97年5月25日更新/6月10日追補

MyTravel Vol.1




<JR四国線取材(?)紀行> その1


予讃線・内子線 高松〜伊予大洲間




 去る5月10・11日と、JR四国コーナーの路線紹介ページに掲載する写真画像を撮影するため、予讃線の高松から大洲までの沿線を取材(というほどのモノでもないけど)してきた。

 実家が香川県にあるので、ついでに立ち寄って色々その他必要なモノを取ってくる予定でもあった。


5月10日(土)

 この日は朝6時過ぎに松山の自宅を発ち、9時頃には高松を出発して、その日のうちに松山まで、、、せめて今治まで行ってしまう予定でいた。





 この日の起床時刻は、、、、7時半\火暴/

 完全に寝坊じゃ(^_^; ちなみに前夜はサクラ大戦にふけって時間を忘れてしまい、寝たのは2時頃であった(木亥火暴)

 慌てて準備して松山の自宅を出たのは8時前。高速道を通るか、、、、あ゛、、、、金がない\火暴/
 仕方ない、国道を走って行こう(^_^; これでも昼前には余裕で高松を出発できるだろう。でもそれだと今日中に松山まで行くのは無理っぽいな、、、、今治まで行けたら御の字かな?





 何なんだ、この渋滞は、、、(^_^; いつもはこんなに混んで無いぞ、、、、、
 結局実家に立ち寄った次点で既に11時。早々に高松へ向かう。これでは高松正午出発になってしまう。

 途中、坂出市内の国道を走っていると、前を走っていた小型ダンプ(マツダ・タイタン)がフロア下にひっかけていたパイロンが突如脱落!

 げげげっ! 避けきれん!


ばすん!


 ぎゃぁ〜 モロ踏んづけちまったい(T_T)


 パンクしたかもしれん、、、、(T_T) 仕方ない、とりあえず行けるところまで行こう。

 高松市内に入って市道を走っていると、ちょっと車が右に流れる、、、、、やっぱパンクしたかな?
 信号待ちの時に窓から首を出して見てみたら、案の定右フロントタイヤがパンクしている(泣)


 ぢぐじょ〜「香川44 7○○4」の自家用ナンバーの青いタイタンめ! 今度出会ったらぶっ飛ばしたる!


 路地に入って空き地の前に車を停めてタイヤ交換。テンパータイヤに換えなければならないので、右リヤタイヤをフロントに持ってきて、右のリヤにテンパーを取り付けた(うちのコロナの履いてるミシュランは方向性が指定されてるので左右の交換は不可)。

 タイヤを交換したいところだが、この「ミシュラン GTX」は、どこにでも置いてあるタイヤではないのである。香川県内の某トバックスや酷ピット、黄色い帽子など著名カーショップでも常時このタイヤが置いてあるのが確認できている店はほんの数店舗しかない。
 が、不幸中の幸いというか、今のこのタイヤに交換して貰った某トバックス高松店がそこから車で10分ほどの場所にあり、しかもそこは数少ない「いつもGTXを置いてある店」なのである。

 銀行で金を下ろしてから期待に胸を膨らませながら(嘘)、その某トバックスに行くと、やっぱりちゃんと置いてあった(^^)
 やはり、走れるところまで走ってきて正解であった。

 何故かその日は空いていて、殆ど待ち時間無しでタイヤ交換が出来た。ちなみにお値段は¥13,500(+作業料+消費税)であった


 気を取り直して吉野→で昼食を取り、高松駅前に立つことが出来たのは14時であった(木亥火暴)

 この時点で既に当初予定より5時間遅れ&17k円のマネーロスである(^_^;)


 と、ここまでが前置きである(をい)






 ゴメンゴメン、ここから本題のJR線レポートの話である(^^;;;


