2000年2月5日更新

MyTravel Vol.15




「2000系でGO!」完乗の旅(その1)
(土讃線&高徳線





 JR四国では、西暦2000年を記念して色々なイベントや企画を提案したが、その中に、同社の保有する2000系と呼ばれるディーゼルカーを使用している特急列車全て(7種類)に乗車すると、記念乗車証や記念品が貰えるという「2000系でGO!」などというどっかで聞いたような(笑)フレーズの企画があった。

 1月1日から3月10日までがチャレンジ期間とされ、私は少なくとも3月一杯までは東京にいることになっているので、無理かと思っていた。
 が、鉄ネタ専用掲示板「My Railway」にチャレンジ報告が上がりだすといてもたってもいられなくなり(笑)、1月下旬になって急遽完乗目指して四国へ乗り込むことにした。
 で、3月は色々多忙だし、2月下旬は四国といえども山間部では雪が降り、列車遅延などの恐れがあるため、2月の上旬に行くことに決定。

 1月24日にJR町田駅のみどりの窓口で、四国までの往復の切符を購入。
 往路は1月30日の「サンライズ瀬戸」のシングル、復路は2月2日の「のぞみ24号」で、乗車券は町田〜坂出間往復とした。

 買って帰ってからよく見ると、「サンライズ瀬戸」のシングルが1Fの9番個室になっていた。前回の経験から1F室は避けたかったので、翌25日に同じ窓口に行って2Fの21番個室に変更して貰った。
 ちなみに前日9番を取った時点で6号車の空席残は15だったのが、この日21番室の空席状況を調べたときに6号車は空室残14と出たので、前日から全く予約が入っていなかったと言うことになる(^^;

 例によって結構な分量に膨れ上がったので、1日につき1つという事で、3つに分けて記述することにした。


 以上、いつもながら長い前置きである(笑)




1月30日(土)


 21時に自宅を発って、横浜線と京浜東北線を乗り継いで横浜へ。

 横浜駅6番ホームに入線した「サンライズ瀬戸・出雲」の前寄り7両が高松行きの「サンライズ瀬戸」である。この日の同列車は、JR西日本所属の285系0番台車トップナンバーで編成されていた。

5031M「サンライズ瀬戸」
坂出 ( 7:08) ← 横浜 (22:24)
1号車
クハネ285-1
2号車
サハネ285-201
3号車
モハネ285-1
4号車
サロハネ285-1
5号車
モハネ285-1
6号車
サハネ285-1
7号車
クハネ285-2




 6号車の個室に入ってなんだか違和感が、、、、個室のドアキーのロック方法が変わっていた。

 テンキーを使った暗証番号によるロックという点は変わっていないのだが、以前は室内側で暗証番号を設定(登録)し、外出時にドアを閉めて暗証番号を押してロックするようになっていた(つまり、暗証番号登録とドアの施錠が別アクションだった)のが、現在は室内側の設定器が廃止されて機械的なキーロックのみとなり、外出時に室外側のテンキーで暗証番号登録とキーロックを同時に行うようなシステムに変更されている。
 これだと室外から勝手にドアロックされることもあり得るわけだが、室内側にはそのようなときの為の解錠ボタンが設けられている。

 確かに普通一般の人から見れば、以前の登録・施錠・解錠方法はやや判りにくい面があったように思われ、このシステム変更は妥当とも思える。

 こちらが、以前の室内側のキー設定器

 こっちが現在の室内側の解錠ボタン と、室外側の設定器


 それはともかく、「サンライズ」車中でこれを書いているうちに少し酔ってきた、、、もともと私は乗り物酔いには強いのでこんな事は希である。それに、初めて乗ったときも感じたが、以前の客車編成に比べて乗り心地が良くなったような気が全然しないのである。
 思うに、従来の客車では線路に対して垂直方向にベッドが向いていた(枕木方向に向いていた、、とも言う)のに対して、「サンライズ」では線路と同じ方向に向いているため、上下左右前後方向の揺れの中で、人間が最も敏感(といわれる)横方向の揺れ(ローリングと言うが)をまともに感じてしまうためであろうと思われる。


1月31日(土)


