気動車急行王国−四国



左:あしずり2号/右:いよ3号

左:うわじま2号/右:いよ3号
いずれも予讃本線 多度津駅にて、1982年11月14日撮影



 1960年前後は四国地区は無煙化のモデル地区として大量のディーゼルカーが投入され、それによる気動車準急・急行が続々と誕生したという経緯もあって、四国は気動車急行王国として知られ、1960〜70年代の全国的な特急列車網の整備を横目に各路線で気動車による急行列車が頻繁運転され、現在のL特急並みのフリークエントサービスを提供していた。

 1970年頃は、特急車輌のような「ヒゲ」を付け、ミュージックアラームを装備したキハ58系が予讃・土讃線急行列車の先頭に立つことも多く、この頃が急行列車全盛期であった。
 72年3月改正での特急登場後も四国島内の都市間輸送の主役は急行であることに変わりはなく、この体制が最後の統一国鉄ダイヤ改正である86年11月改正まで維持された。


 これら島内を縦横無尽に走ってた急行列車にはヘッドマークが掲げられ、特急列車をしのぐ活躍をしていたが、列車名・運転系統としては1960年代末までにはこの下に挙げる7列車に統合され、この体制が長く続いていた。

 予讃・土讃両線の急行列車が乗り入れる、予讃本線 高松〜多度津間は、最盛期には1日に26往復もの急行列車が行き交う、全国でも有数の急行列車(それも、全列車気動車)密集区間であった。


 高松駅の3・4番ホームには、急行列車のヘッドマークの収納棚が設けられていた(昭和58年3月撮影)



ヘッドマークには、固定式と切替式があり、切替式のモノは中央で縦に
2分割されていて、列車名を切り替えることができるようになっていた

元来は固定式だったが、重いヘッドマークを上げ下ろししたり、次に使う
ヘッドマークを予め列車にを積んでおくか、駅に常備しておく必要があるなど
作業性や効率に難点があったため、省力化の観点から1981〜82年頃
から切替式が増え始め、国鉄末期頃までには全て切替式に変わっていた

また、ヘッドマーク背面には車両のフックに挿す部分が2カ所あったため、
どちらに挿すかで微妙にヘッドマークの位置が違っていたのがご愛敬だった


1980年前後の予讃線・土讃線急行列車の標準的な編成

(基本編成)(付属編成)
1号車2号車3号車4号車5号車6号車
キハ58キハ65キハ28キハ58キハ65キハ58
上り方→
(高松方)
※2号車キハ65形は必ず運転台が下り側を向くように連結
※3号車キハ28形は5000/5200番台車で、1980年9月以前はキロ28形
※3号車は必ず車掌室のある側が上り方になるように連結
※5号車キハ65形はキハ28形になる場合あり
※キハ58形はキハ57形になる場合あり
※5/6号車は入れ替わる場合あり

 実際はこれ以外にも、付属編成2本連結の4連や、郵便荷物車の併結などの
バリエーションがあった。

1984年1月末当時の、四国内急行型気動車配置状況
形式 高松
運転所
徳島
気動車区
合計
キハ58511465
キハ28
2000/3000
161935
キハ28
5000番台
14-14
キロ28
4
-
4
キハ579-9
キハ6539-39
合計13333166
※キロ28形はキハ28−5200形に改造予定
※予讃線・土讃線優等列車は、全て高松運転所が担当
※高徳線・徳島線急行列車は徳島気動車区が担当
※全車両冷房車

 当時高松運転所の気動車在籍数は222両に及び、国内最大の気動車基地
であり、「気動車王国・四国」を象徴する存在でもあった。



 四国に於いて客車列車が優等列車として使用された例は少なく、定期列車としては準急「せと」「南風」「土佐」「いよ」、そして瀬戸大橋開通時に乗り入れてきた特急「瀬戸」のみである。
 なお臨時列車としては、DF50やDE10の牽引による旧型客車で組成された臨時急行が、国鉄時代末期まで走っていた。




急行「うわじま」
予讃本線 高松・新居浜・松山〜宇和島間 / 9往復


うわじま2号
予讃本線 多度津駅
(1985年3月13日)
最後尾のキハ58はライトの間隔が狭い初期車

急行「うわじま5号」
うわじま5号
予讃本線 高松駅
(1983年3月)
四国急行基本編成2本併結の、堂々8両編成


うわじま5号
予讃本線 多度津〜海岸寺間
(1986年1月1日)

