<館内展示車両>
〜屋内展示〜
(7両) |
 | 21−141(0系21形) |
1964年に開業した東海道新幹線用車両として登場した、0系の下り方先頭車両です。
東海道新幹線の誕生に尽力し、「新幹線の父」と言われる、旧国鉄・十河信二元総裁が、現在の愛媛県新居浜市の出身であることから、四国で保存展示されることとなりました。
車両の前頭部1/3だけのカットモデルとして展示中です。
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(画像準備中) | C11−66(C11形) |
支線区で使用されていた、明治時代の旧型蒸気機関車を置き換えるため、小型で軽軸重のタンク型機関車として1932年に登場し、1947年までの間に381両が製造されました。
四国においては特に徳島地区で多くが活躍していました。
この66号機は、廃車後に鳴門市で保存されていたのを、博物館開館に合わせて買い取り、所蔵した物です。
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 | C12−231(C12形) |
簡易線への入線を可能とするため、C11型よりもさらに軸重を軽くして製作されたのがC12形です。1932年から1940・47年にかけて282両が製作されました。
231号機は予讃線や内子線などで活躍し、廃車後は内子線の内子駅前に保存されていましたが、1986年の予讃線内子バイパス完成に伴う内子駅移転に際して、本館に移管所蔵となりました。
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多度津工場時代の同車 | C58−333(C58形:準鉄道記念物) |
線路規格が低く、D51形やC57形といった比較的大型の機関車が入線できなかった四国において、8620形(下記)とともに主力として活躍していたのが、C58形です。
1938年から1947年にかけて427両が製造され、四国にも最盛期には約40両が配置されて、準急「南風」「せと」「いよ」なども牽引しました。
この333号機は1970年に廃車となり、旧多度津工場で保存されていましたが、翌1971年に準鉄道記念物に指定されました。その後は同工場の閉鎖とともに一時伊予西条へ疎開後、本館に移管所蔵となりました。
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多度津駅前に展示
していた頃の同車 | 58685(8620形) |
大正時代の標準的な旅客用機関車として、1914年から1929年にかけて合計672両が量産され、「ハチロク」の愛称で親しまれました。
本来旅客用ではありますが、使い勝手に優れることから、貨物列車牽引や入れ替えにも使用され、四国においてはC58形とともに主力として活躍しました。
従来多度津駅前に静態保存されていましたが、多度津駅の橋上駅舎化工事を機に、2007年4月に本館に移転所蔵しました。
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多度津工場時代の同車 | ロ481(準鉄道記念物) |
1906年に鐵道作業所新橋工場で、ロ400形として製作された2軸式の二等客車です。
ロ400形は全部で32両が製造され、土讃線で活躍の後1932年に廃車になり、図書館として使われていましたが、1968年の鉄道100周年に際して、その記念行事の一環として復元され、多度津工場に保存されました。
その後、多度津工場の閉鎖に伴って伊予西条に一時疎開後、本館に移管所蔵されました。
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 | ヒ852(ヒ700形) |
鉄道連絡船に車両を積載するための可動渡り橋に、重量の重い機関車が乗らずに済むようにするため、機関車と客車や貨車との間に連結していた、「控車」と呼ばれる車両です。
2軸式の貨車から改造された物がほとんどで、宇高連絡船が運行していた頃は高松運転所に多数配置されていたほか、多度津工場でも一部使用されていました。
機関車や客車・貨車の他、電車とも連結できるように、連結器が改造された車両も存在します。
このヒ852形は、ヒ700形の153号車で、1988年の宇高連絡船廃止後は高松工場で一時使用されていましたが、1990年に廃車となって、本館に所蔵されました。
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<館内展示車両>
〜屋外展示〜
(25両) |

さよなら運転時の1号機 | DF50−1(準鉄道記念物) |
トンネルの多い非電化路線における旅客列車の無煙化のため、それまで活躍していたD51形やC57形といった比較的大型の蒸気機関車(SL)に替わる本線用のディーゼル機関車として1957年に登場した、電気式のディーゼル機関車です。
総勢138両が製作され、この1号機も四国で活躍を続けましたが、1983年9月のさよなら運転を最後に現役を引退して廃車となりました。
この1号機は、1983年に準鉄道記念物に指定されました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりましたが、1990年に車籍が復活しました。
