多度津駅 (予讃線)
駅番号:Y12/D12

住所香川県仲多度郡多度津町栄町三丁目
開業日1889年5月23日
電略タト
標高3m
乗降客数 (1983年)2,875人(乗車人員
(1985年)2,916人(乗車人員
(1989年)5,450人
(1999年)4,606人
(2003年)1,999人(乗車人員
(2011年)2,077人(乗車人員
(2012年)2,037人(乗車人員
(2014年)4,024人
(2017年)2,095人(乗車人員
(2019年)2,094人(乗車人員
(2020年)1,674人(乗車人員
(2021年)1,632人(乗車人員
(2022年)1,772人(乗車人員
(2023年)1,916人(乗車人員
形態島式2面4線
主な設備 みどりの窓口
リトルマーメイド(ベーカリー)

地下道
コインロッカー

車deトレイン取扱



栄町地区緊急避難路
ダミー架線設備
旧線跡
国鉄時代
照明塔
(旧)跨線橋の安全標語



 予讃線と土讃線の分岐駅であり、土讃線の起点でもある多度津。予讃線の普通列車もここで始終着となる列車がある。
 主要な分岐駅ではあるが、1960年代から伝統的に(?)優等列車スピードアップのしわ寄せで一部通過する列車があった(現在は全て停車)。

 かつては貨物ヤードもあった広い構内は現在は必要な側線以外は全て剥がされてしまったが、構内には給水塔やターンテーブルもあり、かつての名残が残っている。

 2016年度より、老朽化した駅南西の跨線橋を架け替える工事が行われ、2018年3月26日から新しい跨線橋が開通し、同日をもって旧跨線橋は閉鎖された。
 これに合わせて駅前広場も若干整理され、駅舎内にあったキヨスクから転換したセブンイレブンは、駅前に独立店舗として移転した。

 JR四国プレスリリース → 「四国まんなか千年ものがたり」をラッピングしたセブンーイレブンKiosk店舗がプレオープン


 駅構内を南北に跨ぐ跨線橋(自由通路)が2017年度に暫定完成。
 2020年度には自転車積載と車椅子に対応したEVが増設された(2021年2月完成)。

 〜工事進捗状況〜(別タブで開きます)

 これらの工事の完了を受ける形で、2021年度になってようやく、旧跨線橋からの下り向きの出発信号機の移設工事が行われた。
 その後、2022年1月から旧跨線橋の撤去工事が始まり、翌月には撤去完了した。

 〜撤去工事状況〜(別タブで開きます)



 駅舎内、改札付近の様子。駅構内の規模に比して駅舎及び待合室は意外とこぢんまりしている。
 画像向かって左側に、みどりの窓口と自動券売機がある。

 かつてはキヨスクがあったが、2018年7月の駅前のセブンイレブン開店に合わせて閉店した。

 地下道降り口から改札方面を望む。

 地下道の様子。

 ホームは島式2面4線。

 その両側にも側線があり、「1〜4番ホーム」は厳密にはそれぞれ「2〜5番線」となり、「7番線」まで存在する。

 下り方場内の様子。
 1〜7番線のうち、1番線以外は全て予讃線・土讃線両方向へ出発が可能。

 業務用の構内通路に、KF式弾性構造踏切が導入されているのが判る。


 左画像には3〜7番線の下り向き出発信号機も全て写っているが、4〜7番線の信号機は以前は旧跨線橋に架設されていたものが、2021年6月13日に一斉に新しい物に切り替えられ、同15日までの間に旧信号機は全て撤去された。各番線ともに入換信号機を併設する。

 奥に見える6/7番線の信号機は、従来よりも20〜30mほど下り方に設置されたが、直下地上子の位置は変わっていない。

 同じ場所から上り方面を振り返ると、2番の場内信号が誘導信号機と併設の形でこんな場所にもある。

 その少し先にある、こちらに背を向けている信号機が、2番線の下り方面出発信号機。


 3〜7番線の下り向き出発信号機。


 1番ホーム(=2番線)から下り方を望む。

 2番線の下り出発信号機の位置が非常に低い位置にある。

 1番線の下り方面への出発信号が、少なくとも2008年までは1番線の駅舎側に設置されていたが、遅くとも2012年度末までには撤去されている。
 2番線の下り向き出発信号は、それとほぼ同時期に設置されたものと思われる。

