99年1月10日更新/5月9日訂補

MyTravel Vol.11




JR四国 土讃線 復旧




 1998年9月末に高知県地方を襲った集中豪雨により、土讃線の繁藤〜土佐山田〜高知間で線路流失や土砂崩壊などの災害が発生、特に繁藤〜土佐山田間に被害が集中し、当初は年内復旧の見通しが立たなかった。
 しかしその後の晴天にも恵まれ、8時間3交替による不休の復旧活動により、年末年始輸送の始まる直前の12月25日に全面復旧にこぎ着けることが出来た。

 復旧作業の過程などについてはここでは割愛し、以下では復旧3日目の12月27日(土)に、土讃線の琴平から窪川までを往復乗車したレポートを掲載する。
 尚、列車編成表については、全て左側が高松方(上り方)である。






98年12月27日(土)

 8時半に実家を出発、最寄りの讃岐財田駅に車を置いて列車で琴平に向かう。
 阿波池田発琴平行4232Dは高知運転所所属キハ54のトップナンバーによるワンマン単行列車。

4232D
(琴平 <8:58>←讃岐財田 <8:35>)
キハ54 1
(四コチ)


 讃岐財田からの乗客は3人、財田に到着した列車を見て「なんでこんなに客が乗ってるんだぁ〜(^^;(ちなみに25人「も」乗っていた)」と思ったのは内緒である(^^;
 2つ目の塩入で下り特急「しまんと3号」と離合。結局琴平到着時の乗客は35人であった。


 琴平駅の窓口で「土讃線謝恩パスポート」を購入。土讃線の全面復旧を記念して12月25日〜27日のうちの1日間だけ土讃線乗り放題というトクトク切符である。土讃線の特急の自由席にも乗車でき、指定席券を買えば指定席にも乗れる。これで¥3,000なのだが、本来の琴平から高知までの片道運賃だけで¥2,030なのだから、出血大サービスである(^^;


 琴平からは高知行きの特急「しまんと5号」に乗車。


2005D しまんと5号
(琴平 <9:25>→高知 <10:58>)
3号車
<自由席>
2105
(四コチ)
2号車
<自由席>
2122
(四カマ)
1号車
<指定席>
2154
(四カマ)


 グリーン車無しの3両編成。何故か、高松所の2両に高知所の1両がぶら下がっていた(^_^;
 ちなみにこの列車、本来は2両編成で高知からは折り返し特急「南風12号」併結の「しまんと8号」となるので、その為の増結措置かもしれない。
 私は3号車の6A席に乗車、琴平では下車数と乗車数がほぼ同じで、同駅発車時点での自由席車の乗客は合わせて30人程度。

 実を言うと、土讃線の琴平〜高知間をJRの特急で乗車するのは、もう忘れてしまうぐらい久しぶりのことなのであった(^^;;;
 従って今回は久しぶりに2000系気動車のエンジンサウンドと振子を堪能するのが第1の目的なのである。

 次の塩入まで20‰の上り勾配が続くが急カーブは少ない。450Rの手前で排気ブレーキで減速、、、2000系の450Rの通過速度は110キロなのでその手前の20‰勾配ではそれ以上のスピードが出ていたことになる(^^;

 塩入を過ぎて下り20‰勾配で120キロまで加速。が、次の黒川の手前に300Rがあるため、凄いエンジンの轟音と共に強力な排気ブレーキがかかり、立っているとよろけてしまうほど(座っていてもかなりの減速Gを感じた)。

 讃岐財田を過ぎると猪ノ鼻越えにさしかかる。勾配は最大でも25‰で大したことはない(2000系にとってはね(^^; )のだが302Rの曲線があるため、2000系はやや力を持て余し気味に軽いエンジンサウンドを響かせて85キロ程度で登っていく。
 県境の猪ノ鼻隧道(3,845m)突入の手前でフルノッチ(ちなみに2000系のフルノッチは5ノッチ)が投入され、轟音を上げて加速を始める。トンネル内はほぼ直線で、最高120キロまで加速する。トンネル入口から3キロ付近で下り勾配に転じ、短いトンネルを抜けて坪尻を通過。
 次の箸蔵までは一転して連続25‰下り勾配となる。加えて302Rの曲線が続くのでエンジンブレーキや排気ブレーキをかけながら85キロ程度でコンスタントに下っていく。

 このあたりは池田町のパノラマが展開される所で、下り列車なら進行方向右側に座るのが吉。

 箸蔵を通過してノッチが入るのもつかの間、排気ブレーキで減速して400Rを曲がると再度ノッチ投入、吉野川を渡る。渡り切る前に排気ブレーキで減速してまた400Rの曲線ののち、佃を通過すると再度フルノッチ投入。このように土讃線の場合はほとんど直線区間がないため、わずかな直線区間を見つけては加速→減速と言う繰り返しで加えて勾配もあるため、四国内ではもっとも運転が難しいところとされている。


