MyTravel Vol.1
<予讃線 向井原〜内子ルート> ![]() 予讃線の向井原〜内子間は、それまでの伊予長浜経由の区間に変わるバイパス線として1967年(昭和42年)に内山線の名称で工事が始まった 伊予長浜経由の区間は車窓風景こそ美しいが、海岸に沿った地滑り地帯を走り、線路規格が低く急曲線が多くて災害も多いという区間で、特急列車でも表定速度が60キロを割る(10キロ走るのに10分以上かかるということ)ほどの運転上のネックであった。 新線区間は鉄道建設公団の手で建設され、オイルショックや国鉄末期の地方ローカル線建設凍結の嵐の中にあっても、幹線のバイパス線に当たるこの区間は細々とながらも工事が進められ、昭和61年3月3日の雛祭りの日にようやく開業にこぎ着け、この日から特急・急行などの優等列車は全列車が新線経由となった。 この際、旧内子線の線路改良も同時に行われ、内子駅と五十崎駅は移転、さらに予讃線との接続も変更され、新谷〜五郎間の区間を廃止し、新谷から伊予大洲に取り付く新線が新たに建設された。 この内子線の改良工事の際は、内子線五郎〜内子間(当時)の全区間を運休し、代替バスが運行された。 新線区間は最急曲線500R、最急勾配は18‰(一部24‰)の高規格線で、2000系「宇和海」の最速列車はこの新線区間を平均時速100キロで突っ走る。 このバイパス線の完成によってスピードアップと災害の防止、それに距離の短縮による値下げという1石3鳥の成果があった。 |