現在は、臨時快速「DF50・やまなみ号」として、土讃線・阿波池田〜高知間で復活運転を行っているため、JRT四国・高知運転所に常駐しています。
なお、本機の部品取り予備機として、50号機と52号機が、JRT四国・高松工場に非公開保存されています。
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さよなら運転時の65号機 | DF50−65 |
DF50形のうちの、0番台車のラストナンバー機です。
1959年に製作されて当時の高松機関区に配置され、1983年9月に廃車となるまで、その生涯を四国で過ごしました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
1号機が復活運転に供されることから、通常時の展示機として保存されています。
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 | DE10−1 |
構内での入換や支線区で活躍していた中型蒸気機関車を淘汰する目的で、1966年に登場した中型の汎用液体式ディーゼル機関車です。
軸重を抑えるため、世界的にも類を見ない5軸動軸を採用しています。
構内での入換作業から本線上での列車牽引までこなす万能機で、その使い勝手の良さは各地で好評を博し、総勢700両以上が量産されました。
先行試作車として製作されたこの1号機は、当時の松山機関区に新製配置され、その後は四国の地を離れることなく、1985年3月に廃車となりました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
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(画像準備中) | EF68−1 |
EF68形は1986年3月の予讃線電化一部完成の際、当時余剰となっていたEF61形を四国向けに改造したもので、国鉄最後の新形式電気機関車です。
電動機の交換や前照灯の変更などの改造を受けて、8両が登場しました。
さらにブレーキの応答性と台車を改良して最高速度を110km/hとした1000番台車5両が1988年に登場し、「瀬戸」を四国内で牽引していましたが、EF161等の新型機関車の登場により、1990年には早くも消滅してしてしまいました。
この1号機は1990年3月に廃車となり、本館に所蔵されました。
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登場時の同車 | クロ212−1(213系) |
1988年4月瀬戸大橋開業に伴うダイヤ改正で登場した、快速「マリンライナー」用のパノラマグリーン車です。
大きな窓と広いシートピッチで好評を博し、「マリンライナー」の目玉設備として活躍しました。
総勢8両が製作され、当初登場した5両は車体の帯の色がそれぞれ異なっていましたが、後年は全てスカイブルーとマリンブルーの2色帯に統一されました。
2002年4月に新型EC300系電車が、快速「マリンライナー」に投入されたことによって廃車となり、本館に所蔵されました。
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登場時の同車 | 2001形 (2000系) |
1989年に登場した、世界で初めて実用化された振子式気動車です。
非電化区間の多い四国内の到達時分短縮を図るため、JR総研との協力ににより開発されました。
軽量ステンレス車体に大出力エンジンを搭載し、線形の厳しい非電化山岳路線での大幅な速度向上を狙った設計が特徴です。
「TSE」の愛称で登場した試作車は良好な成績を収め、翌1990年から量産車が登場。
1994年までの間に総勢120両が製作され、四国内各線で主力として活躍しましたが、より高性能な後継車両の登場により第一線を退き、また登場当時からの酷使によって老朽化も進んだため、2012年末から廃車が始まりました。
2001形は試作車TSEの非貫通型先頭車の1号車です。
2012年10月に廃車となり、登場当時の姿に復元のうえ、同年12月1日に同館に収蔵され、同21日より公開を開始しました。
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営業運転初日の同車 | キハ185−1 |
四国内の老朽化した急行形気動車を置き換え、優等列車の質的改善を図ることを目的として1986年11月のダイヤ改正で登場しました。
1987年鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。
しかし四国内では1989年から振子式車両の投入が始まり、1994年をもって特急列車運用から離脱しました。
その後は普通列車として使用されていましたが、これも新型普通列車用車両の増備により、2008年3月をもって四国から姿を消しました。
総勢56両が製作され、現在そのうちの28両はJRT西日本で急行列車や臨時列車として、また27両がJRT九州で特急列車として使用されて活躍しています。
