小田急電鉄



※以下の文中の情報は、2000年4月現在のものです。


 その昔、「小田原急行鉄道」という名称だった小田急電鉄は、その名の通り小田原と新宿を直結する本線をメインに、相模大野から藤沢へ分岐する江ノ島線などの支線を持つ、路線延長約120kmの、関東では中堅の民鉄である。

 古くは3000系SE車から最新の30000系EXEまでの「ロマンスカー」の系統は関東民鉄を代表する特急車であり、振子車両の試験経験も持つなど技術志向のイメージがある。


 3100系NSEが99年のダイヤ改正で引退し、現在の定期特急車両は、7000系LSE/10000系HiSE/20000系RSE/30000系EXEの4系列。30000系EXEの増備は進んでいるものの、日中は7000系LSE/10000系HiSEもかなり(半数程度)残っており、私に言わせれば特急料金をふんだくっておきながらリクライニングしないただの転換クロスシートに座らせるなんてのはもってのほかなのだが、特急は全車座席指定制なので料金さえ払えば間違いなく座れるわけで、座席指定料金と思えばまぁそれほど腹も立たない。

 小田急沿線はTVドラマなどのロケにもよく使われ、ちょっと古いが「太陽にほえろ!」ではよく画面に小田急の電車が登場していた。

 一方で新宿近辺は関東随一の混雑路線としても有名で、関東民鉄では最大規模の複々線化工事(東北沢〜和泉多摩川間)の真っ最中である。


小田急の車両

特急電車


 現在現役として活躍している「ロマンスカー」と呼ばれる特急電車は、7000系LSE・10000系HiSE・20000系RSE・30000系EXEの4種。

 7000系と10000系は高運転台パノラマタイプの先頭部に11連接車体という独特の構造を持つ。10000系はJR線乗り入れ用車両として、オーソドックスなボギー構造を採用したが、中央の2両がダブルデッカーとなるのが特色である。
 増加するロマンスカーの利用客と逼迫する列車ダイヤをさばくため、30000系EXEは6+4の10両として乗車定員の増加を図ったほか、分割併合にも対応して特急の運用範囲を拡大したばかりでなく、アコモデーション面でも大きく進化している。

 99年7月のダイヤ改正で特急列車の系統にも大きな変更があり、小田急線内をノンストップで箱根登山鉄道の箱根湯本まで乗り入れる列車が「スーパーはこね」、途中町田のみに停車する「はこね」、新宿から江ノ島線へ直通する「えのしま」、そしてJR御殿場線に乗り入れて沼津まで直通する「あさぎり」以外の日中の特急は全て「サポート」という名で統一された。
 また、このときの改正では3100系NSEが現役を引退している。

30000系EXE
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
30000系EXE

 1996年に登場した最新型の特急用ロマンスカー。基本6連+付属4連で編成を組み、適宜分割・併合しながら運用される。分割・併合作業は乗務員室からのボタン操作によって全自動化され、貫通ドアの開閉や幌の解結などが全て自動的に行われ、大幅な省力化と分割・併合時間の短縮が図られている。その様子は端から見ていてもカッコ良く、JR四国8000系も導入すればいいのにと思う(^^;

 室内は当然リクライニングシートで、半間接照明やブロンズガラスなど高級感に溢れる。VVVFインバータ制御に電気指令式ブレーキの組み合わせで許容最高速度は130km/h。パンタグラフもシングルアーム式で、これならば「ロマンスカー」の名に相応しい。もちろん、乗り心地も申し分のないレベルである。但し、実際の営業運転上の最高速度は110km/h止まりである。
 また、7000系以来のロマンスカーがハイデッカー構造なのに対して30000系は平床構造となっている。

 現有両数は7編成70両である。
20000系RSE
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
20000系RSE

 当時、老朽化したSE車で運転されていたJR御殿場線乗り入れの急行(当時)「あさぎり」用車として1992年に登場。相互乗り入れ相手のJR東海もほぼ同じ仕様の特急車371系を製作している(下記)。
 全席リクライニングシート、7両編成で、中央2両がダブルデッカーとなり、2階部分は1+2配列の「スーパーシート」となる。他の5両は通常のハイデッカータイプとなる。2編成のみ在籍し、1編成しかないJR東海371系が点検の時はピンチヒッターを務める。
 もっぱら、新宿〜沼津間特急「あさぎり」に使用されている。

JR東海371系
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
JR東海 371系

 上記20000系とほぼ同じ仕様で1992年にJR東海が製作した「あさぎり」専用特急車。1編成しかないため、点検などで工場入場したときには小田急20000系が代わりに走る。
 内装面では、ダブルデッカー車を除いた5両がハイデッカーではなく通常の平床になるほか、前面展望が殆ど考慮されていない点などが異なる。
 また、出入口扉も20000系が通常の引戸なのに対して、こちらはプラグドアとなる。

10000系HiSE
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
10000系HiSE

 小田急電鉄開業60周年にあわせて製作された、初めてハイデッカー構造を採用したロマンスカーで、1987年に登場。
 20m車換算で7両分の長さに相当する11連接車体という、3100系以来のロマンスカースタイルを継承し、もちろん先頭部はパノラマ展望席となる。運転台構造は7000系とほぼ同じである。カラーリングも一新され、派手なワインレッドとホワイトのツートンカラーとなった。
 座席は背もたれの角度が改善されたものの、リクライニングしないただの回転クロスシートとなった。4編成が在籍。
7000系LSE
小田急線
伊勢原〜鶴巻温泉間
(99年11月10日)
7000系LSE

