キハ181系 特急形気動車

〜(四国では)晩年に本領を発揮した悲劇のヒーロー〜


「しおかぜ5号」
予讃本線 高松駅
1983年6月

「南  風3号」
土讃線 讃岐財田駅
1985年3月15日

「しおかぜ10号」
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間
1993年1月2日



 キハ185系の登場までは四国で唯一の特急車両であり、王者として君臨していた。国鉄時代、私が最も好きだった車両である。


 1968年10月のダイヤ改正で、それまでの国鉄気動車の枠を超える画期的な新系列高性能気動車として中央本線 名古屋〜長野間特急「しなの」として登場。

 横置ターボエンジン、自動変速式の液体変速機、電気連結器や自動解結装置、横軸式のマスコン&ブレーキハンドル、心皿の無い2軸駆動台車など、いずれも国鉄量産型気動車では初めてという数々の新機軸が搭載され、エンジンはDML30HSC形(水冷水平対向12気筒30リッター ターボチャージャー:500ps)を搭載して最高速度は120km/hと、当時としては最新鋭の国鉄最強&最速の高性能気動車であった。


 その高性能を生かして、1972年3月のダイヤ改正から東京〜秋田間特急「つばさ」として、東北本線では最高120km/hでの営業運転を行い、上野〜福島間269.2kmを3時間で走破するという電車特急「はつかり」「ひばり」「やまびこ」などとまったく互角の走りを披露し、奥羽本線では板谷峠の峠越えに活躍した。


 国鉄末期、全国的に特急列車の短編成化&増発が推進され、それによって不足する先頭車を捻出するため、中間車キハ180形に運転台を取り付けて先頭車化した改造車が登場し、キハ181形100番台と付番された。
 この車両は四国に4両、山陰に1両の合わせて5両が登場したが、四国の車両は1992年までに、残りも2005年までに全車両姿を消している。


 キロ180形は基本となる0番台車の他、食堂車の連結の無い四国専用車として車販基地を備えた100番台車(4両)、0番台車を四国に転属させた際に車販基地の設置改造を行った150番台車(2両)、それに四国地区での特急増発に伴ってキハ180形をグリーン車化改造した200番台車(2両)の4種類が存在した。
 このうち四国地区に在籍した3種類は、1988年に全車両がキロハ180形に改造されたが、それも長続きせず、1993年に全廃された。


 この他に、エンジンを搭載しない付随食堂車が14両製作されたが、1982年の特急「やくも」電車化の際に全車運用を離脱し、その後使用されることもなくそのまま全廃となっている。


 総勢158両が製造され、非電化山岳路線のスピードアップに貢献したが、電化の進展と新型高性能気動車の登場により、晩年はローカル特急運用に追いやられ、2010年10月6日に、大阪〜浜坂間の特急「はまかぜ」の運用を最後に、定期列車運用から完全に離脱した。



<四国のキハ181系>

〜当初はまったり運用〜

 四国に登場したのは1972年3月の山陽新幹線岡山開業のダイヤ改正の時で、26両が高松運転所に新製配置されて活躍を開始、運転最高速度こそ低かったが、その500PSのパワーは四国山地の山越えに威力を発揮した。
 その後、1974年度に「しなの」の一部電車化により名古屋から8両、1975年度には「つばさ」電車化により尾久から8両が転属。
 さらに1986年度には11月改正に備えたグリーン車増備のため米子から2両の転入があり、最終的には44両が在籍していた。

 なお、世間に出ている書籍等の一部では、1972年四国特急登場時に投入されたキハ181系は本州からのお下がりなどと記載されているモノがあるがそれは誤解で、この時投入された26両は四国特急向けに新たに製作されたれっきとした新車であり、キハ181系としては最終グループとなる。


 しかし当時四国においては、高松〜多度津間のみ95km/h運転、それ以外の区間では85km/hまたは、それ以下の速度で運転され、そのパワーを持て余し気味であった。特に、予讃本線の伊予市〜伊予長浜〜伊予大洲間は65km/h止まりで、松山〜伊予大洲間は途中無停車でも平均時速60km/hを割るほどであった。

 比較的線形が良いはずの予讃本線・高松〜松山間でも、運転最高速度は急行列車と同じ速度に据え置かれ、停車駅の削減と急行の停車駅増加によって、なんとか面目を保っている有様で、その後は停車駅の増加とも相まって、国鉄末期になると、所要時間面では1968年10月改正当時の急行列車の最速列車とほぼ同じレベルにまで落ち込んでいた。


