2001年9月25日更新

MyTravel Vol.21




バースデイ切符の旅(その3)

バースデイ切符


 「バースディ切符の旅」の(その3)です。

 今回もちょっと長いです(^^;
 またもや画像がちょっと多いです、ごめんなさい(^^;;;;;;





9月18日(火)


 「バースデイ切符の旅」の最終日である。

 6時半に起床し、地元町営のコミューターバスに乗って讃岐財田駅へ。

4233D(キハ54)
4233D
阿波池田( 7:50) ← 讃岐財田( 7:22)
キハ54

四コチ

整理券

 讃岐財田発車時点の乗客は6人。
 スイッチバックの坪尻は当然の如く乗降はゼロ。

 箸蔵では高校生ばかり20人ばかりが乗車してきた。次の佃でも下車はほとんど無く、池田高校(多分)の高校生が50人近く(目測での推定(^^; )乗ってきて、乗客数は一気に70人程度になった。

 列車は9分の折り返しで琴平行となるため、それに乗車する高校生が列をなして待っていた。



 ここから、海部行特急(牟岐〜海部間は普通列車)「剣山4号」に乗車する。

剣山4号
1014D〜1015D「剣  山4号」
桑野(10:23) ← 阿波池田( 8:25)
1号車2号車
キハ185
23
四カマ
キハ185
26
四カマ


 8:12に到着する、徳島からの「剣山1号」がそのまま折り返す。高松運転所のキハ185系による、全車自由席モノクラス2両編成である。
 当然ながら、最前席(1号車15番A席)に陣取ることにする。



 キハ185の1000番台車は、ほとんどが普通列車仕様の3100番台に改造されたため、「剣山」「むろと」「うずしお」のいずれも、トイレ・洗面所付きの0番台車で運転されることが多いようだ。


 阿波池田では、高松行の特急「しまんと2号」の接続を受ける。が、この日の乗り換え客は皆無。




 阿波池田発車時点での乗客は20人ほどであった。


 「かぶりつき」で見ていて気付くのは、徳島線は閉塞信号機が異様に少ないということである。
 佐古〜佃間の全線に渡って、1駅間1閉塞区間が多く、交換設備のない駅を挟む場合は2駅間1閉塞という区間まである。

 いや正確に言うと、各駅の場内信号機の手前に閉塞信号機らしきモノがあるのだが、次の場内信号機までの距離がかなり短い上に、場内信号機や出発信号機とは色灯数も形態も異なるので、どちらかというと中継信号機的な意味合いが強いように思える。



#あとになって判明したが、これはどうやら予告信号機らしい



 阿波半田や阿波山川といった交換設備のない駅では、出発信号すら無かった。


 穴吹までは交換設備のある全ての駅がY字分岐で、通過時はかなり速度を落としている。


 穴吹を過ぎると今度は一転して場内信号機の2つある駅が多くなる。
 場内信号機が2つあると言うことは即ち追い越し設備があるということで、穴吹は当然として、阿波川島、牛島、石井、府中、蔵本に場内信号が2つあることを確認した。

 鴨島は実は見落とした(^^;のだが、出発信号が2つあったので、ここも場内信号は2つあったはずである。

剣山3号

 それと共に一線スルーとなっている駅も増え、牛島、石井、府中が一線スルーになっているのを確認した。

 石井で唯一の運転停車をして、1013D「剣山3号」阿波池田行を通す。
 一線スルーなので「剣山3号」は速度を落とすことなく通過。

 変わっているのは蔵本で、一線スルーとなっているのは下り方のみで、上り方はY字分岐のままだった。


 このあたりまで来ると直線区間も増え、「剣山4号」は最高110km/hの力走を見せる。
 、、、が、悲しいかな路盤自体が弱いのと、液体変速機が手動変速だということも手伝って、乗り心地はちょっと悪い。



 それはさておき、「剣山4号」は途中停車駅毎に客を拾っていき、徳島到着時点では100人程度の乗客が乗っていた。

 徳島からは12分間の停車時間の間に列車番号が変わる。1014Dから1015Dに変更になるだけで、別に同じのままで良いじゃないかとも思うが、実際徳島からは上り列車から下り列車に変わるわけだし、乗務員が交代するのでその運用上の都合もあるのだろうし、一般の乗客にとっては列車番号など無縁なので、まぁ別に構わないのだろう(^^;


