STORY
「瀬戸」の歴史は古く、1951年10月に不定期急行列車として東京〜宇野間に登場したのが最初である。
1954年には晴れて定期列車となった。A寝台車はもちろん、食堂車も連結しており、四国連絡急行列車として重要な使命を担っていた。
1968年に同じ区間を走っていた急行「さぬき」を吸収して2往復となる。
<特急化>
1972年3月15日改正では、当時動くホテルと呼ばれた20系客車の投入によって特急に格上げされてブルートレインの仲間入りを果たしたが、運転本数は1往復に減らされた。
当時の「瀬戸」は急行時代の伝統を受け継いでA寝台車や食堂車が連結された豪華編成であった。
1973年、当時登場したばかりの新型14系寝台客車が一時的ながらも試験的に使用された。
1976年9月に24系25形客車に置き換えられた。この時からA寝台や食堂車の連結が廃止され、B寝台のみのモノクラス編成となってしまった。
1988年4月1日の瀬戸大橋開通時のダイヤ改正で念願(?)の四国乗り入れを果たし、東京〜高松間の運転となり、四国に乗り入れる唯一のブルトレであると同時に、全国でも唯一の海を渡るブルトレとなった。
同時に質的改善も図られ、アルミボディの24系25形1000番台車の投入によって、個室A寝台シングルDXやラウンジカー、それにカルテットが連結された。
1990年3月10日改正ではソロとデュエットが編成に加えられた。併せてスピードアップを図るため、牽引機がEF161に変更となった。
1992年3月14日改正では個室A寝台ツインDXも登場した。また、ソロが2両に増車された。
編成増強とスピードアップを両立するため、再度牽引機が変更となり、EF66−150形になった。東京〜高松間の所要時間は、下り10時間5分/上り10時間。
1993年3月18日改正ではさらにソロが3両に増車された。これによって13両編成中個室寝台車が8両、ラウンジカー1両、電源車1両となり、開放寝台車は3両のみとなった。
1998年9月1日改正ではそれまでの客車編成から、JRT四国の800系寝台電車に置き換えられ、設備・スピードとも大幅に向上した。あわせてヘッドマークデザインも現在のモノに変更された。
登場当初は3M7Tの10両編成が基本で、シングルDX、ツインDX、デュエット、ラウンジカーを各1両連結、座席車エクストラシートを2両、それに編成の前後にソロを2両づつ連結。一部にシングルツインもある。
1999年4月10日改正では、東京〜高松間の「サンライズ讃岐」廃止に伴い、285系「サンライズエクスプレス」とほぼ同構造のノビノビ座席1両と、車端にシングルツインを備えたソロ2両の、合わせて3両を増強して13両編成化された。
2003年の夏休みシーズンからは、ノビノビ座席車の車体更新改造によって、一人用個室座席車「シングルシート」が登場した。
車体・個室構造は「サンライズエクスプレス」の「ソロ」とほぼ同一(ミニラウンジは無し)で、プライバシー性の高い個室を、格安な指定席特急料金で利用することができる。
2006年4月1日改正から2007年7月1日改正までの間、運行時間帯改善のため、合わせて20分程度所要時間を延ばしてスピードダウンを行った。
2008年3月15日ダイヤ改正では、2両の「エクストラシート」のうちの1両を「シングルシート」に変更した。
2012年11月1日改正では、6号車のツインDXのうち、2階部分の4室が一人用の個室A寝台「ロイヤル」に改装されたうえ、5号車のシングルDXと連結位置が入れ替わった。
このほか、3号車のシングルシートと10号車のエクストラシートも入れ替えられた。
これに合わせて、内外装のリニューアルが行われ、外装は車体上半分のスカイブルーが従来よりも落ち着いた色調に変更された。また内装についても、化粧パネルやシート・ベッドのモケットを全て貼り替えたほか、液晶TV等の備品についても更新が行われた。
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