跨線(人道)橋一覧



 JR四国各駅の跨線橋とその銘板をかき集めただけのページ。

 ここに掲載するのは、原則として地平駅の駅舎とホームを結ぶ跨線橋のみとし、高架駅や橋上駅舎、また駅構内を跨ぐだけの自由通路的な物は割愛する。
 なお、名目上自由通路であっても、直接駅構内(ホーム等)への出入が可能な構造となっている物は、ここに掲載する。




 面白い傾向として、中間の小駅の跨線橋で国鉄時代に設置されたものは、近隣の複数の駅で着手/竣工年月日が一致しているケースが多い。
 もしかすると、この手の小規模な跨線橋はひとつひとつ個別に着手するのでなく、複数まとめることで予算化しやすくしていたのではないだろうか。


 銘板の表記は
 
 「○○駅こ線人道橋」
 「○○駅こ線橋」
 「○○こ線人道橋」
 「○○こ線橋」

 と大きく4つのパターンがあり、加えて旧国名の部分がひらがなになったり省略されていたり、ひらがなの場合は小文字になっていたりと、表記方法にもかなりのバリエーションがある。


予 讃 線

駅名跨線橋銘板銘板表記 着手竣工年月日
および
施工者
記事
鬼無
 「こ線人道橋」

着手:1971/ 7/ 7
竣工:1971/10/ 4


大鉄工業(株)

 駅本屋側は、ホームでなく駅の外に繋がっている。
 国分・鴨川も着手/竣工日がこれと同じになっている。


 これとは別に、高松方に駅構内を跨ぐ歩道橋(自転車通行可能)がある。
端岡 (0〜1/2番ホーム間の跨線橋)

(0〜3/4番ホーム間の跨線橋)

(2つの跨線橋を望む)

(2基とも竣工銘板無し)



 JR四国内で構内跨線橋が複数ある駅は、端岡とこの徳島の2駅のみとなっている。

 元々1箇所のみであったが、高松近郊区間の列車待避設備増強策により、旧2/3番ホームがほぼ全面的に作り替えらたのに伴って旧跨線橋は撤去され、新たに1番ホーム(現0番ホーム)と2つの島式ホームを結ぶ跨線橋がそれぞれ作られた。


 0番ホームと1/2番ホームを繋いでいる物は、JR四国内では意外と希少な、線路1本分の幅だけを跨いでいるのみの短いタイプ。
 当駅以外では海岸寺・北宇和島・佃・丹生・阿波大宮のみとなっている。
国分
 「こ線人道橋」

着手:1971/ 7/ 7
竣工:1971/10/ 4


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、鬼無と同じになっている。
鴨川
 「こ線人道橋」

着手:1971/ 7/ 7
竣工:1971/10/ 4


大鉄工業(株)

 待避設備増強策に伴う線路改良工事に伴い、従来の併用2面3線から島式2面4線に変更されたが、端岡と異なり此方は元々あった跨線橋は2本の島式ホームを繋ぐ跨線橋として残され、新たに駅本屋側を繋ぐ部分が増設された。
 ホーム側と駅本屋側の跨線橋の作りが異なっているのはそのためである。

 なお、銘板は在来部分にのみ設置され、増設部分には見当たらない。

 在来部分の着手/竣工日は、鬼無・国分と同じになっている。
海岸寺
(竣工銘板無し)



 線路1本分の幅だけを跨いでいるのみの短いタイプは意外と希少で、当駅以外では端岡・北宇和島・佃・丹生・阿波大宮のみとなっている。


 何故か竣工銘板が見当たらないが、恐らく鬼無・国分・鴨川と同じ日付ではないかと想像。
高瀬
 「駅跨線橋」

着手:1968/10/25
竣工:1968/12/28


(株)西分鉄工所

 銘板は橋脚取付で、部外者は正面から撮れない位置に設置。
川之江




伊予寒川
「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 多喜浜・中萩・伊予富田・伊予亀岡・粟井・堀江も着手/竣工日が同じとなっている。

 「日本国有鉄道 多度津工場」銘板もあったが、2020年頃に撤去されてしまった模様。

(↓撤去痕)


(↓2017年当時)
多喜浜
「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 伊予寒川・中萩・伊予富田・伊予亀岡・粟井・堀江も着手/竣工日が同じとなっている。
新居浜





 国鉄時代の主要駅として標準的な構造の跨線橋で、後付けのエレベーターが併設されている。

 橋脚に予讃線の103kmのキロポストが縛り付けられているのが萌えポイント(?)。
中萩
「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、伊予寒川・多喜浜・中萩・伊予富田・伊予亀岡・粟井・堀江と同じ。

 左画像の銘板は2017年4月撮影の物で、2024年11月時点では竣功銘板の方が無くなっているのを確認
伊予西条





 2017年度に、従来の古い跨線橋を取り壊して、新しくエレベーターつきの物に建て替えられた。

 南北を結ぶ自由通路と至近距離にある。
伊予小松
 「こ線人道橋」

旧国名省略

着手:1984/ 1/??
竣工:1984/ 3/??