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JRT四国色時代のキハ181-2

現役時代のキロ180形 |
キハ181−2
キロ180−101
キハ180−1
(キハ181系) |
1961年に登場したキハ82系は、山岳路線で運用するには性能不足であったほか、電車に比べて最高速度の点で見劣りがすることから、平坦線では電車並みの速度で走行でき、なおかつ山岳路線での運用に耐えうる高性能気動車として、1968年に登場したのがキハ181系です。
自動変速式の液体変速機、電気連結器や自動解結装置、横軸式のマスコン&ブレーキハンドル、心皿の無い2軸駆動台車、車輪ディスクブレーキ(後期形のみ)など、いずれも国鉄量産型気動車では初めてという数々の新機軸が採用され、高性能な500馬力エンジンを搭載して最高速度は120km/hと、当時としては最新鋭の国鉄最強&最速の高性能気動車でした。
四国においては1972年3月の新幹線岡山開業のダイヤ改正で登場し、「南風」「しおかぜ」として活躍しました。
キハ181−2と、キハ180−1は、1968年10月に中央本線の特急「しなの」に投入され、1975年に四国へ転属して活躍を続け、1992年3月に廃車となって、本館に所蔵されました。
キロ180−101は、1972年に四国向けのグリーン車として製作されました。
1989年に客室の半分を普通室に改造し、キロハ180形に変更されました。
1992年3月に廃車となり、元のキロ180形に復元された後、本館に所蔵されました。
この3両は連結幌も繋がれ、塗色・編成とも現役時代を再現した状態で保存・展示しています。
なお、キハ181形の1号車は、静岡県浜松市の佐久間レールパークに保存されています。
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(画像準備中) | キハ82−33(キハ82系) |
1961年10月ダイヤ改正における全国的な特急列車網の大幅な拡充を目的に投入された、キハ82系気動車の先頭車です。
1968年10月のダイヤ改正で、土讃本線の特急「南風」に投入されましたが、性能不足により、急勾配の多い同路線での酷使には耐えられず、1972年3月改正でキハ181系に置き換えられて本州へ戻っていきました。
本州で廃車になった後は四国に引き取られ、旧多度津工場で保存されていましたが、同工場の閉鎖とともに一時伊予西条へ疎開後、本館に移管所蔵となりました。
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現役時代の同車 | キハ65−1(キハ65系) |
急勾配の多い路線における気動車急行列車の冷房化推進のため、特急用キハ181系気動車の駆動系を利用して1969年に製作された、急行用気動車です。
全製造両数104両のうち、最盛期の四国には43両もが配置され、急行列車の冷房化とスピードアップに貢献しました。
トップナンバーである1号車は、1969年に高松運転所に新製配置されてその生涯を四国で過ごし、1990年3月に廃車となって本館に所蔵されました。
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現役時代の同車 | キハ58−777(キハ58系) |
キハ58系は、1961年に登場し、1969年までの間に総勢1,818両が量産された、旧国鉄を代表する気動車の一つです。
中でも中心的勢力となったのがこのキハ58形で、777号車は1966年に製作されて高松運転所に配置され、廃車となるまでの生涯を四国で過ごしました。
フィーバーナンバーとして密かに絶大な人気を誇りましたが、1990年3月に廃車となり、本館に所蔵されました。
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現役時代の同車室内 | キハ28−5215(キハ58系) |
キハ58系のグリーン車・キロ28形を、設備はほぼそのままに普通車指定席車に格下げした車両です。
四国においては1980年に、それまでの急行列車のグリーン車を全て普通車指定席車に格下げ使用することとなったことにより誕生し、その後は九州にも登場しました。
5215号車は、元キロ28形2204号車からの格下げ車で、1990年3月に廃車となり、本館に所蔵されました。
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さよなら運転時の同車 | キハ55−2(キハ55系) |
当時、客車に比べて室内設備が見劣りしていた気動車の接客サービス改善を図るため、キハ10系気動車をベースに車体の大型化を図って1956年に登場した、準急用気動車です。
1961年にキハ58系が登場するまで、準急・急行用気動車として総勢486両が製作されました。
四国においても準急・急行列車網の拡大に一役買い、一時代を築きましたが、後継車両の登場に伴って活躍の場は狭まり、1985年5月に2号車と270号車の2両編成でさよなら運転を行い、廃車となりました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。現在、キハ55系としては唯一の保存車両となっています。
