99年5月9日更新

MyTravel Vol.14




JR四国全線通行手形の旅
(後編)
行程図




 連載第3弾(^^;、5月1日(土)に土讃線方面へ出撃した模様を「後編」としてお届けします。






99年5月1日(土)

 最寄りの讃岐財田駅まで親に乗せていって貰い、この日のトップランナーである4233D阿波池田行に乗車。高知運転所のキハ54形による単行ワンマン列車で。対向の上り琴平行224Dがキハ54の3両編成だったのと対照的。讃岐財田駅発車時点での乗客は9名だった。

4233D
(讃岐財田 <7:18>→阿波池田 <7:53>)
 キハ54 8 
(四コチ)


整理券(讃岐財田)

 猪ノ鼻峠の25‰勾配を60km/h程度でさほど苦もせずに登り、サミットの猪ノ鼻トンネル内では最高90km/hまで出していた。

 スイッチバック駅の坪尻では、一旦引き上げ線に入った後、運転士が後部運転台へ移動、逆向きに300mほど走行して駅ホームに入線、再度運転士が前部運転台に移動した後、やおらドアが開く。
 手順が面倒な割には乗降は皆無で、列車交換以外には殆ど存在意義の無い駅であるといえる。

 箸蔵では高校生を中心に約50名の乗車があり、車内は一気ににぎやかになった。吉野川鉄橋を渡って佃に到着すると、佃の次の徳島線 辻駅近くにある辻高校の学生とおぼしき高校生などが20人ほど下車したが、池田高校の生徒とおぼしき高校生が30人ばかり乗車してきて、乗客数は60人程度になったが、そのうちの約9割は高校生で占められた。
 やはりこのあたりになると、「通勤は車、通学は列車かバスか自転車」という構図が出来上がってしまっているのだろう、駅のすぐ脇を走る国道は結構な数の車が通行していた。

 佃では上り特急「南風2号」を待避、最後の区間は許容一杯の最高95km/hの力走で、定刻に阿波池田駅4番ホームに到着、入れ違いに1000形2連の徳島線普通列車が発車していった。
 4233Dはここでわずか8分の折り返しで琴平行4232Dとなるため、通学の高校生50人ほどが列車の到着を待ち構えていた。



 さて、私の方はその隣、3番ホームに停車中の高知行ワンマン列車4237Dに乗車した。やはり高知運転所のキハ54形による単行で、高知までの82.7kmを2時間49分かけて走る、文字どおりの「鈍行」である。

4237D
(阿波池田 <8:00>→高知 <10:49>)
 キハ54 11 
(四コチ)


整理券(阿波池田)

 高知発車時点での乗客はなんと4人「も」いた(^^;
 私を除けば、登山者風の男性一人と旅行者風の女性一人、そして地元民らしきお婆さんで、私を含めた3名はいわゆる「物好き」で乗っている客なので、普段は下手をすれば乗客ゼロという日もあるかもしれない(^^;


 阿波池田〜土佐山田間は普通列車の2倍程度の本数の特急列車が走っており、特に昼間は2〜3時間に1本運転される普通列車が、1時間に1〜2本運転される特急列車の待ち合わせのために割を食う格好となっており、10分や20分の停車はざらである。


 阿波池田を出て、次の三縄で早速徳島行特急「剣山2号」(高松運転所キハ185系2連:乗客約20名)を待つ。次の祖谷口では乗降は無く、その次の阿波川口で初めて4名の乗車があって幾分にぎやかになった(^^;
 阿波川口ではまたも特急を待避、高松行の「しまんと2号」はN2000系1両を繋いだ2000系2両編成で、乗客は約30人といったところ。

 小歩危・大歩危と落石覆いの連続する秘境を走り、吉野川の流れが車窓に見える。

 大歩危の次の土佐岩原では、GWの増結措置による2000系気動車6両編成の岡山行特急「南風4号」を待つ。普通車はほぼ満席であった。

 その次の豊永でまたもや特急を待避、今度は宿毛行下り特急「しまんと3号」(2000系4連:グリーン車込み)の追い越し待ちで11分の停車。

 豊永から3つ目の大杉では、高松行の「しまんと4号」(2000系3連)と交換
 登山者風の男性と阿波池田から乗ってきた老婆は大杉で下車、一方ここまでの間に乗車も意外とあり、大杉発車時点では8名の乗客がいた。

 鉄橋上の駅・土佐北川と次の角茂谷は乗降ゼロ。


 その次の繁藤では、高知行の特急「剣山1号」(キハ185系2連:乗客約20名)の通過待ちの為だけに21分間停車。
 この間、3名の乗車客があったのにはちょっとびっくり(^^;