 翌朝、丁度岡山を出たところでごそごそと起き出した。
 瀬戸大橋を通過するときはまだ日の出前で、朝日を拝めなかったのはちょっと残念。しかし、「雲一つない」とまではいかないが、無茶苦茶いい天気である。


 坂出で「サンライズ瀬戸」を下車、一旦改札を出てみどりの窓口で「四国フリー切符」「2000系でGO!チャレンジカード」を入手。それから着替え荷物をコインロッカーに預け、改札を入った。駅構内はあちこちに「2000年記念企画 2000系でGO!」のノボリが立っていた。





(2000年1月31日:高知駅)
2003D「しまんと3号」
高知 ( 9:40) ← 坂出 ( 7:44)
1号車
2010
指定席

2号車
2521
自由席
3号車
2122
自由席


 高松発宿毛行き特急「しまんと3号」2000系量産車の先頭車の間にN2000系中間車を挟んだ3両編成。坂出を出てすぐに車掌が回ってきたので、チャレンジシートに押印して貰った。
 坂出発車時点での乗客は、グリーン車はゼロ、普通車は6割程度の乗車率で、平日のこの時間帯の「しまんと」としては意外と乗っている印象を受けた。

 およそ9ヶ月ぶりに乗車した2000系は、相も変わらずディーゼルカーとは思えない足の良さを披露してくれた。エンジン音もかっこよくてレスポンスも良好。やっぱり「電車でGO!プロ」のあのディーゼルカーのエンジンはおかしいぞ(笑)

 300〜400R程度の曲線が連続する阿波池田〜大歩危〜大杉間(いずれも駅間は約21〜22キロ)を、いずれも16分程度で駆け抜け、線形の良いやや長いトンネル内では当然の如く120km/hまで加速する。
 ただせっかくの高性能車輌だが、路盤がやや弱いせいか時折よく揺れる。


 高知には定刻の9:40に到着。ここで一旦改札から出て、チャレンジシートの予備を確保(笑)
 2時間ほど、列車や車輌を撮影して時間を潰した。


2073D「あしずり3号」
窪川 (12:40) ← 高知 (11:44)
1号車
2007
指定席

2号車
2153
自由席
3号車
2120
自由席


 10:58高知駅2番ホーム到着の「しまんと5号」に、それまで側線で休んでいた2007形がドッキングして、「あしずり3号」の出来上がりである。特急列車でこのような変則的な運用をしているところは、四国以外ではほとんど無いだろう。

 高知発車時点では、グリーン車の乗客は1名のみ(^^;、一方、2・3号車の自由席車は「南風1号」からの乗換客もあって、ほぼ満席であった。
 佐川・須崎・土佐久礼とぱらぱらと下車があったが、それでもまだ結構乗っている。土佐久礼から影野にかけては久礼坂と呼ばれる難所で、大小合わせて24のトンネルをくぐりながら25‰の勾配を90km/h程度で軽く駆け上がる。

 窪川でも結構な下車客があり、逆に乗車はほとんど無かったが、それでも自由席車は6〜7割程度の乗車率を確保して列車は中村方面へ発車していった。


44D「南  風14号」
窪川 (13:40) → 阿波池田 (16:02)
1号車
2010
指定席

2号車
2521
指定席
3号車
2122
自由席
4号車
2102
自由席

※4号車は高知から連結

 窪川では1時間のインターバルで、岡山行き特急「南風14号」に乗車。車輌については、なんのことはない、今朝乗った「しまんと3号」の折り返しで、窪川から乗ってきた車掌も、「しまんと3号」に乗っていた車掌と同じ人であった(笑)

 先ほど通った道を今度は逆に辿る。自由席車が1両だけなので、デッキに立ち客が出た。休日ともなるとさらに混雑するので、指定席の1・2号車がやはりがらがらだったことからも、この辺のバランスを考え直す必要がありそうである。乗客の中には学校帰りとおぼしき女子高校生も乗っており、このあたりに四国の特急列車の性格が現れている。

 高知駅には定刻14:43に到着、16分停車の間に最前部に4号車が増結される。駅弁を買いにホームに出たついでに車番を確認すると最前部の特等席(^^;が空いていのが確認されたので、非禁煙車ではあったがそちらに席替え。