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現役時代の同車 | キユ25−4 |
1964年と1971年に各2両が製作された、郵便気動車です。
郵政省所有の「私有車」で、その上急行形塗装で冷房付きとあって、「珍車」として人気がありました。
室内には区分室なども設けられ、急行列車や普通列車に連結されて使用されました。
1984年2月の鉄道郵便輸送廃止に伴って、廃車となりました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
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現役時代の同車 | キユニ15−1 |
1953年に初の量産型液体式気動車として登場したキハ10系ですが、非力なエンジン出力を補うために小型車体を採用したことで居住性に劣ることから、経年とともに徐々に敬遠されていきました。
そんな中で、老朽化した荷物客車を置き換えることを目的に、余剰となったキハ10系気動車の一部が荷物車に改造されました。
このキユニ15形の1号車は、1953年キロハ18形として製作されたものをキハユ15形に改造し、さらに1974年に再改造されてキユニ15形となったものです。
中間車からの改造で、改造費用を抑えるため、正面から見るとまるで鬼が牙をむいたような特徴的なスタイルとなっています。
土讃線や予讃線を中心に活躍していましたが、1980年に後継のキユニ28形に置き換えられて廃車となりました。
廃車後は旧多度津工場で保存されていましたが、同工場の閉鎖とともに一時伊予西条へ疎開後、本館に移管所蔵となりました。
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現役時代の同車 | スハフ43−2(44系) |
戦後の復興期の、特急列車の本格的な復活の気運に乗り、戦前製の旧型客車に代わる特急用客車として1951年に登場したのが44系客車です。
そのうち、車端部分に車掌室のあるものがスハフ43形とされ、わずか3両のみが製作された希少車でした。
東北本線の特急「はつかり」などに使用された後、東海道本線に移って急行列車などに使用されていましたが、1975年の山陽新幹線博多開業による列車体系の見直しによって、本州を追われて四国へ渡ってきました。
1985年3月に廃車となり、一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
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(画像準備中) | スハ43−400(43系) |
戦後の復興期に復活した優等列車用客車として、特急用の44系客車と共に1951年から1955年にかけて量産された急行用客車が、43系客車です。
特急用の44系客車と同じTR47形台車が装備され、大幅な乗り心地の改善が図られています。
四国に於いても、当初は準急「せと」「南風」に使用されて活躍し、その後は優等列車の気動車化によって、普通列車に使用されました。
1985年3月に廃車となりました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
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現役時代の同車 | オハフ61−20(60系) |
明治・大正時代に製作された古い木造客車は、車体強度が弱く安全上問題があることから順次置き換えが進められていましたが、1947年の八高線列車脱線転覆事故では、古い木造客車が粉砕されて多数の死傷者を出したことから、これらの早急な置き換えが迫られました。
そこで、戦前製の古い木造客車をベースにして鋼製車体に作り換えて登場したのが60系客車です。
この20号車は、廃車となるまで座席の背もたれが白色ニス塗りの木製のままで残っていた車両です。
1984年2月に廃車となりました。
廃車後は一時伊予西条に保管後、1986年に本館に移管所蔵となりました。
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徳島に留置されて
いた頃の同車 | オエ61−1 |
踏切事故などの際に、救援用の物資や作業員の輸送に使用されるのが救援車と呼ばれれる車両です。中でもこのオエ61形は最大勢力で、0番台車100両、300番台車19両、600番台車3両の、合わせて122両が1966年から1981年までの間に改造されました。
種車の違いのほか、改造を担当した工場によって改造内容が異なり、その外観デザインは非常にバラエティに富んでいました。
国鉄末期頃からは、合理化のため急速に姿を消していき、このトップナンバーも1987年1月に廃車となり、一時徳島運転所内に留置された後、1987年4月に本館に所蔵されました。
この車両は、1922年にナハ25111として製作されたものを、1952年にオハユニ61形91号車に改造し、それをさらに1966年にオエ61形に改造したものです。
