2000年2月5日更新

MyTravel Vol.16




「2000系でGO!」完乗の旅(その2)
(予讃線)




 行程2日目、この日は残った予讃線の3列車に乗りに行った。

2月1日(火)


1M「しおかぜ1号」+1005M「いしづち5号」
松山 ( 9:46) ← 観音寺 ( 8:11)
1号車
8505
指定席
2号車
8308
自由席
3号車
8205
自由席
4号車
8403
自由席
5号車
8303
自由席
6号車
8153
指定席
7号車
8103
指定席
8号車
8003
指定席

松山 ← 岡山
しおかぜ1号
松山 ← 高松
いしづち5号


 親の車で観音寺まで送って貰い、松山行き特急「しおかぜ1号」+「いしづち5号」に乗車。指定席・自由席とも6割程度の乗車率。通常は3両編成が「いしづち」、5両編成が「しおかぜ」となるが、この列車は例外的に「いしづち」編成の方が長い。

 5号車の禁煙車自由席車に乗車、電車の場合はディーゼルカーのようなエンジン音が無いので、ディーゼルよりも迫力とかスピード感ではちょっと落ちる(と私は思う)が、とりあえず速いに越したことはないのでまぁよかろう。

 川之江の留置側線には、鴨川駅常備の(はずの)バラスト運搬車ホキ800が留置されていた。このときは理由は不明だったが、後に判明した。

 「しおかぜ4号」+「いしづち4号」を待たせて関川を通過。新居浜では比較的乗降があったが乗車数と下車数がほぼ同じぐらいだったので乗車率は変わらず。
 壬生川は通過し、伊予三芳でも「しおかぜ6号」+「いしづち6号」を待たせてこちらは通過した。

 今治では下車数を遙かに上回る乗車があり、自由席車は一挙に満席となった。また、今治市内が雪化粧していたのには仰天した(^^;
 波止浜駅の場内分岐にはランプが焚かれていたほどであった。

 リアス式海岸を見ながら80〜90キロ程度で急曲線をクリアしていく。この頃になるとまた晴れ始め、日光の当たる側は暑いほどであった。

 伊予北条で「しおかぜ8号」+「いしづち8号」と交換。今度は双方とも営業停車である。
 松山には定刻の9:46に1番ホームに到着。



(2000年2月1日:松山駅)
1055D「宇和海5号」
宇和島 (11:16) ← 松山 (10:01)
1号車
2157
指定席
2号車
2216
自由席
3号車
2210
自由席
4号車
2114
自由席


 松山からは宇和島行き特急「宇和海5号」に乗り換え。松山〜宇和島間を1時間15分で走る、「宇和海」の中ではかなり速い方(最速列車は1時間14分)の列車である。

 かなり以前(去年か一昨年だったと思うが)私が、『「宇和海」は5両編成にするか、自由席車を3両に増やすべきである』と書いたことがあるが、この日の松山駅構内の掲示には、10月2日から「宇和海」の自由席車を3両に増やしたという張り紙が貼ってあり、内心ほくそ笑んだというのはここだけの話である(^^;
 やはりその施策は当たっているようで、この日の「宇和海5号」は、「しおかぜ」との接続が良くない上に平日の午前中の早い時間帯の列車だったにもかかわらず、自由席車は5〜6割程度の乗車率だった。

 「宇和海6号」が10:00に1番ホームに到着するのと入れ違いに松山駅3番ホームを発車。
 場内分岐を45km/hで抜けるとフルノッチが入って、石手川を渡る頃(フルノッチが入ってから1分ちょい)には早くも120キロ程度に達した。

 北伊予でキハ185−3000×2連+キハ58・65の併結4連という630Dと交換。撮影したかったが、「宇和海5号」は内子まで停まらないので諦めた(^_^;
 松山から7分で伊予市を通過、場内分岐を抜けるとエンジンブレーキ&排気ブレーキがかかり、左400Rを抜けて再度ノッチが入る。

 向井原から伊予大平、そして犬寄峠までにかけての18‰(一部23‰)上り勾配を加速しながらグイグイ登り、120km/hでサミットの犬寄トンネルに突入。いつもながらほれぼれする走りっぷりである。