 老朽化した3000形SSEの代替として、1980年に登場した。それまで手動だった出入口扉がようやく自動化されたほか、簡易リクライニングシート(体重によってリクライニング、荷重が無くなると勝手に元に戻る)や、ワンハンドルマスコンの採用など、大幅なリファインが行われた。
 塗色については3100系NSEを踏襲し、オレンジ・グレー・ホワイトの3色からなる落ち着いたカラーリングであったが、1996年から始まったリニューアル工事に際して、10000系HiSEに準じたツートンカラーに塗り替えられた。4編成が在籍する。

3100系NSE
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
3100系NSE

 初めて展望タイプの運転台を採用、1963年に登場。
 当時急増しつつあった箱根特急の利用客をさばくため、3000系SEよりも編成を延長して乗車定員の増加を図った。
 パノラマ構造の先頭部は、1961年登場の名鉄7000系とよく似ているがこれは単なる偶然で、当時世界的に有名だったイタリアの高速電車「セッテベロ」を真似た結果として似てしまったと言うだけである。
 1980年のLSE登場まで小田急特急車の看板として最盛期を誇ったが、1999年のダイヤ改正でついに現役を引退、現在はイベント用の1編成が残るのみとなっている。


通勤電車


 小田急の通勤電車には、1000・1100・2000・2600・4000・5000・5200・8000・9000の各系列があり、編成も4・6・8・10両編成の4種類がある。8両は4両編成を2本繋いでいる場合が殆どだがまれに8両貫通編成もある。10両も同様に6両と4両を繋いだ編成が殆どであるが、営団地下鉄千代田線に乗り入れる1000系や2000系には10両貫通編成も存在する。
 また、営団地下鉄千代田線の6000系が準急として本厚木まで乗り入れている。

 小田原線の各駅停車は本厚木で系統が分けられ、新宿側の列車は8両編成、小田原側の列車は急行の基本編成と共通の6両となる。江ノ島線の各駅停車は6両が多いが、相模大野で切り離された急行の付属編成4両がそのまま江ノ島線各駅停車となるパターンもある。多摩線の各駅停車は全て6両である。
 急行は小田原線・江ノ島線とも6両が基本で、小田原線の新宿〜相模大野・海老名・本厚木間では付属編成を増結した10両となるが、一部ラッシュアワーには全区間10両となる列車もある。江ノ島線では10両編成は朝のラッシュ時の上下各2本のみとなる。また、小田原線の急行は一部が箱根登山鉄道の箱根湯本まで乗り入れている。
 この他小田原線の新宿〜本厚木間には準急もあり、新宿発着の準急は各駅停車と共通の8両だが、代々木上原から営団地下鉄千代田線に乗り入れる列車は10両となり、これには1000系や2000系などのステンレス車が充当される。

1000系
小田急線
伊勢原〜鶴巻温泉間
(99年11月10日)
1000系

 1987年に登場した小田急初のステンレス車。VVVFインバータ制御方式を採用。
 4・6・8・10両の各編成が製作され、これをベースにラッシュ対策として幅2mの幅広扉を採用した1100系も派生系列として試験的に作られたが、1995年以降はドア幅1.6mの2000系に移行した。
 現在営団地下鉄千代田線に乗り入れることができるのは、1000系をはじめとしたステンレス車グループのみに限定されている。

 99年10月末現在の現有両数は、4両編成25本、6両編成8本、8両編成1本、10両編成4本のあわせて196両となっている。
5200系
小田急線
伊勢原〜鶴巻温泉間
(99年11月10日)
5200系

 急行用として1969年から5000系の名で製作の始まった車両であるが、1973年以降登場のグループからは側窓が2段上昇窓から1段下降窓に変更されて、5200系を名乗ることになった。
 6両編成が20本、あわせて120両製作され、今でも5000系と共に小田急通勤電車の主力として小田急線全線で活躍している。

 近年は座席をバケットシートに交換するなどの更新改造を受けた車両も増えつつある。

8000系
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
8000系

 1982年に登場した老朽車置き換え用の界磁チョッパ制御車。
 当時流行し始めていたブラックフェイスを採用して、1987年までの間に4・6両編成が各16編成のあわせて160両が製造された。

9000系
小田急線
愛甲石田〜伊勢原間
(98年7月)
9000系

 元々は1972年に営団地下鉄千代田線乗り入れ用車両として登場した車両だが、ステンレス製の1000系の登場によって現在は地上運用のみとなっている。
 近年になって大幅な更新改造を受けている車両も存在する。
 4・6両編成が各9本のあわせて90両が存在する。

 ちなみに、実際に営団地下鉄との相互乗り入れが開始されたのは1978年からであった。



 小田急の特急用ロマンスカーは全車両が成城学園近くの喜多見検車区の配属となる。その他の一般車両の車両基地としては、海老名検車区、大野検車区等があるほか、相模大野には車両工場もある。