2002年7月26日更新/7月28日訂補

MyTravel Vol.31




北海道豪遊の旅(その3)


↑ 北海道フリー切符の副券
色々注意書きが記載されている








2002年7月16日(火)


 目が覚めると、列車は美幌を発車したすぐ後だったようで、程なく女満別に到着した。

 女満別から18分で、終着の網走に到着。
 まずは常道通り駅を撮影

 そしてこれまたいつも通り、網走では特に観光をするわけでもなく、1時間半後の普通列車で北見方面へ引き返すことになるので、駅周辺を少しぶらぶらしてから、駅構内のそば屋 できつねそばを食した。

 それからみどりの窓口でオレンジカードを購入、また売店ではお土産も買った。



石北本線4654D 普通 北見行


北見(8:49)← 網走( 7:43)

キハ54
517
釧クシ
北見 ← 網走


 網走からは北見行きの普通列車で北見まで引き返す。

 車両は釧路運転所のキハ54形で、網走と釧路を結ぶ釧網本線でも使用されている車両である。
 その為か、車体の側面には2羽のタンチョウ鶴が描かれて「SENMO−LINE」の文字が入ったロゴシール が貼られていた。


 このキハ54形は500番台の番号区分が与えられて車両で、四国で活躍しているキハ54形と、走行関係機器は同一だが、客室内がクロスシートとなっている点が異なる(四国向けはロングシート)。

 さらに北海道向けの500番台車は、中央部が固定式のクロスシートで一部がロングシートとなっているタイプと、全席が転換式のクロスシートになっているタイプの2種類が存在する。

 前者は普通列車用、後者は元々急行列車用として製作された車両で、いずれも1986年から87年にかけて登場した。



 さて、釧路発車時点での乗客は10数人ほど。
 北見までは約1時間で、各駅に停車する。

 美幌あたりから大勢の高校生が乗り込んできて、車内は一気に立ち客が出た。

 全員北見まで行くのかと思ったら、北見の一つ手前の柏陽で全員が降りてしまった。後で地図で調べたら、柏陽駅から2〜300m程度のところに、北見柏陽高校という高校があることが判り、どうやらこの学校の生徒たちだったようだ。


 列車は定刻に北見駅3番ホームに到着。
 一旦改札を出て、まずは北見駅の駅舎を撮影

 ここでもまたオレンジカードとお土産を購入。



 なおこの北見駅からは、根室本線の池田駅との間を結ぶ旧国鉄地北線が分岐しており、現在その路線は第三セクターである「北海道ちほく高原鉄道」となっている。

 同線は「ふるさと銀河線」の愛称で呼ばれ、北見駅ではJR北見駅舎に隣接して、同線の駅舎も建っている
 駅舎にも「ふるさと銀河線」の文字が見える。


 4654D到着の約10分後に、金華からの下り普通列車4657Dが1番ホームに到着。
 キハ40形1両+キハ54形2両の3両編成で、大勢の高校生が降りてきた。

 乗客が下車し終わると、一番旭川側のキハ54形だけが切り離されてしばらく間を開けて停められた。
 どうやらこのキハ54形が、折り返し旭川行きの特別快速「きたみ」になるようだ。



3582D 特別快速「きたみ」


遠軽(10:10)← 網走( 9:10)

キハ54
504
旭アサ
旭川 ← 北見


 北見からは、旭川行きの特別快速「きたみ」に乗車。
 またキハ54形だが、今度は旭川機関区の所属車である。その為か、今度はタンチョウのロゴシールは貼ってなかった。


 北見からは結構な数の乗車があり、同駅発車時点での乗客数は20数人ぐらいだった。

 実はこの次に発車する札幌行きの特急「オホーツク」は、「きたみ」の1時間後に北見を発車し、しかも旭川までの所要時間は10数分程度しか差がないのだ。

 なので、ここから乗車した客の中には、恐らく旭川あたりまで乗り通す用務客なども結構いると思われ、事実背広姿のビジネスマンの姿もちらほら。



 金華を過ぎると、網走〜遠軽間のハイライトである常紋峠にさしかかる。

 サミットの常紋トンネルは心霊スポットとして有名で、長さこそ短いが、地層の関係で難工事となり、多くの死者が出た。

 このトンネルの工事は1911年から始まったが、わずか500mあまりのトンネルを掘るのに3年を費やしている。この工事に駆り出されて工事途中で亡くなった人を、このトンネル近くに、場合によってはなんとトンネルの壁の中に埋め込んだという。

