キハ58系 急行形気動車


予讃線 内子駅
2008年4月26日



 1955年前後から急成長を遂げ始めた液体式ディーゼルカーであるが、1960年に特急形のキハ80系が登場し、急行形についても電車と同等の設備を持つ車両が要望され、当時の急行形の標準型であった153系電車に準じた急行形ディーゼルカーとして1961年に登場した。

 車体は当時の急行形の標準型に準じた形状だが、車体全長は電車より長い21.3mとされた。
 北海道用・信越本線用・本州用の各タイプが製造され、本州用では当時の国鉄ディーゼルカーの標準機関(エンジン)であるDMH17C(直列8気筒17リッター:180ps)を1台搭載したキハ28形と、同じく2台搭載のキハ58形、エンジン1台搭載のグリーン車キロ28形、2台搭載のグリーン車キロ58形など多くの形式がある。

 途中、幾度かの設計変更を受けながら1969年までの間に1818両もが量産され、日本の気動車史上でも最大の所帯を誇り、全国各地に配置されたため、各種改造工事や地域ごとの仕様・塗装などに大変なバラエティーがある。

 1967年度製造分以降は車体構造が変更され、キハ65と同様のパノラミックウィンドウとスカートが装備されて、外観が大きく変わった。




 「気動車王国」たる四国にも多数が配置され、島内の急行列車から普通列車まで大活躍、予讃本線では現在のL特急並に1時間ヘッドで気動車急行が運転され、気動車急行王国−四国を支える大黒柱として君臨した。

 1969年3月末時点での配置数は、キハ58形96両、キハ28形32両、キロ28形23両の合わせて151両で、その全てが高松運転所の配置であった。

 1969年度から1971年度にかけては急行列車冷房化推進を目的としたキハ65形の大量投入、1975年と1977年の特急列車増発、さらに1978年には本来信越本線碓氷峠用として作られたキハ57形の(信越線電化に伴う)一部四国への転入があったことから、この期間に若番の初期車を中心に合わせて30両程度のキハ58&28形が四国外へ転出した。

 1984年1月末時点での配置数は、キハ58形65両、キハ57形9両、キハ28形49両(内14両5000番台車)、キロ28形4両(キハ28形5200番台車に改造予定)の、合計127両であった(内58形14両と28形19両が徳島、それ以外は全て高松配置)。

 さらに1985年頃には、今度は老朽化したキハ55系置き換えのために他地区から一定数の転入があった。
 なお、この中には非冷房のキハ58形が数両含まれているが、すぐに冷房化されている。


 南国という地理的条件もあり、全車両の冷房化も全国に先駆けて早くも1972年度に完了している。
 このほか四国地区では、非パノラミックウィンドウ車の一部にもスカートを取り付ける改造が施されており、同様な改造は九州でも見られる。

 こうして一時代を築いたキハ58系であるが、国鉄民営化を控えた1986年11月のダイヤ改正でキハ185系が登場して以来、優等列車の主力は完全に特急となり、電化の進展や新型車の投入もあって急速に勢力を縮小していった。



 1987年の国鉄分割民営化に際してJR四国に引き継がれたのは、キハ58形53両、キハ57形2両、キハ28形37両(内5000番台車24両)の合わせて92両であった。

 民営化後は急行列車の特急格上げが急速に進み、2000系量産車が投入された1990年11月改正では早くも予讃線・土讃線・高徳線・牟岐線の定期急行列車が全廃され、島内急行列車は徳島線の「よしの川」を残すのみとなって、多くが廃車またはローカル用に転用された。
 その後は予讃線の電化進展と新車投入もあって急速に数を減らし、1993年3月改正では予讃・土讃線の高松地区からキハ28形が撤退。同年4月時点での配置数は、キハ58形28両とキハ28形14両の、合わせて42両となっていた。


 1995年度に、当時残存していた一般運用の車両に列車無線が搭載された。
 なお、1987年度に改造された「旅立ち」「レインボー」は当初から瀬戸大橋線運用を考慮していたのか、改造当初から列車無線搭載であった。


