その他の土讃本線
気動車普通列車





土讃本線 普通 241D(高松発高知行)
(1980〜85年)
土讃本線 普通 1257D(多度津発琴平行)
(1982〜84年)
土讃本線 普通 238D(高知発高松行)
(1981〜86年)





土讃本線 普通
241D
高松発高知行
1980〜85年


多度津までは、予讃本線145Dを後部に併結
1983年頃の姿を想定


通常の所定編成(キユニ26形先頭)

通常の所定編成(キユニ28形先頭)
全車が同系車体で揃った、綺麗な編成

キハ26がキハ47の代走に入ったパターン

キハ20とキハ26が代走に入ったパターン
↓ 下の実車画像と同じ編成


高知 ← 高松
241D
伊予三島 ← 高松
145D
キユニ15
(〜1981年)
キユニ26
(1979〜84年)
キユニ28
(1980〜85年)
(四カマ)
キハ47
(四マツ)
キハ47
(四マツ)
キハ40
(四マツ)
キハ20
(四マツ)
キハ20
(四マツ)

※高松〜多度津間併結
※1980〜81年は、キハ47形は (四コチ) 車
※キハ47(四マツ) はキハ40またはキハ26に替わる場合あり
※キハ40(四マツ) は1982年11月改正から連結



 列車通学をしていた当時、1985年3月改正で高松発阿波池田行・快速7243Dが登場するまで、土曜日の帰宅時によく利用していた列車。

 この列車の特徴は、まず先頭にキユニを連結していたこと。
 1979年頃までは原則キユニ15形、その後はキユニ26形が混じるようになり、1980年頃からはキユニ15が撤退してキユニ28が運用されることが多くなり、1985年3月改正まで郵便荷物車の連結が行われた。

 また、この列車は高松〜多度津間で予讃本線145Dと併結となるのであるが、当時の下りの併結列車では一般的に、予讃線列車の方が編成が長く、なおかつ先に多度津を発車するように前側に連結(土讃線列車の方が後ろに連結)されていたのであるが、この列車だけは例外的に土讃線列車の方が編成が長く、しかも前側に連結されていたという点で、他の併結列車とは一線を画していた。

 そのうえ土讃本線241Dの方は、当時まだバリバリの新車で四国ではどちらかというと少数派であった、キハ47&40形のみで編成されていたということも、特記すべき点であった。
 実際、乗車したときにペンキの香りのする車両が当たったこともあった。
 1982年以降は、先頭のキユニも含めた4両全てが基本的に同型車体の車両で編成される日も多く、当時の四国の普通列車の中でも比較的編成美を堪能できた列車でもあった。

 キユニは高松運転所在籍車、キハ47&40形は1980年は高知気動車区在籍車、1981年以降は松山気動車区在籍車両を使用。
 車両点検の時などは、キハ47&40形以外の松山在籍の一般型気動車が代走することもたまにあった。特に1984年頃から多くなった記憶があり、キハ47の代走は高知在籍車使用時はキハ55、松山在籍車使用時はキハ26、キハ40の代走はキハ20が多かった。

 当時の四国は、DML30搭載のキハ181/65を別にすれば、DMH17搭載車両ばかりであり、その中で少数派だったキハ40系のDMF15のサウンドは、当時はカッコ良く聞こえたものである(w



 そんな理由もあって結構お気に入りの列車であったのだが、1985年3月改正で登場した、急行編成の快速列車の魅力には勝てず(^^;、次に記す編成内容変更の影響もあって大幅に魅力ダウンしことから、同改正以降は乗る機会はほとんど無くなった(苦笑)
 なお同改正では、この列車は予讃本線列車と分離して全区間単独運転となって、列車番号も245Dに変更になるとともに、キユニの連結が無くなり、車両も高知気動車区所属のキハ47形およびキハ58形の2両編成に変更となり、特に夏期はキハ58形の冷房が効かないので一部の旅客には不評を買った(w


 なお、キユニ15形の全廃は1980年度。一方、松山へのキハ47形投入は1981年、高知へは1980年であった。
 従って、キユニ15形とキハ47形との組み合わせは、1980年後半期のみで見ることができた、貴重な組み合わせであった。




1980年8月当時の241D
廃車間近のキユニ15形+新製投入直後のキハ47形の貴重なツーショット


讃岐財田で交換する、241Dと「あしずり6号」
先頭のキユニ26形は、キハ26形から改造の22号車
1984年5月撮影


気動車列車なので、たまにはこういうバラバラ編成になる日もあった
4両編成でも、たったの760馬力
これで猪ノ鼻越えはキツかった
1984年2月撮影



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土讃本線 普通
1257D
多度津発琴平行
1982〜84年


3両目にパノラミックウィンドウのキハ58形を連結
(下の画像の実車と同じ編成)