〜晩年になってようやく本領発揮〜

 民営化を1週間後に控えた1987年3月23日改正で、ようやく予讃線特急の最高速度が110km/hに引き上げられ、さらに1989〜90年からは予讃・土讃線において120km/h運転も始まり、四国のキハ181系は晩年を迎えてようやく、その本領を発揮することになった。

 国鉄分割民営化の「最後のはなむけ」として、1986年11月改正で投入されたキハ185系と互角の走りっぷりを披露。
 停車駅間が短く、また直線が少なくてカーブが多いこともあり、駅間や曲線間の直線区間などでは、全開加速する姿が日常的に見られた。

 1990年に2000系量産車の投入が始まってからは尚更、2000系のスジをなるべく寝かせないためにも、黒煙を噴き上げ豪快なターボサウンドを轟かせながら爆走していた。

 歴史的に全国的に見ても、キハ181系がこれほど長距離にわたって単線区間を最高120km/hで走行していたのは当時の四国だけであり、回復運転時には120km/hまで刻まれたスピードメーターを振り切ることもあった。
 1987年から1992年までの間、キハ181系使用の最速列車は多度津〜松山間の単線区間を表定速度75キロ以上で走破していたが、四国というローカルな地域ゆえにほとんど注目されることもなく、専門誌ですらほとんど採り上げられることはなかった(今もない)。


〜それでもやはりお払い箱に〜

 しかし、1990年11月改正で量産車が登場した2000系は、国鉄最強の気動車など足元にも及ばないほどの高性能を誇り、最新の振子式気動車との性能差は歴然としていた。
 1990〜92年当時の特急「しおかぜ」は、キハ181系使用列車と2000系使用列車では、岡山〜宇和島間では最高50分以上という圧倒的な所要時間差があり、、予讃線電化工事の進展とも相まって、四国ではもはや「鈍足」の烙印を押されたキハ181系の完全置き換えは時間の問題であった。

 そして、1993年3月改正での予讃線電化完成に伴う8000系量産車の登場によってついに第一線を退き、20年余りにわたる四国での活躍にピリオドを打った。

 その先頭車(キハ181形)と中間車(キハ180形)のトップナンバー(キハ181−1とキハ180−1)は、1973年に名古屋機関区から高松機関区に転属して以来四国で活躍を続けていたがこれらも廃車となり、デビューの地である愛知県の佐久間レールパーク内に、さらにその後はリニア・鉄道館に、国鉄時代の塗装に戻されて保存されている。


 なお1993年3月の定期運用の終了後も、東四国国体開催に伴う波動輸送用として少数が同年秋まで残存して、臨時「うずしお」等として運転された。


四国のキハ181形 全車型録



国鉄色時代

しおかぜ3号
予讃本線 松山駅
1980年8月17日

南  風1号
土讃本線 讃岐財田駅
1981年9月

南  風4号
土讃本線 讃岐財田駅
1982年8月

南  風2号
土讃本線 塩入〜黒川間
1983年3月

 珍しく7両モノクラス編成で運転される「南風」。
 当時四国配置のキロ180形は予備車が1両しかなく、トラブルなどによりこのようにモノクラス編成で運転されることも希にあった。

左:南  風2号/右:しおかぜ2号
予讃本線 高松駅
1983年6月

 日本広しといえども、キハ181系特急が数分間隔で雁行していたのは当時の予讃本線・高松〜多度津間だけであった。

南  風3号
土讃本線 讃岐財田駅
1984年1月

 「南風3号」を後追い撮影。最後尾はキハ181−43、、、なのだが、よく見ると正面貫通路の特急マークが脱落している上に、スノープラウも外している、非常にレアな状態。

 どれぐらいの期間、この姿で走っていたのかは不明である。

南  風3号
土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1984年2月

南  風3号
土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1985年2月26日

 大変貴重な、国鉄色貫通8両編成の「南風」。

しおかぜ3号
予讃本線 多度津駅
1985年3月

 ヘッドマークが絵入りとなる1985年3月改正前日の姿。

南  風2号
予讃本線 高松駅
1985年3月

 絵入りマークとなった「南風」。

 先頭キハ181形はトップナンバーであるが、機械室前端の蓋が開いたままとなっている。
 キハ181形の内の最初期の1〜3号車は、この蓋の構造が量産車と異なっているようで、ロック機構が甘いのか、この蓋が開いたままになっていることがよくあった。