大鉄工業(株)

 何故か、着手/竣工日の「日」が省略されている。
 波止浜・浅海・屋島と同じかもしれない(1/12着工、3/30竣工)。

 また駅名旧国名部分も省略されている。
壬生川



伊予三芳



伊予桜井


 何故か竣工銘板は見当たらなかった。
伊予富田
「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、伊予寒川・多喜浜・中萩・伊予亀岡・粟井・堀江と同じ。
波止浜
「駅こ線人道橋」

着手:1984/ 1/12
竣工:1984/ 3/30


四国通信建設(株)

 着手/竣工日は、大西、浅海、屋島と同じ。
大西
「駅こ線人道橋」

着手:1984/ 1/12
竣工:1984/ 3/30


四国通信建設(株)

 伊予亀岡駅や西佐川駅と同様、構内跨線橋と駅裏を結ぶ跨線橋が繋がっているが、当駅のは駅本屋側の降り口がホームでなく駅出口の外にある点が異なる。

 着手/竣工日は、波止浜、浅海、屋島と同じ。
伊予亀岡

「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 大西駅や西佐川駅と同様、構内跨線橋と駅裏を結ぶ跨線橋が繋がっている。

 着手/竣工日は、伊予寒川・多喜浜・中萩・伊予富田・粟井・堀江と同じ。
菊間
「駅こ線人道橋」

着手:1984/12/18
竣工:1985/ 3/27


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、伊予北条・伊予和気・阿波川島と同じ。
浅海
「駅こ線人道橋」

着手:1984/ 1/12
竣工:1984/ 3/30


四国通信建設(株)

 着手/竣工日は、波止浜、大西、屋島と同じ。
伊予北条
「駅こ線人道橋」

着手:1984/12/18
竣工:1985/ 3/27


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、菊間・伊予和気・阿波川島と同じ。
粟井

「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、伊予寒川・多喜浜・中萩・伊予富田・伊予亀岡・堀江と同じ。
堀江

「駅こ線人道橋」

着手:1971/ 9/27
竣工:1972/ 2/13


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、伊予寒川・中萩・伊予富田・伊予亀岡・粟井と同じ。
伊予和気
「駅こ線人道橋」

着手:1984/12/18
竣工:1985/ 3/27


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、菊間・伊予北条・阿波川島と同じ。
三津浜




 元々別個に存在していた駅跨線橋と自由通路が接続されている珍しい例。
松山



 「駅こ線橋」

着手:1977/10/14
竣工:1978/ 1/31


(株)有光組

 意外と新しく、恐らく地平時代の高知駅と同様に、以前はこれとは別の先代の跨線橋があったと思われる。

 2007年度にエレベーターが設置されたが、やや強引に取り付けた感があり、高架化までの間に合わせの印象が強い。


 2021年末現在、高架工事中。
 駅の高架化により消えゆく運命にある。

北伊予



着手:2018/10/ 1
竣工:2019/ 8/26


四国開発建設(株)

 松山貨物駅開業および松山運転所移転に伴う構内改良工事に合わせて新築された。

 先代の跨線橋は完全に撤去された

伊予市

「駅こ線人道橋」

着手:1985/12/12
竣工:1986/ 3/21


(株)有光組

 1番ホーム側は、階段がコの字状に曲がっている。
 JR四国の駅の跨線橋で、このような構造になっているのは6駅(伊予市、卯之町、佃、豊永、讃岐白鳥、板野)のみである。

 形状や構造、着手/竣工日ともに卯之町駅の物と同じである。
伊予中山




 当時の鉄道建設公団の手による、田舎の駅に似つかわしくない立派な跨線橋。
伊予大洲




八幡浜




 線路3本を跨ぐ長い跨線橋。

 四国ではこのタイプはこれが唯一のものである。
 なお、線路は2本しかないが長さが実質3本分あるものとしては、西佐川がある。
卯之町
「駅こ線人道橋」

着手:1985/12/12
竣工:1986/ 3/21


渡部工業(株)