 後年、トンネルの改良工事の際に壁の一部を壊したとき、その中から多数の人骨が発見された。

 その為、トンネル入口付近に慰霊碑が建てられて毎年供養が行われているほか、金華駅の近くにも追悼碑が建立されている


 また、現在石北本線に1往復だけ設定されている臨時貨物列車は、編成は短いもののDD51形と呼ばれるディーゼル機関車が重連(2両)で牽引しており、それが常紋峠に挑む姿が鉄道カメラマンの格好の被写体となっていて、結構人気がある。


 峠を越えた生田原でもビジネスマン数人を含む15人程度の乗客があった。
 生田原駅の駅舎はきれいなガラス張りのものに建て替えられていた。


 特別快速「きたみ」は、遠軽までは停車駅の方が多く、北見〜遠軽間(約60km)は途中9駅中7駅に停車する。

 その次の遠軽〜上川間(約76km)は途中7駅中2駅のみ停車。そしてラストの上川〜旭川間(約48km)はノンストップ運転となる。
 以前は特急「オホーツク」さえも凌駕するスピードであったのだが、現在では特急「オホーツク」用のキハ183系の一部が改造によりパワーアップして速度向上を果たしたため、さすがに少し及ばなくなっている。


 さて私は、これからやっと本領発揮という遠軽でさっさと下車して、次の特急「オホーツク4号」を待つことにした。

 やっぱ、せっかくグリーン車用フリー切符があるのに、この先2時間冷房無しの固定シートの車両に乗るとのはちょっとねぇ(^^;


 遠軽駅 ではいわゆる「パーク&ライド」用の駐車場が整備され、この日の駅前の駐車場も満杯の盛況だった。

 遠軽駅では、石北本線はスイッチバックの配線となる。
 かつては機関区のあった遠軽は石北本線では「主要駅」に数えられるが、現在は夜間は無人駅となる

 かつてはここから、中湧別・紋別方面へ線路が延びていたが、いずれも廃止されて今では遠軽から先の線路はない
 反対側は石北本線がYの字を描いている
 写真の向かって左側が網走方面、右側が旭川方面へ延びる線路である。

 この日もまた嫌な天気で、濃霧も出ていた



 さて、遠軽駅に到着するとき、進行方向向かって左側に謎の大岩が見え、「なんじゃありゃ?」と興味が沸き、駅からも近そうだったので見に行くことにした。

 遠軽町の郷土歴史資料館の背後にそびえるこの大岩は「巌望岩」と呼ばれるモノらしい。

 その由来についてはこちらを参照


 また、この公園には昔の雪かき用ラッセル車 キ100形 や、D51形SLの849号機  (説明文→)、さらにはD51形SLの動輪が展示されていた



 さて駅に戻る。
 今度は札幌行きの特急「オホーツク4号」に乗車。


 ・・・・と、その前に遠軽でもまたまたお土産とオレンジカードをゲット(^^;



14D 特急「オホーツク4号」


遠軽( 11:15)→ 札幌(14:48)

1号車2号車3号車4号車
キハ183
220
札サウ
キハ182
39
札サウ
キロハ182

札サウ
キハ183
215
札サウ
網走 → 札幌



 「オホーツク4号」の車両は、なんのことはない、昨夜乗車した「オホーツク9号」から寝台車を抜いただけの4両編成で、やはり寝台客車と座席のディーセルカーは別々の運用が組まれているようだ。


