坪尻駅 (土讃線)
駅番号:D19

住所徳島県三好市池田町西山
開業日1950年1月10日
電略ツリ
標高212m
乗降客数 (1989年)8人
(1999年)2人
(2011年)1人(乗車人員
形態片面1面1線
主な設備 旅ノート
駅スタンプ




 近年「秘境駅」として有名になり訪れるファンも増えたが、昔は地元のファンぐらいしか知らない、誰も見向きもしないようなただの寂しい山奥の駅であった。
 同じ土讃線の新改駅とともに、現存する数少ないスイッチバック駅の一つ。

 1929年4月28日に讃岐財田〜佃間が開業した際に、信号場として設置された。
 付近を流れる鮎苦谷川を導水トンネルで川筋を変え、その跡を埋め立てて線路を通すという大工事で、死者10名と負傷者2000名を出して6年と6ヶ月をかけて開通した。
 (参考 : 「国鉄史」48項

 川筋を変えた様子は、国土地理院の地形図からも読み取ることができる。


 駅へのアプローチ手段は徒歩と列車のみで、自動車での到達は不可能。
 四国内において、私が認める唯一の「秘境駅」であるw 


 2008〜2010年当時の様子

 1997年6月当時の様子(2018年12月に画像等を更新しました)

 普通列車の転線手順(新規ウィンドウで開きます:画像は1997年当時)

 国道から駅へのアプローチ(2008年5月時点)

 駅西側斜面と北側の山道(2019年12月時点)






 ホーム。
 カーブした片面1本のみで、停車列車同士の交換はできない。


 ホームの長さは約90m、この内上り方約25m地点からの約25m部分のみが、バリアフリー対応のために嵩上げ荒れている。
 また、下り方の約10m部分(おおむね駅名標が建っている部分から下り方の部位)は接触限界標識の外方に位置しており、事実上使用できない状態となっている。


 ホーム上に設置されている、雨量計。

 終端付近にはATS地上子がずらりと並ぶ。



 ホームの行き止まり側と、本線の坪尻トンネル。
 車止めのすぐ目の前に「×」の停止位置目標とATSの絶対停止地上子がある。

 現在、この発着線は全長約150m程度あるが、(接触限界に抵触しない)有効長は90m程度しかなく、21m級車両で4両までしか対応できない。


 これは、かつてはシーサスクロッシングであった(本項下方の国鉄時代の画像参照)ものを、通過速度向上のために本線側をスルーにする線路改良を行ったためである。

 今でこそ単行の普通列車やせいぜい3両編成の「千年ものがたり」しか停まらないが、昔はこの発着線の長さぎりぎりいっぱいを使って、6両編成の客車列車や貨物列車等も停車していた。
 先頭の機関車は、車止めに突っ込むんじゃないかと思えるほどの位置で停まっていたものである。



 上記のホームの長さ等、長さを測る参考にしたATS地上子や、停止位置目標、接触限界標識等の、2022年6月10日現在の位置関係は概ね↓の通りとなっている。
 
 (注:ATS地上子は長さを測る参考にした物のみ記載、それ以外は省略)

 駅を通過する特急「南風」。

 本線の勾配は25‰なので、21m車3両編成分の長さでも1.6m程度の勾配になる、、、駅ホーム側の線路と比べても、確かにそれぐらいの高低差が付いていることが判る。

 手押しの遮断棹の付いた構内踏切。

 踏切から駅へ延びる砂利道。
 かつてはこの部分に保線用の留置側線が敷かれていた。


 下り方場内。

 手前の分岐がホーム側。奥の分岐が折り返し線。

 脇に建つ信号機は停車列車に対するもので、折り返し線に入る上り出発列車が左の上り第1出発信号に、そのまま発車していく下りの出発列車が右の下り出発信号に従う。
 従って通過列車があるときは、この信号は両方とも停止現示となる。

 なお、構内踏切から見える下り方面の信号機はこれだけだが、この信号が両方とも赤であっても下りの通過列車が来る可能性があるので、踏切を渡る際は信号を過信せずに、耳を澄ませてきちんと目視確認が必要である。
 特に谷側から駅へ向かって渡る場合、下りの特急列車だと列車が見えてから踏切に到達するまでわずか数秒しかなく大変危険なので、くれぐれも注意されたし。


