キハ57形 急行形気動車


キハ57−20を連結した「あしずり」

土讃本線 阿波池田駅
1985年10月16日


 1961年に登場したキハ58系はその汎用性の高さから日本全国に勢力を広げつつあったが、66.7‰の急勾配がある信越本線碓氷峠については、当時はまだアプト式を採用していた関係で、従来の金属バネ台車+踏面ブレーキではラックレールに接触してしまうことから、それをクリアするために空気バネ台車とディスクブレーキを装備させたのが、キハ57形(およびキロ27形)である。


 台車は特急用のキハ82系と同じ空気バネ式のDT31/TR68、基礎ブレーキ装置は車輪ディスクブレーキとなる。その他の点は全て本州向けのキハ58形と同一で、外観だけで区別するのは難しい。
 キハ57形が36両、キロ27形が7両の、合わせて43両のみが製造され、急行「信州」などで活躍(アプト区間では無動力)したが、碓氷峠のアプト区間廃止と信越線全線電化によって用途廃止となり、キロ27形はその時点で全車廃車され、その後キハ57形の一部が四国へ流れてきて余生を送った。


 四国で活躍したキハ57形は、9,11,13,15〜17,19,20,22の9両で、全て1978年の秋に長野機関区(当時)から高松運転所へ転属している。

 このうちの11号車は、1984年10月6日に土讃本線・琴平〜塩入間を急行「土佐3号」として走行中にトレーラーと衝突する事故に遭遇し、その後1985年2月に四国のキハ57形のトップを切って廃車処分となった。

 国鉄民営化の直前にさらに6両が廃車となり、結局JR四国には19号車と22号車の2両が引き継がれ、キハ57系として最後の活躍をしていたが、91年12月いっぱいで除籍・廃車処分とされ姿を消した。



土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月
(2枚とも)

 キハ57形の内、1961年に新製された最初期の車両(1〜13号車)は、前照灯の幅がやや狭くなっている。

 画像は上がキハ57−9、下が通常のキハ58形。


 四国配置ののキハ57形のフロントジャンパ栓周りの機器配置のバリエーション。

 最初期の9/11/13号車と中期の15号車はそれぞれ全て位置が異なっていて、この部分を見れば車番を特定可能。
 以降は、16/17号車と19〜22号車がそれぞれ同じ配置となっており、両車の違いは放送用ジャンパコードを引っかけるフックの有無だけとなっている(前者が無し)。


 四国配置のキハ57・58系の前面ジャンパ栓類の配置の違いについてのまとめはこちら。



 キハ57形は正面タイホンのすぐ脇に、放送用ジャンパホース(細いケーブル)をかけるためのフックが設けられている。

 これは何故かキハ28/58形には存在せず、キハ57形のみの装備となっている模様であるが、キハ57形でもなぜか17号車には見当たらない(16号車は未確認のため不明であるが、17号車と同じロットなので恐らく無いと思われる)。


 非常に快適な乗り心地を誇ったDT31形台車。








予讃本線 高松駅
1983年6月

 キハ57形先頭で高松に到着した「あしずり2号」。

予讃本線 高松駅
1985年3月23日

 高徳線の急行列車運用が徳島気動車区から高松運転所に移管されてからは、「阿波」「むろと」に組み込まれることも多くなった。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 4両編成中にキハ57形を2両組み込んだ「あしずり4号」。
 自由席車3両全てがエアサス車という豪華編成w



形式キハ57形

前照灯の間隔の狭い13号車


通常タイプの17号車
寸法
21,300 mm
2,944 mm
4,085 mm
重量42.0 t
車体普通鋼
機関形式
出力
DMH17H
180PS/1,500rpm × 2
変速機 TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比2.976
ブレーキ方式DAE1
ブレーキ装置車輪ディスク
台車形式 DT31
許容最高速度95km/h
車体構造・客室2扉クロスシート
乗車定員84


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