 阿波池田を出て次の三縄は高知から北の土讃線区間では数少ないY字分岐器(ポイント)が残る駅で、ゆっくり通過。三縄を過ぎれば動力車乗務員の腕の見せ所と言われる連続S字カーブの続く土讃線のメイン区間。「しまんと5号」は「こんなところでこんなにスピード出して良いのか?(^^;」と思えるほどの速度で車体をくねらせ、ノッチのON/OFFを繰り返し、排気ブレーキの音を交えながら進む。
 途中の小歩危から、大歩危・小歩危の観光案内の放送が流れる。これも振子司令装置と連動して自動で放送されるようになっている。

 大歩危を出て2つ目のトンネルが、土讃線最長の大歩危隧道(4,179m)で、当然ながらフルノッチ投入で120キロまで一気に加速する。次の大杉までは約22キロ、16分で走る。平均時速は80キロ強で、この区間をこのスピードで走れるというのは驚異である(^^;

 大杉の次は鉄橋上の駅、土佐北川。そこから2つ目の繁藤から先が長期不通となった区間。新改の手前のトンネルの手前が、もっとも被害の大きかった線路流出箇所である。軽量盛り土工法を使ってとりあえず線路敷設部分の土台だけ先に組み上げたようで、列車はそこを60キロ程度で徐行して通過。新改を過ぎて次の土佐山田で平地に出るまで、線路際の至る所で土砂崩壊の跡が見られた。

 土佐山田からの平地区間は急曲線もあまりないため、120キロで疾走。高知駅には定刻通り10:58に到着。


 高知駅では一旦改札を出てぶらぶら。高知駅の写真を撮ったほか、丁度駅前に来ていた高知市電のポルトガル・リスボン市電からの移籍車輌を撮影。
 昼食替わりのウィリーウィンキのパンをかじりつつ、宿毛行き特急「南風1号」を待つ。


31D 南  風1号
(高知 <11:44>→窪川 <12:44>)
3号車
<自由席>
2106
(四コチ)
2号車
<自由席>
2201
(四カマ)
1号車
<指定席>
2011
(四コチ)


 高知までは5両編成だが、高知で後ろの2両を切り落として2号車が指定席から自由席に変更となる。
 2号車は試作車TSE2201形で、なぜ高知所の編成に混ぜて使われているのかちょっと不思議。高知に転属になったんかいな?
 とりあえず2号車の6A席に陣取ったが、この日の「南風1号」は高知発車時点でほぼ満席となった。この区間、自由席車はどの列車も比較的乗車率が高いのである。

 この日はこの2号車の前寄りの乗降ドアの調子が悪く、高知から作業員が数人乗り込んできた。ついに土佐久礼からはこのドアは締め切り扱いとなり、貼り紙が貼られた。ちなみにこの作業員は窪川で下車した。

 高知から先はY字分岐が多く駅通過時はかなり減速する。それでも佐川まで平均時速75キロで走るのは立派としか言いようがない。

 須崎から先はまた山越区間で、土佐久礼を出ると久礼坂と呼ばれる難所である。次の影野まで連続25‰勾配が続き、大小合わせて14のトンネルがある。急曲線はさほどないので「南風1号」は90キロ程度(それでも力を持て余し気味だが)でグイグイ登っていく。
 土讃線の終点、窪川で下車。列車はさらに宿毛方面に向かって出発していった。


 はっきり言って窪川は何もない所なので、JR窪川駅土佐くろしお鉄道窪川駅を撮影してさっさと高知に戻ることにした。丁度停車中だった高知行きの普通列車に乗車して引き返す。

4756D
(佐川 <14:13>←窪川 <13:00>)
1042
(四コチ)


 高知運転所の1000形気動車によるワンマン単行列車。窪川発車時点の乗客はわずか3人(^^;
 影野からは先ほどとは逆に久礼坂を下る。1000形の駆動系は2000系をベースにしており、排気ブレーキをかけながら軽快に下っていく。従来型気動車であれば通常ブレーキをかけながら慎重に下っていたところである。

 土佐久礼で初めて乗降があった(^^;
 学校帰りとおぼしき学生や主婦が数人乗ってきた。そういえばこの日は土曜日だった(^^;

 土佐久礼〜安和間も小さな峠越えがある。1000形は加減速性能も登坂力もキハ185系より上なのでさほど苦にせず越えてしまった。
 須崎で8分停車。列車交換はなく、トイレ停車と言った方が正解かも知れない。留置側線にアイランド塗装のDE10−1038がいたのは謎である。

 このままこの列車で高知まで行くつもりだったが、佐川で後続の特急に乗り換えることにした。やっぱり、自分の乗っている列車が他の列車に追い越されると言うのはあまり気分の良いモノではないのである(^^;