 2002年3月改正からは上り1本のみながら、キハ65+キハ58の2編成併結4両編成の快速「サンポート」が出現したが、これは2008年3月改正で消えた、



 〜2006年4月1日当時〜

 残るキハ58系は、全国でも117両のみとなっていた。
 四国在籍車は、キハ58形が前期形11両(松山4両/高知7両)、中期形(400番台)4両(松山/高知各2両)、キハ28形が前期形5両/中期形(300番台)2両(いずれも高知)の、合わせて22両で、後期形のパノラミック車は既に姿を消している。



 〜2006年6月当時〜

 1500形営業運転開始に伴い、徳島から高知へ転属した1000形に置き換えられる形で、高知運転所のキハ58系8両(キハ58:4両/キハ28:4両)が廃車となり、残存数は14両となった。

 四国に残存する車両は全て、客室出入り口付近のシートが通常のボックスシート(向かい合わせシート)からロングシートに取り替えられているほか、トイレ・洗面所が撤去されて、キハ58形については屋上に搭載していたトイレ用の水タンクも撤去されて、普通列車に使用されて余生を送っている。
 これらの改造により、乗車定員がオリジナルの84名から126名に増加している。


 松山所在籍のキハ58は、キハ65等とのペアで、海線を除いた予讃線の全線と予土線江川崎以西、土讃線の多度津〜阿波池田間、高徳線の高松〜引田間の広い範囲で定期運用を持っている。
 高知車は土讃線 阿波池田以南のみの運用となる。


 この中で、高知運転所在籍のキハ28−2002は原番号キハ28−2で、1961年に東急車輌で落成した、JRグループに現存する中で最古のキハ58系である。

 さらに、キハ58−301はスカート付き平窓タイプ車としては、この当時四国で最後の生き残りであった。
 なお、この後付けのスカートは、最終形、並びにキハ65形に装備されているものとは若干異なる。

↓キハ58−301のスカート

↑キハ65形のスカート



 この当時四国に残存していたキハ28/58形のほとんどは、屋根上のベンチレータが全て撤去されていた。

 正確な時期は不明だが、これまでの撮影画像から、2003年末から2005年早々までの間にかけて、順次撤去されたようだ。
 キハ58形はそれに加えて、トイレ撤去に伴って水タンクも取り外されており、オリジナル比ですっきりした機器配置となっている。

 ただし、高知運転所所属車の中には、2005年10月1日時点でまだベンチレータが残っている車両が存在し、キハ58−178、<*>キハ58−254、<*>キハ28−2142、<*>キハ28−2417と、あと1両キハ28形(車番不明)の5両に残っているのを確認済みである。
 (上記のうち、<*>の車両は2006年6月に廃車となった模様)

 ベンチレータの残っている車両はいずれも車体外板がボロボロなのだが、キハ58系はアスベスト関連で次回の全般検査はもう無いらしいので、このまま廃車となる可能性が高い。

 高知所・キハ58−199のベンチレータ撤去跡



 〜2008年4月1日当時〜

 この2年で合わせて14両が廃車され、残すところ8両となった。
 これも、2008年秋までには全ての運用を終える予定となっている。

 松山には、キハ58−203/216/293が残存。このうちの−293が国鉄色となっている。
 定期運用は松山〜八幡浜間の1日1往復のみ。

 高知には、キハ28−2148/2152、キハ58−178/198/199の5両が残っている。
 こちらの定期運用は、土讃線の阿波池田〜伊野間に3本のみとなっている。



<キハ58系(最終期の)運用表>(2008年3月15日改正当時)

〜松山運転所(最後の運用)〜
 原則としてキハ65形とペアで運用され、通常は1日1往復のみの運用となっていた。

 627D → 632D

 627Dは伊予大洲までキハ32を併結
 632Dは八幡浜からキハ54に増結

〜高知運転所(最後の運用)〜
 キハ58+キハ58+キハ28を一組として運用されていた。

 733D → 734D → 266D

 733D/734Dはキハ54形を併結


〜〜〜〜 2008年10月15日 〜〜〜〜 

 定期運用終了。

 10月16日以降の 627D は、65+58 の部分が 47x2 に車種変更となっている。

 10月16日以降の 733D → 734D → 266D は、58x2+28 の部分が 32x2+54 に車種変更となっている模様。



国鉄色車(定期列車)

