<架空鉄道「JRT四国」のページ>


キハ65系改造車




 かつて四国には43両のキハ65形が在籍し、これはキハ65形の全製造両数104両の4割を占め、四国はキハ65形の楽園であった。
 一方で、1982年に登場したキハ69系が、1984年からは急行列車にも使用され始め、翌85年には当初から急行仕様として転換クロスシートを備えた100番台車も登場し、徐々にキハ58系などの旧系列車を淘汰していった。


 そのような背景の元、キハ65形改造車としてまず1985年に登場したのが、廃車となったキロ28形の車体を流用し、これも廃車となったキハ65やキハ181系の足回りを転用して改造された、キロ65形100番台車である。

 キロ28形の後期形を種車としてさらに15両が改造され、合わせて18両が登場した。0番台がないのは、四国で登場したキハ65形改造のイベント用車がこの0番台を使用していたためである。

 キハ69系と連結して使用されることから、最高速度は110km/hとされた。
 客室は種車の物をほぼそのまま使用している。

 なお、初期の101〜107は第2エンド側の出入口ドアのみが折戸に改造されていたが、108〜は両方とも折戸になっている。




 同年夏には、トイレ・洗面所の設置改造を行った、キハ65形100番台車が登場。
 四国では暖地向け0番台車から15両、北陸地区から転属してきた寒地向け500番台車から3両の合わせて18両がこの改造を受け、トイレ設備のない0番台車とセットで使用されるようになり、JRT四国カラー車も登場した。
 1986年当時、高徳線に1往復が運転されていた「通勤快速」は、キハ65形の0番台と100番台の混結による5両編成という強力編成で俊足を誇っていた。


 一方本州でも、津山線急行「砂丘」のスピードアップのため、やはり1986年にキロ28形後期形改造のキロ65形100番台が製作され、これに四国から転属した0/100番台車も加わり、「砂丘」は従来のキハ58+キロ28+キハ58という編成から、キハ65(0番台)+キロ65+キハ65(100番台)という強力編成になり、信号設備改良と併せて岡山〜鳥取間で20分の時間短縮を達成した。


 しかしその後は四国にも本格的な特急時代と電車時代が到来し、性能的にはまずまずでもメンテナンスに手の掛かる旧型車は次第に敬遠され、1991年にキロ65形が、94年にはキハ65形も四国から姿を消した。


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