2003年4月2日更新

MyTravel Vol.35




山陰スーパー振子特急乗り継ぎの旅




 さて、私は毎年自分で撮影した鉄道写真を使ってオリジナルのカレンダーを作成し、知人や友人、同僚などにばらまいているわけであるが、2003年のカレンダーに使う画像として、「大山をバックに日野川を渡る『やくも』の写真を使おう!」と思い立ち、撮影に行くことにした。

 で、どうせ行くのなら私の好きな振子式車両ばかり乗ってみようと思い立ち、大阪から「スーパーはくと」で鳥取へ、鳥取から「スーパーくにびき」で米子へ行ってそこで撮影し、「スーパーやくも」+新幹線で帰ってこようと考えた。

 早い話、在来線は振子式のスーパー特急ばかり乗り継ぐことにしたわけである。


 急に思い立ったため、全て自由席に乗車することにした。





2002年12月1日(日)


51D 特急「スーパーはくと1号」


鳥取駅にて

鳥取(10:11)← 新大阪( 7:30)
1号車2号車増2号車3号車4号車5号車
HOT
7037
倉吉 ← 京都

※2号車以外は車番未確認(^^;

↓普通車の客室



 高槻7時発の快速に乗車。
 オンボロ113系で、乗車したのはクハ111−5491。113系は嫌いなのでこの列車についてはこれ以上は書くまい(^^;



 大阪からは大勢の客が乗ってくることが判っていたため、その一つ手前の新大阪から、「スーパーはくと1号」に乗車。
 智頭急行経由で京都・大阪〜鳥取・倉吉間を結ぶ特急「スーパーはくと」は、智頭急行のHOT7000系を使用。

 登場当初は5両編成で1日3往復だったが、利用が好調なことからその後増強され、3往復から6往復に、そして編成も2002年末からは5両から6両に増車された。
 この日乗車した1号も6両編成だった。

 乗車したのは2号車13番A/B席。
 大阪からはいつものように大勢乗ってきて、わずか2両の自由席車は丸ごと空いている二人掛けの席はほぼ無くなってしまった。


 HOT7000系は、JR四国2000系/JR北海道キハ281系と基本性能は共通。シートピッチや窓サイズ、車体断面まで2000系と同じだが、シートはかなり大振りで掛け心地も良くてくつろげる。客室端部にはモニタTVが設置され、前面展望映像が流されている。

 屋根部分はJR四国8000系と同じように、中央部が一段高くなっている。


 この列車は大阪〜姫路間87.9kmを56分で走行。
 新快速の最速列車は57分運転なので、途中停車駅が4つ少ないということもあって新快速よりは速い。

 ちなみに「スーパーはくと」の最速列車は54分走行なので、この1号は特に速い列車ではないのだが、途中の区間ではかなり流して走っているほか、芦屋付近では40km/h程度に減速して、内側線を走行する207系の各駅停車に追い抜かれたほどであった。
 しかしそれでも、各停車駅とも定刻到着/定刻発車なので、車両性能に比してダイヤに相当余裕があるのは明白である。


 明石駅では、高槻から新大阪まで乗車した113系の快速に追いつき、同時発車となったが、スタートダッシュで113系に一歩もリードを許すことなく、みるみるうちに差を付けてしまった。
 国鉄時代のディーゼルカーでは考えられない素晴らしい加速性能で、電車より気動車の好きな私としては、多いに溜飲を下げるところである。



 この日の1号は相生に臨時停車。2号車にもおばさん達が数名乗り込んできた。



 上郡からは乗務員が交代し、智頭急行線へと乗り入れる、、、、、っていうか、HOT7000系は智頭急行の車両なので、乗り入れていたJR線から自社線に入っていくという表現が正しいか(^^;



 智頭急行鉄道は、当初は国鉄ローカル線として建設されていたが、大阪と鳥取を短絡するルートとして注目され、高規格路線に変更された。
 その為、若干急カーブも残ってはいるが、総体的にはよく整備された近代的な路線である。