 今度はグリーン車に乗車。
 既に書いたように1981年製で水平対向12気筒440馬力エンジンを搭載する車両。
 元々は2+2の4列配置だった座席は、近年の流れに沿って1+2の3列に改造され 、横方向のゆとりが広がっている。


 遠軽から次の停車駅である上川までの間には北見峠の峠越えがあるため、この区間の走行音を録音した。
 そのため、遠軽駅で昼食用として購入した駅弁も、上川駅を発車するまで食べずにとっておいた(^^;


 上川駅は大雪山国立公園の最寄り駅で、その看板も立つ



 ところで、上川駅の一つ手前(北見側)は、今でこそ「上白滝駅」だが、2001年の6月まではこの間に、奥白滝−中越(なかこし)−天幕 と、3つの駅があったのだ。
 この3駅は、あまりにも乗降客が少ないため、2001年7月のダイヤ改正をもって廃止されてしまったのである。

 石北本線の白滝〜上川間は、特急「オホーツク」5往復と、特別快速「きたみ」1往復以外では、各駅停車が1往復運転されているだけであり、早い話が1日に上白滝駅に停車する普通列車は、朝の遠軽行きと夕方の旭川行きのたった2本だけなのである。


 確かに車窓から見た限りでも、駅周辺には民家など全く見当たらず、むしろ何故こんなところに駅があるのかと思えるほどのロケーションであった。
 さらに、実は奥白滝と中越の間にもかつては「上越駅(「じょうえつ」ではなく「かみこし」と読む)があったのだが、これも廃止されて現在は信号場として機能している。
 「オホーツク4号」はこの上越信号場で下りの「オホーツク3号」と離合した。

 ちなみに、この時のダイヤ改正ではこの他にも、宗谷本線の芦川、上雄信内、上中川の3駅が同様の理由で廃止されている。


 都市部の路線では、普通列車の本数よりも特急列車の方が本数が多いなどということはまず考えられないのだが、北海道では幹線であっても少しでも都市部を離れると、そんな区間はざらにあるのである。



 さて、上川を発車してようやくランチタイムである。

 遠軽駅で買ってあった、蟹めし弁当を食う。
 こっちがパッケージ で、こっちがその中身


 で、食べ始めてから気付いたのだが、、、、、、そういえば私は蟹はあまり好きではないのであった(苦笑)


 そのせいか、折角の名物駅弁もあまり美味しいと思えなかった・・・・作ってくれた人、ごめんなさい(^^;


 旭川から函館本線に入った「オホーツク4号」は、開放されたようにスピードを上げる。

 何しろ、網走から旭川まで237.7kmを3時間39分(表定速度:65.1km/h)かかっていたのが、旭川から札幌までの136.8kmは1時間38分(表定速度83.8km/h)と、平均で3割程度も速度が上がっている。


 今度は平行する列車に抜かれることなく(笑)、定刻に札幌駅3番ホームに到着した。



 さて、今度は特急「スーパー北斗」に乗って函館までとんぼ返りである。

 乗り換え時間は20分ほどで、この間にカメラ以外の全ての荷物をコインロッカーに預け(もちろん、財布と切符は持ったけど(^^; )、身軽になって函館行き特急「スーパー北斗16号」に乗車した。



5016D 特急「スーパー北斗16号」


函館(18:24)← 札幌(15:07)

1号車2号車3号車4号車5号車6号車7号車
キハ283
17
札サウ
キハ282
3003
札サウ
キロ282

札サウ
キハ282
3004
札サウ
キハ282

札サウ
キハ282
3001
札サウ
キハ283
21
札サウ
函館 ← 札幌



 「スーパー北斗16号」は札幌運転所のキハ283系編成で、基本編成は「スーパーおおぞら」編成よりも1両長い7両編成となる。
 この日の同列車は所定の7両編成だった。

 グリーン車ばかりでなく普通車の乗り心地も確かめる必要があるので、今度は普通車の指定席に乗車。

 ちなみに、「スーパー北斗」はキハ283系以外にも、同車の先輩でもあるキハ281系が充当される列車もあり、1日に11往復が運転される「北斗」のうちの7往復が「スーパー」となる。



