キハ20系 一般形気動車
「気動車王国」の礎を築いた四国無煙化の立役者

キハ20形

土讃本線 阿波池田駅
1985年10月16日
キハ52形

土讃本線 窪川駅
1987年4月7日



 1953年、初の量産型液体式ディーゼルカーとして登場したキハ10系は、機関出力の低さを補うために車体幅を狭くしたり、客室設備を簡略化したため、客車や電車に対して見劣りがした。
 そのため、ナハ10系で実用化された車体軽量化の技術を取り入れて車体の大型化を図った一般形気動車として製作されたのがキハ20系である。

 1957年、両運転台のキハ20、片運転台のキハ25、北海道向けのキハ21が登場。
 その後は新たな北海道向けのキハ22や、エンジンを2台搭載した勾配線区向けのキハ52、キハ25の前半分を荷物室としたキハユニ25など、多くの型式・番号区分が存在する。

 エンジンは当時の国鉄標準型機関であるDMH17系(登場時:160PS/後:180PS化)が搭載され、最高速度は95km/h。
 側窓は初期の車両は上段が固定されたいわゆる「バス窓」であったが、以降は2段窓が標準となった。台車も1958年以降登場のものからは改良が加えられている。
 出入り口扉は半自動で、戸閉めは自動であるが開ける際は手動となり、これが時代が進むにつれて利用客に嫌われ、後継車種であるキハ45系では全自動操作が可能となった。

 車体全長は20mが基本であるが、キハ52形のみはエンジンを2台搭載する関係上、全長21.3mの大型車体を持つ。
 そのため、キハ20形とキハ52形は外観はよく似ているが、キハ52形の方が乗車定員が6名多く、側面扉の間の窓の数が異なる(キハ52の方が1つ多い)ことで外観上もすぐに判別できる。


 国鉄一般型気動車の標準型として1966年までの間に総勢1072両が量産され、全国の非電化区間の無煙化に貢献した。


<四国のキハ20系>

 四国においても普通列車用の標準型車両として1957年から投入が始まり、キハ20形を中心に1960年までの間に大量投入され、特に1960年度の1年間だけでもキハ20形70両とキハ52形10両の合わせて80両が集中的に新製投入された。
 なお、1960年度はキハ55系も35両が四国に新製投入されており、合わせて115両の大量の新車が四国に投入されて、後に気動車王国と呼ばれる礎を築いた。

 基本的にローカル運用であったが、投入開始当初は準急・急行形気動車の絶対数不足のため、キハ25形や強力型のキハ52形が準急列車として使用されることも多かった。

 1962年の時点では、キハ20形89両、キハ25形2両、キハ52形12両の、合計103両の配置となっていた。
 その後は特にキハ58系の充足によって通常時はローカル専用となり、また老朽化したキハ10系置き換えのためにキハ25形等が少数転入。

 数の上では1970年前後が最盛期と思われ、1969年3月末の時点で、キハ20形95両、キハ25形7両、キハ52形12両の、合わせて114両という陣容であった。
 特にキハ20形は、全製造数409両の4分の1近い数であり、四国は全国でも随一のキハ20形の楽園であった。

 キハ20形が島内ほぼ全域で運用されていたほかは、キハ52形が急勾配のある予土線と予讃本線南部で、キハ25形が徳島・松山地区でそれぞれ少数運用された。

 その後10年ほどはほぼ同数を維持しており、1979年時点でもキハ20形86両、キハ25形12両、キハ52形12両の、合わせて110両の配置であった。


 1980年代前半に、主にキハ10系の置き換えを目的にキハ40系が投入されたのに伴い、キハ25形が早くも1982年には四国から姿を消し、キハ20形も車齢の高い初期車を中心に廃車が発生した。
 1984年の時点では、キハ20形64両、キハ52形12両の、合計76両の配置であった。


 1986年11月改正での特急大増発に伴う急行形車両のローカル転用や、翌1987年3月23日改正での電化開業、さらには民営化の「置き土産」としてキハ32形およびキハ54形が合わせて33両投入されたため、隆盛を誇ったキハ20系も多くの廃車が発生し、JR四国に引き継がれたのは、キハ20形20両と、キハ52形3両の、合わせて23両のみであった。