 1番ホーム側は階段がコの字に曲がった構造になっている。
 JR四国の駅の跨線橋で、このような構造になっているのは6駅(伊予市、卯之町、佃、豊永、讃岐白鳥、板野)のみ。

 当駅の物は屋根付きという点でも伊予市と同じで、柵などの構造も似ているが、実は着手/竣工年月日も伊予市と同じである。
伊予吉田



北宇和島



 線路1本分の幅だけを跨いでいるのみの短いタイプ。
 JR四国内では、当駅以外では端岡・海岸寺・佃・丹生・阿波大宮のみとなっている。






土 讃 線

駅名跨線橋銘板銘板表記着手竣工年月日記事
善通寺




 1896年讃岐鉄道開業当時からの構造物で、重要文化財に指定されているが、中は路面がアスファルト舗装になっているなど、それなりに手が加えられている。

 しかし、木造部分は相応に老朽化が進み、一部腐食も見られる。
琴平




 善通寺と同様に重要文化財指定建造物だが、床面が舗装されるなどかなり手を加えられている点も同じ。
塩入
 「駅こ線橋」

着手:1970/ 6/27
竣工:1970/10/15


大鉄工業(株)

 箸蔵・三縄・土佐岩原・繁藤も、着手/竣工日が同じになっている。
箸蔵
 「駅こ線橋」

着手:1970/ 6/27
竣工:1970/10/15


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、塩入・三縄・土佐岩原・繁藤と同じ。

 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/10
竣工:1983/ 3/31


三工建設(株)

 駅本屋側の階段がコの字状に曲がっているのが特徴。
 JR四国の駅の跨線橋で、このような構造になっているのは6駅(伊予市、卯之町、佃、豊永、讃岐白鳥、板野)のみである。

 また、このタイプで線路1本のみを跨いでいる短いタイプは、JR四国の駅では当駅のみに存在する。

 着手/竣工日は、土讃線には他に同日の駅は無いが、徳島線の辻駅など9駅と1日違いとなっており、実質的にほぼ同時と見て良いであろう。文字のフォントも、この隣の辻駅及びさらにその隣の阿波加茂駅と同じ。
阿波池田
 「駅こ線橋」

着手:1986/ 3/20
竣工:1986/12/25


三工建設(株)

 JR化直前の建造で、先代の古い跨線橋は高知方のホーム端にあった

三縄
 「駅こ線橋」

着手:1970/ 6/27
竣工:1970/10/15


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、塩入・箸蔵・土佐岩原・繁藤と同じ。
阿波川口
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 9/ 5
竣工:1983/12/13


三工建設(株)

 DF50形全廃後の着手&竣工。
 豊永も同じ日付となっている。
土佐岩原
 「駅こ線橋」

着手:1970/ 6/27
竣工:1970/10/15


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、塩入・箸蔵・繁藤と同じ。

 ひらがなで小さく書かれた「とさ」がファンシーなイメージを醸し出している(?w)。
豊永
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 9/ 5
竣工:1983/12/13


三工建設(株)

 着手/竣工日は、阿波川口と同じ。

 駅本屋側の階段がコの字状になっており、JR四国の駅の跨線橋では同様な構造を持つ跨線橋は6駅(伊予市、卯之町、佃、豊永、讃岐白鳥、板野)にしかない。
 中でも、このように3箇所繋がっている物は、当駅と板野のみとなっている。
繁藤
 「駅こ線橋」

着手:1970/ 6/27
竣工:1970/10/15


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、塩入・箸蔵・三縄・土佐岩原と同じ。
土佐山田




 木造のかなり古い跨線橋で、階段部分の裏側の劣化が結構酷い。

土佐大津



土佐一宮



 高知運転所移転に伴う線路改良工事の際に、ホームおよび跨線橋が全て造り替えられた。比較的新しい。




 線路改良工事中の様子。

 左端のホームとそれを繋ぐ跨線橋は現存しない。


※1999年5月1日撮影
薊野



 土佐一宮と同様に、線路改良工事の際に交換設備が増設され、併せて跨線橋が新たに整備されている。

「駅こ線橋」

着手:1984/12/17
竣工:1985/ 3/26


(株)轟組

 着手/竣工日はいずれも、菊間・伊予北条・伊予和気・阿波川島各駅の1日前になっている。
 恐らく、実際の予算化は同時であると思われる。
西佐川





 駅跨線橋と、駅裏手を繋ぐ自由通路が合体している。

 当駅は元々松山方面とを結ぶ”予土線”の起点として計画され、1番線と2番線の間にもう1本線路が敷けるスペースがある。そのため当駅跨線橋も実質的に線路3本分を跨ぐ長いものとなっており、これだけ長いのは当駅以外では八幡浜にしかない。
須崎