 また、上手いダイヤ設定によって、「スーパーはくと」は全ての列車が、智頭急行線内は運転停車することなく、表定速度90km/h以上で走行している。


 途中の佐用ではJR姫新線と接続。
 姫新線の南から智頭急行線が寄り添い、250Rという急カーブで台車をきしませながら佐用に到着。

 ここでは岡山行きの特急「はくと」と交換。

 佐用からは東へ向かう姫新線と別れて北へ向かい、再び高規格の線路を振子を利かせながら快走する。



 しかしながら、せっかくの自慢の振子も智頭急行線内でしか使用しておらず、特に因美線の智頭〜鳥取間は他の一般車両と同じ本則の速度でカーブを通過しているので、非常にノロノロ運転という感覚がして、正直言って少しイライラしてくるほどである。

 早い話が、京都〜倉吉間約290kmのうちで、たった56.1kmの区間でしか本来の性能を発揮していないわけで、これでははっきり言って振子式車両を投入した意味がほとんど無く、現にこの1号も智頭〜鳥取間では表定速度が60km/hを割っている。



 うだうだ文句を言っているうちに列車は鳥取に到着。

 「スーパーはくと1号」の到着とほぼ当時に、2番ホームからには米子からの快速「とっとりライナー」が到着、3番ホームはキハ47形の米子行き各駅停車も停まっており、ここだけ見るとまるでまだ国鉄時代のような雰囲気である



 鳥取では1時間弱のインターバルで、益田行き特急「スーパーくにびき3号」に乗車。


 一旦改札を出て(もちろん途中下車)鳥取駅の写真を撮って構内を少しぶらついてから改札を入り、ホームに上がると既に「スーパーくにびき」は1番ホームで待機中だった。
 まだ発車まで30分以上もあり、地方ではそれほど珍しくもないだろうが、あわただしい都会の駅に慣れた身としては少々時間をもてあましてしまうほどである(^^;


2013D 特急「スーパーくにびき3号」


鳥取にて

米子(12:19)← 鳥取(11:04)
1号車2号車
キハ187

米トウ
キハ187
1004
米トウ
益田 ← 鳥取

↓客室
↓運転台
↓車体側面のロゴ




 益田行き特急「スーパーくにびき3号」は、後藤総合車両所所属のキハ187系2両編成。

 この車両は、時代の波に取り残されていた山陰線西部の高速化事業の一環として製作された、制御付振子式気動車である。
 連続定格出力450馬力を絞り出す、直列6気筒24バルブDOHCターボエンジンを各車に2台搭載し、これに直結4段式の変速機が組み合わされる。

 台車はもちろん、JR四国2000系やHOT7000系などで実績を積んだコロ式の制御付振子台車で、これらの装備によって従来キハ181系で3時間かかっていた米子〜益田間(約191km)を2時間半に短縮した。

 この高速化事業に当たっては、主要な曲線区間でのコンクリート枕木化等も行われ、これらの事業にかかった費用は、キハ187系などの車両新製費も含め、全て地元が負担している。

 JRも民間の営利目的の事業者である以上、儲からないところに必要以上の投資をしたくないのは至極当然ではあるが、それにしても全事業費を負担した地元も随分太っ腹だと思う。



 キハ187系にはグリーン車は無く、全て普通車のみの構成となっており、シートピッチは970mmと2000系やHOT7000系の980mmより狭いが、シートバック(座席の背もたれ)の厚みが薄いために実感としてはほぼ同じぐらいに感じる。
 ただしその分HOT7000系のシートと比べると、若干掛け心地は落ちるように感じた。