 JRに引き継がれた車両については、全車がJR四国色に塗色変更されたほか、一部は窓枠がアルミサッシに更新されたがそれもあまり長続きせず、予讃線電化工事の進展や1000形気動車の投入などにより、1990年11月改正をもって運用終了し、四国から姿を消した。
 廃車となった車両は、一部が海を渡って対岸の水島臨海鉄道に譲渡された他は、全て解体された。

 なお、四国配置のキハ52形は0番台およびそれを改造した600番台のみで、100番台車の配置実績は無い。



土讃本線 大田口駅
1977年

 かつての標準塗装であった一般色。

土讃本線 讃岐財田駅
1981年9月

 キハ20形の最終増備形、500番台車(手前側)。
 製造両数は22両で、四国には松山気動車区(当時)に513号車の1両のみが配置されていた希少なグループ。

 キハ20形は1961年度債務で製造されたグループ(428号車〜)から、出入口ドア脇に号車札や列車名標を挿す枠が設けられているが、四国配置車両の中ではこの513号車のみが該当車両であった。

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1982年5月5日

 キハ20形先頭の土讃本線ローカル列車。


土讃本線 讃岐財田駅
1983年2月

 通称「ブタ鼻」の382号車を連結した土讃線ローカル(233D)。

予讃本線 高松駅
1983年6月

 2番ホーム停車中のキハ20形3連の土讃線ローカル。

 当時は一部の地域を除いて四国内の気動車普通列車といえば大抵キハ20形が組み込まれていた。画像向かって左の1番ホームにも、高徳線ローカルのキハ20の姿が見える。

予讃本線 多度津駅
1983年9月

 多度津を発車したキハ20形先頭の予讃線ローカル。

高徳本線 徳島駅
1985年5月26日

 徳島運転所で昼寝中のキハ20形。

予讃本線 松山駅
1986年3月24日

 乗務員室ドアの後部に、タブレット保護用の鉄板が残っているキハ52−5。
 キハ52形は新製投入当初は急行・準急列車にも使用されてタブレットキャッチャーも装備されていた車両もあり、コレはその名残である。

 なお、出入台横の種別札挿しは新製当初は装備されておらず、後付け改造で設置されたものである。

 四国配置のキハ52形は全て0番台(およびそれを改造した600番台)で新製当初は札挿しは装備されておらず、後付け改造である。
 そのため、取付位置が微妙に異なっている車両があったが、このキハ52−5の場合は号車札挿しが取り付けられていないという点でも異端であった。


予讃本線 丸亀〜讃岐塩屋間
1986年11月1日

 キハ40形とのペアで高架化&電化工事の進む丸亀付近をゆくキハ20形。
 結局、1987年10月に開業したこの高架線路上を、キハ20形が定期列車として走行することはなかった。

予土線 江川崎駅
1987年4月

 江川崎駅に停車中のキハ52形普通列車。


 客室の一部をアコーディオンカーテンで仕切った簡易荷物車、キハ52−603

予讃本線 普通646D
1986年3月24日(2枚とも)

 アコーディオンカーテンは、中央部と後位側出入口横の2カ所あり、車内の1/2または1/4の任意の広さを荷物室に充てることができ、荷物室として使用可能な部分はロングシートとなっていた。




形式
キハユニ26形
キハ20形
キハ25形
キハ52形
寸法

20,00 mm (車体全長)
19,800 mm (連結面間全長)
20,800 mm (車体全長)
21,300 mm (連結面間全長)

2,928 mm (最大幅)
2,800 mm (車体幅)

3,925 mm (最大高さ)
3,680 mm (屋根高さ)
連結面間全長13,800 mm14,400 mm
重量
31.1 t30.6〜32.1 t30.2〜31.7 t35.5〜36.6 t
車体
普通鋼
機関形式
出力
DMH17C
180PS/1,500rpm
DMH17C
180PS/1,500rpm×2
変速機
TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比
2.976
ブレーキ方式
DA1A
ブレーキ装置
踏面片押
台車形式
DT22A/TR51A
DT22A
許容最高速度
95km/h
車体構造・客室
2扉セミクロスシート
荷物室・郵便室付き
2扉セミクロスシート
乗車定員
46(座席:40) 82(座席:70)
88(座席:76)
88(座席:76)


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