しおかぜ15号
予讃本線 丸亀〜讃岐塩屋間
1986年11月1日

 「しおかぜ」「南風」ともに1986年11月改正から、キハ181系使用列車のグリーン車の位置がそれまでの2号車から3号車に移った(いずれも数年後に元に戻った)。

南  風5号
予讃本線 丸亀〜讃岐塩屋間
1986年11月1日


JR四国色時代

しおかぜ6号
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間
1988年8月8日

 民営化後は運転台付きのキハ181形の重連運用が常態化した。

 なお、100番台車の旧トイレ・洗面所部分は業務用室として閉塞されていた。

南  風3号
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間
1988年8月8日

南  風3号
土讃線 讃岐財田駅
1989年5月3日

 土讃線でのキハ181形ダブルヘッダーは珍しかった。

 JR四国色に変わった当初は、正面貫通路部踏み板の形式表記が赤文字であった。
 1990年頃にスカイブルー文字に変更されている。

しおかぜ10号
予讃線 丸亀駅
1991年9月

 これはちょっと珍しい、塗装エラーのキハ181形34号車。
 よく見ると、前面の左右標識灯掛け(後部標識灯+タイホンケースのすぐ上のフック状の物)をスカイブルーに塗装してしまっているパターン。通常、この部分はアイボリーホワイトである(他の画像を参照)。

 当方記録では、同年7月23日と翌年1月撮影分では通常通りの白塗りとなっており、この半年間に一体何があったのか気になるところである。

いしづち4号
予讃線 大浦〜伊予北条間
1992年8月16日

左:いしづち4号/右:いしづち3号
予讃線 粟井駅
1992年9月15日

 粟井駅で交換するキハ181系「いしづち」。
 この日は3号が若干遅延していたため、駅手前で一時停止していた4号が、3号到着後に黒煙を噴き上げて全開加速しながら轟然と粟井駅を通過していった。

しおかぜ8号
予讃線 大西駅
1992年11月

 国鉄時代から汚れの多かったキハ181系だが、JR四国色となってからは比較的綺麗な車両と汚れた車両との差が従来以上に際立つようになった。
 このようなまだら編成も日常的であった。

しおかぜ10号
1993年1月2日
予讃線 讃岐塩屋〜丸亀間

 多度津を発車し、黒煙を噴き上げて全開加速する、堂々たる8両編成の「しおかぜ10号」。
 しかも先頭側は、なんとキハ181形三重連!
 さららに、判りにくいがキロハ180形を2両連結!

しおかぜ8号
予讃線 大西駅
1992年12月27日

 2000系の下り「しおかぜ」通過待ちで運転停車中の、年末輸送で7連に増結されたキハ181系。

いしづち9号
予讃線 北伊予駅
1993年1月31日

 8両編成の「いしづち」。
 「いしづち」「しおかぜ」は共通運用だったため、編成の長い「いしづち」もよく見られた。

左:あしずり3号/右:あしずり4号
土讃線 斗賀野駅
1993年2月14日

 斗賀野駅で並んだ、キハ181系同士の「あしずり」。


※列車画像は「しおかぜ」「南風」「いしづち」「しまんと」の項にも掲載




1985年6月16日

 オリジナルのキハ180−72の室内。

1987年4月7日

 オリジナルのキハ181−43の室内。
 機器室側を望む。


1991年1月1日

 リクライニングシート化されたキハ180形の室内。

1985年6月16日

 室内のプレートと号車札。

 上の天井から出ている大きな突起物は、空調装置の温度検知用のサーモスタット。


1985年6月16日

 後部標識灯ケース。
 オリジナルは蓋付きホーンとなるが、蓋にストッパーが付いてるもの付いてないもの、また付いているものも左右の違いなどのバリエーションがある。

 画像はキハ181−34の例。

1985年6月16日

 四国ではホーンがスリット式に交換された車両が存在する。
 画像はキハ181−39の例。



四国在籍改造車両の車番対応表
最終車番前車番前々車番
備考
改造種車改造年月改造種車改造年月
キロハ180−1キロ180−1011987.12.
キロハ180−2キロ180−1021988.3.
キロハ180−3キロ180−1031988.2.
キロハ180−4キロ180−1041987.12.
キロハ180−5キロ180−1511987.11.キロ180−11975.「南風」増発用
キロハ180−6キロ180−1521987.11.キロ180−71977.「しおかぜ」増発用
キロハ180−7キロ180−2011988.2.キハ180−231986.61-11改正対応
キロハ180−8キロ180−2021988.3.キハ180−241986.61-11改正対応
キハ181−102キハ180−691986.9.326.61-11改正対応/便・洗面所閉鎖
キハ181−103キハ180−701986.9.10.61-11改正対応/便・洗面所閉鎖
キハ181−104キハ180−681988.3.30.63-4改正対応/便・洗面所閉鎖
キハ181−105キハ180−731988.3.14.63-4改正対応/便・洗面所閉鎖