 伊予中山の場内分岐を全く速度を落とさずに120キロで通過、伊予立川の場内通過制限で110キロに「減速」した以外は全く速度が落ちない。
 内子では10数人が下車。

 内子を出て内子トンネルを抜け、五十崎を過ぎると旧内子線を改良しただけのやや低規格な区間になる。250Rの急曲線も存在し、新谷ではY字分岐が残るほか、新谷〜伊予若宮(信号場)間では意味もなくS字カーブを描いて2000系でも85キロ程度に速度が制限され、何故線路改良時に直線に直さなかったのか疑問が残る。
 現在その区間は松山自動車道の工事が進んで、その高架橋の橋脚が予讃線を跨ぐように立っているため、今更直線化しようにも難しい状況になってしまっており、実に残念である。振子車でさえ90キロ以下に速度が制限されるようでは、高速道路には到底勝てっこないと思うのだが。

 伊予平野で「宇和海8号」と交換。またこちらが通過である。
 八幡浜では比較的動きがあり、八幡浜発車時点での自由席車の乗車率は3〜4割程度になった。

 八幡浜の場内を抜けて短い鉄橋を渡ると、線路はすぐに連続33‰上り勾配の笠置越えにかかり、「宇和海5号」は単調なエンジン音を上げながら85〜90キロ程度で登っていく。

 双岩・伊予石城と、いずれも急勾配の合間に作られたこじんまりとした駅で、ホーム長は70〜80m程、構内有効長も100数十mしかない。
 予讃線のすぐ脇を併走する国道にも登坂車線があり、大型トレーラーやワンボックスワゴンが黒煙を吐きながら登っていた。

 最後の笠置トンネルを抜けると勾配もなくなって視界が大きく開け、宇和盆地の南端に顔を出す。
 宇和盆地の中心、宇和町にある卯之町駅は、八幡浜〜宇和島間の途中駅の中では唯一2面3線の規模を持つ駅。

 卯之町の次の下宇和では真新しい分岐器が線路脇に置かれていた。同駅の場内分岐はまだY字分岐のままであり、もしかしたら一線スルー化するのかもしれない。
 法華津トンネルを抜けると今度は一転して連続33‰下り勾配で、宇和海を右手に見下ろしながら短いトンネルを次々に抜けていく。

 場内制限80キロの立間を、「宇和海10号」を待たせて通過。伊予吉田までの間にまた33‰の峠越えがある。
 終着宇和島には定刻の11:16に1番ホームに到着。


 到着後、すぐにキハ185−3000×2連の伊予市行き644Dが2番ホームに入線してきた



(2000年2月1日:宇和島駅)
18D「しおかぜ18号」+1018D「いしづち18号」
宇和島 (12:54) → (14:12) 松山 (14:22) → 高松 (16:42)
1号車
2004
指定席

2号車
2209
自由席
3号車
2207
自由席
4号車
2108
自由席
5号車
2112
指定席
7号車
2152
指定席
8号車
2113
自由席
宇和島 → 岡 山
松山→岡山
松山 → 高松
しおかぜ18号
いしづち18号


 宇和島では1時間半のインターバルで、「しおかぜ18号」+「いしづち18号」で予讃線を全線踏破して高松まで折り返すことにした。
 正確に言えば、宇和島から出発する4両編成は全て「しおかぜ18号」で、「いしづち18号」は松山からの連結となる。また、「しおかぜ18号」は松山から指定席車が1両増結される。

 なお、本当はここで名物駅弁「斗牛弁当」を食す予定であったが、残念ながら売り切れていた(^_^;ので、JR四国の子会社が運営する「ウィーリーウィンキー」のパンで済ませることにした。

 今回は「カブリツキ」の確保に成功(^^;、4号車の1番C・D席に陣取った。松山までを担当した動力車乗務員は、松山運転所の井内さん、、、と、運転台後部に挿された名札がそう語っている(^^;
 先ほどの道を逆に辿るが、今度はスピードメーターも見える位置なので、速度制限の様子などもとてもよく判る。