 次の新改はスイッチバック駅。坪尻駅の4233Dと全く同じ手順でスイッチバックを行う。
 ここでまた岡山行特急「南風4号」の通過を待つ。N2000系中間車を組み込んだ6両編成で、やはり普通車はほぼ満席であった。

 結局土佐山田までの間に交換した上り普通列車は1本(大歩危)だけで、その間に2本の特急に道を譲り、5本の特急を待避、表定速度28.4km/hという鈍行ぶりであった。


 土佐山田では20名近い乗車があり、乗客数は約30名となった。
 高知までは田園風景の中の比較的平坦な路線で、このあたりでようやくキハ54の加速性能の良さを確認できた。土佐一宮から薊野にかけては、高知駅高架化に伴う運転所の移転工事や部分複線化工事が始まっており、特に土佐一宮駅は在来の駅を拡張する形で改良工事が進んでいた。

 10:49定刻の高知到着で、到着時の乗客数は目測でおよそ70名といったところ。全区間乗り通したのは私の他は件の旅行者風の女性だけであった。



 高知からはそのまま須崎方面へ行く予定であったが、先の土佐一宮・薊野周辺の改良工事の様子をよく見るため、窪川発土佐山田行のワンマン列車4246Dで後免まで引き返した。

4246D
(御免 <11:42>←高知 <11:21>)
 キハ54 3 
(四コチ)


 この車輌、前々日の4281Dと同じ車輌で、どうやら前日に琴平・阿波池田から高知まで帰ってきていたようだ。

 この列車は窪川から高知までは車掌乗務のツーマン列車で、列車番号も742Dとなる。車輌は高知運転所のキハ54形単行で、単行列車で車掌乗務というのは今時変な話だが、742Dは約70人いた乗客のほぼ全員を下ろし、入れ替わりに40名程度の乗客が4246Dに乗り込んだ。
 ここでは最後部の展望室(^^;に陣取って、後ろ向きに観察することにした。

 薊野から土佐一宮にかけては既に一部高架区間ができあがっているほか、土佐一宮駅は、新2・3番ホームが供用され、在来の1・2番線が撤去されていた。新2番ホームの北側(駅本屋側)に出来るはずの新1番ホームのあたりは、ホームらしきモノが姿を現しつつあるところであり、このぶんだと恐らく駅舎も全面的に建て替えられるのではないかと思える。

 とりあえず2番ホームが本線(一線)で、1・3番ホームが副本線となるようで、本線から3番線への進入速度は25km/hとかなり低く抑えられている。また、3番線から前後方向に線路が延びる形跡が見られる。



 後免からは高知方面へ引き返す。4246Dと後免で離合する高知行の241Dで、キハ58+キハ28というなんとも非力な頼りなさそうな編成である。
 いずれもセミクロスシート化改造された「通勤形」で、保全工事も行われているが、すきま風がひどいのは前日乗車した松山運転所のキハ58・65と同様である。

241D
(御免 <11:47>→高知 <12:14>)
キハ28 2142
(四コチ)
キハ58 774
(四コチ)


 加速感は鈍重で、盛大な排気ガスをまき散らしつつなんとものんびり走っている。もはや何も言うことはなく、40名程度の乗客を乗せて高知駅1番ホームにほぼ定刻に到着した。



 高知からはそのまま須崎行各駅停車4749Dに乗り換え。3番ホームからの発車で、通常は高知運転所の1000形気動車単行によるワンマン列車なのだが、学校帰りの学生が多く乗車する土曜日だけは車掌乗務の2両編成となる。

4749D
(高知 <12:21>→多ノ郷 <13:31>)
 1035 
(四コチ)
 1045 
(四コチ)


 高知を定刻に発車した4749Dの乗客は約40名。意外なほど少なかったが、入明・円行寺口・旭と客を拾い、高知商業前では100名以上の高校生が乗車、あっと言う間に満員となった。朝倉・伊野でも若干の乗車があり、乗客数はゆうに200名は超えたと思われた。

 伊野を出れば乗客は減る一方で、佐川を出て山間の雰囲気が出てくると乗客は30名程度になった。

 このあたりまでは駅間が短いため、せっかくの1000形気動車も最高90km/h程度までしか出さない。


 さて、私は2両目1035形の進行方向左手のボックスシートに座っていたのだが、襟野々から斗賀野にかけてはかつての斗賀野貨物線の跡地が進行方向左手に見え、橋脚の跡も見えた。さらに斗賀野トンエルを抜けて多ノ郷では、同駅から大阪セメント工場に向かって延びる線路跡に鉄橋のガーターが残っているのが見えたので、須崎まで行く予定を変更して多ノ郷で下車した。