 札幌発車時点では普通車はほぼ満席の盛況。


 JR北海道最新の振子式ディーゼルカー・キハ283系は曇天下の道央を快調に飛ばす。

 この「スーパー北斗16号」は札幌〜函館間318.7kmを3時間17分かけて走り、「スーパー北斗」の中では特に速くもないごく普通の列車なのだが、それでも札幌から東室蘭までの約130kmを1時間15分で走り、表定速度は軽く100km/hを超える。

 なお、最速の「スーパー北斗」は函館〜札幌間をちょうど3時間で走ってしまう韋駄天ぶりを見せる(ちなみにこの区間の最速記録は2時間59分)。

 「スーパー」になる前の普通の「北斗」の時代から、ディーゼルカーによる特急列車としては国内でも最速だったのだが、「スーパー」になってからは電車も含めた新幹線以外の全ての在来線特急の中でも最速となり、キハ281/283系がその高性能ぶりを遺憾なく発揮している。


 伊達紋別 を過ぎたあたりから霧が濃くなってきて、洞爺を過ぎるとさらに濃くなった。


 見えない・・・

 な〜んも見えまへん(^^;


 しかし、総数9個のヘッドライトを輝かせている(はず(^^; )の、キハ283系の足はそんな程度では衰えず、函館には定刻に到着した。

 道南と道央を結び、また本州から北海道への物流の動脈でもあるこの区間、対向する列車も結構多く、特に南千歳を過ぎると、普通列車よりも多数の特急列車と貨物列車とすれ違った。

 またこの区間は一部に単線区間が残っているが、上手いダイヤ設定で「スーパー北斗16号」は途中の運転停車はなかった。



 函館では一旦改札を出て、渡道以来2度目の蕎麦を食った。
 もちろんうどんもあったのだが、讃岐うどんの本場たる香川出身の私が、北海道なんぞでうどんを食う気になれるはずがない(笑)


 函館駅の駅舎を撮影 してから、お土産と、またもオレンジカードを購入。

 再度改札を入り、ホーム全体の様子を撮影
 一端が行き止まり式になって、ホームが「櫛形」をしている「頭端式」と呼ばれるホーム配列で、函館駅の他、JR四国の高松駅や宇和島駅、JR九州の門司港駅などがこのパターン。

 客の側から見れば、平面の移動距離が長くなることがあるのが難点と言えば難点だが、階段を使わずにすむので、健常者にとってはもちろん、車いすなどで利用する人たちにとっても利用しやすい配列であり、事実高松駅では駅の入口から列車に乗り込むまで全く段差の無い、完全なバリアフリーを実現している。


 もっとも駅がバリアフリーでも、列車内が段差が多かったり通路が狭かったりすると、あまり意味がないのだが・・・



 函館駅では、今年12月に予定されているダイヤ改正で全廃されるらしい、青森〜函館間を結ぶ客車快速「海峡」 を撮影。

 「海峡」が発車すると、同じホームに今度は盛岡からの特急「はつかり13号」 が到着したのでこれも撮影。



5021D 特急「スーパー北斗21号」


函館(19:23)→ 札幌(22:42)

1号車2号車3号車4号車5号車6号車7号車
キハ283
17
札サウ
キハ282
3003
札サウ
キロ282

札サウ
キハ282
3004
札サウ
キハ282

札サウ
キハ282
3001
札サウ
キハ283
21
札サウ
函館 → 札幌



 函館にいたのは1時間ほど。
 さっき乗車した「スーパー北斗16号」折り返しの「スーパー北斗21号」で札幌に戻る。今度はグリーン車。

 とりあえず客室内を撮影

 前日に乗車した「スーパーおおぞら2号」のグリーン車と比べると、荷物棚の部分が少し異なるようだが、これはまぁ誤差の範囲内かな(^^;