 宇和島発車時点での自由席車の乗車率は4割程度で多いとは言えなかったが、この先停車駅毎に乗客を拾っていき、松山到着時点は自由席車は8割程度の座席が埋まっていた。

 法華津越えの33‰を今度は逆に登る。速度は85km/h程度だが、まだ余裕があるように感じられ、エンジン音は単調である。

 一線スルー化工事が行われそうな気配のある下宇和は、60キロで場内分岐を通過、卯之町を出て伊予石城で「宇和海9号」と交換のため運転停車。

 八幡浜までの間の下り勾配は、急曲線も多く、速度制限の標識が断続する。井内動力車乗務員は、巧みな操作でノッチのON/OFFとブレーキの調節を行う。2000系のブレーキハンドルは一番手前が解除状態で、1つ押し込むと抑速、2つ押し込むと通常ブレーキもかかるようになっているようだが、その前後方向に動かす横軸式のブレーキハンドルを、ATのセレクトレバーのようにカチッ・カチッと、デッキを隔てた客室にまで音が聞こえてきそうな感じで小気味よく操作している。

 内子駅の手前の内子トンネルは出口あたりがカーブしており、それに対応して内子駅の場内中継信号も第1中継から第3中継まで3つ立っている様子が判る、、、というのも、カブリツキならではである(^^;
 内子では、宇和島を1時間先に発車した644Dを追い越す。一旦動き出すとすぐに停まってドアが開いた。どうやら乗り遅れかかった客がいたようで、このような風景も地方ならではだが、これにより1分の遅延と相成った。なお、内子では「宇和海11号」と交換した。


 内子からの新線区間を「しおかぜ18号」は120キロで快調に飛ばす。

 このとき気になったのだが、高速でトンネルに突入すると、車体がかなり凹んだり膨らんだりしているのである(目測ではっきり判るぐらい)。2000系は軽量化のために車体外板が薄く出来ているが、それが影響しているようでもある。それと共に「耳ツン」もかなりのレベルで、この区間で130km/hを超える高速運転を行うためには、車輌面の改良が必要であると感じた。

 伊予中山で、これまたキハ185×2連の647Dと交換。
 犬寄トンネルから伊予大平、向井原までにかけては100〜110キロ程度で流していた。また伊予市の場内信号が黄色を現示していたために減速、場内分岐を通過する頃に出発信号が青になり、フルノッチが入った。


 結局1分遅れのままで松山駅は2番ホームに到着。所要時間は22分で、伊予大平付近で流した上に伊予市手前で減速してこれなので、実際は21分運転も可能かもしれない。

 ほぼ同時に松山駅1番ホームに到着した「しおかぜ7号」+「いしづち11号」の付属編成がそのまま「しおかぜ18号」+「いしづち18号」として折り返す。従って、残念ながら2000系×7〜8両編成が並ぶ様子は撮れないが、予讃線で2000系「しおかぜ」が並ぶところを撮れるチャンスは非常に少ないので、「いしづち18号」の先頭8号車2番席に座席を確保した後、10分間の停車時間(実際に動けたのは3〜4分だったが(^^; )の間に撮影に奔走した。

 もちろん、2000系「しおかぜ」同士の交換というだけなら、昔沢山撮っているので、その意味では今更撮る必要もないのだが、松山駅での交換風景は撮ったことが無かったのであった(^^;


しおかぜ18号/しおかぜ7号
(しおかぜ18号/しおかぜ7号:松山駅)

 14:22定刻に松山を発車。「いしづち18号」の先頭8号車の自由席車は乗車率8〜9割程度で、よく乗っている。

 伊予亀岡で2分間運転停車し、「しおかぜ9号」+「いしづち13号」を通す。

 今治ではやはり多くの乗降があり、満席近くになった。今朝通りがかったときには市内は雪化粧していたが、さすがにもう雪は残っていない。

 雪をかぶった石鎚連邦を見ながら、小松の大カーブを大きく車体を傾けながら120キロで悠然と曲がり、「しおかぜ11号」+「いしづち15号」を待たせて伊予小松を通過。


 伊予西条では、多度津工場から松山に向けて回送される2150形の単行回送列車「試6183D」と出会った。
 たまたま18D+2018Dの先頭8号車が(私の乗った車両)が、伊予西条駅4番線に停まっていたこの2150形の丁度真横に停まってくれたため、下の写真のような正側面からの綺麗な写真が撮れてラッキー(^^;