予讃本線 多度津駅
1982年11月

 後部2両に徳島気動車区(当時)所属のキハ58+28を連結した、土讃本線ローカル。

 徳島所属車の予讃・土讃線運用はかなり珍しかった。
 しかもこの日は、当時四国に2両しかいなかったキハ58形のパノラミックウィンドウ車を連結。

予讃本線 多度津駅
1983年9月

 急行基本編成4両+キユ25の普通列車。
 予讃本線138D。

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1985年3月17日

 編成とスジを急行時代からほぼそのまま引き継いだ、急行格下げの快速列車。
 最後尾はキハ57形。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 キハ55系の老朽置き換えのため1985年3月前後に他地区から転属してきた、非冷房のキハ58形。夏までには冷房改造された。

 長らく車番は不明であったが、529号車であることがほぼ確実である。

土讃線 讃岐財田駅
1985年3月15日

 他地区から転入してきた車両はドロドロの状態の車両が多く、当時の四国の扱われ方を象徴しているようでもあった。

 これらの車両の中にはキハ58−293のように末永く活躍した車両もあるが、状態が悪いまま短期間で廃車となった車両もあった。

土讃本線 阿波池田駅
1985年10月16日

 急行「よしの川」と共通運用だった徳島線の快速。これらの快速も元々は「よしの川」であった。

 この画像の快速も、阿波池田到着後は折り返し「よしの川」となる列車であった。

土讃本線 高知駅
1986年5月5日

 高知地区の普通列車。

 国鉄時代、正面の幕には青地に白抜き文字の「普通」表示も用意されていたが滅多に表示することはなく、白幕のままで運用されることが多かった。

土讃線 繁藤駅
1986年5月5日

 山あいの駅で並ぶ3本のキハ58系列車。

 3両のキハ58形全て、前面の形態がそれぞれ異なっている。
 右端は最末期に復活急行色となった293号車。

1987年4月8日
高徳線 徳島駅

 「阿波1号」(左)/「よしの川1号」(右)。

 1969年から製作されたパノラミックウィンドウ車は、在来車よりも屋根高さが6cm低くなっている。また、正面貫通扉の窓のサイズも異なっている。
 こうして並べてみるとよく判る。

※ 急行列車運用の画像は「急行列車」の項も参照


国鉄色車(不定期列車)
「土 佐52号」

土讃線 黒川〜讃岐財田間
1982年5月5日

 全車自由席で運転された臨時急行「土佐52号」。
 高松所の65+28+58の3連であった。
「青い国 四国一周号」

予讃線 本山〜観音寺間
1984年7月

 国鉄末期の定番夏期団臨。
 高松から予讃線回りで予土線・土讃線・徳島線等を経由して四国をぐるっと一周していた。
 予土線を走行する希少な優等列車でもあった。
「高徳線全通50周年記念号」

予讃線 高松駅
1985年3月20日

 ヘッドマークは板野駅製と記載されていた。
「金刀比羅宮初詣出号」

土讃線 琴平駅
1986年1月11日

 高松所属車4両に徳島所属のキハ58−125を連結した異色の5両編成であった。
 徳島から阿波池田経由で到着したので、連結幌の位置が通常と逆に上り向きになっている。



”異色”車
四国団臨色JR四国色試験色団臨「旅立ち」色

予讃本線 高松駅
1985年5月26日

 1984年に登場した団臨仕様のキハ58−769ほか。

 キハ28−2475(上画像の手前から2両目)も前後が反転した同じ塗装が施されたされたほか、キハ58−577(同3両目)は全く意匠の異なる青色塗装となった。
 この3両は高松運転所に配置され、室内は新幹線0系の転換クロスシートの発生品が転用され、カラオケ設備も設けられたほか、床面も少し嵩上げされていた。


 1986年には徳島気動車区配置のキハ58−1035とキハ28−2476も、同様な改造を受けて同じ赤塗装が施されたが、カラオケ設備は省略され、キハ28形のシートはキハ181系の発生品の回転クロスとなった。


 蛇足であるが、キハ28−2475は公式側のナンバー表記が傾いているのがご愛敬であった。

予讃線 讃岐塩屋〜多度津間
1988年8月

 JR四国標準塗装選考のため数種類が作成された試験塗装のひとつ。
 1986年末から1988年頃までの間見られた。

宇野線 妹尾〜久々原間
1991年2月

 瀬戸大橋開業に合わせて1988年に登場した、団臨仕様車「旅立ち」。

 キハ58−305/306とキハ28−2153/2432の4両が改造され、座席はボックスシートのままでバケットタイプに交換された。


 このほかにも、キハ58−464/649とキハ28−2490/2491の4両が、テーブル付きリクライニングシートに交換されて、「レインボー」として運用された。
 塗色は「旅立ち」のカラーリングをベースに、グリーンの部分をピンクに変更したものとなった。