 というわけで、佐川からは6分後続の岡山行き特急「南風14号」に乗車。
 佐川駅ではキハ28&キハ58 3連+キハ32という稀少編成(^^;の窪川行き751Dが対向列車待ちをしていた。
 ただこの列車、窪川行きなのに最後尾のキハ28の前面行き先表示が「高知」となっていたのがご愛敬(^^;

44D 南  風14号
(高知 <14:43>←佐川 <14:19>)
4号車
<自由席>
2117
(四カマ)
3号車
<指定席>
2463
(四カマ)
2号車
<指定席>
2523
(四カマ)
1号車
<指定席>
2002
(四コチ)


 本来の3両編成に何故かN2000系先頭車が中間に組み込まれた4両編成であった。4号車の自由席車は満席だったので、3号車のデッキに陣取ることにして、そのついでにN2000系の運転席を撮影。
 ちなみに指定席の2/3号車はがらがらで、両方あわせても乗客は10数人だった。う〜ん、なんか不公平だぞ(^_^;

 2000系は窓ガラス面積が広いのが特徴だが、出入口ドアを見てみてもドア面積の2/3ぐらいが窓ガラスで占められている

 佐川の次の西佐川で先ほどまで乗っていた4756Dを追い越した。

 高知で下車し、しばらく駅のホームで列車を撮影した。
 この時初めて気付いたのだが、2000系の車体側面に貼られている復旧記念ステッカーは2種類の図柄があった。どうやら高松向き(上り向き)の車輌と高知向き(下り向き)の車輌とで図柄が若干異なるようだ。ただし前面に貼られている小さいステッカーは全て共通。また、N2000系にはこのステッカーは貼られていなかった。

↓画像をクリックするともっと大きな画像を見ることが出来ます
復旧記念ステッカー(フロント)
フロントステッカー
(全車共通)
復旧記念ステッカー(サイド:上り向き)
サイドステッカー
(高松向き(上り向き)車輌)
復旧記念ステッカー(サイド:下り向き)
サイドステッカー
(高知向き(下り向き)車輌)



 高知からは「南風5号/しまんと9号」併結の折り返し「南風16号/しまんと12号」に乗車。今度は最前部で「かぶりつき」を堪能しようと列車到着前から乗車位置に陣取った(^^;


2012D しまんと12号/46D 南  風16号
(琴平 <17:24>←高知 <15:56>)
8号車
<自由席>
2118
(四カマ)
7号車
<一部自由席>
2153
(四カマ)
4号車
<自由席>
2130
(四コチ)
3号車
<自由席>
2230
(四コチ)
2号車
<指定席>
2231
(四コチ)
1号車
<指定席>
2030
(四コチ)


 1〜4号車が「南風16号」で全車土佐くろしお鉄道籍車で組成されている。同車は最近はバラバラにばらされてJR車と共通で運用されているため、このように4両が全て揃うのは珍しい。
 7〜8号車が「しまんと12号」で7号車の後ろ寄り半分が指定席扱いとなる。
 合わせて6両編成で、これぐらいの長さになればいかにも特急らしくて良いものである(^^;

 「南風5号/しまんと9号」は到着後一旦車両基地(と言っても駅に隣接しているのだが)に引き上げる。後続の下り普通列車が同じホームに到着するためで、キハ54単行の普通列車が1番線に到着後すぐに引き上げ、その後に「南風16号/しまんと12号」が1番線に回送されてきた。

 私が陣取った席は8号車13D席。座って発車を待っていると、レールファンとおぼしき人が2名ほどやってきた。やはり到着前から待っていて正解だった(^^;
 高知発車時点では「南風16号」は60%程度の乗車率だったが、「しまんと12号」は2両合わせて20〜30人ほどだった。

 高知駅を発車して構内分岐を抜けるとフルノッチ投入されて線内最高速の120キロまで加速する。最前部の右側席で見ていると右400Rカーブなどはカーブの先が死角に入って見えないのだが、2000系は「ふわっ」と沈み込むような浮遊感を伴って車体を傾けながらそのカーブに時速100キロで突っ込むので、かぶりつきで見ているとちょっと怖い(^^;
 300R程度のカーブだと、レールのカントによる傾きと車輌自体の振子による傾斜とで合わせて10度ぐらい傾いていると思われるほどで、結構スリルがあって面白い(^^;;

 Y字分岐の後免を60キロ程度でゆっくり通過、土佐山田と御免を通過する特急は1往復だけなので結構貴重な存在である。土佐山田には停車。高知からここまで10分弱、平均時速95キロである。


 なお、前方の現示される信号機を見ながら「後免、2番場内、進行!」「中継、進行!」などと呟いていたのはここだけの話である(^^;;;


