2002年7月22日更新/7月28日追補

MyTravel Vol.29




北海道豪遊の旅(その1)


↑ 乗船券購入時に貰った新日本海フェリーのチケットケース


 2日目はそのほとんどを船上で過ごした。

 小樽に上陸後は札幌に出た後、釧路行きの夜行特急に乗車した。


 なお予め断っておくが、このVol.29後半からVol.32にかけては、ディーゼルカーが数多く登場するため、300馬力だとか500馬力だとかいう出力についての記述が多くなるが、ディーゼルカーで言うところの「出力」は、自動車で言うところの「最高出力」とは異なり、「定格出力」、つまり「約1時間にわたって連続して安定的に出せる出力(1時間連続定格出力)」であるので、自動車との単純比較は出来ない。

 ちなみに、定格出力は一般的に、最高出力の70〜80%程度の出力となる。逆に言うと定格出力からおおよその最高出力を求めるには、定格出力の30〜40%割り増しと考えてやればよい。







2002年7月14日(日)



新日本海フェリー 「すずらん」
(前夜から続く)


小樽港(20:30)← 敦賀港(23:30)


 さて、この日の朝起きたのは8時過ぎだった。

 早速 朝食を食する・・・・って、これが朝飯の分量かい!>おれ(^^;
 ちなみに、御飯大盛りと豚汁、鯖の煮物、肉じゃが、それにきんぴらゴボウであった。


 食事が終わると部屋に戻って早速TVを付け、例の船の現在位置を表示するチャンネルに合わせると、どうやら 佐渡島沖を航行しているようだ。
 小樽到着まであとまだ10時間もある。


 ということで、少し船内を散策してみる。
 Vol.28で掲載した船内の画像の一部は、この時撮影したものである。


 この日はさほど客は多くなかったように見えたが、トラックドライバーはドライバー室に詰めているはずで、実はこのドライバー室というのは一般の客室から少し離れた位置に隔離されているため、さほど多くないように見えたのかもしれない。

 TVモニタによれば、この船はコンスタントに27〜29ノット程度で航行しており、もちろんフェリーとしては無茶苦茶速く、 海上に立つ波しぶきがその速さを物語っているのだが、船体そのものが大きいのでさほど速くは感じない。
 また、「揺れ」も全くと言っていいほど無く、実に快適な船旅である。

 飛行機などでは味わえない実にゆったりとした時間が流れていった。




 あぁ、なんて平和なんだぁ(笑)




 そうは言ってもさすがに一人旅だと暇をもてあますことに変わりはなく、ビデオやTVを見たり、ゲームで遊んだりしてぐうたらな1日を過ごした。

 TVはビデオ以外に、衛星放送や地上波放送も流れている。

 もっとも、地上波放送は船の航行に従って映るチャンネルが変わる(笑)し、非常に映りが悪くなる時も当然ある。一番安定していたのは衛星放送で、テープの劣化したビデオ放送よりもこっちの方がよっぽとまともに映っていた(^^;


 それにしても、こんなにゆっくり出来た日はものすごく久しぶりである。

 やっぱ、たまには船旅も良いね。



 北海道が近くなってくると、どこからやってきたのか、 アキアカネが数匹、後部デッキの上を飛んでいた

 16時過ぎになると積丹半島が見えるはずの所だが、あいにくの 曇天のためによく判らん。



 で、北海道が見え始めると夕食の時間である。船内で3度目の食事となる。ちなみに昼飯は何を食ったのかも、写真を撮るのも忘れた(^^;
 これがこの日の夕食
 またもや大盛り御飯と豚汁、カツ丼、大好物の鶏唐揚、そして冷奴である。

 ここで入浴しようと思ったが、迂闊なことに既に浴場の閉鎖時刻(18:00)を過ぎてしまっていたので断念。
 そろそろ下船支度をしないといけない。


 結局、船内のゲームセンターには3,000円近くの投資をしてしまった(苦笑)




 船は20:30頃に小樽港に接岸。

 長い長いブリッジを通って小樽築港フェリーターミナルへ移動し、ターミナル前からタクシーを拾ってJR函館本線の小樽築港駅へ向かった。
 ちなみに所要時間は5分程度で、料金は770円であった。

 小樽築港駅は近代的な橋上駅舎となっており、 駅のすぐ近くにはVIVREとレジャーランドらしきものがある

 ちなみに、石原裕次郎記念館も同駅が最寄り駅となっている。



函館本線331M 普通 江別行


札幌(21:45)← 小樽築港(21:04)