 また、この1番ホームはよく見ると1〜2番乗車口が存在せず、3番乗車口から始まっている。どうやら、隣の2番ホームと乗車口の位置を合わせている模様。

 そのため、上り方の方は2番ホームが16番乗車口で終わっているのに対して、1番ホームは18番まで存在し、その部分は継ぎ足しの形を採っている。


 3/4番ホームから上り方場内を望む。
 1番線の出発信号は県道との立体交差地点のあたりに設置されている。

 国鉄時代は4/5番線(=3/4番ホーム)に対する出発信号機は無かったが、5番線は民営化後かなり早い時期(遅くとも1991年まで)に、4番線のは2010年度頃にそれぞれ追加設置された模様。


 2018年1月現在、1/3/4/5番線についてはPC枕木化されているが、このうち1/3/4番線の地下道の真上に当たる部分だけは合成枕木が採用されいてる。

 4番ホーム側の延長の跡。

 多度津駅のホームは意外と短く、4番ホームもこれだけ延長してやっと21m車8両編成対応の長さになっている。

 3番ホーム16番乗車口(=「しおかぜ」8両編成の最後尾の停止位置)に鎮座している32.5kmのキロポスト。

 こちらは土讃線の0キロポスト。

 4番ホームや跨線橋からもよく見える。

 地上設置タイプの駅名標。

 屋根部分にこのタイプが設置されているのはちょっと珍しく、しかも柱の根本をよく見るとちょっと雑な固定・・・w

 ホームには車椅子用の渡り板が常備されている。
 画像は3/4番ホームの物で、廃車になった社用車のシートベルトを転用したのではと思われるベルトで留められている

 貨物列車や試運転列車、工事列車などが使用する6/7番線は、2018年度末にPC枕木化されたが、概ね3本に1本の割合での交換となっており、さらに所々に合成枕木も混ざっている状況となっている。


 こちらは吊り下げタイプ。

 駅名丸ゴシック体+駅名ふりがな明朝体となる、JR四国の駅名標としては最初期の様式で、2019年10月現在の残存例は、当駅以外では善通寺・新改・須崎のみとなっている。



 吊り下げタイプの夜間電照状態。

 海側(1/3番ホーム側)の、下り方隣接駅表示の部分にもシールが重ね貼りされており、駅名表示の上下が逆になっている。
 これについての詳細は「JR四国の駅名標 分岐駅における隣接駅の表示」を参照。


 今もまだ残るSL時代の給水塔。
 もちろん、もう給水塔としては使われてはいないが。

 なお、この給水塔は国の2012年に登録有形文化財に指定されたが、老朽化のため撤去解体が決定し、2024年11月から工事が始まっている。


 構内に残るターンテーブル。もちろん現役。
 これも給水塔同様、登録有形文化財である。

 なお、制御室は2016〜2017年頃に新しい物に作り替えられている。


 多度津駅の下り方、予讃線と土讃線の線路が分かれるあたりに、両線の上り列車に対する場内信号機がある。

 両線ともに各4基づつの合計8基の信号機が並び、これは徳島駅の佐古方にある場内信号機と並んで、同じ場所に並んでいる信号機の数としては四国内で最多となる。
 4基×2の8基に増えたのは2009年末の模様である(手持ちの運転台展望ビデオに予讃・土讃両線の左端の信号機に「×」マークがついた状態で全8基が並んでいるのが確認できる)。


 上り方にある下り列車に対する場内信号機。

 詳細な時期は不明だが恐らくは2010年代ぐらいに、到着列車に対する番線表示器と進路予告機が併設されたタイプに更新されている。

 駅前にあるSL(ハチロク)の動輪。



 駅前から少し北東に行ったところに保存されている「ハチロク」。
 夜間はライトアップされている。

 元々は駅前に保存されていたが、1996年に現在地に移転している。

※詳細は8620形蒸気機関車のページも参照(新しいタブで開きます)。


 その傍らには、かつて駅舎の南西側に建っていた給水塔の脚部の一部(古レール)が保存されている。

※説明看板の拡大画像→


 かつては駅舎内にキヨスクがあり、JR四国各駅のキヨスクがセブンイレブンに転換した後もキヨスクのまま残存していたが、2018年の駅前のセブンイレブン開店時に閉店・撤退した。