 「旅立ち」は基本的に団臨専用であったが、「レインボー」は一般の旅客列車に連結されることも多かった

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1985年3月24日

 団臨運用以外でも、単独で定期急行に増結されることがあった。

 急行「土佐3号」最後尾に連結されたキハ58−769。

予讃線 多度津駅
1991年1月1日

 初詣臨「はつはる号」に充当された「旅立ち」。



JR四国色車+復活急行色

予讃線 今治駅
1992年12月

 JR四国色のキハ58形。

 ローカル運用の歳には、正面の幕は白幕のままのことが多く、特に民営化後に出現した白地の「普通」幕を表示するのはかなり珍しかった。

予讃線 坂出〜宇多津間
1992年1月2日

 キハ28+58の高松行土讃線普通列車。

 相対的な性能低下のためか、キハ28形は1993年3月改正をもって、予讃・土讃線の高松地区の定期運用から撤退した。

土讃線 高知駅
1993年2月

 高知地区ローカルのキハ28−3013。

 ローカル運用でも滅多に「普通」表示をしなかったのは急行形のプライドなのか?w

土讃線 新改駅
1997年6月8日

 新改を発車する、(キハ58+28)×2の4両編成の土讃線ローカル列車。

土讃線 佐川駅
1998年12月27日

 正面の表示幕は、1998年の秋から遅くとも年末までの間に、それまでの列車種別表示から行先表示に変更された。
 このとき同時に、側面のサボを使用しなくなった。

土讃線 豊永〜大田口間
2003年11月15日

 山あいの橋梁を渡るキハ28+58のローカル。

土讃線 黒川〜讃岐財田間
2005年4月17日

 平窓スカート付きの301号車を先頭にした晩年の4両編成。

予讃線 向井原〜伊予大平間
2005年5月8日

 復活急行色車にキハ54を連結した予讃線ローカル。

予讃線 宇多津駅
2005年6月25日

 宇多津駅を113系の岡山行ローカルと同時発車する快速「サンポート(右)」。

土讃線 塩入〜黒川間
2005年9月4日

 復活急行色とJR四国色車の併結4連(2/4両目はキハ65形)。
 多度津からは快速「サンポート」となる。

予讃線 松山駅
2006年4月15日

 イベント対応の臨時増結により、キハ185系3000番台車との併結4両編成で運行される予讃線ローカル。

多度津駅〜多度津工場
2008年10月11日

 晩年に登場した復活急行色のキハ58−293は、引退直前になるとリバイバル急行列車運転に備えて「ヒゲ」塗装が施された。
 工場まつりのシャトル列車として運用された時のカット。

 なお、この293号車は千葉を皮切りに東北各地を経て1985年に山形から四国へ転入した車両で、実際に同車が国鉄時代にヒゲ付き塗装となったことは無い。



室  内

1999年5月1日

 キハ58−774の運転台。

1985年10月16日

 オリジナルのキハ58−194の客室。


1987年4月8日

 キハ181系お下がりの回転クロスシートに交換されたキハ58−665の客室。

1999年5月1日

 キハ58−772の晩年の客室内。

 よく見ると、一番手前の座席だけ手すりの形状が異なるが、コレは恐らく廃車になった50系客車の座席を転用している物と思われる。
 窓側の肘掛けが無いぶん幅が狭いため、他の座席よりも若干外側に寄っているのも判る。

1999年4月30日

 キハ58−463の晩年の客室内。

 晩年はトイレと洗面所、それにデッキとの仕切りドアなどが撤去されて一部がロングシート化され、セミクロスシート配置となっていた。

1999年4月30日

 キハ58−463の旧トイレ・洗面所部分。

 シートは設置されず、つり革が設置されて立ち席スペースとなっていた。




四国配置キハ58系のネタ


 国鉄時代からキハ58系の地域ごとの改造による変形車等のネタは尽きず、それだけで本が1冊出来るほどであるので、ここでは四国在籍車両について比較的目立つ部分のみを大雑把に上げる。