 高松駅周辺は再開発計画が進行中で、高松駅も移転することになっており、既に仮駅舎の建設も始まっているが、今回はそちらではなく現駅舎の撮影が目的である。
 鉄筋コンクリート5階建。徳島駅が改築するまでは四国で最大の駅で、いかにも四国の玄関口といった堂々とした駅である。
 新駅舎の完成は平成9年度が予定されており、完成が楽しみである。

 高松は通勤圏が広く、西は観音寺・琴平、東は三本松・引田までが通勤圏に入り、ほぼ香川県全域をカバーする。もっとも、香川県自体が日本で一番狭い都道府県でもあり、交通網も整備されているため、車でも列車も高松から1時間強も走れば香川県のはじっこまで行き着いてしまうのである。

 次に、完成間近い(と思える)JR四国新本社ビルを撮影。鉄筋8階建てのなかなか立派なビルで、よくこんなビルを建てる金がJR四国にあったモノだと感心する(失礼! (^^;; )


 次は坂出駅。今年の2月末に線路の方が高架に切り替わり、現在は駅本屋部分の最終工程といったところである。駅前に立つサティ坂出店の駐車場からその様子を俯瞰気味に撮ってみた

 この坂出から宇多津、丸亀と200mクラスのホーム長を持つ高架駅が続き、高松からこのあたりまでは複線電化区間で列車本数も利用客も多いことから、四国内では最も都会的な雰囲気の漂うところである。実際JR四国管内の利用客数全体の1/5強がこの区間に集中しているそうである。


 丸亀駅は私が四国内で最も愛着を持っている駅で、中学・高校の6年間列車通学をしていたときに毎日のように利用していた駅である。その頃は明治に建てられた初代駅舎がまだ現役で、200mを超える長いプラットホームと相まって独特の雰囲気を醸し出していた。

 私が高校を卒業した年の秋に高架化され、現在の白壁風の美しいモダンな駅舎に生まれ変わった。駅前の噴水は待ち合わせスポットで、時折旅行者が記念撮影をしている。また、駅のすぐ西側には左甚五郎博物館があり、観光名所となっている。

 美しいRを描く立派な石垣を持つ、国宝丸亀城は駅から徒歩15分。


 多度津駅にはかつてヤードがあり、広い構内にその面影が見られるが、現在はレールも撤去されて整地され、再利用を待っているようである。
 また駅構内には、今はもう使われていないが、ターンテーブルや給水塔など、SL時代はここが運転上の要衝であったことを物語る設備が残っている。

 多度津駅は土讃線の起点であるが、殆どの土讃線列車は高松・岡山発着で、厳密に多度津で区間を区切る意味は余りなく、かつては特急・急行・貨物など全列車が停車していたこの駅も、今では一日に数本の特急が通過するようになった。それまでは多度津駅構内の信号機は通過列車に対応していなかったため、そのための信号設備の改良が行われた。

 多度津からは予讃線列車と土讃線列車に別れるため、ここから先、観音寺までは普通列車は1時間あたり2本程度の運転となる。

 また、多度津には四国で唯一のJRの車両工場があり、約450両の車両の整備・保全を担当している。この多度津工場内にはDF50形ディーゼル機関車が動態保存されており、年に1度の鉄道の日の一般公開の時に、工場内を走行している。


 津島ノ宮駅。駅名の由来である津島ノ宮は駅からも見通せるところにあり、海の中にぽつんと浮かぶ小さな島にお宮がある。
 すぐ横を県道が走っているが、よほど気を付けていないと駅があることに気付かないほどである。


 西讃(香川県西部)の中心都市、観音寺は海産物の生産で栄えた町で人口5万人弱。ここまでが高松からの通勤圏で、普通電車で1時間強といったところ。観音寺駅を撮影した時点で既に17時過ぎ。この日はここまでで諦め、そこから車で15分ほどの所にある実家に帰った。



5月11日(日)

