特急「しおかぜ」「南風」
(キハ181系)
1972〜92年



W「しおかぜ」(文字マーク)

W「南風」(文字マーク)

「南風」+「しおかぜ」(2代目マーク)
高松駅ではこの「並び」を実際に見ることが出来た

「しおかぜ」(初代)+「しおかぜ」(2代目)

実際には無かった組み合わせが見れるのも、模型の魅力♪
四国色「南風」(3代目)+国鉄色「南風」(2代目)

これも実際には無かった組み合わせ
四国色「しおかぜ」(4代目)
+国鉄色「しおかぜ」(2代目)

DF50の貨物&普通列車を待たせて
瀬戸山駅を通過する「南風」

DF50貨物と50系客車列車を待避させて
離合する「しおかぜ」「南風」

多客期に実在した、キハ181形三重連の特急「しおかぜ」8両編成
当ページの一番下に、実際の同列車の画像を掲載


ヘッドマークは全て自作シールで、「南風」の文字だけのマークの場合は「NAMPU」と「NANPU」の2つの表記を
再現したのだが、1/150スケールになると、どっちがどっちか判らん(ww



<1972年3月〜1986年11月>

「しおかぜ」
1号車2号車3号車4号車5号車6号車7号車
キハ181
キロ180-100
キハ180
キハ180
キハ180
キハ180
キハ181

「しおかぜ」「南風」
1号車2号車3号車4号車5号車6号車
キハ181
キロ180-100
キハ180
キハ180
キハ180
キハ181


※2号車は、1975年以降は150番台車の場合もあり。
※繁忙期に希に増結の場合あり。

※1985年3月までは、文字のみのヘッドマークを使用。
※1985年3月からは、絵入りの2代目ヘッドマークを使用。


<1986年11月〜1988年4月>

※「しおかぜ」のヘッドマークが、デザインは同じながらエル特急マークの追加されたタイプに変更。

「しおかぜ」「南風」
1号車2号車3号車4号車5号車
キハ181
キハ180
キロ180-100
キハ180
キハ181


※2号車は、150番台/200番台の場合もあり。
※閑散期以外は増結する場合あり。


<1988年4月〜1990年>

※3代目ヘッドマークに変更。

「しおかぜ」「南風」(「いしづち」「しまんと」)
1号車2号車3号車4号車5号車
キハ181
キハ180
キロハ180
キハ180
キハ181


※「しおかぜ」は閑散期以外は恒常的に増結。
※「南風」は1989年7月から、2号車と3号車を入れ替え(「キロハ」が2号車へ)。


<1990年11月〜1993年3月>

※4代目ヘッドマーク(現行デザイン)に変更。
※「南風」運用からキハ181系撤退。

「しおかぜ」(「いしづち」「宇和海」)
1号車2号車3号車4号車5号車
キハ181
キロハ180
キハ180
キハ180
キハ181


※「しおかぜ」は閑散期以外は恒常的に増結。
※「しまんと」「あしずり」は4両編成。




現行の「しおかぜ」はこちら
現行の「南風」はこちら




 国鉄時代の四国は急行列車の天下で、特急列車はどちらかというと影が薄く、全国的にも注目されることはなかった。
 しかし車両は強力型のキハ181系で、高松〜多度津間では「南風」「しおかぜ」が数分間隔で雁行するなど、他では見られない特色もあった。

 1986年11月ダイヤ改正まで、四国内の特急列車の最高速度は95km/h止まりで、全国的に見ても決して速くはなかったが、停車駅が少ないことも手伝って、貧乏学生には憧れの存在でもあった。また、高松〜多度津間は複線区間が多くて線形も良いことから、95km/h運転でも軽く70km/hを超える表定速度をマークしていた。



 四国のキハ181系は、1972年3月改正でまず26両が高松運転所に新製投入された。

 1975年3月改正では「しなの」全面電車化の関連で8両が名古屋から、また同年11月には「つばさ」電車化の関連で8両が尾久から、それぞれ転属して42両体制となり、これが国鉄最後の統一ダイヤ改正である1986年11月改正まで維持された。

 その1986年11月改正では、特急大増発に伴うグリーン車(キロ180−200)が、米子・向日町から転属したキハ180形の改造で製作され、四国のキハ181系は総勢44両となって、数の上では最大となった。

国鉄色時代

「南風4号」
1982年8月
讃岐財田駅

「しおかぜ3号」
1985年3月
多度津駅

「南風2号」「しおかぜ2号」
1983年6月
高松駅

「南風3号」
1984年2月
土讃線 黒川〜讃岐財田間

「しおかぜ15号」
1986年11月1日
丸亀〜讃岐塩屋間駅

「南風5号」
1986年11月1日
丸亀〜讃岐塩屋間駅



 民営化を前にした1987年3月23日改正で、予讃線特急の最高速度が110km/hに引き上げらた。さらに1989〜90年からは予讃・土讃線で120km/h運転も始まり、四国のキハ181系は晩年を迎えてようやく、その本領を発揮して爆音を轟かせながら疾走し、健在ぶりをアピールしていた。

 しかし、1990年から本格的に投入の始まった2000系の前では、やはりその性能は完全に旧時代のものとなり、キハ185系と共に四国の主力である予讃・土讃線系統から淘汰されていった。


JR四国色時代

「しおかぜ6号」
1988年8月8日
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間

「南風3号」
1988年8月8日
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間

「いしづち4号」
1992年9月16日
予讃線 大浦〜伊予北条間

黒煙を噴き上げ、爆音を轟かせて全開加速する、
堂々たる8両編成の「しおかぜ8号」
1993年1月2日
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間

しかも先頭側は、なんとキハ181形三重連!

なお、キロハ180形も2両連結している




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