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現役時代の同車 | マヤ34−2006 |
走行中に軌道の検査を行うことの出来る「高速軌道試験車」で、1964年から製造が始まり、通常走行用の空気バネ式台車の間に試験・計測専用の特殊台車を装備しています。
1987年の国鉄民営化に際して初めて四国へ配置されました。
1990年に、キハ65形改造による電気・軌道検測試験車・キヤ65形が登場したことで用途廃止となり、1991年に登録抹消(廃車)となって、本館に所蔵されました。
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(画像準備中) | ワム80705(ワム80000形) |
ワム80000形は、1960年から1981年までの間に総数26,605両もが量産された、国鉄を代表する貨車の一つです。
1959年にコンテナ輸送が開始される一方で、それ以外の通常の車扱い貨物輸送を効率化させるため、パレットを使用した輸送が検討され、それに適した貨車として製作されました。
このワム80705は、同形式として610両目として製作された車両で、1987年に貨物輸送としての用途が廃止された後、ソ95形(後述)とともに事故復旧時の救援用途として使用されましたが、1991年にソ95形とともに廃車され、本館に所蔵されました。
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(画像準備中) | ワラ1(ワラ1形) |
1960年に登場したワム60000形の後を受け、車体の大型化と積載重量のアップを図って、1962年に登場しました。
製造両数は17,000両以上に及び、ワム80000形と並んで1960〜70年代を代表する貨車の一つでした。
トップナンバーであるこのワラ1形車両は、1984年に廃車となり、多度津工場に保存されていましたが、伊予西条に一時疎開後、1986年に本館に所蔵となりました。
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現役時代の同車 | ソ95(ソ80形16号車) |
踏切事故などで車両が脱線したり転覆した際に、その事故車両を吊り上げて元のレール上に戻したり、現場から除去したりするために使用されるのが操重車と呼ばれる車両で、いわばレールの上を走るクレーン車です。
通常は機関車に牽引されますが、現場や構内での自走用に、小型モーターを台車に内蔵しています。
吊り上げることの出来る重量は65tで、これは一般的な20m級客車2両分の重さに相当します。
平常時は用が無くて遊んでいたほか、事故復旧時には民間のクレーンを借りる方がトータルコストも安くつくため、合理化の観点から国鉄末期頃からは徐々に姿を消し、高松運転所の配置となっていたこの車両も、1991年12月31日付で廃車処分とされて、本館に所蔵されました。
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<公園内展示車両>
(10両) |

現役時代の同車 | キハ181−43(キハ181系) |
1968年に登場したキハ181形の43号車です。
1972年に製作されて高松運転所に新製配置され、生涯を四国で過ごしました。
1992年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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現役時代の同車 | キハ57−9(キハ58系) |
1961年に登場したキハ58系はその汎用性の高さから日本全国に勢力を広げつつありましたが、66.7‰の急勾配がある信越本線の碓氷峠については、当時はまだアプト式を採用していた関係で、そのラックレールが車両限界に抵触し、従来の金属バネ台車ではそれに接触してしまうことから、それをクリアするためにキハ58系に空気バネ台車を装備させて登場したのが、キハ57形です。
キハ57形は36両が製造され、急行「信州」などで活躍しましたが、碓氷峠のアプト区間廃止と信越線全線電化によって用途廃止となり、一部が四国へ流れてきて余生を送りましたた。
JRT四国には19号車と22号車の2両が引き継がれ、キハ57系として最後の活躍をしていましたが、1990年12月いっぱいで除籍・廃車処分とされ、当公園に保存されました。
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現役時代の同車 | キハ35−199(キハ35系) |
都市部の非電化区間に於ける通勤輸送対策として1961年に登場した通勤形気動車で、外吊り式の扉を採用しているのが最大の特徴です。
片運転台で便所付きのキハ35形は1961年に関西本線に登場しました。
四国に於いては、キハ35形のほかに、両運転台式のキハ30形が、徳島地区を中心に活躍していましたが、1989年度をもって全て廃車となり、最後まで活躍していたこの199号車が、当公園に保存されました。
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(画像準備中) | キハ20−8(キハ20系) |