 自宅を7時半に出発。

 箕浦駅は四国で初めて、廃車となった貨車を駅舎として再利用した駅である。駅前には国道11号線を挟んで瀬戸内海が広がっている。


 「紙の町」川之江・伊予三島。伊予三島駅は、四国で初めてホームの真上に駅事務所を設けた「橋上駅」であり、現在香川県の高徳線志度駅も橋上駅化の計画が進んでいる。


 関川駅は交換設備はあるモノの、ホームが片方にしかないというちょっと変わった駅。


 住友ともに発展した工業都市、新居浜は人口約13万人を数える愛媛県第3の都市で、利用客も結構多い。ここを起終点とする貨物列車も何本か設定されている。
 だが駅は市街地から少し離れており、利便性は決して良くない。


 中萩駅は駅前に鳥居が立っている


 伊予西条はかつて運転区があり、今でも殆どの列車はここで乗務員が交替する。構内には給水塔やターンテーブルも残っており、往時を偲ばせる。駅が市街地から離れている点などに新居浜との共通項が見られるが、人口は5万人強とさほど多くなく、伊予西条駅の乗降客数も新居浜ほどではない。


 石鎚山は西日本最高峰1982mの高さを誇る霊峰石槌山の最寄り駅で、かつては登山客に利用され、駅にもその旨の案内板が立っていたが、今は無くなっている。
 だが、駅を降りて国道に向かうところには朱塗りの大鳥居が立っており、登山口であることを示している。


 伊予小松を過ぎると線路は600Rをカーブを描きながら北へ90度向きを変える。このあたりは石鎚山をバックに列車が撮影でき、しかも今の2000系や8000系の特急列車はこの大カーブを120キロ程度のスピードで轟然と通過していくので、結構絵になる撮影場所である。


 今治は愛媛県第2の都市で、市の中心部にも近いため利用客は多い。
 現在の今治駅は平成になってから高架化された際に建て替えられたモノで、側面総ガラス張りの優美な駅である。乗降客数はJR四国の駅では6〜7位であり、特急列車も多くの乗降がある。

 今治は現在、本四架橋尾道〜今治ルートの工事が進捗しており、道路など都市基盤の整備が進んでいる。


 菊間町は屋根瓦の産地で、菊間駅舎の屋根にもその瓦が使われているが今回は撮影はパス。


 伊予北条の1駅高松寄り、大浦の手前の築堤で列車を待つ。ミカン山から予讃線を眺めると瀬戸内海が見渡せる場所で、折良く通りかかった貨物船をバックに8000系「しおかぜ」を撮影(貨物船がちょっと見にくいけど勘弁してね(^^; )。


 松山のベッドタウン伊予北条は人口4万人余りだが、松山へ抜ける国道がいつも渋滞気味なので鉄道の利用は結構多く、伊予西条を凌ぐ乗降客数を数える。観音寺からここまで、概ね1時間に1本だった普通電車もここからは2本に増える。但し、日中はワンマン列車も設定されている。


 堀江駅も箕浦駅と同様に廃車になった貨車を再利用した駅舎を持つ。駅から国道を渡って徒歩2〜3分の所に堀江港があり、かつてはここから広島の仁方まで、国鉄連絡船が運航されていた。

 今でも呉〜堀江間のフェリーが1日に10往復ほど運行されている。


 三津浜を過ぎると左にカーブしながら伊予鉄の路線をオーバークロスし、程なく松山である。


 松山は人口43万人を数える四国最大の都市であるが、国鉄松山駅の開業は昭和になってからであり、那覇を除いた全国の県庁所在地で一番遅かった。そのためか松山駅の利用客数は人口に比較してかなり少なく、人口23万人の徳島の半分にも満たない。
 私は現在松山駅から徒歩10分強の所に住んでいるが、正直言って町の規模に比較してJR松山駅のそれはちょっと情けないぐらいであると思う。

 駅前も高松や徳島に比べると、お世辞にも整備されているとは言えない。駅前には伊予鉄の路面電車が走っており、ここから電車で5分ほどの所にある伊予鉄松山市駅の周辺が、松山市の中心部になる。

