キハ45系 近郊形気動車



土讃本線 阿波池田駅
1985年10月16日


予讃本線 高松駅
1986年3月26日


 1957年に一般形(ローカル向け)のキハ20系、1961年に通勤形(都市部用)のキハ35系が登場したのを受け、この両者の中間的な性格を持つ地方都市部向けの近郊形気動車として1966年に登場した。

 基本構造はキハ20系に準じているが、車体長を20.8mとし、ラッシュ対策として出入口扉が両開きとなりデッキも広くされた。
 なお、シートピッチ(座席間隔)は当時の近郊形電車と同一(1,400mm)とされたため、キハ20系やキハ58系(1,470mm)よりも若干狭くなっている。

 裾絞りの無い車体にキハ58系に準じた高運転台&パノラミックウィンドウという構造とされたため特徴的な外観となっている。

 エンジン・変速機は当時の国鉄標準形式とされ、これにより、特急形のキハ82系/急行形のキハ58系/一般形のキハ20系/近郊形のキハ45系/通勤形のキハ35系と、国鉄形気動車は全車両がエンジン・変速機形式の統一が達成され保守の簡便化に貢献したが、このことが逆に国鉄気動車の陳腐化を招いたのも事実である。


 片運転台のキハ45形を中心にその北海道用のキハ46、両運転台のキハ23とその北海道用のキハ24、そしてキハ23の2台エンジン搭載バージョンキハ53形の計5形式が登場し、1969年までの間に総数179両が製造された。


 四国においてはキハ45形のみが投入され、当初は高松・高知・徳島の各地に配置された。
 なお、四国に新製配置された車両は無く、夏季輸送用として一旦北海道に投入された後に四国へ異動している。

 その後房総地区の電化の進展に伴う転入車と合わせて総勢24両となり、国鉄末期までには全車が徳島気動車区(当時)に集められて徳島地区を中心に活躍し、その状態でJR四国に引き継がれた。

 JR化後は松山地区のキハ40系冷房化改造工事等の関係で短期間ながら最大で7両が松山に配置(転属)され、塗色もJR四国色となって活躍していたが、1000形気動車の導入や電化の進展等により、キハ20・35系と時を同じくして1990年11月改正限りで全車運用から離脱し、四国から姿を消した。



 JR全体でも2003年に定期運用が全て終了し、JR西日本山口車両センターにキハ23形のトップナンバーが保留車としてしばらく存置していたが、これも2009年に廃車となって完全に姿を消した。


形式
キハ23形
キハ45形
寸法

21,300 mm (連結面間全長)
20,900 mm (車体長さ)

2,928 mm

3,925 mm (全高)
3,680 mm (屋根高さ)
台車中心間距離14,400 mm
重量
34.2 t
33.0 t
車体
普通鋼
機関形式
出力
DMH17C
180PS/1,500rpm × 1
変速機
TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比
2.976
ブレーキ方式
DA1
ブレーキ装置
踏面片押
台車形式
DT22A/TR51A
許容最高速度
95km/h
車体構造・客室
2扉セミクロスシート
乗車定員
116 (座席:76)
124 (座席:84)


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