〜タブレットキャッチャーと保護枠等〜


 キハ58系のタブレットキャッチャー等の配置。

 平窓車は公式側/非公式側ともほぼ同じで、乗務員室窓の直下にキャッチャーを配して、その後方の出入口ドアには窓破損用の保護枠が設置されていた。
 それに加えて、非公式側は乗務員室ドアと客室ドアとの間の狭い部分に、また公式側は同部位かまたは乗務員室あるいは客室ドアノブ分にも補強が入っている。

 パノラミックウィンドウ車も基本は同じながら、非公式側に乗務員室窓が存在せず乗務員室ドアの位置も異なるため、キャッチャーも取付位置が前進して一部が車体からはみ出して取り付けられている。

 四国においては1986年をもって通票閉塞が廃止されたことから、同年以降これらの設備は急速に撤去が進み、キャッチャーはJR移行時点でほぼ全て、保護板等についても塗色変更と同時に撤去される等して早い時期に撤去完了した。


 前位側ドア窓に取り付けられていた保護枠は、縦桟が本数の異なるバリエーションが存在する。
 手持ち画像を見る限りは、四国においては8本が多く、比較的初期の車両を中心に10本の物が見受けられた。

 中には、キハ57−9のように左右で縦桟の本数が異なるケースもあり、同車以外にも複数存在した可能性が高い。



土讃本線 阿波池田駅
1985年10月16日

 キハ58−194の第2位側(前位公式側)。
 保護枠の縦桟は8本。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 キハ58−203の第1位側(前位非公式側)。
 枠の縦桟は10本。

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1985年3月

 団臨仕様のキハ58−769の第2位側。
 縦桟は8本

予讃本線 高松駅
1986年3月26日

 キハ58−1135の第1位側。
 ちょっと遠かったので縦桟の数は判別し難い。

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1981年1月

 キハ28−3013の第1位側。
 縦桟は10本あるように見える。

土讃本線 高知駅構内
1986年5月5日

 ←と1番違いのキハ28−3012の第2位側。
 こちらは縦桟は8本。

予讃本線 高松駅
1985年3月23日

 キハ57−13の第1位側。
 縦桟は10本ある。キハ57−17も10本であった。

予讃本線 多度津駅
1985年3月13日

 キハ57−13の第2位側。縦桟は10本。
 キハ57形は10本のパターンが多い。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 キハ57−9の第2位側。
 縦桟は10本ある。・・・のだが・・・

土讃本線 琴平駅
1986年1月1日

 キハ57−9の第1位側。
 こちらは8本ww



〜発電動機箱〜

 1963年度以降に製造された、キハ28形の300(2300)番台車以降と、キハ58形の441号車以降では幾多の設計変更が行われ、その中に「発電動機箱」がある。

 これは、DC24Vを室内灯(蛍光灯)用のAC100V電源に変換するための機器等を収めた箱で、上記の1963年度新製車からは最初から室内蛍光灯にインバータ装置を内蔵したことで不要となったが、それ以前の車両では運転助手席側(第1位側)床下にこの機器を納めたグレーの箱が設置されており、外観上もよく目立つポイントになっている。

 

予讃線 高松駅
2005年6月25日

 キハ58−301の発電動機箱。

土讃線 高知駅
2003年9月16日

 キハ28−2142の例。

予讃線 多度津駅
1984年2月

 製造年次の関係から、キハ57形は全車この箱がある。

土讃線 讃岐財田駅
1985年3月

 機器箱が無いタイプのキハ58−575。

予讃線 多度津駅
2006年6月18日

 同じく、キハ28−2477。


 1984年に四国で登場した団臨仕様車3両(キハ58−769、キハ57−577、キハ28−2475)は全てこの機器箱が省略された後期仕様であるが、カラオケ装置などのAV機器が増えたためにこの発電動機箱の追設改造を行っている。


予讃線 高松駅
1985年5月26日

 1位側の発電動機箱がよく目立つ、初代団臨仕様車のキハ58−769。

土讃線 讃岐財田駅
1984年2月

 「土佐5号」に連結された、改造前の国鉄色キハ58−769。
 助手席側床下の発電動機箱は存在しない。


 なお、JR末期ではこの発電動機がサイリスタインバータに更新された車両が多数あるが、箱はそのままで中身だけを入れ換えている模様である。
 またキハ28形の中には、本来の第1位側以外にこの箱が設置されている車両も散見される(キハ28−2115等)。