<− 札幌方               
クハ731
206
札サウ
モハ731
106
札サウ
クハ731
106
札サウ
江別 ← 小樽



 小樽築港からは、江別行きの普通列車に乗車。

 札幌運転所所属の731系と呼ばれる、1997年に登場したJR北海道最新の近郊形電車である。
 室内は通勤電車のような横向きのロングシートだが、最高130km/hの高性能を誇る。

 JR北海道の車両ほぼ全てに共通しているのだが、厳寒の冬季にも定時運行が確保できるように、南国に住む我々の目から見れば過剰とも思えるほどの雪や氷に対する様々な対策が施されており、北海道の冬の厳しさはハンパではないことを物語っている。

 ちなみに国鉄時代は、北海道用の車両で冷房が付いていたのは、特急型車両と急行形のグリーン車の一部だけだったのだが、さすがにJRになってからは冷房車の比率が圧倒的に高く、冷房の付いてないのはごく一部のローカル線用ディーゼルカーのみとなっている。もちろん、731系も冷房付きであり、この時乗車した時もしっかり動作していた。


 またこれまで北海道向けの車両は、冬季の車内保温の観点から普通列車用の車両であっても、特急型車両のように出入台デッキと客室の仕切があったのだが、この731系ではそれを廃止してしまった。

 その代わりと言っては何だが、出入台デッキ部分には鉄道車両としては珍しいエアカーテンのほか、遠赤外線暖房まで装備されている。
 私的には、そこまでするぐらいなら素直に仕切を設けた方が良かったのではないかと思うのだが・・・・(^^;


 とりあえずこの731系、最近のJR各社の新型車両の例に漏れず乗り心地は良好で、札幌までの約40分間は割と快適に過ごすことが出来た。

 でも先頭部のデザインについては、個人的にはちょっと好きになれない。
 あと、転換クロスシートに乗り慣れた関西在住の私からすれば、やはり40分間もロングシートなんぞに座っている気はなれないのだが・・・・



 札幌では約1時間のインターバル。
 釧路往復の荷物を少しでも減らすため、さしあたって必要の無い着替え類をコインロッカーに預けた。

 青森行きの夜行急行「はまなす」

 翌日乗車する予定になっている、網走行きの夜行特急「オホーツク9号」

 翌々日に乗車する予定になっている稚内行き夜行特急「利尻」

 などを、とりあえず撮影した。



 さて今夜の「宿」は、札幌発釧路行きの夜行特急「まりも」である。


4013D 特急「まりも」


釧路( 5:50)← 札幌(23:00)

上写真左側が釧路方先頭車(キハ183−209)、右が札幌方先頭車(キハ183−501)
1号車増1号車2号車3号車4号車5号車
キハ183
209
札サウ
キハ182
106
札サウ
スハネフ14
501
札サウ
オハネ14
502
札サウ
キハ184

札サウ
キハ183
501
札サウ
釧路 ← 札幌




 ご覧のように釧路方の先頭車と、札幌方の先頭車ではデザインが異なる。
 いずれもキハ183系と呼ばれる特急形ディーゼルカーで、元々北海道向けとして製作された車両である。


 札幌方先頭の車両は1981年製で、当初は220馬力のエンジンを積んでいたが、JR化後の航空機や自動車との対抗策のためにスピードアップを行う必要から、現在は排気量は同じながら420馬力を発揮する、より高性能なエンジンに換装されている。
 また、編成中の他の車両に電気を供給するための発電機を搭載している。

 釧路方先頭車は1986年製とやや新しく、こちらは最初からターボチャージャー付き水平対向12気筒の550馬力という、市販のフェラーリをも凌駕する強力エンジンを搭載している。

 増1号車は1981年製で、水平対向12気筒の440馬力ターボエンジンを搭載。
 元々運転台の無い中間車だったのだが、1996年に苗穂工場で回送用の中間運転台を取り付ける改造を行った車両であり、その時に内装についてもリニューアルされている。

 4号車は1981年製の運転台の無い中間車だが、他の車両に電気を供給するための発電機を搭載しており、その関係(床下スペースの関係)から駆動用のエンジンは直列6気筒の220馬力と、他の車両に比べてかなり出力が落ちる。


 このキハ183系と呼ばれる車両は、数次に渡って改良が加えられながら製造されてその後の改造も多く、絶対数の割にはバラエティーの豊富な車両なので、今後とも乗車した列車に連結されていた車両についてはその都度解説したい。



