97年6月10日更新/6月20日訂補

MyTravel Vol.2




<JR四国線取材(?)紀行> その2


予讃線 松山〜宇和島間





 さて、「その1」では予讃線の高松から内子経由で伊予大洲まで行ったので、今回は松山から今度は伊予長浜経由の海岸回りのルートで伊予大洲からさらに予讃線の終点宇和島まで向かい、さらに予土線窪川まで行き、そして窪川からは土讃線を上り方面に逆進する形で起点の多度津まで、距離にして約370キロの行程である。

 このVol.2では、予讃線の松山〜宇和島間について記す。






6月7日(土)

 前日の午後から降りだした雨も上がってこの日は快晴である。

 今回は5時半に起床し、6時に自宅を発った。




 向井原までは前回既に回っているのでパスし、下灘駅を目指す。

 下灘駅はかつては「日本一海岸に近い駅」として有名になり、今でも時折駅ホームで催し物が行われているが、現在は真新しい国道が出来て、予讃線と海の間に割り込むような形になっている。
 しかし駅の目の前が海であることに変わりはなく、国道の道路脇には防波堤が残っており、かつてはここが波打ち際であったことを物語っている。

 このあたりは海岸沿いの区間であるが平地が殆ど無く、予讃線も敷設にあたってはかなりの苦労したことが線形から忍ばれる。


 伊予長浜はこの区間唯一といっても良い主要駅で、かつては急行列車も停車していた。


 かつての内子線の分岐駅、五郎。もとは3番ホームまでを要して留置側線まで備ええていたこの駅も、現在は片面のホーム1本しか使用されておらず、元の側線部分は草蒸しており、SL時代に使われていた給水塔も残ってはいるが、草木に埋もれている。


 新旧予讃線の実質的な合流点、伊予若宮信号場。構内分岐と構内信号機があるだけで、特に信号場といった趣はない。


 前回内子駅に立ち寄った際、元の駅前にあったC12が撤去され、現駅前で何か工事をしていたのだが、C12が現駅前に移転しているという話を聞き、この日伊予若宮から内子まで行って確認してきたところ、確かに前回工事中だった箇所にC12形SLが移転してきており、ピカピカに磨かれていた。


 新谷を出ると、線路は高架となって左に弧を描き、大洲市内に向かって延びている。が、その高架橋の始まるあたりから右手方向に弧を描く草むした築堤がある。これが五郎まで延びていたかつての内子線の路線である。


 伊予大洲はNHKの朝ドラ「おはなはん」で有名になった駅だが、今の若い世代の人は殆ど知らないだろう(私も聞いたことがあるだけである)。大洲市は人口4万人あまり。特急も全列車停車する。


 大洲を過ぎると夜昼峠。予讃線は夜昼トンネル(全長2870m)でサミットを越え、八幡浜に入る


 八幡浜は人口5万人強、伊予大洲を凌ぐ人口と利用客数を抱える。構内も比較的広く、主要駅らしらが感じられる。


 八幡浜を出た予讃線は連続勾配で標高200mを越える宇和盆地まで登る。ちなみに八幡浜は標高ゼロメートル地帯で、10キロばかりの距離で200mの標高差を登ってきたことになる。

 宇和盆地の中心、宇和町の卯之町。この八幡浜〜卯之町間の開業は第2次大戦中の昭和20年6月のことで、軍事輸送が主な目的であった。


 卯之町を出て次の下宇和から、今度は一転して連続下り勾配となり、その次の立間までの7キロ弱の間に約190mも高度を下げてくる。

 かつては特急気動車でも平均時速が60キロを割るほどの難所で、法華津越えと呼ばれる。
 ちなみに現在の2000系気動車はこの勾配を80キロ程度でグイグイ登ってゆく。


 高光はJR直営のコンビニエンスとラーメン店があり、駅の出入り口は両者に挟まれるような感じになっており、副業の占めるスペースの方が本業のそれよりも広いという、ちょっと滑稽な駅である。


 予土線の分岐駅北宇和島を過ぎると、予讃線の終点、宇和島である。
 宇和島は人口約7万人、乗降客数・売上高いずれもJR四国間内でも上位に来る主要駅である。

 現在宇和島駅は改築工事中で、直営ホテル「ホテルクレメント宇和島」を含む大規模な駅ビルの建設が進んでいる。





Vol.1へVol.3へ