 発車時刻が近づくにつれて徐々に乗客は増え、2号車の自由席車は座席は半分ほど埋まったところで鳥取を発車した。

 4台の450馬力DOHCターボエンジンが唸りを上げると同時に、「スーパーくにびき」は猛ダッシュ。
 米子側には45km/hの場内分岐制限があるが、10数秒もすると45km/hに達したのか、早くもノッチオフ。

 JR四国2000系以降の、近年の高性能気動車の加速性能には慣れていた私だが、このスタートダッシュには仰天した(^^;
 この加速性能に勝てる車両となると、阪神のジェットカーぐらいしかないんじゃないか?(^^;



 ・・・がしかし、鳥取から米子までは振子を利かせていないらしく、カーブでははっきり言って遅い。
 っていうか、カーブの前後の直線区間でのスピードが速いため、カーブでは実際より遅く感じるものと思われる。

 実際、カーブを抜けたあとの加速性能は素晴らしく、シートバックに背中が押しつけられるのがはっきりと体感できるほどであり、またカーブの手前のブレーキングでは、威勢の良いエンジンの唸りと共に強烈なエンジンブレーキと排気ブレーキ(と通常の摩擦ブレーキ)がかかり、まるで車で峠道を攻めているような快感が味わえる(^^;



 浜村では4分間停車し、下り快速「とっとりライナー」と交換。

 また、青谷でも「スーパーはくと」と交換のため3分間運転停車した。



 振子を堪能することは出来なかったが、倉吉〜米子間は比較的線形が良いため、この区間の平均時速は約86km/hとなる。
 しかし、この区間でも場内分岐が一線スルー化されているのが確認できたのは、由良と浦安の2駅のみで、この他の駅では大きく減速する必要があり、せっかくの新型振子気動車が何とも勿体ない限り。

 とりあえず、明らかに並みの電車を軽く上回るほどのキハ187系の素晴らしい性能を確認し、これからいよいよ本領発揮という米子で下車(^^;

 米子では鳥取行き快速「とっとりライナー」が1番ホームで発車待ち中だった



 一旦改札を出て駅を撮影。

 再度改札を入り、側線で寝ていたEF64形1000番台車を撮影
 所属は岡山機関区で、岡山から伯備線経由で貨物列車を牽引して米子までやってきている。

 キハ187系と共に山陰線西部に投入されたキハ126系を使用した、益田行き快速「アクアライナー」が5番線から発車

 そしてその向こうの側線では、キハ65形エーデル車2両編成の急行「だいせん」が寝ているのをを発見して、これも撮影

 急行「だいせん」は、1958年10月のダイヤ改正で、伯備線経由で京都〜大社間を結ぶ急行列車として登場。
 1968年10月改正では福知山線・山陰本線経由の大阪〜松江・大社・益田間に変更されている。


 私も1988年の2月に、松江〜大阪間で夜行の「だいせん」を利用したことがある。
 当時は客車列車で、寝台車2両と座席車4両という編成で牽引機関車のDD51には円形のヘッドマークまで付いていたのだが、現在の「だいせん」は団体用車両のお下がりのディーゼルカーの2両編成で、しかもヘッドマークも随分と侘びしいモノになってしまい、凋落のほどが伺える。



山陰本線 242D



米子(12:59)→ 東山公園(13:03)
キハ47
165
米トリ
キハ47
1037
米トリ
米子 → 鳥取



 鳥取行きの普通列車242Dは、昔懐かしの朱色のキハ47形の2両編成で、鳥取鉄道部の所属。
 ワンマン化改造された以外はほぼ国鉄時代のままの姿で走っており、懐かしさを感じると共に、この地区が近代化の波から取り残されていることをも如実に物語っている。