形式キハ181形キハ180形 キロ180形
100番台
150番台
200番台
キロハ180形
0番台100番台
キハ181−1
(国鉄色)


キハ181−39
(国鉄色)


キハ181−6
(四国色))
キハ181−103
(国鉄色)


キハ181−104
(四国色)
(初期タイプ)
キハ180−3
(四国色)


(後期タイプ)

キロ180−101
(国鉄色)
画像はあるにはあるが・・・(目そらし
 発電装置を搭載する先頭車で、自車を含めて5両に給電可能な発電機を搭載している。

 トイレ設備は無く、運転室背後の機器室にはラジエター等が搭載され、その関係で屋上の放熱器は省略された。
 国鉄末期からJR初期の頃にかけ、キハ180形からの改造で登場した先頭車。
 その為トイレ設備を有するが、その他は基本的に0番台車と同一のため、乗車定員が0番台車より4名少なくなっている。

 細かい点では、実は48名の定員を確保するために、機器室の長さが0番台車よりも315mm短いほか、放熱器の駆動方式にも若干の差異がある。
 屋上の放熱器が特徴的な中間車。
 トイレ・洗面所を有し、1ドアで乗車定員はキハ181系中最大の76名。
 放熱器に隠れて見えないが、屋上には分散式の冷房装置を6基搭載している。


 初期タイプの車両はトイレ窓と方向幕の位置がずれているのが特徴。


 当初は後位側に非常口が設けられていた(車端の小窓の部分)が、民営化後に撤去(封鎖)された。
 なお、非常口撤去後もその上にあった雨樋が残ったままの車両がごく一部存在したが、当方所蔵の画像では比較的初期車に多い印象で、上画像のキハ180−3も雨樋が残ったままとなっている。
 中間グリーン車で、出入台反対側車端部にトイレと洗面所を有する。
 100番台車は四国向けに新製されたグループで、食堂車の連結が無いことから出入台側車端部に車販基地が備えられ、そのための小窓が設置されているのが特徴であり、4両が登場した。
 床下機器類の配置はキハ180形と同一だが、屋上の分散式冷房装置は1つ少ない5基となる。

 150番台車は、1973〜75年の四国特急増発のため、本州から転入した0番台車に車販基地を設置して、その為の小窓を開ける改造を施されたグループで、種車の違いにより側面方向幕とトイレ窓の位置が同じモノとずれているモノと2種類が各1両づつ存在した。

 86年11月改正時の特急大増発に際して、キハ180形2両(23・24号車)をグリーン車化したのが200番台車である。
 キロ180形を半室普通車に改造したグループ。

 四国のキロ180形は1987年度中に全てこの形式に改造され、8両が存在した。

 絶対数が少ない割にはバリエーションが多く、種車の違いにより3種類、外観上の差異まで考慮すると4種類に及ぶ。


 四国の場合はキハ180形同様に後位側客室端にあった非常口が撤去(封鎖)されたが、やはり雨樋が残ったままの車両も少数存在した。
発電用エンジンの排気管

1985年10月16日
土讃本線 阿波池田駅

 機械室後端、前位側に向かって右側にあった。


 非常に判りにくいが、妻面のアンチローリングダンパ。
 国鉄時代の特急には大抵装備されていた。


1990年12月
山陽本線 岡山駅

 四国のキハ181系の場合、民営化以後に徐々に撤去された。

1987年4月7日
中村線 中村駅

 キハ181−43の客室から機械室側を見たところ。

1985年6月16日
予讃本線 高松駅

 国鉄標準の回転クロスシートが並ぶ、キハ180−72のオリジナルの客室。

1991年1月1日
予讃線 高松駅

 リクライニングシート化されたキハ180形(車番不明)。
 日よけはブラインドのまま。
寸法21,300 mm
2,903 mm
3,955 mm4,087.3 mm
重量44.6 t44.8 t42.0 t42.5 t45.2 t
車体普通鋼
機関形式
出力
DML30HSE
500PS/1,600rpm
変速機 DW4E
(変速1段・直結1段自動変速)
最終減速比2.362
ブレーキ方式 機関ブレーキ付
CLE
ブレーキ装置車輪ディスク(DT36/TR217は踏面ブレーキ)
台車形式DT36駆動台車 DT36/TR217 (初期車)
DT40駆動台車 DT40/TR219 (後期形:オリジナル)
DT40/TR219 (後期形:台車枠交換車)
許容最高速度120 km/h
車体構造・客室1扉リクライニング
冷房装置AU13S × 4AU13S × 6AU13S × 5
床面高さ1,250 mm
出入口ステップ高さ965mm
乗車定員52487648 グリーン:24
普通:18

※四国に在籍していた形式・番台のみ掲載

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