讃岐財田駅 (土讃線)
駅番号:D18

住所香川県三豊市財田町財田上
開業日1923年5月21日
電略サタ
標高152m
乗降客数 (1989年)180人
(1999年)62人
(2003年)99人
(2011年)33人(乗車人員
形態併用2面3線
主な設備




 かつての財田町(現:三豊市)にある駅。
 町の中心部からは非常に離れた位置にあって周囲には商店などは一切無く、地元民でも学生とお年寄り以外はまず利用しない。

 1923年から1929年までは土讃線の終着駅であったため、1〜3番までの3本のホームを有し、また1972年3月改正前までは当駅始終着の普通列車も設定されていた。
 また、1961年4月改正から同年10月改正までの半年間、当駅に停車する準急列車も存在した。
 その後は自動車交通の発達とともに利用者は減少し、1984年の業務委託化を経て、1986年2月1日から無人化された。

 駅前には、香川の保存木に指定されている樹齢700年のタブの木がある。


 駅前にバス停があり、三豊市のコミュニティバスが普通列車に接続して運行されている。

三豊市コミュニティバス


 なお、地名は「さい」だが、何故か駅名は「さい」と濁るのが正式。


 2023年度に駅舎の建て替えが発表され、まずは同年度中にトイレの新築が行われた。
 現在、駅舎の建て替え工事中で、上画像の旧駅舎は2024年5月上旬に取り壊されて姿を消した。


 
 建て替え工事の進捗状況は、当ページ下に随時掲載。






 撤去された駅舎に変わって設置された”待合所”。

 カーブしているホームは併用2面3線。

 1991年度に一線スルー化されており、1番線が上下本線となる。
 2番線は下り列車専用。そのため、上り列車で対向の通過列車待ちのある列車は3番線から発着する。


 1番ホームは125mの長さがあるが、1985年に現在の構内通路が設置されて、現在はそこから下り方の半分は事実上不使用状態となっている。
 2番ホームも本来は125mの長さがあるが、下り方20mほどは構内通路等により使用できない状態となっている。
 3番ホームはカーブ内側にあるのと若干線形が異なることから、長さは110mとなっている。

 カーブで見通し距離が確保できないため、上下両方向ともに場内中程に出発中継信号機を備える。
 また、1番線は2017年10月にPC枕木化された。

 下り方。出発信号機が3基並ぶ。

 PC枕木化に合わせて、構内通路の1番線部分に新たに緑色の路面舗装が施された・・・ように見えるが、この部分は舗装ではなく近年四国内で採用例の多いゴムマット製の「KF式弾性構造踏切」になっている。
 また、「千年ものがたり」の運転開始に合わせて専用の停止目標が新たに追加されている(画像左下端)。

 上り方の出発信号機は2基のみ。


 2番ホーム下り端にある、昭和31年1月竣工の銘板。


 保線基地となっている、旧貨物扱所の跡。
 かつての貨物ホームの遺構もはっきりと残っている。

 下り方場内、安全側線のあるあたりに立っている、土讃線の24kmのキロポスト。

 駅名票。


 国鉄時代のホーロー駅名標も辛うじて残っている(2024年7月現在)。



 2/3番ホームの待合室。

 これにも建物財産標が取り付けられている。
 此方は昭和29年と、意外と新しい。


 また、柱等に使用されている古レールには、「UNION 1896 K.T.K.」という刻印が見える。
 駅自体は1923年の開業であり、この待合所は上記の通り1954年に作られた物なので、そのときにどこかから持ってきた物であろうと思われる。


 島式ホーム側の集札用の小さな雨よけにもちゃんと財産標が付いているのが、いかにも国鉄らしい。

 此方は昭和60年12月なので、1986年2月の無人化に備えて設置されたものとみて間違いない。


 駅前のタブの木の根元には、県の保存木である碑と、当駅開業50周年(1973年)記念碑が建っている。



駅舎建て替え工事
(正式には”駅舎解体および待合所新築工事”)




 駅名プレートが掲げられて周囲の柵が設置され、周辺の舗装も行われた。

 この後は運行情報端末が設置されると思われるが、工事予定線表によればこの2日後にはJR側の検査を受けるので、形としてはこれでほぼ完成形であろうか?