 徳島で下車しなかった客は2〜3人程度だったようだ。徳島発車時点での乗客は40〜50人程度だった。

立江駅

 牟岐線も線形の悪さと閉塞信号機の少なさという点では徳島線と似たようなモノである。
 ただ、牟岐線には一線スルー化された駅が一つも無いほか、特に阿南以南では特急停車駅にしか交換設備が無いなど、よりローカル色が強い。


 立江で544Dと交換(右写真)。


 桑野で「剣山4号」を下車。

 あら、桑野って阿南市内だったのか<今頃気付いてどうする(^^;;;;




 桑野からは、4539Dで2つ先の阿波福井を目指す。

 実は牟岐線の駅では、阿波福井と阿波赤石だけが、まだ未撮影だったのだ。あと、浅川が撮ったはずだしそれらしい写真もあるのだが、それが浅川駅であるという確証がなかった(何しろもう4年前の話だ(^^; )ので、今回それを確認に行くのである。


4539D
阿波福井(10:56) ← 桑野(10:41)
キハ40
2142
四トク



 やってきたのは、昔懐かしのキハ40形(^^;
 しかも2142号車といえば、昔学校帰りによく乗った車両である。

 今ではワンマン化されて、トイレも撤去されて、冷房も付いて、一部クロスシートがロング化されて、シートのモケットも張り替えられてえらい変わり様である。
 桑野〜新野間には25‰の峠越えがあるのだが、さすがにこれだけの重装備の重量級ボディに、非力な220PSエンジンでは相当苦しそうであった、

 阿波福井で下車し、駅の写真を確保

 しかしおかしいな、4年前には車で来たのだが、特急停車駅である由岐はともかく、県道沿いにある新野や木岐とか、ちょっと奥まったところにある立江とかもちゃんと撮っているくせに、なんで国道56号線沿いにあるこの阿波福井を撮ってなかったんだろう?(苦笑)
 しかも、新野から由岐へ行くためには必ずここを通るはずなのに、、、、、、う〜む、謎だ(^^;


 駅前ではワン公が昼寝をしていた(だからどうした?(^^; )

 阿波福井は昔は島式1面2線だったようで、場内配線からもそれははっきりと伺える

 さらに、駅舎を入ってホームに向かう通路の正面には、昔のホームへの階段の痕跡がしっかり残っていた

 しかしホームをよく観察すると、どう見ても昔のホームの長さは70〜80m程度しかなかったとしか思えない。まぁ、昔の写真を見ても、牟岐線では昭和30年代から既に旅客列車はわずか2〜3両編成のディーゼルカーしか走っていなかったようだし、C11の牽く貨物列車も異様に編成が短いしで、牟岐線というのは太古の昔(笑)からこんなローカル線だったのだろう、、、今まで切り捨てられずに残っていたのは、徳島〜阿南間の旅客流動のおかげだったのかしら?


 阿波福井から今度は、徳島行544で阿波赤石まで戻る。


544D(キハ47)
544D
阿波福井(11:07) → 阿波赤石(11:46)
キハ47
116
四トク
キハ47
1087
四トク


 やってきたのは、これまた昔懐かしいキハ47形の2両編成。キハ47−116は昔から徳島にいた車両なのであまり乗る機会はなかったが、キハ47−1087は高松にいたことがあり(昔は高松運転所にも一般型/近郊形気動車が配置されていたことがあるのだ(^^; )、ちょくちょくお目にかかっていた。


 阿波福井発車時点での乗客は20人ぐらい。


 キハ40系は、、、、、やっぱり遅いです(^^; トロいです(^^;
 でも昔は普通列車といえば、こんなトロい列車ばかりだったんだよなぁ、、、しかも冷房なんて無かったし、、、マイカーに客が流れていったのは当然だよなぁ(^^;