 新居浜にはJR貨物・新鶴見機関区のEF65PF2両が、コキ104コキ50000とともにたむろしていた。1065号機と1071号機で、いずれも車番プレートが赤く塗装された車輌であった。
 この新居浜でも結構乗車があり、完全に満席となった。

 伊予寒川でまた、対向の「しおかぜ13号」+「いしづち17号」を待たせてこちらは通過。土讃線もそうだが、四国の場合は昔から、本州線に接続する上り列車の方を下り列車よりも優先させるように、優等列車のダイヤが組まれており、運転停車も上り列車より下り列車の方が多くなる傾向がある。
 但し、上り列車は遅延に備えた余裕時間の組み込みが増える傾向があるため、平均すれば下り列車の方が所要時間が延びる傾向があるが、最速列車は下り列車に多い。


 伊予三島でJR貨物標準塗色のEF65−1051が牽引する下り貨物列車と離合、その次の川之江では赤プレートを掲げたEF65−1097の牽引する上り貨物列車を追い越した。
 積み荷のコンテナには「伊予三島駅常備」の文字と、「飯田町〜伊予三島」の札が見えたので、紙パルプやチップを積んでいるのだろう。

 観音寺を出て、本山から比地大にかけての直線を飛ばしたその先の、比地大〜高瀬間のの第1閉塞信号機が黄色を現示、エンジンの轟音と共に速度が下がった。その先の高瀬駅場内信号機も黄色だったが、進むうちに青に変わり、フルノッチが投入されて高瀬を通過。恐らく対向の153Mの高瀬到着が遅れていたのだろう。

 海岸寺でも「しおかぜ15号」+「いしづち19号」を待たせてこちらは通過した。

 多度津で2分の停車の後、「いしづち17号」は単独の2両編成で高松へ向かう。

 鴨川駅では、来年(予定)のダイヤ改正から使用開始するための、待避線の増設工事が行われていた。以前ホキ800が寝ていた留置側線はほとんど全て剥がされ、ショベルカーなどが動いていた。
 鴨川駅常備のホキ800が川之江にいたのはこのためのようだが、工事終了までの間一時的に疎開しているのか、このまま川之江駅常備に変更されるのかは不明である。

 宇和島から長駆290キロ、3時間48分をかけて定刻に高松駅8番ホームに到着した。この区間、急行列車時代は5時間以上かかっていたので、1時間半のスピードアップである。


1025M「いしづち25号」+21M「しおかぜ21号」
観音寺 (19:23) ← 高松 (18:31)
1号車
8504
指定席
2号車
8307
自由席
3号車
8204
自由席
4号車
8406
自由席
5号車
8306
自由席
6号車
8156
指定席
7号車
8106
指定席
8号車
8006
指定席

松山 ← 高松
いしづち25号
松山 ← 岡山
しおかぜ21号


 高松では1時間ほど列車を撮影。それから一旦改札を出て銀行へ行った。

 この日のラストランナーは「いしづち21号」松山行き。多度津からは「しおかぜ25号」を後部に増結する。

 夕方の帰宅時間帯のため、2両の自由席車は満席で、立ち客もいた。坂出・丸亀と勤め帰りのサラリーマンやOLが降り、多度津では自由席車の乗車率は5割程度になった。
 ホームライナー的性格も持つ帰宅列車らしく、詫間・高瀬と丹念に停まっていき、その度に乗客は減っていった。

 観音寺には定刻の19:23に到着、観音寺発車時点では、「いしづち17号」編成は乗車率4割程度、「しおかぜ13号」編成は6〜7割程度だった。
 観音寺駅まで親に迎えに来て貰い、実家に戻ったのは20時頃だった。



結局2日で7列車全て完乗した。


Vol.15へVol.17へ