 木造の古い跨線橋だが、開業当初からのものではない。
窪川
「こ線橋」

着手:1974/ 1/ 8
竣工:1974/ 6/ 6


大鉄工業(株)

 土讃線で「○○こ線橋」表記は珍しく、少なくとも現時点で確認できる範囲では窪川のみである。





高 徳 線


 何故か、銘板の駅名の「駅」が省略されている物が多い。
 「○○”駅”」が入っているのは、讃岐津田、讃岐相生、板東のみで、それ以外は無い。

駅名跨線橋銘板銘板表記着手竣工年月日記事
屋島
 「こ線人道橋」

着手:1984/ 1/12
竣工:1984/ 3/30


佐々木土建工業(株)

 着手/竣工日が、予讃線の波止浜・大西・浅海と同じになっている。
オレンジタウン




 (銘板見当たらず)
造田
 「こ線人道橋」

着手:1979/ 6/21
竣工:1979/10/ 8


大鉄工業(株)

 丹生・讃岐白鳥も、着手/竣工日が同じになっている。
讃岐津田
 「駅こ線人道橋」

着手:1985/12/20
竣工:1986/ 3/29


山一建設(株)

 銘板の駅名は「讃岐」が省略されている。
丹生
 「こ線人道橋」

着手:1979/ 6/21
竣工:1979/10/ 8


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、造田・讃岐白鳥と同じになっている。

 線路1本分の幅だけを跨いでいるのみの短いタイプで、JR四国内では当駅以外では端岡・海岸寺・北宇和島・佃・阿波大宮のみに存在する。
三本松



讃岐白鳥
 「こ線人道橋」

着手:1979/ 6/21
竣工:1979/10/ 8


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、丹生・造田と同じになっている。
 銘板の駅名は「讃岐」がひらがな表記になっている。

 1番ホーム側の階段がコの字状に曲がっているのが特徴。
 JR四国の駅では、全部で6駅でしか見られない。
引田
 「こ線橋」

着手:1996/ 8/20
竣工:1996/12/17


四国開発建設(株)

 平成年代の架設で、かなり新しい。
讃岐相生
 「駅こ線人道橋」

着手:1975/12/24
竣工:1976/ 3/27


山一建設(株)

 隣の阿波大宮と着手/竣工日が同じになっている。
阿波大宮
 「「こ線橋」

着手:1975/12/24
竣工:1976/ 3/27


大鉄工業(株)

 隣の讃岐相生と着手/竣工日が同じになっている。

 JR四国内では、他に端岡・海岸寺・北宇和島・佃・丹生のみで見られる、線路1本分の幅だけを跨いでいるのみの短いタイプ。
板野



 駅本屋側の階段がコの字状に曲がっている。

 JR四国の駅の跨線橋で、このような構造になっているのは6駅(伊予市、卯之町、佃、豊永、讃岐白鳥、板野)のみである。
 なおかつ、このように3箇所繋がっている物は、当駅と豊永のみとなっている。
板東
 「駅こ線橋」

着手:1984/ 2/ 9
竣工:1984/ 3/30


(株)姫野組

 徳島線の府中・牛島・学・山瀬・川田・小島・阿波加茂・辻も着手/竣工日が同じとなっている。
池谷





 中央が駅舎、両端がホームに繋がっている珍しい構造。

勝瑞
 「こ線橋」

着手:1995/12/26
竣工:1996/ 2/28


四国開発建設(株)

 銘板の表記が「駅」と「人道」の両方が省略されているパターン。

 N2000系投入を伴う高徳線高速化事業による、交換設備増設の際に架設された。

 銘板が、跨線橋本体部分でなく橋脚の基礎部分に設置されているのが珍しい。
 そのため、一旦駅舎外に出ないと銘板の確認が出来ない。
吉成
 「こ線橋」

着手:1977/11/11
竣工:1978/ 2/ 8


大阪土木工業(株)

徳島




 JR四国内で構内跨線橋が複数ある駅は、端岡とこの徳島の2駅のみとなっている。

 東側(阿南方)にある方が古いが、3/4番ホーム側の東側降り口は、エレベーター増設に際して閉鎖されて物置になっている。

 西側(佐古方)にある方は、元々単純なコの字型であったが、駅改築とそれに伴うホームの一部移設の際に、1/2番ホーム側佐古方への降り口が増設された。
 此方はエレベーターは無し。









牟 岐 線


 牟岐線は、駅構内跨線橋のある駅は存在しない。




徳 島 線


駅名跨線橋銘板銘板表記着手竣工年月日記事
蔵本






 徳島鉄道開業当初からの物で、支柱には「鉄道省」の刻印が残る。
府中
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