※2024年7月29日



 待合所の照明が付いた。
 この後、床部分にコンクリートを打ち込むのであろう。


※2024年7月22日撮影



 新しい駅舎、、、もとい、待合所がやっと姿を見せた。


※2024年7月17日撮影






 新駅舎と新しい柵の基礎部分のコンクリ打ちが行われていた。

 この後、型を外して整地し、いよいよ本体の設置工事が始まる。


 しかし、工事費が高騰してるのか他に理由があるのか、工事期間が延びて8月5日完成予定となっていた。


※2024年7月2/8日撮影


 新駅舎の基礎を設置すると思われる箇所にマーキングが入っていた。

 この部分を掘り起こして型を設置し、コンクリを流し込むのであろうか。


※2024年6月3日撮影



 跡地の整地が概ね終わったように見える。


※2024年5月31日撮影




 駅舎自体の取り壊しは1週間ほどで終わった。

 工事完了予定は7月26日となっている。


※2024年5月20日撮影




 本格的に工事が始まった。

 この日は駅舎を囲む足場等の設置が行われていた。


※2024年5月13日撮影





 ↓の予告通り、GW明けから早速解体工事が着手された。

 まずは建物内の備品用度品等の搬出と、電気配線等の撤去が行われ、この日の夜には駅舎内は既にがらんどうになり電気も全て消えていた。

※2024年5月8日撮影


 2024年3月末になって、駅舎の建て替え(現駅舎の取り壊し)に関する告知が待合室掲出され、2024年4月以降に着手する旨明記された(左画像上側)。


※2024年3月26日撮影


 さらに2024年4月末に、同年5月8日から7月にかけて建て替え工事を行い、その間利用する仮設通路についての告知がでた(同下側)。


※2024年4月23日撮影


トイレ新築工事




 2024年1月25日時点で、既に完成して使用開始しているのが確認された。

 これに伴い、駅舎内のトイレは閉鎖された。


※2024年1月25日撮影。



 新築途中の様子。


※1枚目:2023年12月18日撮影
※2枚目;2023年12月11日撮影
※3枚目:2023年11月6日撮影




 2023年10月にトイレの新設工事が始まっているのが確認されており、これが完成する頃には現駅舎の撤去および簡易駅舎の設置工事が始まるものと思われる。


※2023年10月21日撮影。






 2023年当時の駅舎の様子。

 エントランス部の枠色は、民営化後の駅舎リニューアル以降、長らく赤だった(下記1997年当時の画像参照)が、2019年頃に緑に塗り替えられている。


※2023年10月21日

 駅舎出入口横に打ち付けられている建物財産標は、この駅舎が開業当初からの建物であることを示していた。


※2018年10月15日撮影

 2008年当時の駅舎


※2008年3月16日撮影

 冬期はポイント凍結防止のカンテラが焚かれていた。


※2005年1月1日撮影


 1997年当時の駅舎。
 駅前の一部がまだ未舗装であった。


※1997年6月8日撮影


国鉄時代

 かつて主要な中間駅(主に無人駅)に設置されていた、連絡用の鉄道電話の電話ボックス。

 列車遅延時やその他異常があったとき、これを使用して最寄りの管理駅と連絡を取ることが出来、一般利用客も使用可能であった。


※1986年11月2日

 讃岐財田は琴平以南の駅の中ではいち早く1985年にホームの嵩上げ工事が行われた。
 このときに併せて構内通路移設工事も実施され、下り方に20mほど移動して、階段を廃してスロープになった。

 工事中の同駅で交換する、高知行急行「土佐3号」と高松行快速7242D。


※1985年3月17日撮影

 駅舎横に置かれていた、「防火用水」のドラム缶。


※1985年3月撮影


 国鉄時代の駅名票と、移転する前の構内通路。
 国鉄時代の四国では、一部の普通列車が通過する小駅をカッコ書きで表記するのが普通で、この駅名票でも黒川駅がカッコ表記となっている。

 また、この当時は3番線脇の藤棚が綺麗に手入れされており、毎年5月頃に見事な花を咲かせていたが、無人化以降は手入れが行き届かずいつしか消えてしまった。


※(上)1984年5月撮影/(下)1986年5月5日撮影


 1982年当時の駅舎。
 下側の画像右端の建物が、当時のトイレであった。

 また、駅舎左の少しはみ出している部分は、宿直室及び当駅始終着列車があった当時使用されていた乗務員宿泊室と思われ、民営化後の駅舎リニューアルの際に取り壊された。


※1982年8月撮影

 駅舎脇に置かれていた、荷物運搬用のリヤカーなど。
 国鉄時代は荷物扱いを行う大抵の有人駅に備えられていた。


※1982年3月撮影


 1981年当時の駅舎と駅出入口付近の様子。


※1981年9月撮影

 1980年に撮影した1番ホームの駅名票。
 こちらは黒川駅が通常表記となっている。

 画像左に立っている電柱に取り付けられた「上1出」を書かれた黒い箱状の器具は、上り1番線の出発合図ブザーのボタン。
 主に客車列車の発車時に、駅員や車掌が操作するボタンで、押すと「ブーーー」というブザー音とともに、出発信号機の下に取り付けられた白色灯が点灯する仕組みになっている。

 もちろん全ての駅にあったわけではなく、駅員配置駅の中でも一部の駅のみに設置されていた装置であった。
 当駅は1972年までは当駅始終着の普通列車が存在するほどの駅であったため、その名残と思われる。


※1980年撮影

 1980年当時の讃岐財田駅構内。


※1980年11月撮影





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