※2018年1月11日撮影

 2016〜2017年頃に作り替えられる前の先代のターンテーブル制御室。


※2008年3月16日撮影


 4〜7番線の下り向き出発信号機は、かつては旧跨線橋に設置されていた。

 各番線とも入れ換え信号機を有するが、4/5番線だけは出発信号機からやや離れた位置に設置されていた。


※(上)2008年3月15日撮影/(下)2018年1月11日撮影

 主に予讃線貨物列車が使用する6番線に対して、土讃線列車(試運転列車等)が使用する7番線の電化はかなり遅れ、2009年になってようやく電化された。

 画像は6番線停車中のEF65形牽引の伊予三島行貨物列車。その向かって右隣の7番線にはまだ架線が無い。


※2008年12月24日




 2008年当時の駅舎と構内の様子。


2008年3月15日撮影

 1997年当時の様子。


※1997年5月10日撮影

 民営化に伴って直営事業として展開された、駅構内等の小売店「88(エイティエイト)」

 多度津駅も3/4番ホームに設置されていた。


※1992年1月2日

 6番線に停車中の新居浜行貨物列車1551レ。
 6〜7番線は電化が後回しにされ、予讃線貨物列車が使用する6番線は1993年3月改正で電化供用開始となった。

 なお、1番線(とそのさらに北側の留置線)は駅南西にある留置線への車両回送時等で使用することから、1987年の電化開業当初から電化されている。


※1991年7月24日撮影

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栄町地区緊急避難路
南側
北側

南西側の階段出入口

そこを上がった中二階部分

北側の下り階段


通路

風防は透明と不透明がある

屋根の梁にはハト対策

 多度津駅南西側の跨線橋は、元々2014年に多度津町議会において掛け替えの方針が決定され、当初は2016年での完成を目指していたようだが、若干当初見込みよりも遅れて完成した。

  新跨線橋は正式名称を「栄町地区緊急避難路」といい、多度津町議会質疑応答議事録の9ページ目あたり(別タブで開きます)によれば、当時は屋根付きエレベーター付きで自転車が通れる規模の物となり、改札を設けてホームに降りられるようになるなど、比較的大がかりなものとなる構想であったようだが、結局予算などの関係かエレベーターも改札も無いオーソドックスなものに落ち着いた。


 南側は自転車置き場や駐車場に直結、北側は駅舎向かってすぐ左側にアクセスできる。
 南側は中二階があり、西側に自転車通行可能な階段が、東側にパーク&ライドなどの駐車場に繋がる歩行者専用階段がそれぞれ繋がる。


 2017年度に本体部分が完成した後、2020年度にエレベーターを増設する工事が行われた。
 なお、左画像には2018年3月に跨線橋本体部分が完成した時点の物も含まれている。


 〜工事進捗状況〜 (2018年3月2日までの進捗+2020年度のEV増設工事の様子を追加:別タブで開きます)
通路から上り方を望む

同じく下り方
中二階部分から

 線路上の通路部分は、一応眺望を考慮して透明アクリル板による風防が設置されている。

 南側の中二階部分は風防は無いので、クリアな視界が確保されている。
南側の階下口
南側の上がったところ
北側
北側の階下口
北側の階上側取付部

取付部から階上口までの通路

 2020年度に増設されたエレベーター。

 北側&南側共に自転車及び車椅子の積載が可能で、中での方向転換が不要な前乗り前降りタイプ。
 北側は取付位置の関係から少し長い通路がある。

 新跨線橋の開通した同日に旧跨線橋は閉鎖された。
 このあと信号機の移設工事を行ったのち、解体された。


※2018年3月29日撮影


〜ダミー架線設備〜
(↓全体図)

 4番ホーム(5番線)のさらに南側には、貨物列車や工事列車、試運転列車などが使用する6/7番線があり、そのさらに南に場内/出発信号の無い留置側線があるが、この留置側線にはどこからも饋電されていない(ように見える)謎の架線設備がある。

 本線の架線と接続点の全く無い、それぞれが長さが数十m程度のシンプルカテナリと直接吊架の2種類の架線が吊架され、饋電線(に見えるもの)も並行して設置されているが、どこからも電気が来ている様子が無く、多度津には高松電気区の駐在がある点からも、これは訓練用のダミー設備ではないかと推察される。


※左の全体図は目視で確認できる範囲で大雑把に図で表したもの
(↓直接吊架始点)