 ここには松山運転所があり、8000系電車は現在はここに集中的に配属されている。


 伊予市は鰹節で有名で、あのヤ○キの本社工場もここにある。人口は4万人程度だが、JR伊予市駅の乗降客数は伊予北条の1/3程度でしかない。
 松山〜伊予市間は伊予鉄との競合関係にあり、スピードと運賃ではJRが圧倒的優位だが、市の中心部にアプローチし本数も多い伊予鉄とはほぼ拮抗状態のようである。

 JR伊予市駅と伊予鉄郡中港駅は県道を挟んで向かい合っており、そこから徒歩5分ほどの所に郡中港があり、大分行の高速船が発着している。


 次の向井原で予讃線は旧線と新線の二手に分かれる。向井原は分岐駅には似つかわしくない、ホームが片面だけにしかない交換設備もない駅だが、何故か高架駅になっている。

 今回はここから新線の方に沿って行くことにした。



<予讃線 向井原〜内子ルート>




 予讃線の向井原〜内子間は、それまでの伊予長浜経由の区間に変わるバイパス線として1967年(昭和42年)に内山線の名称で工事が始まった

 伊予長浜経由の区間は車窓風景こそ美しいが、海岸に沿った地滑り地帯を走り、線路規格が低く急曲線が多くて災害も多いという区間で、特急列車でも表定速度が60キロを割る(10キロ走るのに10分以上かかるということ)ほどの運転上のネックであった。

 新線区間は鉄道建設公団の手で建設され、オイルショックや国鉄末期の地方ローカル線建設凍結の嵐の中にあっても、幹線のバイパス線に当たるこの区間は細々とながらも工事が進められ、昭和61年3月3日の雛祭りの日にようやく開業にこぎ着け、この日から特急・急行などの優等列車は全列車が新線経由となった。

 この際、旧内子線の線路改良も同時に行われ、内子駅と五十崎駅は移転、さらに予讃線との接続も変更され、新谷〜五郎間の区間を廃止し、新谷から伊予大洲に取り付く新線が新たに建設された。
 この内子線の改良工事の際は、内子線五郎〜内子間(当時)の全区間を運休し、代替バスが運行された。


 新線区間は最急曲線500R、最急勾配は18‰(一部24‰)の高規格線で、2000系「宇和海」の最速列車はこの新線区間を平均時速100キロで突っ走る。

 このバイパス線の完成によってスピードアップと災害の防止、それに距離の短縮による値下げという1石3鳥の成果があった。




 伊予大平を過ぎると、四国最長 全長6012mの犬寄(いぬよせ)隧道である。トンネル内は勾配こそあるが完全な直線で、上り列車に乗って先頭で前を見ていると、トンネル出口(正確には「入口」だが)が見えてからでも結構長い間出口が近づいてこないように見える。


 トンネルを出たところが伊予中山で、地元とタイアップしたお土産物屋が駅と隣接しており、国道56号線が並行していることもあって休日ともなるとかなりの賑わいを見せる。


 内子は既に述べたバイパス線建設に伴って移転した際に高架駅となり、特急列車も全列車が停車する。松山から内子までは37キロ強あるが、2000系特急の最速列車はこの区間を22分で走破する(平均時速102.5キロ)

 旧内子駅は現駅の北東約200mほどに位置し、以前は転轍機(手動でポイントを切り替える装置)や静態保存されていたC12形SLが残っていたが、この日確認した限りではそれらは全て撤去されて跡形もなく、旧内子線の線路跡地は真新しい道路に姿を変えつつあった。


 五十崎駅はホームの一部がトンネルの中に入ってしまっている珍しい駅。この先で国道56号線をオーバークロスするのだが、そこから草むした旧内子線の築堤が延びているのが見える


 内子線の終点新谷を過ぎ、伊予若宮信号場で旧線と合流し、伊予大洲に至る。






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