 高知駅の駅弁販売所では、かつて阿波池田駅で販売されていた名物駅弁「松茸ごはん」を発見したので、ちょっと早いが夕食用として購入した。

 やはり最前部の「特等席」は鉄道ファンならずとも誰もが座ってみたいと思える席らしく、この日のこの列車でも最前席目当てだったと思われるサラリーマンや家族連れが4号車の前寄りに陣取った。
 高知から先の阿波池田までは、先日購入した「土讃線展望ビデオ」を思い出しながら1時間余りの「カブリツキ」を堪能した。

 後免駅では、1番ホームの南側土佐山田寄りに真新しい高架橋が姿を現していた。どうやら工事中の土佐くろしお鉄道 後免−奈半利線の高架橋のようで、そういえばいつ完成予定だったっけか?


 一昨年暮れの土讃線復旧レポートの中で、ひときわ高いところにある信号機があると書き、記憶を頼りに「豊永」などと適当なことを書いていたが、「三縄の場内信号」であると、ここで訂正させていただく(^^;
 この信号機は本当に高く、目測で10m程度の高さにあるのではないかと思える。おかげでS字カーブの手前からよく見通すことが出来る。

 「南風14号」は土佐山田を出ると、運転停車も含めて阿波池田までノンストップで、土佐山田で「南風5号」と交換した後、大田口を「南風7号」を待たせて通過。やはり長距離通しで乗車する客にとっては、途中停車駅が少ないのは気分的にもイメージ的にもかなりプラスである。

 阿波池田駅では場内信号が黄色を現示するなどしてかなりゆっくりと、しかし定刻に1番ホームに到着。


20D「剣  山10号」
阿波池田 (16:15) → 徳島 (17:21)
2号車
キハ185-1014
自由席
1号車
キハ185-23
一部指定席


 この日のうちに「うずしお」まで乗っておきたかったため、阿波池田では徳島行特急「剣山10号」に乗り換え。「南風14号」が到着した1番ホームの向かい側、2番ホームにキハ185系2両編成で停車中だった。23が剣山塗色車、1014が四国標準塗色車だった。

 同時刻に3番ホームには「南風9号」が到着、3本の特急が頭を並べた。

阿波池田駅特急揃い踏み
阿波池田駅 1〜3番ホームに並ぶ特急列車
左から 44D「南風14号」/20D「剣山10号」/39D「南風19号」

 丁度夕方の帰宅時間帯が始まった頃で、乗客の中にも学校帰りの高校生が乗っていた。
 乗客は2両あわせて40名といったところで、指定席はがらがらだった。


 余談だが、このような特急で帰宅する高校生というと、ほとんど女子学生ばかりで男子学生の姿を見かけないことに改めて気付いた。男子学生より女子学生の方がリッチなのか、あるい女子学生の方がお洒落というか、理想が高いのか(^^;、少しでも楽に帰りたいと思う度合いが強いのか、、、
 この日の「剣山10号」も、貞光・穴吹と停まるごとに若干ながらも学生の乗降があったが、女子学生ばかりで男子学生の姿は見えなかった。


 久しぶり(思い出せないぐらい久しぶり(^^;; )にキハ185系に乗ったが、さすがに中速域以上の伸びは鈍いモノの、発進加速の出足の良さはまだまだ捨てたモノではないと思わせられた。しかしながらせっかくの110km/h運転も、穴吹以西ではY字分岐が多くて減速を強いられ、やや勿体ないような気がする。

 吉野川に沿った線路は全体的には急勾配も急曲線もほとんど無く、全駅の一線スルー化をすれば185系でも徳島〜阿波池田間1時間運転は可能ではないかと思われる。(現在は最速1時間6分)。


 この時、徳島運転所構内に「アイランドエクスプレス四国2」が留置されていたが、側面方向幕が「特急 剣山 阿波池田行」となっていたのがちょっと謎である(^^;


84D「うずしお24号」
 徳島 (18:04) → 高松 (19:14)
1号車
2461
指定席
2号車
2201
自由席
3号車
2101
自由席


 徳島では約40分のインターバル。徳島発高松行き特急「うずしお24号」に乗車。4番ホーム下り方からの発車で、4番ホームに高松からの「うずしお19号」が到着すると、上り方にキハ185×2両編成が入線し、10m程度の間隔を置いて停車する。
 これが「うずしお24号」より4分先に徳島を発車する、高知行き特急「剣山9号」で、四国では徳島駅以外でも松山駅で、このように2本の特急列車が同一ホームに停まることがある。普通列車にいたっては、徳島や松山はもちろん、高松・多度津・伊予西条・今治・阿波池田・高知などでもこのような運転・運用形態となっていることがあり、実際にあるホーム数以上の高効率な列車の運用が可能となっている。