(↓直接吊架終点とシンプルカテナリ始点)

(↓交差部に接続線は無い)


 直接吊架は土讃線の0キロポスト隣の架線柱から始まって上り方へ4本目の架線柱で終了。
 終了前にシンプルカテナリと交差しているがそこには接続線は無く、また途中に饋電線からの線も無いのでコレは通電してないと思われる。

(↓シンプルカテナリは2系統が張られている)


(↓こちらは接続線のような物もある)


(↓平行する饋電線も電気が来ている様子はない)


 シンプルカテナリは、架線柱5本分の長さの真っ直ぐの物と、分岐側から合流して来るものと2系統が張られている。
 並行する饋電線からの線らしい物や接続線も見えるが、本線の架線と繋がってないのは既述の通りで、また肝心の饋電線もどこからも電気が来ている様子が無い。



 当方手持ちの過去画像から、直接吊架線の方は2007年度末に、シンプルカテナリは2008〜2009年度ぐらいに張られたのと思われる。


〜旧線跡〜




 1889年に丸亀〜多度津〜琴平間で開業した讃岐鉄道だが、当時の多度津駅は現在の多度津工場の位置にあり、多度津駅は終端駅としてスイッチバックの配線となっていた。

 現在多度津駅から多度津工場へ伸びる線路が、開業当時は多度津から琴平方面へ向かう線路であった。
 一方、多度津から丸亀までは定規で引いたようなほぼ一直線の線形となっていた。

 1913年の多度津〜観音寺間の開業にあたり、多度津駅を現在の位置に移転してスイッチバックを解消し、浜多度津駅と改称された旧多度津駅から高松方面に伸びる線路の一部が廃止された。

 左画像画素の旧線路跡であり、ご覧のように丸亀方面と多度津工場とか真一直線に見通すことが出来る。



〜国鉄時代〜

 下り方の場内信号機。

 予讃線側と土讃線側それぞれに3基づつが立っていた。


※1986年1月1日撮影

 かつて存在した「トークバック」装置。

 業務連絡や異常時の通報等に使われる業務用の通話装置で、車両基地や操車場、及びそれらを併設する駅構内に設置されていた。
 四国内の駅でこれが設置されていた駅は、四県庁所在地駅以外では多度津などのごく限られた駅のみであった。

 多度津駅の物は、その後1990年頃に装置が更新された後、遅くとも2008年までは存在していたが、今はもう無い模様。


※1985年3月13日撮影

 国鉄時代の多度津駅。

 広い貨物ヤードが、北側と南側両方に広がっていた。
 画像は南側のヤード。


※1982年11月撮影

 北側のヤードから入れ換え作業を開始するDE10形。

 この後、南側のヤードに転線し、貨車の「突放」作業に入る。


※1982年11月撮影

 跨線橋から場内上り方面を望む。

 この当時は3/4番ホーム下り方端部にトイレがあった(画像の右側一番手前)。


※1982年11月撮影

 国鉄時代末期の転車台。
 制御室は2000年代まで使われたが、中央の櫓は途中で建て替えられている。


※1982年11月撮影


〜照明塔〜

 かつて、夜間に構内を煌々と照らし出していた照明塔。

 広いヤードを有していた多度津駅にはこのような照明塔が多数あったが、ヤード廃止後に徐々に減らさせて晩年は5基ほどになり、それも2013〜2014年頃に全て撤去されてしまったようだ。


※2008年5月撮影

 照明灯に照らし出された、深夜1時の明るい構内。

 撤去される直前まで使用されており、おかげでストロボ無しでもある程度の撮影が可能であった。


※2010年4月撮影


 跨線橋脇にあった照明灯の撤去痕。

 こうしてみると、基礎部分は意外と小さかったのだと実感する。


※2016年10月撮影

 南西の道路脇に建っていた照明塔の撤去痕。


※2021年1月12日撮影


〜(旧)跨線橋の安全標語〜

 国鉄時代、旧跨線橋には職員に向けた安全標語が掲げられていた。
 1つの枠に一文字づつが掲示され、時折差し替えが行われていた。

 「事故防止 ひとりひとりの自覚から」(?)


※1983年9月撮影

 「正しい手順で確かな・・・(以下不明)」


※1985年2月撮影

 民営化後、ほどなく使用されなくなった模様。


※1991年7月24日撮影






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