 とか思いながら、阿波赤石までの40分間を過ごしたのであった。


 阿南あたりから目に見えて客は増え始め、阿波赤石到着時点では70人ぐらいの客が乗っていた。

 阿南の先(徳島側)の那賀川橋梁通過時に初めて、この橋梁部分は20mレールが使われていることに気付いた。


 阿波赤石の駅舎を撮って、11分後の阿南行で阿南へとって返すことにした。
 そろそろ昼飯時なので昼食を取りたいのだが、徳島まで戻る時間はないし、下手な駅だと飯を食うところもない、、、ので、これは阿南で昼食タイムを取るのが良いだろうと判断したわけである。


4547D(1000形)
4547D
阿南(12:12) ← 阿波赤石(11:57)
1020
四トク


 やってきたのは、1000形気動車。この日初めてと言っても良い「まともな気動車」である(^^;;

 牟岐線と言えども、阿南までの平坦区間は直線も比較的多く、4547Dも最高100km/hの走りを見せてくれた。



 50人弱の客を乗せて終着の阿南に到着。
 次に乗車するのは13:31発の特急なので、1時間以上も余裕がある。

 駅前のラーメン店「一番線」で日替わり定食を昼食として食した。この日の日替わり定食はアジフライで、揚げたてのあつあつのアジフライが美味かった。



 阿南からは海部行特急(牟岐〜海部間普通列車)「むろと1号」に乗車する。
 ここでふと思い出して時刻表で確認すると、1号車は指定席であるということにやっと気付いた。


 実は阿南駅は牟岐線の駅では唯一の、みどりの窓口&旅行センターのある駅で、早速窓口しに端末を叩いて貰った。

 当然ながら先頭のかぶりつきの席と言うことで、1号車の15番A席を指名。
 キハ185系は国鉄時代の設計の車両なので、2000系や8000系とは、座席番号の振り方が異なるのである。

むろと1号
51D〜1555D「むろと1号」
浅川(14:23) ← 阿南(13:31)
1号車2号車
キハ185
24
四カマ
キハ185
17
四カマ

※牟岐〜海部間普通列車/全車自由席車
指定席券


 もし1号車が1000番台車だったら、最前列ではなくて2番目の列になってしまうところなのだが、1000番台車はもうほとんど残っていないので大丈夫だろうと踏んでいた。

 「むろと1号」よりも一足先に、牟岐行の551Dが2番ホームに到着。車両を見たら、ついさっき乗車した544Dの折り返しだった。
 「むろと1号」はその551Dを待たせて先に阿南を発車した。


一部指定席

 1号車は実は一部指定席で、先頭から4列目までが指定席、それ以外が自由席車となる。
 そりゃまぁ、徳島〜牟岐間などというローカル特急で、指定席客が何十人もいるなんて考えにくいからねぇ(^^;

 実際、この日この列車の指定席に乗車したのは私だけだった。


 日和佐で4562Dと交換。キハ40形の単行のワンマン列車で、阿南〜海部間での対向列車との離合はこれ1回だけ。




 牟岐からは普通列車となり、列車番号が1555Dに変わると共に乗務員も交代した。


 浅川駅に降り立つと、やっぱり以前一度来て、しかも撮影したことのある駅だった(^^;
 ただその時は、駅名板を入れて撮影していなかったために、あとになって何処の駅か判らなくなってしまったわけである(苦笑)

 今回は間違いなく駅名を入れて撮影。駅舎(っていうか待合所)の写真も撮ったが、無惨にもガラスが割れていてガムテープがべたべた貼ってあり、美観が悪かったので、浅川駅の名誉のために掲載しないでおく(^^;

 待合所に貼ってあるモノの中に、通過列車の時刻表を発見。浅川を通過する列車があるとは知らなかった(^^;

 21:03に上り列車が通過するようで、どうやら20:54に海部に到着した1587D(徳島〜牟岐間「むろと3号」)の回送列車のようである。
 まぁよく考えたら牟岐から先甲浦までは、留置側線のある駅が無いし、交換設備のある駅すら海部だけという状況なのだから、海部まで持っていった車両をそこで泊めるわけにはいかんわなぁ。