 「うずしお24号」は、通常は2000系試作車TSEの3両編成だが、この日は下り方先頭の2001形が点検に入場しているのか、N2450形が代わりに連結されていた。

 平日の帰宅時間帯ということもあって両列車ともかなりの乗車率で、「剣山9号」「うずしお24号」も、指定席・自由席ともほぼ満席(正確には乗車率8〜9割程度)であった。

 私は先頭3号車の最前席、、、から3列目に乗車、前2列に座っている人の座高が私より低かったため(火暴)、なんとか前面展望を伺うことができた。

 この時、2101形の運転台側のLED案内表示器の左右に、「1990年ローレル賞受賞」のプレートと「1990年日本機械学会賞受賞」のシールが貼られているのを発見した。前からこんなん有ったっけ?(^^;;;

※ローレル賞受賞記念プレートは昔からあった記憶があるんだけど

受賞記念プレート&シール


 池谷・板野とほとんど乗客の動きはなく、大坂峠を80〜90キロ程度で軽く越えたところで制動がかかった。前方を見ると、讃岐相生の場内信号が「停止」を現示していた。どうやら同駅で離合する「うずしお21号」が若干遅れていたようで、2分ほど場内信号機の手前で停止させられた。

 結局引田を2分遅れで発車。しかし、ダイヤに余裕があるためか、次の三本松であっさり回復(^^;

 造田では運転停車。この時初めて気付いたが、よく思い出してみるとこの日乗車した列車では、これが初めての運転停車である(^^;; それまで対向列車を待たせてばかりいたが、この日この時初めてこちらが待つことになった。

 2分停車の間に到着したのは、キハ47形×2連の各駅停車373D、、、、特急を待たせて各停を後で到着させるとは、、、ダイヤ編成上仕方ないのかもしれないが、特急の乗客からすれば気分の良い物ではない(^^;

 志度で「うずしお21号」と離合。1号車の指定席車はがらがらだったが、夕方の帰宅時間帯にかかる列車であるため、2・3号車の自由席車は満席でデッキまで人が溢れていた。
 志度では相当数が下車し、乗車率は6〜7割程度まで下がった。

 屋島でも場内信号が「注意」を現示していため減速、恐らく対向の各駅停車375D(1000形×2連)が遅れていたのだろう。

 高架の栗林でも相当数が下車、終着高松駅は真新しい4番ホームに19:14定刻に到着した。


 このときの高松駅は、5番ホームに「Electric Car 111」というヘッドマークを掲げた111系などがいた。


3176M「マリンライナー56号」
坂出 (19:37) ← 高松 (19:19)
6号車
クモハ213-2
自由席
5号車
サハ213-2
自由席
4号車
クハ212-3
自由席
3号車
クモハ213-7
自由席
2号車
サハ213-7
指定席
1号車
クロ212-1
指定席



 この日初めて乗車する「普通列車」は、岡山行き快速「マリンライナー56号」である。高松発車時点で乗車率は6割程度、先頭6号車に辛うじて空席(正確には「空ボックス」か)を見つけて着席。

 坂出までは18分ほどで、213系には余裕の道のり。
 坂出からは結構な乗車客があったようだ。


1027M「いしづち27号」
多度津 (20:00) ← 坂出 (19:50)
1号車
8503
指定席
2号車
8304
自由席
3号車
8203
自由席


 コインロッカーの荷物を出し、今度は松山行き特急「いしづち27号」でとりあえず多度津まで。
 自由席車はほぼ満席だった。


1265M
琴平 (20:22) ← 多度津 (20:07)
クハ120-8
クモハ121-8


 この日のラストランナーは、多度津発琴平行き各駅停車。
 区間列車と言うこともあって乗客は少なく、多度津発車時点で20名程度。そのうちの半数近くは善通寺で下車した。
 琴平駅には姉に迎えに来て貰い、実家に帰り着いたのは20時半頃であった。


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