 米子の1つ東隣の東山公園駅で下車。
 ここから日野川橋梁まで、約1kmほど徒歩である。

 この東山公園駅は1993年3月のダイヤ改正で新設された新しい駅で、その名の通り東山公園に隣接する最寄駅として設置され、駅舎が公園管理事務所を兼ねているらしい。



 日野川橋梁で撮影タイム。

 まずは鳥取行き快速「とっとりライナー」
 「とっとりライナー」は日中ほぼ毎時1本が運転されている。

 鳥取からの米子行き普通列車
 これも朱色のキハ47形。

 鳥取からの快速「とっとりライナー」

 岡山行きの特急「スーパーやくも18号」
 本来は6両編成なのだが、この日は中間の電動車1ユニットを外した4連という「減量編成」だった。

 その2時間後にやってきた「スーパーやくも22号」は、正規のパノラマグリーン車連結6両編成だった



 しかしそれよりも、この日は結局全く晴れ間が見えず、当然の如く大山の勇姿を拝むことは叶わなかった。
 今回の目的は「大山をバックに列車を撮る」ことだったので、全くと言っていいほど目的を達することが出来ず、なんとも悔しい限り。


 鳥取までは晴れていたのに・・・・なんでじゃぁ〜〜(^^;



 かなり暗くなるまで粘ったがやっぱり晴れ間は見えず、仕方ないので帰ることにした。



山陰本線 243D

(画像無し)

米子(16:32)← 東山公園(16:27)
キハ47
1019
米トリ
キハ47

米トリ
米子 ← 鳥取



 東山公園駅から乗車したのも、またも鳥取鉄道部所属の朱色のキハ47形2連。

 もはや何も言うこと無し(^^;




 帰路は「スーパーやくも」の自由席車に乗車する予定だったが、経験上「やくも」は米子で大量の乗車があるのを知っていたので、一つ手前の停車駅である安来から乗車し、確実に座席を確保する作戦に出た(^^;


 その為、鳥取発出雲市行きの快速(米子〜出雲市間は各駅停車)「とっとりライナー」で、米子の一つ西隣の安来へ向かった。



3429D 快速「とっとりライナー」

(画像無し(^^; )

安来(17:06)← 米子(16:58)
キロ59
505
米トウ
キロ29
503
米トウ
キロ59
506
米トウ
キハ28
2486
米トウ
キハ58
1120
米トウ
出雲市 ← 鳥取

※出雲市方3両は団体貸切


 この日のこの「とっとりライナー」は、所定では後藤総合車両所所属のキハ58系2両編成のところ、下り方に同じ後藤車両所に所属する団体専用貸切車「ふれあいSun−In」を3両も繋いだ5両編成で、所定の停止位置で待っていた大勢の客が大移動するはめになった。
 一つや二つ手前の駅で急遽増結したわけでもないのだろうから、この臨時増結措置は駅側では判っていたはずで、にもかかわらず何の案内放送も無かったのは不親切きわまりない。


 ともかく、列車は立ち客が出るほどの満員(といっても後部の2両だけだったが)の乗客(+謎の団体客)を乗せて米子を発車。


 この「ふれあいSun−In」は、実はこの日の昼前に「スーパーくにびき3号」で鳥取を発車する間際に、入れ違いに鳥取駅に到着していた列車で、恐らくはその団体が帰路についているところであろうと思われた。



1036M 特急「スーパーやくも26号」


岡山にて

安来(17:41)→ 倉敷(19:38)
1号車2号車3号車4号車5号車6号車
クハ381
142
米イモ
モハ380
83
米イモ
モハ381
83
米イモ
サロ380
31
米イモ
モハ380
72
米イモ
クモハ381

米イモ
出雲市 → 岡山





 安来からは、出雲鉄道部出雲車両支部に所属する、381系6両編成の特急「スーパーやくも26号」の6号車に乗車。


 「やくも」は1959年に米子〜博多間の準急として登場。1965年には福知山線・山陰本線経由新大阪〜浜田間を結ぶ特急列車に転身。
 さらに1972年3月の山陽新幹線岡山開業時に、伯備線経由で岡山と山陰を結ぶ陰陽連絡特急として再度転身しているが、いずれも米子〜出雲市間を活動の拠点にしているのが、「やくも」の「やくも」たる所以である。