多度津〜多度津工場間
2008年10月11日

 最末期まで残存したキハ58−293にも発電動機箱はあったが、中身はサイリスタインバータに更新されていた模様である。

土讃線 阿波池田駅
1985年10月16日

 この当時徳島気動車区配置のキハ28−2115。
 何故か、発電動機箱が第4位側に設置されている。



〜冷房電源供給用ジャンパ栓〜

 キハ58系は冷房化の際に、1台エンジンの28形に冷房電源用の発電機を搭載して58形に電源を供給するシステムを採用し、勾配線区向けには28形に替えて強力エンジン搭載のキハ65形を新たに開発して同車に発電エンジンを搭載した。
 これら冷房改造車には、冷房用電源を供給するためのジャンパ栓と、制御回路用のジャンパ栓が増設された。

 ちなみに制御回路が必要な理由は、電源の供給が単純に隣接車両への供給にとどまらず、編成の内容や順番によっては、1両飛ばして隣への供給となったり、自車を含めて2両分だったり3両分だったり、さらには自車分だけで良かったりとケースバイケースとなるため、その需給関係の制御が必要となるためである。

キハ58−616の前面


 仮にここに他の冷房58系を連結する場合、KE8とKE53をそれぞれ相手車両の栓受けに接続する。
接続した状態


 列車編成時にはこのジャンパ栓を接続するわけであるが、四国において冷房搭載のキユ25形を連結した列車の場合は、キユは冷房電源は自給自足して他車への供給を行わないことから、キユとキハの間のジャンパ栓は接続していなかった(そもそもキユ側に当該ジャンパ栓と栓受けが存在しない)。

キハ65とキハ28−5000の連結部
キユ25とキハ58の連結部
キユ25の前面

冷房関係のジャンパ栓と栓受けは無い


 なお、冷房化初期の段階で冷房改造された車両は冷房電源供給用ジャンパ栓納めの位置が通常よりも低い位置にあったが、曲線通過時に支障が出たことから後年の改修工事で高い位置に変更された。

 ・・・はずであるが、一部に低い位置のまま存置(放置?)された車両も存在し、四国在籍車両の場合は千葉から転属してきたナンバー不明のキハ28形1両が(少なくとも1981年1月の時点では)該当する。
 ナンバーは不明瞭であるが、各種資料などから調査した限りでは、キハ28−2009の可能性が非常に高い。

KE8ジャンパ栓納めの位置が低い例

予讃本線 高松駅
1981年1月撮影


〜トイレ〜

 国鉄時代、四国の車両基地でトイレの汚物の抜き取り施設があるのは高松運転所のみであった。
 そのため、高松以外の基地に配置されたキハ58系にはトイレタンクが設けられず、垂れ流し式のままが基本であった(逆に高松配置車は全車がトイレタンク付きであった)。

 徳島気動車区(当時)配置で「阿波」「むろと」「よしの川」に運用されたキハ58系についても、高松運転所からの転属車両以外は垂れ流しトイレのままで運用されていた。

 四国内で高松以外の基地に抜き取り設備が設けられたのは、JRになってからのことである。



〜冷房改造車の排水ドレインパイプ〜

 これは四国配置車のみの特徴ではなく、冷房搭載改造されたキハ58系の大多数に当てはまるが、1968年以降に製造された最終増備形を除くキハ58系は元々冷房搭載を考慮していない車体構造であったため、冷房改造に際して屋根上に冷房装置を搭載した際に車両限界との関係で、冷房装置の基礎部分が屋根に若干めり込むような形で設置されている。

 このため、通常であれば冷房装置からそのまま屋根上に排水するところ、屋根に排水用のドレインパイプを埋め込んで雨樋部分に流すような構造になっている。


 下画像はキハ58−199の該当部分。
 この画像は本来、ベンチレータの撤去痕を撮影したものであるが、クーラーのドレンパイプの部分が(偶然w)はっきりと写り込んでいたもの。
(2枚とも)
2005年10月1日
土讃線 高知駅