 このキロ282形の呼ばれるグリーン車は、車掌室がオープンデッキ式になっている のが特徴で、そういえばJR九州の787系も同じような構造になっているのを思い出した。

 普通車の客室はこんな感じ



 函館発車時点での乗客は、グリーン車が12名で、普通車は指定席も自由席も3〜4割といったところ。


 本来なら、森を発車してすぐに上野行き寝台特急「カシオペア」とすれ違うはずなのだが、同列車はこの日は運休日だったので出会えなかった。

 その約30分後に、上野行き寝台特急「北斗星2号」に道を開けるため、鷹ノ巣に運転停車した。


 すっかり暗くなった千歳線を「スーパー北斗21号」は札幌に向けて130km/hで疾走。

 新千歳空港が間近に見える南千歳を発車して、猛ダッシュをかける。
 すぐ隣を国道36号線が通っているが、「スーパー北斗21号」はスタートからわずか30秒程度で国道を走る車とほぼ同じ速度に到達、さらに加速してそのまま抜き返してゆく。
 国鉄時代のディーゼルカーでは到底味わえなかった、胸のすくような加速感である。


 札幌には定刻に2番ホームに到着した。

 Vol.30で書いたキハ283系の車内騒音の件だが、やっぱり普通車よりもグリーン車の方が総体的に五月蠅かった。
 優等車両の方が五月蠅いというのはちょっと問題で、改善を希望したい所である。



 札幌では、わずか18分の間で荷物の総入れ替えをして、今度は1回分の着替えと最低限のカメラ機材だけを持って、稚内行きの夜行特急「利尻」に乗り込む。



3043D 特急「利  尻」



稚内( 6:00)← 札幌(23:00)

1号車2号車3号車4号車5号車6号車
キハ183
1501
札サウ
キハ182
503
札サウ
スハネフ14
505
札サウ
オハネ14
504
札サウ
キハ183
1504
札サウ
キハ183
6101
札サウ
稚内 ← 札幌



 この日の「利尻」は、中間に連結された寝台車も含めて、全車両が綺麗に500番台車で揃った。

 「6号車が違うじゃん」と言うなかれ、6号車のキハ183−6101は、キハ183−1557からの改造・改番車であり、これも500番台車(正確に言うと550番台車だが(^^; )の一員なのだ。


 1号車と5号車は、いずれも床下に発電用のエンジンを搭載した「電源車」で、駆動用エンジンは6気筒の250馬力を積む。1986年の登場。

 2号車は同じ1986年に登場した運転台の無い中間車で、駆動用エンジンは水平対向12気筒の550馬力。
 なおこの車両は、「サロベツ」「利尻」用として2000年度に苗穂工場で、シートピッチの拡大改造が行われた車両で、座席の前後間隔が通常(オリジナル)よりも若干広くなっている。

 6号車は既述のようにキハ183形1557号車(1989年製)からの改造車で、通常の座席を全て撤去して畳敷きとした車両である。通路も設けられているが、この通路は完全に塞ぐことも出来る。
 「利尻」に連結されるときがその状態で、いわゆる「ごろ寝車両」であり、指定席の扱いとなっている。

 但しこの車両は、夏季限定増結となる。


 中間に2両が連結される寝台車は例によって2段式の14系で、いずれも1972年製造のモノを1983年に北海道向けに改造した後、1991年にディーゼルカーとの併結が出来るように再改造したものである。



 「利尻」は、本来は「ごろ寝車」も繋がず、寝台車も1両だけなのだが、この日は寝台車を2両繋ぐなど、事実上2両増結状態で6両編成という「盛況」ぶりであった。


 定刻の23時ちょうどに、釧路行き夜行特急「まりも」と同時に札幌を発車。
 やはり白石までしばし併走する。

 この先、旭川のさらに二つ先の新旭川まで、前夜に通ったのと同じ道を辿る。

 しかしこの日もさっさと就寝、岩見沢までは覚えているが、その先は知らぬ存ぜぬ覚えなし・・・というわけでVol.32へ続く(^^;



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