 浅川からは1556Dで徳島まで引き返す。


1556D〜52D「むろと2号」
浅川(14:43) → 徳島(16:07)
1号車2号車
キハ185
24
四カマ
キハ185
17
四カマ

※海部〜牟岐間普通列車/全車自由席車


 当然の如くさっき乗車した1555Dの折り返しで、これ又当然のように最前席が空いていたので、遠慮なくそこに陣取った(笑)


牟岐駅

 浅川発車時点での乗客は10人にも満たなかった。


 牟岐に到着。数分前に到着したばかりの551Dが1番ホームに停車していた。
 また、留置側線にはキハ40形の他、今朝乗車した「剣山4号」の車両が、「剣山9号」として折り返すまでの間休んでいた。

 わずか2分の停車の間に乗務員が交代し、列車番号も変わって特急「むろと2号」として徳島へ向かう。




由岐駅

 由岐で牟岐行の557Dと交換(右写真)。車両はキハ47形で、この列車は「むろと2号」との行き違いの為だけに由岐に20分も停車しており、何とも勿体ない話である。




木のトンネル

 ローカル色の強い牟岐線は、特に阿南〜牟岐間では左写真のような木々のトンネルの中を走る場面がいくつかある。
 沿線の木立が成長し、その枝葉が大きく線路上に覆い被さっている。


 これ、枝葉が車体に接触してます、、、いやマジです(^^;
 窓から顔や手を出していたらマジで危ないです(^^;;

 それが証拠に、木々のトンネルの中には、枝葉の部分がまさに車体の形に整枝されているところがあったのだ、、、、それも1ヶ所や2ヶ所でなく、たくさん、、、(苦笑)


 左の画像の奥の方にもほら、木のトンネルが、、、(^^;

 これ、山をくりぬいたトンネルじゃないです。木のトンネルなんです、マジで(^^;



 徳島到着時の乗客は20〜30人ほど。
 2両のキハ185はものの数分ですぐに基地へ引き上げていった。





 徳島からは、岡山行の特急「うずしお20号」に乗車。

 N2000系の3両編成で、高松までの途中停車駅は三本松と志度のみとし、同区間を「うずしお」中最速の所要時間55分で駆け抜ける、いわゆる「殿様列車」である。
 宇多津からは、土讃線特急「南風20号」との併結となる。


うずしお20号
5080D「うずしお20号」
    +50D「南  風20号」
徳島(16:35) → 岡山(18:31)
1号車2号車3号車4号車6号車7号車8号車
2002
四コチ
2203
四コチ
2213
四コチ
2104
四コチ
2426
四カマ
2522
四カマ
2461
四カマ
高知 → 岡山
「南  風20号」
徳島 → 岡山
「うずしお20号」

※宇多津〜岡山間併結
※「うずしお20号」は高松〜宇多津間逆向き
指定席券


 予め確保してあった座席は、最後尾6号車の最後列。
 要は後ろの客に気兼ねせずに思いっきりシートを倒せる席であり、高松〜宇多津間は最前列のかぶりつきになる席でもある。


 池谷を鳴門線の751Dを待たせて通過、板野ではキハ40のワンマン列車とTSE+2116の3両編成の77D「うずしお17号」を待たせてやはり通過。
 引田でも高松行362Dと折り返し待ちの1000形の2本の各駅停車を待たせて通過。そしてオレンジタウンでも対向の79D「うずしお19号」を待たせて轟然と通過する。
 そして屋島を通過中にフルノッチが入り、栗林までの間は130km/hでの疾走!

 いいぞいいぞ、もっと飛ばせ!(爆笑)

 まさに殿様列車らしい胸のすくような走りで、実に気分がよい。

 全部の列車が殿様列車なら良いのだが、それはさすがに無理だな(苦笑)

宇多津駅

 昭和町を過ぎたところで、次の区間に備えて座席の向きを変えた。
 もちろん、高松から宇多津までは20分弱なので、通常は向きを変える必要もないし、事実他のほとんどの客は向きを変えずにそのままでいた。

 早い話が高松から宇多津までかぶりつきを堪能したいというだけの話である(笑)