 大まかな概略図はこうなる↓



 キハ65形やキハ58系最終増備形やキユ25形が、通常タイプのキハ58系よりも屋根高さが6cm低くなっているのも、当初から冷房搭載を考慮して設計されたためである。




その他の小ネタ
スカート取付


 四国の改造車で比較的有名な平窓車へのスカート取付は、少なくともキハ58形の194/301/304/307/665号車の5両が確認されているが、他にもいた可能性があり、その全貌についてははっきりしない。
 上画像は307号車。

 なお、同様な改造は九州でも見られた。
スカート取付(2)


 スカートは車体にボルト止めという強引な手法で、貫通幌取付枠の一部を削っているのも特徴であった。

段違い手すり


 ワイパーの改造に伴って手すりが移設され、左右で段違いになっているキハ58−299。
 四国在籍車では他にキハ58−514が該当し、全て九州からの転入車であることから、九州の改造と思われる。
手すり移設


 こちらはワイパーを改造してない運転助士席側の手すりも同じ高さに移設した例。
 当方手持ち画像では車番が確認できない物が多いが、この画像はキハ58−293で、これ以外のも全て四国以外からの転入車と思われる。

 ちなみに四国生え抜きで多度津工場改造施工の物は、左右の手すりともオリジナルの高さに維持されているものでほぼ統一されている。

手すり短小化


 ワイパー改造部分を避けるように手すりを短小化した例。

 上画像はキハ58−129で、他にもキハ58−175とキハ58−179が該当し、いずれも関西中国地方からの転入車であることから、鷹取工場あたりの改造ではないかと推測される。


 また、これらの車両は後部標識灯が本来の内バメ式から外バメ式に改造されているのも特徴であり、これも鷹取工場の手による物と思われる。

手すり移設+短小化


 こちらは手すりの移設と短小化のコンボw

 加えて、「架線注意」シール、赤いワイパーアーム、蓋式のタイホンカバー、運転席のデフロスターと、当時(1986年4月)の四国在籍車としては違和感バリバリの異端車。

 他所からの転入後まだ間もない姿であると思われるが、渡り板が汚れていて車番が読み取れないのがつくづく残念である。


※その後の調査により、この車両はキハ58−482と判明。
逆巻き


 前出のキハ58−129は、四国へ転入当初は正面方向幕の下側が通常と反対の逆巻きになっていた。

 改造の範囲内なのか、あるいは単なる手違いなのかは不明であるが、これ以外に類例を見ないことから、後者の方ではないかと思われる。
ドア交換


 キハ58形の400番台車以降とキハ28形の300番台車以降は、出入口ドアの下端に丸い小窓が付いているのが標準仕様であるが、四国では旧国鉄四国総局時代から小窓の無いドアに交換するのが基本であった。

 上画像の通り、キハ28形の最終形パノラミックウィンドウ車(3012号車)ですら小窓無しのドアになっていた。

 四国在籍車で国鉄末期時点まで小窓付きのドアで残っていたのは、キハ58−575やキハ58−1036等ごくごく少数であった(しかもキハ58−575は前位右側ドアのみが小窓付きであった→)。

 理由については不明であるが、保守部品共通化のためではないかと想像。
房総急行の名残


 四国配置のキハ28形の内、かつて房総急行として運用されていた千葉鉄道管理局に所属していた車両の一部には、正面貫通路部分にヘッドマークをかけるためのバーが(2本)装備されていた。

 実際の総数は不明だが、少なくとも2009、2046、2051、2115号車(上画像)の4両が該当し、四国転属後も基本的にはそのままであった。
 この4両の中では、2046号車のみがJR四国に引き継がれている。
ジャンパ栓周りのバリエーション(その1)


 キハ58形のジャンパ栓周りの機器配置のバリエーション。

 ある程度把握できていれば、(車番が見えなくても)この部分だけでもある程度車番が特定できるほどのバリエーションがある。

 画像はもちろん、四国に在籍した車両のみを例示。
ジャンパ栓周りのバリエーション(その2)


 バリエーション続き。
 位置や長さなどの微妙な違いが楽しい。

 平窓スカート付きの3両はいずれも配置が異なるため、渡り板のナンバーが見えてなくても車番の特定が可能。
ジャンパ栓周りのバリエーション(その3)


 バリエーションさらに続き。

 実は各車毎に配置が異なるのは初期の車両のみで、517または518号車以降の車両については画像のキハ58−776の配置で統一されており、小生手持ち画像を見る限りは四国には例外車両はいなかった模様。