 現在北海道内のみを走行する夜行特急列車は、札幌を起点にして釧路・網走・稚内の3都市へ向かう列車が設定されており、それが上記の「まりも」「オホーツク」「利尻」である。
 これら3列車の最大の特徴は、ディーゼルカー主体の編成の中に客車を連結していることで、全国的に見ても定期旅客列車で客車とディーゼルカーの混結というのは、他に例がない。

 連結される客車は全て寝台車で、やはり寝台車は騒音の無い客車がベターであろうとの判断からであると思われる。


 そうなると全て客車の編成にすればいいと思われるかもしれないが、1日たった1往復だけの列車のために過剰な車両を保有するのは無駄であるわけで、事実この3列車は、昼間にほぼ同じ区間を運転される昼行特急列車の編成の中間に客車を連結した編成となっており、ディーゼルカーの方を昼間の列車と共通にすることで、必要な車両数を圧縮しているわけである。


 件の寝台車は1972〜3年製造のものを1991年に改造した車両で、2段式の開放寝台が並び、2号車の一部は女性専用寝台とされている。




 「まりも」という列車名は、実は結構伝統がある。

 最初に登場したのは戦後間もない1949年9月のことで、函館から小樽・札幌を経由して釧路へ向かう急行列車として登場した。
 もっとも、当時は函館〜札幌間のみが急行(昼行)で、札幌〜釧路間は準急(夜行)という扱いだった。

 翌1950年には晴れて全区間が急行となり、1951年に「まりも」という愛称名が付与された。
 夜行区間である札幌〜釧路間で寝台車の連結が開始されたのは1956年とこれまた結構古い。

 函館〜札幌間に特急「北斗」が登場した1965年に、「まりも」は札幌で系統が分けられ、この時から札幌〜釧路間の夜行急行となった。

 しかし1968年には、全国的な列車愛称名統合の波に呑まれ、札幌〜帯広〜釧路間急行「狩勝」に統合されて一旦姿を消した。


 1981年に千歳と帯広の間をショートカットする短絡新線「石勝線」が開業し、「狩勝」の一部が同線経由に変更となり、「まりも」の愛称名が復活した。

 しかし、札幌〜帯広・釧路の航空機との競争のため、昼間の列車は全て特急化されてスピードアップが図られたため、「おおぞら」の一員として吸収される形でそれまでの客車列車から気動車化され、1993年3月の改正で再び「まりも」の名は消えた。

 20世紀最後の2000年3月のダイヤ改正で、夜行「おおぞら」が「まりも」に改称され、三度復活を遂げて現在に至っている。


 はたして、「三度目の正直」か、「二度あることは三度ある」かは判らないが、今度の「まりも」はいつまで活躍を続けることができるだろうか?




 さて「まりも」は実は、稚内行き特急「利尻」と同時に同方向に向かって札幌駅を発車する。

 札幌から苗穂、そして白石(しろいし)までの2駅間は、函館本線の複線と千歳線の複線が並んだ複々線となっており、その為両線の列車の同時発車や同時到着、そして併走シーンが数多く展開されている、JR北海道内でも有数の「見せ場」なのである。


 この区間は函館本線が外側の複線を、千歳線が内側の複線を走るので、「まりも」と「利尻」はわずか1mあまりの間隔を開けてしばし併走する。

 苗穂を通過し、白石を過ぎると、函館本線が地上に下り、千歳線がそのままさらに高架を上がっていき、やがて千歳線の複線と函館本線の上り線(札幌方面行き)が立体交差して、両線はY字を描いて別れてゆくのである。

 実は両線が別れていく前に「平和」という駅があるのだが、配線の関係から同駅は千歳線側にのみホームがあり、函館本線には平和駅のホームは無い。
 その為、地図上では両線は平和駅で分岐しているように見えるが、時刻表を見ると函館本線には平和駅の記述は無い。


地図出典:ALPS社「プロアトラス2000」


 千歳を過ぎると、千歳線はそのまま真っ直ぐ苫小牧・室蘭方面へ向かい、石勝線は高架に上がってから左(東)へカーブし、千歳線の上り線を跨いで夕張・帯広方面へと向かう。


 やはり寝台車は客車の方が静かで落ち着く。
 下手な運転士に当たると加減速時のショックが大きくて閉口することもあるが、騒音の小さい方が精神的にも楽である。

 石勝線に入る頃にはもう日付の変わり目で、翌朝は6時前にはもう釧路に到着してしまうので、さっさと寝ることにしよう。




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