客車普通列車

予讃・土讃本線 区間快速
125レ+225レ
1982〜88年


最後尾に、マニ50形を連結した8両編成



 列車通学当時、平日の授業が終わるのはだいたい16時頃であった。
 だが、最終時限がHRの時などは早く帰れる場合があり、そんなときに乗車していたのが、高松発高知行き・土讃本線225レであった。

 高松〜多度津間は、高松発川之江行きの125レとの併結で、旧型客車時代は125レ5両+225レ5両の10両編成、50系に置き換わった1982年3月1日以降は、125レ4両+225レ4両の8両編成であった。

 225レは荷物車を連結しており、50系化後はマニ50形が列車の最後部にぶら下がっていたのだが、旧客時代は列車の先頭にマニ36やマニ50が連結されていた。
 つまり旧客時代の125レ+225レは、125レの旅客車5両の次に、225レの荷物車が繋がり、その後ろに通常の旅客車が4両繋がっていたわけで、併結状態で走行中は両列車の間を往来することが出来なかった。

 この列車は、私が乗車する駅では3番ホームで10数分間停車し、その間に下りの急行列車2本に追い越され、上りの急行列車2本をやり過ごす。
 その駅で3番ホームから発着する列車自体が珍しかったこともあり、この列車に乗れるときは出来る限り列車が到着する前に駅に行き、長い客レが身体をくねらせるようにしてポイントを渡ってくる様子と、上下4本の急行列車の離合風景を眺めていたものである(^^;


 川之江行きの125レは、高松地区ではかなり最後までDF50形牽引で残っていた列車で、多度津ではDF50が5両の川之江行きを牽引して発車していったあと、DE10形が225レの先頭に連結されるという光景が、しばらく見られた。

 この列車も122レ+222レと同様に、瀬戸大橋の開通した1988年4月改正で姿を消した。

 個人的に、この列車は一つだけ難点があり、途中の駅から不良が沢山乗ってくるのだけがちょっと嫌だった(^^;
 だがそれもせいぜい2年程度で、通学開始から3年目ぐらいになると、乗ってくる不良グループの一部を当時仲の良かった従兄が仕切るようになった(笑)ので、逆に少し楽しみになってきたものである(ww



 私にとってはそんな思い出のある列車だが、NSRではとりあえず50系化されたあとの姿を再現。

 オハ50/オハフ50形は高松運転所所属車。マニ50形は高知客貨車区所属車両が多かったが、時折宮原や汐留所属の車両が入ることもあった、、、、ような記憶がある(ww
 いやね、列車の最後部に繋がれているから、その気になって確認しに行かないと判らないからね ← 言い訳(^^;;;

※機関車次位に繋がれていれば、入線時に楽に確認できるんだけどね(^^;


 この列車、私が降りる駅では高知発高松行き226レと離合する。
 226レもそれなりに思い出のある列車(特に旧客時代)なので、再現している。


1982年3月〜1988年4月

牽引機関車
DE10
(1981年〜)

125レ(川之江←高松)
1号車2号車3号車4号車
オハフ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)
225レ(高知←高松)
5号車6号車7号車
オハフ50
(四カマ)
オハ50
(四カマ)
オハフ50
(四カマ)
マニ50
(四コチ)
 
※高松〜多度津間併結運転
※225レは1986年11月改正以降は227レに変更



多度津駅に到着する、125レ+225レ
(1986年4月)






検索サイトから直接来られた方は、ここをクリックしてTopに移動できます