 四国配置のキハ57・58系の前面ジャンパ栓類の配置の違いについてのまとめはこちら。

放浪するジャンパ栓納め


 四国で最後まで残存したキハ58−293は、1985年頃に四国へ転属してから、国鉄急行色〜JR四国色〜復活国鉄急行色と塗装の塗り替えが行われているが、その度に前面の放送用ジャンパ栓(画像の一番細いケーブル)納めの位置が変わっていた。

 その部分を拡大してみると、車体に溶接してあるだけの模様で、比較的簡単に移設できるのであろう。
高松駅での事故を報じる当時の新聞記事


 四国のキハ58系の国鉄時代の事故廃車は確認できる範囲で2例のみ存在する(キハ57系を含む場合は3例→キハ57形の項を参照)。

 1983年12月3日に、高徳本線・三本松発高松行普通列車(332D)が、終着高松駅で止まりきれずに車止めを突破し、ホームに乗り上げた。

 この事故で、先頭のキハ28−2478(当時徳島気動車区配置)が事故翌年の1984年4月20日付けで廃車となっている。


 もう一例は、1969年12月19日に徳島線下浦駅横の下浦踏切で、小松島港行の急行「よしの川」がダンプカーと衝突し、駅横の建物に突っ込んで運転士が殉職した事故で、キハ58−666(当時高松運転所所属)が1970年3月12日付で廃車となった。



 なお、民営化以後の同系の事故廃車は、2003年8月26日に起こった土讃線・阿波川口駅でのキハ28−3013の車両火災事故により、同車が翌年3月31日付で廃車となっている例がある。

平窓車正面窓上の水切り

キハ28−2146
土讃線 新改駅
1997年6月7日

キハ28−2142
土讃線 佐川駅
1998年12月27日

キハ28−2417
土讃線 高知駅
1998年12月27日

キハ58−774
土讃線 土佐山田駅
2001年9月16日


 キハ58系の平窓車は正面窓の上に水切りが付いていたが、これが1997〜98年頃から順次撤去が始まっている。

 撤去開始時期が、上に書いた正面方向幕の交換時期と重なっているが、これは同時施工ではなく別々に行われた模様で、当方手持ち画像では、少なくとも2001年頃までは水切りの残存している車両が確認される。




形式
キハ58形キハ28形
車体(国鉄色)(JR四国色)(国鉄色)(JR四国色)

575号車


771号車
珍しい角形AU13搭載車

294号車


301号車
前期形の平窓スカート付き

3012号車

2142号車


2477号車
 駆動用エンジンを2台搭載。

 JR四国在籍車はトイレと洗面所、それに出入台デッキ部の仕切が撤去されてセミクロスシートに改造されている。
 これに併せて屋上の水タンクも撤去されており、外観上のキハ28との差異が少なくなった。
 駆動用エンジンを1台のみとし、自車を含めて最大3両分の給電能力を持つ冷房用発電機を搭載。
 屋根上水タンクは当初から搭載していない他、キハ58形と同様の通勤仕様化改造を受けている。

 キハ58形に比べて床下機器類が少々寂しいのが識別点で、燃料タンクと車体裾部の冷却水注入口の位置などを見れば一発で見分けがつく。
 また、同じキハ28形でも0番台と300/1000番台では冷却水注入口の位置が異なっている。
屋根上
178号車

254号車
本来の冷房改造車の屋根上


773号車
ベンチレータ撤去改造車
 最終増備型であるパノララミックウィンドウ車の冷房改造車を除いて、本来ベンチレータ付きが基本であるが、四国のキハ58系は晩年にはほとんどが屋上のベンチレータが撤去されていた。
寸法21,300 mm
2,944 mm
4,085 mm
重量40.2 t34.3 t
車体普通鋼
機関形式
出力
DMH17H
180PS/1,500rpm × 2
DMH17H
180PS/1,500rpm
変速機 TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比2.976
ブレーキ方式 機関ブレーキ付
DA1A
ブレーキ装置踏面片押
台車形式DT22CDT22C/TR51B
許容最高速度95km/h
車体構造・客室 2扉セミクロスシート
(オリジナルはクロスシート)
乗車定員 126
(オリジナルは 84 )

※さらに詳細はスペック一覧表参照

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