 下り特急「南風7号」(5両編成:通常は4両)と離合する土佐山田停車中に、動力車乗務員が背後のブラインドを降ろす。この先琴平まで約100キロに渡ってトンネルの多い山越区間となるためである。ただし右端の乗務員室窓ガラスはブラインドは下ろされないので、この先琴平までかぶりつきを堪能できるというわけである。

 土佐山田を出て、300Rの曲線が連続する25‰の上り勾配を、振子を利かせながら3ノッチ程度で軽く登っていく。感心するぐらいトンネルとカーブが多い。
 新改の構内分岐を70キロで通過、繁藤を過ぎるとフルノッチが入る。400Rの大杉を80キロ程度で通過、土佐山田から大杉までは24キロ/18分である。なぜあんな所を平均時速80キロで走れる?(^^;

 大歩危の1つ手前の土佐岩原までは吉野川沿いに走り、相変わらずトンネルと急カーブが多い。大歩危隧道に入るとやはりフルノッチ投入され、120キロまで加速。大歩危を通過すると次の小歩危まではトンネルばかりでなく落石覆いが連続する隘路であり、深い峡谷も手伝って日の当たるところを走ることがほとんど無く、せっかくの大歩危峡の車窓もあまり見ることは出来ない。

 三縄の2番場内信号が黄色を示し、出発信号が赤を現示していた。土佐山田〜阿波池田間ノンストップかと思っていたら三縄で下り特急「南風9号」(6両編成:通常は4両)との交換のため停車した。
 そんなはずはない、確かノンストップだったはず、、、と時刻表を見ると、「南風9号」とは本来小歩危で離合(「南風9号」が停車し、こちらはやはり通過)するはずだったのが、この日は「南風9号」が大幅に遅れていたためこちらの方が三縄に臨時停車する羽目になったようだ。そういえば小歩危では対向列車がいなかったな、、、とこの時初めて思い出した。
 この時刻で計算すると、この日の「南風9号」はこの時点で23分程度遅れていたようだ。

 阿波池田にはほぼ定刻の到着で、三縄に臨時運転停車してこれなのでまだまだ余裕がありそうである。
 土佐山田〜阿波池田間で閉塞信号機を見ていて感心したのは、カーブの先にあるはずの信号機がかなり高い位置にあって、カーブの手前からでも信号機の現示確認が出来るように配慮されていることが時々あったことである。
 例えば、「豊永、1番場内、進、、、えっ、えっ、なんであんな高いところに信号があるんだぁ〜(^^;」と一瞬見間違いではないかと思ったほどである。


 阿波池田から次の佃までは120キロで飛ばす。佃の場内信号機が見えたら排気ブレーキで減速し、佃を通過して吉野川を渡る。次の箸蔵で1分間運転停車。下り特急「南風11号/しまんと13号」(6両編成)と交換。
 次の坪尻までの勾配は3〜4ノッチ程度で軽く登っていく。坪尻を通過して1つ目のトンネルでフルノッチ投入、2つ目の猪ノ鼻隧道を120キロで通過して県境を越える。

 トンネル出口の閉塞信号機が見えたら排気ブレーキで減速、讃岐財田から黒川まで80〜90キロ程度で勾配を下る。黒川の先の300Rカーブの出口が見えたらフルノッチが投入され、塩入までの20‰勾配をエンジン全開で120キロで登る。

 琴平までの下り20‰は120キロで下りたいところだが、450Rがあるので時折排気ブレーキで減速する。
 琴平には定刻の17:24分に到着した。

 こっからは下り阿波池田行き普通列車で讃岐財田まで戻る。


4277D
(琴平 <18:01>→讃岐財田 <18:16>)
キハ54 1
(四コチ)


 なんだか見たことある奴だと思ったら、今朝乗った車両である(^^;
 どうやらこの54君、1日中琴平〜阿波池田間をただひたすら往復しているようである(^^;;

 国鉄時代、、、言葉を変えれば私の学生時代、キハ20がフルノッチ投入して40キロ程度でウンウン唸りながら10分かけて登っていた塩入までの勾配を、キハ54は3〜4ノッチ程度で80キロぐらいで塩入まで軽々と6分で登ってしまった(^_^;

 ただこのキハ54、ブレーキの音が五月蝿い五月蝿い(^^;
 車輪とブレーキシューの摩擦音なのだが、廃車発生品の台車を使っているだけあってこのブレーキ音だけはキハ20並の騒々しさである。かつての50系客車よりもう五月蝿いのにはちょっと閉口する。
 しかもこの日はキハ54以外に乗った車両というのが2000系や1000形なので尚更キハ54の設計の古さを感じてしまった。

 讃岐財田には定刻到着。久しぶりに振子を堪能した1日であった。





Vol.10へVol.12へ