 坂出駅を轟然と通過、、、、するかと思ったら、通過する3番線の下り方場内分岐が60km/hの制限がかかっているため、律儀に60km/hまで減速して通過。


 宇多津では、片渡り分岐とシーサスクロッシングを渡って3番線に到着。相方の到着を待った。



併結作業

 宇多津到着時点で、相方の「南風20号」は既に視界に入るところにいたのだが、何故かいつまで経ってもやってこない。
 どうやらこの2本の同時進入は出来ないようで、「うずしお20号」が先に到着したので待っているようだ。


 ホームで列車を待っていた客や「うずしお20号」に乗っていたビジネスマンなど、10数人の見物人が見守る中、誘導信号機と作業員の手旗信号機に誘導され、「南風20号」がゆっくりと入線し、やがて「うずしお20号」とドッキング。

 その連結作業の真っ最中に、2番線を21D「しおかぜ21号」が、そしてその3分後には1番線を1023D「いしづち23号」が轟然と通過していった。

 残念ながらフィルムの残りが少なかったのと、完全にタイミングを逸したのとで、その様子は撮れなかった(泣)



 合わせて堂々たる7両編成となった、5080D「うずしお20号」+50D「南風20号」は5分遅れの18:00に宇多津を発車。



 「うずしお20号」の指定席券は児島までしか買ってなかったので、児島では「うずしお20号」+「南風20号」に追い越される、岡山行各駅停車1546Mに乗車するつもりでいた。
 なので、児島で一旦下車し、1番ホームにいた6000系3両編成の1546Mの方に向かったのだが、あいにく6割程度の乗車率だった、、、、即ち空いているボックスがなかったため、予め宇多津停車中に空き座席のあることを確認しておいた、「うずしお20号」の自由席車に乗車した。

 で結局、巡回に来た車掌氏に自由席特急料金530円を支払って、そのまま岡山まで乗車することにした。


 児島をやはり5分遅れで発車した「うずしお20号」+「南風20号」は遅延回復のために結構飛ばし、茶屋町と早島での運転停車ももどかしそうに数秒停車しただけですぐに発車。結局岡山には2分遅れの18:33に到着した。


 岡山からは、姫路行き各駅停車1432Mと、新快速を乗り継いで帰ることにする。


1432M
岡山(19:03) → 相生(20:05)
クハ115
1216
岡オカ
モハ114
3511
岡オカ
モハ115
3511
岡オカ
クハ115
1153
岡オカ


 さすがに平日の夕刻と言うことで、14番ホームの1432Mの乗車口には行列が出来ていた。
 当然ながら、今回も115系1000番台か113系5000番台の狭苦しいボックス座席を覚悟していたのだが、やってきた1432Mは115系の4両編成、、、しかも中間の2両のモハ車は、元広島快速用の転換クロス車ではないか!


 当然ながら、これ幸いとモハ115−3511の転換シート席を確保した。


 岡山発車時点での1432Mは満員で、推定乗客数は400人弱?
 当然ながら先に進むに従って乗客は減り、和気発車時点では明らかに100人を割る程度まで減っていた。

 相生で下車し、播州赤穂始発の新快速米原行を待つ。
 当然、姫路で乗り換えていたのでは窓際席が確保できないだろうと踏んでいたからである。


新快速
3672M 新快速
相生(20:12) → 高槻(21:46)
1号車2号車3号車4号車5号車6号車7号車8号車
クハ222
2024
神ホシ
モハ223
2010
神ホシ
サハ223
2054
神ホシ
サハ223
2053
神ホシ
モハ222
2010
神ホシ
サハ223
2052
神ホシ
サハ223
2051
神ホシ
クモハ223
3024
神ホシ


 1462Mが出ていった3分後に、米原行新快速3672Mが223系2000番台車8両編成で到着。4分停車の後発車した。
 相生発車時点での乗客は70〜80人と言ったところ。

 姫路では窓際席は全て埋まり、明石、三ノ宮で座席もほぼ埋まった。
 大阪では大量の乗車があり、一気にすし詰めに近い超満員となった。

 高槻にはほぼ定刻到着。潜伏先に戻ったのは22時前だった。


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