 伯備線経由での運転開始当初は、勾配線区向けの強力型気動車キハ181系で運転され、最盛期には食堂車を組み込んだ基本編成8両+付属編成3両の11両編成で6往復が走っていた。


 1982年7月のダイヤ改正での、伯備線と山陰本線・伯耆大山〜知井宮(現在の西出雲)間の電化開業を機に、現在の381系電車化された。


 381系電車は1973年に登場した、日本初の振子式車両であるが、近年多数輩出した制御付振子ではなく、遠心力だけを頼りに車体を傾斜する自然振子式のためにはっきり言って乗り心地が悪く、運転開始当初から酔う人があとを絶たない。


 「スーパーやくも」は1994年12月から運転開始しており、従来中間車だったグリーン車を、パノラマタイプの展望車に改造した車両が専用で充当され、塗色も通常の「やくも」とは差別化されているほか、停車駅についてもかなり整理されて所要時間の短縮を図っている。



 381系に乗ったのは10年ぶりぐらいなのだが、「昔よりよく揺れてるんじゃないのか?(^^;」と思えるほどに良く揺れる。

 特に曲線での揺れが顕著で、制御付振子に乗り慣れた私から見れば、正直言って最悪と言えるほどの乗り心地である。
 直線区間でも不用意な車体の揺れが大きいように思われ、制御付との乗り心地の差がはっきりと体感できた。


 根雨では下り「やくも」と、新郷では「スーパーやくも」と交換した。
 根雨は通過したが、新郷ではこちらが運転停車した。



 さて、このまま岡山まで乗っても良いのだが、岡山車掌区は「がめつい」ので、岡山行きの特急列車では終着・岡山の一つ手前の停車駅を発車すると、自由席特急券を全て回収してしまうため、それから逃げるためにあえて一つ手前の倉敷で下車した(^^;

 ま、どうせ特急料金は同じだから別に勿体ないと言うことはないので、これで良いのだ(そうか?(^^; )。



山陽本線 472M

(また画像無し(^^; )

倉敷(19:44)→ 岡山(19:58)
クモハ115
1511
岡オカ
モハ114
1149
岡オカ
クハ115
1203
岡オカ
福山 → 播州赤穂



 倉敷からは、播州赤穂行きの各駅停車に乗車。
 昔ながらの115系電車3両編成で、岡山電車区の所属。


 駅間が長いのでスピードはそこそこだが、五月蠅いし乗り心地悪いし・・・

 もうこれ以上何もコメントしたくない(^^;



2656A 「こだま656号」

(画像無し(またかい!)(^^; )

岡山(20:24)→ 新大阪(21:41)
1号車2号車3号車4号車5号車6号車
21
7004
幹ハカ
26
7901
幹ハカ
25
7901
幹ハカ
26
7004
幹ハカ
25
7004
幹ハカ
22
7004
幹ハカ
広島 → 新大阪



 岡山からは新大阪行きの「こだま」に乗車。

 山陽新幹線区間の「こだま」はほとんどが2+2のゆったりした座席に交換されており、時間に余裕があるのなら、へたに「のぞみ」「ひかり」に乗るよりもずっとらくちんで優雅な旅が味わえ、下手な在来線グリーン車よりもはるかにゆったりできるので、個人的には結構お薦めである。

 この日乗車した「こだま656号」は、博多総合車両所所属の元「ウエストひかり」用0系7000番台車で、もちろん全車両が2+2座席車。

 3号車のA/B席に陣取った。


 岡山を発車した直後にドクターイエローとすれ違ったが、もちろん撮影など出来るはずがない(^^;




 新大阪からは新快速に乗車。
 クモハ223−3028に乗ったというメモが残っているが、それ以外は何も記述なし(^^;;


 潜伏先に帰り着いたのは22時を少し回った頃だった。



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