藤崎建設(株)

 着手/竣工日は、板東・牛島・学・山瀬・川田・小島・阿波加茂・辻と同じ。
石井



 蔵本同様に、開業当初からの古い跨線橋。
牛島
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


四国開発建設(株)

 着手/竣工日は、板東・府中・学・山瀬・川田・小島・阿波加茂・辻と同じ。
鴨島




阿波川島
 「駅こ線橋」

着手:1984/12/18
竣工:1985/ 3/27


(株)岡田組

 着手/竣工日は、予讃線の菊間・伊予北条・伊予和気と同じになっており、これらの駅とまとめて予算化されたのであろう。

 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・山瀬・川田・小島・阿波加茂・辻と同じ。
山瀬
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


大鉄工業(株)

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・学・川田・小島・阿波加茂・辻と同じ。
川田
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


(株)姫野組

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・学・山瀬・小島・阿波加茂・辻と同じ。
小島
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


(株)姫野組

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・学・山瀬・川田・阿波加茂・辻と同じ。
阿波加茂
 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


四国通信建設(株)

 独特な明朝体フォント。

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・学・山瀬・川田・小島・辻と同じ。

 「駅こ線橋」

着手:1983/ 2/ 9
竣工:1983/ 3/30


四国通信建設(株)

 隣の阿波加茂駅と共通の独特な明朝体フォント。

 着手/竣工日は、板東・府中・牛島・学・山瀬・川田・小島・阿波加茂と同じ。





予 土 線


駅名跨線橋銘板銘板表記着手竣工年月日記事
吉野丸



 橋桁部分がトラス橋構造となっているちょっと珍しい例。
伊予宮野下
 「駅こ線橋」

旧国名省略

着手:1983/ 9/ 1
竣工:1983/11/19


大鉄工業(株)

 銘板は駅名の「伊予」が省略されている。





鳴 門 線


 鳴門線は、駅構内跨線橋のある駅は存在しない。





同一年月日一覧


 現状判明してる範囲での、着手/竣工日が同一になっている駅の一覧

着手竣工該当駅備考
1970/ 6/27 1970/10/15塩入、箸蔵、三縄、土佐岩原、繁藤
1971/ 7/ 7 1971/10/ 4鬼無、国分、鴨川 線路改良前の端岡の旧跨線橋も同じだった?
海岸寺も同じか?
1971/ 9/27 1972/ 2/13伊予寒川、多喜浜、中萩、伊予富田、伊予亀岡、粟井、堀江 「日本国有鉄道 多度津工場」銘板あり。
(ただし、伊予寒川は撤去済み、多喜浜は確認できず(撤去済みか?))

伊予三芳、伊予桜井も同一か?
1975/12/24 1976/ 3/27讃岐相生、阿波大宮
1979/ 6/21 1979/10/ 8造田、丹生、讃岐白鳥
1983/ 2/ 9 1983/ 3/30板東、府中、牛島、楽屋、山瀬、川田、小島、阿波加茂、辻佃が着手/竣工日とも、これより1日後。
1983/ 9/ 51983/12/13阿波川口、豊永
1984/ 1/121984/ 3/30波止浜、大西、浅海、屋島伊予小松も同じ?
1984/12/18 1985/ 3/27菊間、伊予北条、伊予和気、阿波川島旭が着手/竣工日とも、これより1日前。
1985/12/121986/ 3/21伊予市、卯之町






表記ゆれ


 銘板の表記のゆれを路線毎に集計。


合計 「○○駅こ線人道橋」 「○○駅こ線橋」 「○○こ線人道橋」 「○○こ線橋」 その他不明・調査中備考
予讃線361513
土讃線2010
高徳線17
徳島線12
予土線
(計)87172232


 路線ごとに偏りがあるのが面白い。



施工業者


 施工業者ごとの集計。。
 「(株)」は省略。


合計大鉄工業 四国開発
建設
四国通信
建設
有光組西分鉄工所渡部工業三工建設轟組 佐々木
土建工業
山一建設姫野組 大阪
土木工業
藤崎建設岡田組不明・調査中備考
予讃線3614







14
土讃線20











高徳線17








徳島線12








予土線













(計)872733


 大鉄工業と四国通信建設が多いが、地元の業者だったり、中には何故その会社が? と首をかしげるようなのもある。





「多度津工場」銘板のある駅


<予讃線>
 伊予桜井
 伊予富田
 伊予亀岡
 粟井
 堀江







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