
 ・列車番号変更:124レ(予讃)+224レ(土讃)
 ・124レは豊浜〜多度津間休日運休
1968年10月1日改正
 ・列車番号変更:126レ(予讃)+226レ(土讃)
1972年3月15日改正
 ・列車番号変更:122レ(予讃)+222レ(土讃)
 ・多度津〜高松間、快速化(途中停車駅:丸亀・坂出)
1975年3月10日改正
 ・停車駅に宇多津追加
 ・宇高連絡船への接続開始
 〜本改正でスハフ43形が四国へ転入→222レに充当開始?〜
1981年
 ・牽引機変更(DF50形→DE10形)
1982年3月1日
 ・50系客車に置き換え(4両+4両)
1985年3月14日改正
 ・122レ、豊浜〜川之江間延長
1986年11月1日改正
 ・停車駅に端岡を追加
1988−4−10改正
 ・電車化により消滅



検索サイトから直接来られた方は、ここをクリックしてTopに移動できます