琴平 ← 多度津
キハ40
(四マツ)
キハ40
(四マツ)
キハ58
(四トク)
キハ28
(四トク)



 列車通学をしていた当時、定期試験や始終業式などで午前中に学校が終わったときに、帰宅時に乗車していた列車。

 松山気動車区のキハ40形2両と、徳島気動車区のキハ58系2両の併結4両編成であった。

 当時四国に配置されていた100両をゆうに超えるキハ58系の中で、パノラミックウィンドウの車両はわずか5両しかなく、特にキハ58形は1980年に徳島へ転属となったため、予讃・土讃線の急行列車で見かける機会は無かった。
 その中でこの列車は、数少ない徳島所属車の予讃・土讃線運用であり、たまに連結されるパノラミックウィンドウのキハ58系が、当時は珍しかったのを憶えている。

 また、下り方に連結されるキハ40形も、当時四国に300両以上が在籍していた気動車の中で、配置数わずか11両という少数派で、しかも当時はまだ新車だったこともあり、この列車に乗るときは40に乗るか58に乗るか、大いに悩んだものであった(w
 もちろん、夏なら迷わずに冷房付きの58系の方に乗ったが(ww


実際の土讃本線1257D
(1982年8月撮影)
3両目のキハ58形が、当時既に高松から徳島へ転属していた、
パノラミックウィンドウの1100番台車

取込時のミスでゴミが入ってるけど(^^;

キハ40形2両は、ほんの数ヶ月前に新製されたばかりの新車のはずだが、
既にすす汚れなどでドロドロ・・・


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土讃本線 普通
238D
高知発高松行
1981〜86年


キユ25+キハ55+キハ65
(1984年頃)

キユ25+キハ47×2+キハ20
(1983年頃)


1981〜82年11月改正
高知 → 高松
キユ25
(四カマ)
キニ28
(四カマ)
キハ26
(四マツ)
キハ26
(四マツ)
キハ20
(四マツ)

※キハ26はキハ47またはキハ20になる場合あり


1982年11月改正〜84年2月改正
高知 → 高松
キユ25
(四カマ)
キハ47
(四マツ)
キハ47
(四マツ)
キハ20
(四マツ)

※キハ47はキハ26またはキハ20になる場合あり


1984年2月改正〜86年3月改正
高知 → 高松
キユ25
(四カマ)
キハ
(四カマ)
キハ
(四カマ)

※「キハ」は、キハ47/55/58/65のいずれかを充当


1986年3月改正
高知 → 高松
キハ
(四カマ)
キハ
(四カマ)

※「キハ」は、キハ47/58のいずれかを充当



 毎週土曜日に、対向列車として見かける機会の多かった列車。
 実際に乗車したことは、ほとんど無い。

 241Dに乗車した場合は琴平で、7243Dに乗車した場合は讃岐財田で、それぞれこの列車と交換した。
 7243Dが急行「土佐」だった頃は、この列車が讃岐財田で「土佐」の通過待ちをしていた。

 この列車は、キユ25形を連結しているのが特徴で、私が列車通学をしていた期間中は、鉄道郵便輸送が廃止される最終日まで連結されていた。

 一方の旅客車両の方は、使用車両の所属が松山−高松−松山と入れ替わり、その度に使用車両も変わり、編成も短くなっていった。


 1984年2月ダイヤ改正までは、松山気動車区所属の(キハ47×2)+キハ20が主に使用され、通常は4両編成であった。
 1982年11月改正までは、これにさらにキハ20が繋がった5両編成だった。なお、キハ47はキハ26に替わるときもあった。

 1984年2月改正から1985年3月改正までの約1年間は、高松運転所所属車両が充当され、キユを含めて3両編成となった。
 当時高松にはキハ55形のほか、1984年2月改正で高知から移ってきたキハ47形も配置されており、これに加えてキハ65形などの急行形車両が充当される日もあり、車種のバラエティとしてはこの頃が最も多く、当日何が来るかはその日のお楽しみ(^^;であった(w

 1985年3月改正からは再び松山持ちとなり、基本的にキハ20形の2連にキユ25が連結される3両編成となった。時折キハ20の代わりにキハ40が入ることもあった。


実際の238D
年を追って編成が短くなってきている・・・
国鉄末期はどの列車も、このようなじり貧状態だった

1982年5月
キハ20+キハ26+キハ26+キニ28+キユ25
の5両編成

1982年8月
キユ25+キニ28+キハ26+キハ20+キハ20
の5両編成

1984年1月
キユ25+キハ47+キハ47+キハ20
の4両編成

1984年2月
キユ25+キハ55+キハ65
84年2月改正からは旅客車も高松持ちに
急行色で揃った凸凹編成(w

1985年3月(改正前日)
キユ25+キハ47+キハ55

1985年8月
この年の春に四国へ転属したばかりのキハ47形
500番台車が運用に就くことも多かった


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