 次の上り高知行が来るまでの約20分間の間に、線路跡の築堤と鉄橋のガーター(橋桁)、そして橋台の跡を撮影した。



 駅の近くのスーパーで食料を仕入れた後、多ノ郷13:53発の高知行普通列車に乗車して今度は斗賀野を目指した。

4756D
(斗賀野 <14:07>←多ノ郷 <13:53>)
 1033 
(四コチ)


 高知運転所の1000形単行のワンマン列車で、学校帰りの高校生を中心に約60名ほどが乗っていた。
 吾桑では中村行特急「南風3号」と離合。



 多ノ郷で下車、駅から高知方面へ約1キロばかり線路跡を辿る。安岡踏切の近くと、157.2キロポストの近くに、橋桁と朽ちた枕木が残る鉄橋跡を撮影。かなりの区間でバラストがまだ少し残っており、土讃線の勾配票と並ぶように旧貨物線の勾配票も錆びたまま残っていた

斗賀野貨物線1キロポスト
 さらに少し行くと線路跡にキロポストが立っているのが見えた。

 その近くの土讃線の線路脇には別のキロポストも立っており、土讃線のキロポストを移転したときに古い方を残したのかと思って近づいてみると、線路跡に立っていたキロポストにはかすかに読み取れる程度に「1」という数字が書かれており、どうやら旧斗賀野貨物線の1キロポストがそのまま残っているようだった。

 ちなみに近くにあった土讃線のキロポストには「156.5」という数字が書かれていたので、どう考えても土讃線のキロポストを移転したとかいう代物ではなさそうである。



←左が、旧斗賀野貨物線跡地脇にひっそりと取り残されている、斗賀野貨物線の1キロポストで、「1」の文字がかすかに読みとれる。

 同線の起点は斗賀野であったので、ここから斗賀野駅まで1キロということになる



 丁度通りかかった下り普通列車と156.5キロのキロポストを背景に入れてこの1キロポストを撮影して、斗賀野駅へ戻った。




 斗賀野からは須崎発高知行普通列車758Dに乗車。車番を確認すると、何のことはない、先ほど乗った4749Dの折り返しである。

758D
(高知 <15:42>←斗賀野 <14:45>)
 1035 
(四コチ)
 1045 
(四コチ)


 4756Dの後なので乗客は意外と少なく、斗賀野発車時点で20名ほどである。

 斗賀野の次の襟野々の手前で、土讃線と平行していた貨物線跡地の痕跡が消えかけてきたと思ったら、真新しい道路が虚空増山(こくぞうざん)に向かって伸びているのが見えた。どうも見たことのある光景だと思ったら、かつての斗賀野貨物線の跡地が道路になっているのである。

 佐川で若干の乗車があって30名を越えるぐらいになった。

 土佐加茂では通常は1分停車で14:56発のところ、「臨時ダイヤにより7分停車」のアナウンス。何だろうと思っていると、宇和島行の臨時特急「I Love しまんと」がキハ185系カワウソ君2両編成で通過していった。


 1000形気動車の加速は一品で、手元の時計とスピードメーターを照らし合わせての手動計測では、起動加速度は毎秒2km/hをほんの少し超えるぐらいで、トレーラーを連結した7000系電車とほぼ同等の加速力である。ブレーキの利きもよく、通常ブレーキで駅に停車する際も時速40キロから70m程度の距離で停止しており、大都市部の新型近郊電車並みの利き具合である。


 本来の「7分停車」は朝倉駅で、758Dは朝倉から平常ダイヤでの運転となる。

 終着・高知には2番ホームに定刻に到着、約50名の乗客を降ろして1000形は10分後に基地へ引き上げていった。



 そろそろ帰ることにする。次のランナーは、高知16:02発の阿波池田行各駅停車272D。車番を確認して見たことある車輌だと思ったら、今日乗った4237Dと241Dがくっついていた(^^;

272D(新改駅)
272D

(阿波池田 <19:12>←高知 <16:02>)
キハ54 11
(四コチ)
キハ28 2142
(四コチ)
キハ58 774
(四コチ)



 キハ58はともかく、キハ28にとってはこの先の峠越えはかなりきつい仕業であろう。
 とりあえず最後尾のキハ58に乗車。高知駅発車時点で乗客は約90人と言ったところで、平日ならもっと乗っているであろう。

 土佐山田を出ると山越えである。乗客は高校生を中心に約50名と結構残っている。272Dはフルノッチ投入するが、キハ28が足を引っ張っているのか、40km/h出るか出ないかという速度で苦しげに登る。

 スイッチバックの新改で下り特急「南風9号」の通過待ちで14分停車。
 定刻16:56に新改を発車し、バック運転で引き上げ線に転線し、ポイントと出発信号機が変わった後本線に入る。相変わらずの連続25‰勾配で、排ガスの臭いが車内にまで漂う。