1953年に、初の量産型液体式ディーゼルカーとして登場したキハ10系は、機関出力の低さを補うために車体幅を狭くしたり、客室設備を簡略化したため、客車や電車に対して見劣りがしました。そのため、ナハ10系やキハ55系で実用化された車体軽量化の技術を取り入れて車体の大型化を図って1957年に登場したのが、キハ20系です。
キハ20形はその中心となる形式で、四国内のほぼ全線で姿を見ることが出来ました。
この8号車は、客室窓の上半分が長蛇円形の固定式となる、通称「バス窓」と呼ばれた初期のグル−プで、このタイプの車両としては四国で最後の生き残りでした。
1987年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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現役時代の室内 | キハ52−603(キハ20系) |
キハ20系は180馬力エンジンを1台搭載するのが基本でしたが、両運転台のキハ20形をベースに、勾配線区むけにエンジンを2台搭載して1958年に登場したのがキハ52形です。
この中で、客室の一部をアコーディオンカーテンで仕切ることにより、簡易荷物車として使用できるようにしたのが600番台車で、四国でも予讃線などで使用されました
603号車は600番台としては最後まで四国で活躍した車両で、1988年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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(画像準備中) | オハフ50−429(50系) |
旧来、普通列車に使用されていた客車の老朽化・陳腐化が著しく、加えて自動扉が装備されないなど、安全上の問題もあったことから、これら旧型客車を置き換える目的で1977年に登場したのが、50系客車です。
出入口扉は幅1mのステンレス製自動ドアで、客室は地方都市圏での通勤輸送を考慮してセミクロスシートとなり、合計953両が量産されて全国各地で活躍しました。
その鮮やかなワインレッドの車体から「レッドトレイン」と呼ばれて、地方都市部やローカル線での客車列車のイメージを変えました。
しかし、その後の国鉄民営化の嵐の中で、電車や気動車への置き換えが進み、登場からわずか10年あまりで大量の余剰車が発生しました。
新時代を拓く寵児として急速に勢力を拡大し、そして時代の波に呑まれるように急速に消えていった、悲運の客車です。
オハフ50形の429号車は、1982年に製造されて高松運転所に新製配置されましたが、1992年3月に廃車となってわずか10年の生涯を終え、当公園に保存されました。
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(画像準備中) | スハフ43−18(44系) |
1951年に特急用として登場した44系客車の中間車・スハ44形として登場した車両を、車掌室を設置する改造を実施して誕生した車両です。
1975年までに本州を追われて四国へ渡ってきて、普通列車に使用されて余生を過ごしました。
1985年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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(画像準備中) | スハフ42−2042(43系) |
43系客車の車掌室付きの車両として、1951年から1955年までの間に335両が製造されました。
四国でも登場時は準急「南風」「せと」などで活躍しましたが、同列車が気動車に置き換えられた後は、普通列車に使用されました。
1985年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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現役時代の同車 | オハ41−357 |
戦後製造された二等車(今のグリーン車)を種車として、車内をロングシートとして通勤仕様に改造された、珍しい「通勤客車」であす。
側面の狭窓と出入り口ドアの開閉窓に二等車時代の面影を忍ぶことが出来ます。
最後まで残った2両は四国で活躍し、そのうちの1両であるこの357号車は、1985年2月に廃車となり、当公園に保存されました。
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現役時代の同車 | オハフ33−471(35系) |
SL全盛時代の1939年、それまでの非鋼製客車や小型客車を置き換える目的で登場した初の全鋼製車体を持つ一般形客車です。
このオハフ33−471号車は戦後に製作された車両で、車体屋根端部が切妻になっているのが特徴です。
普通列車用国鉄旧型客車の標準型で、1950年までの間にオハフ33形606両/オハ35形1,301両が量産され、全国各地で活躍しました。
この車両は1985年3月に廃車となり、当公園に保存されました。
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