 左の下側画像が「南風」下り列車が通過中の画像だが、ご覧の通り。

 ちなみに構内の信号機は現時点(2018年12月時点)では全てLED化完了している模様。

 従って、高速シャッターを切るとご覧のように全部消えた状態で撮れるときがある。

 本線谷側に建っている機器建屋。

 かつてはこのあたりにタブレット授受用の短いホームがあった(当ページ下の過去画像参照)が、民営化後の線形改良工事の際に撤去された。


 構内に2箇所あるポイントには電気融雪器が設置されており、ポイントの横に端子箱が、その間に制御盤が設置されている。

 折り返し線のポイント付近から見た下り方場内。

 左の信号は、折り返し線側の本線出発&場内信号。

 その少し先、場内下り方に今も残っている、かつてのタブレット授受のための短いホーム。

 そのホームの位置から上り方を望む。

 左はホームに入る到着列車用、右がホームから折り返し線に入ってきた上り出発列車用の信号。

 そのあたりから見下ろした鮎苦谷川。


 同じ場所から見える、駅場内下り方にある25パーミルの勾配票と32kmのキロポストと曲線標。

 なお、停止位置目標は2018年以降2022年までに間に、下り列車用と上り列車用とでそれぞれ色分けして別々に設置されている模様。

 その少し先、2両編成列車の停止位置標識。

 同じ地点から上り方を振り返る。

 右側には、これも折り返し線に入った列車に対する中継信号。

 下り方折り返し線の終端付近と、馬ノ背トンネル。

 折り返し線は有効長180m程度であるが、末端部分は不使用状態となっており、50〜60m程度の余裕を持たせて「×」標識が設置されている。

 さらに進んだ末端付近から上り方面を振り返る。

 これは本線を進む上り列車が確認するべき信号。
 「着場」はホームに入る到着列車用で、進行現示の必要が無いのでその部分が塞がれている。右が通過列車用の本線場内信号。

 また、画像右端にはチラリと見えているのが、折り返し線からの(6枚上の画像の信号機と連動した)場内&出発中継信号。

 ほぼ同じ地点から下り方。

 トンネル脇に、上り列車向けの本線からの場内中継信号と下り列車向けの特殊発光器が背中合わせに設置されている。


 駅舎内の様子。

 駅の装備品(?)「旅ノート」。
 訪れた人々の書き込みがびっしり。

 過去には持ち去られてしまった物もいくつかあるらしい。



 今回の自分の来訪後に、同年10月(来訪の2ヶ月前)に記念スタンプが盗難に遭っていたという報道を目にした。
 確かに来訪当時、チェーンの先に何もなかったのだが、そのときは阿波池田駅窓口常備に変更したのかと思っていた。

 個人的意見であるが、過去にも盗難に遭っているのだからもう同じ方法はやめて、「千年ものがたり」などの坪尻駅停車列車の乗務員に持たせて、その場で押すスタイルにしたらどうであろうか? 徒歩で来た人はスタンプが押せなくなるが、欲しいなら列車で来いよ(=JRにお金を落とせよ)と思う(笑

 駅名標。
 全てが角ゴシック体となる現行の標準タイプ。

 「千年ものがたり」運転を機に設置された駅名板。

 かつてはトイレもあった。

 向かって左が旧来からの古いトイレ、これを閉鎖して右側のトイレが新設されたが、現在は施錠されて不使用状態となっている。

 その古いトイレの左脇には、小さな池と噴水の残骸が残っている。


 こんな秘境駅であるが、ホーム駅舎部分の照明はLED化されている。

 あちこちに立っている、「マムシ注意」の看板。

 時々建て替えられているようで、数年ごとにデザインが変わっている。

 谷側の廃屋は2022年6月時点でも健在(左画像は2018年12月撮影)。





 2018年当時の駅舎とホームの様子。

 2010年度にバリアフリー対応工事としてホームの一部嵩上げが行われたが、嵩上げされた部分の長さはほんの5m程度で、「とりあえず、法規上列車を停めることができるように、最低限だけやりました。」という感じであった。
 嵩上げ部分は、2021年度末に現在の長さに延長された。

 電車/汽車兼用の高さとなるため、1000形気動車のステップに比べると低いが、キハ185系「千年ものがたり」の場合はほぼ同じ高さとなる。


※2018年12月14日撮影


国鉄時代

 かつてはシーサスクロッシングだった。
 そのため、通過列車でも45km/hの速度制限を受けていた。

 またCTC化以前に使われていた、タブレット授受のための短く低いホームがまだ両方とも残っていた。


※1986年5月5日撮影

 シーサスクロッシングを渡っているところ。
 駅ホーム手前から左にそれる保線用の留置側線があった。


 シーサスクロッシングは1992年度に解消され、現在の線形に改良された。


※1986年5月5日撮影

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