 17:10に繁藤に到着、今度は上り特急「南風18号」に道を譲るとともに、高知行(平日は伊野行)471Dと交換のため16分停車する。
272D(繁藤)
繁藤駅での交換風景
左から「南風18号」/471D/272D

 土佐北川を出て大杉の手前、かつての土讃線の旧線が通っていたところは、今では綺麗な道路が出来上がっていた

 大杉で下り特急「南風11号」の通過を待つ。土佐山田を出てからここまでの間に結構な数の下車があり、この時点で乗客は10人程度になっていた。大杉で下車した乗客の中には、今朝乗車した4237Dで乗り合わせた老婦人の姿も見えた。

 大杉から大歩危まで21.7kmは対向列車は無く、所要時間27分/表定速度48.2km/hとそこそこの走りを見せる。大歩危の手前の土讃線最長の大歩危トンネル(4,179m)内ではこれまでで最高の90km/hをマークした。

 その大歩危では、3本の列車との離合のため、18:09から18:30まで21分間3番ホームで停車する。
 18:12に高知行4271D(キハ54単行)が1番ホームに到着、2番ホームにキハ185系2連(乗客約40名)の徳島行特急「剣山12号」が18:15に到着するのと入れ違いに4271Dが発車、18:22に下り高知行特急「しまんと11号」が2000系2両編成で1番ホームを通過すると、18:23に「剣山12号」が発車する。

 阿波川口で下り各駅停車と離合した後、すっかり暗くなった三縄で下り特急「南風13号」の通過を待つ。

 終着阿波池田には定刻の19:12に到着、乗客はわずか5人ほどで、全区間乗り通したのは私だけだった。



 2000系の特急列車が1時間ほどで走りきってしまう、高知〜阿波池田間をたっぷり3時間10分かけて走ってきたわけであるが、旅行者の立場からすればたまにはこんな旅も良いと思う反面、古くて遅い車両と共に乗客層が高校生と老人だけだったことからも判るように、完全に時代から取り残された鈍行であることも確かで、運転したくないけどしないわけにいかないというのがJRの本音ではなかろうか?

 この272Dを例に取れば、土佐山田発車後1時間で4駅/18kmしか進まないという鈍行ぶりで、高知〜阿波池田間全区間の表定速度は26.1km/hという情けなさであり、国鉄時代と変わらないスピードで走っている。



 阿波池田では1時間半のインターバルである。駅を出て駅前の商店街をうろついたが何もなかった(^^;ので、近くのスーパーで食料品を購入して駅に戻った。

 この日のラストランナーは阿波池田発多度津行各駅停車4282Dで、高知運転所のキハ54形。

4282D
4282D

(讃岐財田 <21:24>←阿波池田 <20:46>)
 キハ54 8 
(四コチ)
 キハ54 9 
(四コチ)




 19:56に到着した多度津からの4281Dがそのまま折り返すのだが、翌朝使用するためのキハ54形が回送車輌として1両くっついて、2両編成となる。

 一方4番ホーム到着後にすぐに留置側線に引き上げた272Dは、キハ54とキハ58&28が切り離され、キハ54は20:03発の下り特急「南風15号」が発車した後、3番ホームに回送されてきて大歩危行の4279Dとなる。キハ58&28は室内灯も消されてエンジンも止められ、そのままそこで停泊のようである。

 4282Dに回送用のキハ54が増結され、乗降ドアが開いて乗車できたのは20:20頃になってからであった。
 上の図で言えば「キハ54 9」が回送車輌で、室内灯も消されて乗降ドアには回送車両のために乗車できない旨が表示される

 20:46に隣の3番ホームに到着した徳島線4475Dも同様に回送車輌連結の2両編成で、四国では特に夜間にこのような編成の列車が走ることが結構多い。


阿波池田駅
夜(と言っても8時半頃)の阿波池田駅
都会では8時半などまだまだ宵の口だが、地方によってはもう人もまばらになる

 4282Dは、その4475Dと入れ違いにわずか二人の乗客を乗せて阿波池田を発車。

 佃、箸蔵、坪尻とも当然のように乗降は無く、坪尻駅では下り特急「南風17号」の通過待ちで4分停車したが、その間に待合室に行くと昨年の秋に来たときには無くなっていた落書帳(旅ノート)が復活していた。しかも4冊置かれており、以前よりかなり増えていた


 猪ノ鼻峠を越え、讃岐財田で私が下車すると乗客は初老の紳士一人だけになってしまった。特急の増発&スピードアップ、そして都市部での普通列車の増発という明るいニュースの陰で、廃れゆくローカル区間の普通列車の現状を見たような気がした。



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