 高松から予讃本線を全線走破し宇和島まで向かっていた急行列車で、かつての高松〜宇和島間の主力列車。

 1961年4月のダイヤ改正で、宇和島〜松山間に上り1本のみの準急として登場。

 63年2月に、準急「いよ」の宇和島直通列車が全て「うわじま」化されたことから、高松〜松山間延長されて高松〜宇和島間の運転となり、3往復に増発された。
 65年10月改正ではさらに5往復に増発。

 66年に急行列車に格上げ。

 68年10月改正での愛称名統合により、同区間を走っていた先輩急行「せと」を統合して、一気に9往復に増発となり、この頃が最盛期であった。

 72年3月改正で、予讃線に特急「しおかぜ」が3往復登場したが、「うわじま」は1往復が高松〜松山間廃止となったのみで、9往復体制を維持。

 77年3月改正で1往復が「しおかぜ」化されて8往復となった。

 82年11月改正では、末端区間の運転打ち切りなどによって、6往復に削減。

 86年11月改正での「しおかぜ」大増発により、1往復を残して高松〜松山間は廃止され、4往復に減らされた。

 88年の瀬戸大橋開通時のダイヤ改正では、上り1本が増発されたものの、下り1本以外は全て高松〜松山間が廃止されて、松山〜宇和島間の運転となった。

 90年11月に特急「宇和海」にその任務を譲って姿を消した。


急行「い  よ」
予讃本線 高松〜松山間 / 6往復

いよ3号
標準的な4両編成の「い よ3号」
予讃本線 多度津駅
(1982年11月14日)


キユ25形先頭の「い よ9号」
予讃本線 高松駅
(1985年5月26日)


7両に増結された「い よ4号」
予讃本線 多度津〜海岸寺間
(1986年1月1日)

 高松から愛媛県の県庁所在地松山を結んでいた急行列車。

 1956年11月改正で、高松桟橋〜宇和島間の不定期準急として登場。
 当時はC58牽引の客車列車であった。

 翌57年3月から定期列車に格上げされた。

 1960年2月に1往復が増発され、準急「やしま」も統合して3往復体制となった。
 さらに同年10月には、宇野で接続する準急「鷲羽」増発に合わせて、さらに1往復が増発され、同時に全列車が気動車化された。

 61年4月改正ではさらに6往復に増発。
 同年10月改正では、松山〜宇和島間の区間列車が「うわじま」に改称され、5往復となった。
 63年2月改正で、宇和島直通列車は全て「うわじま」に改称されたことから、3往復に減少。これ以後、予讃本線では松山行きが「いよ」、宇和島行きが「うわじま」という体制が確立した。

 65年10月改正で4往復に増発。

 66年急行列車に格上げされたが、当時同じ予讃本線を走っていた他の急行「せと」「うわじま」が二等車(現在のグリーン車)はもちろん、一等車も連結していたのに対して「いよ」はそのどちらかが連結されない列車が設定され、「せと」「うわじま」よりやや格下の観があった。

 68年10月改正で「えひめ」を統合して5往復となり、この頃が急行列車としての最盛期であった。

 82年11月改正で、末端区間が切り落とされた「うわじま」下り2本を統合して、下り7本/上り5本体制となった。

 86年11月改正では、「しおかぜ」大増発の影響をまともに受ける形で一気に1往復に削減された。

 88年4月の改正では、特急車両の絶対数不足のために2往復に増発されて、一時的に息を吹き返した。

 90年7月改正で特急化されて姿を消した。


 最盛期の最速列車は高松〜松山間を表定速度66.5km/hで結び、単線区間の気動車急行列車としては日本一の速さを誇っていた。
 営業運転最高速度は、高松〜多度津間95km/h、多度津以西は85km/hだったので、それでこれだけの表定速度を出していたというのは、驚異的である。


急行「あしずり」
土讃本線 高松・高知〜中村間 / 7往復


あしずり5号
予讃本線 高松駅
(1983年)
切替式のヘッドマークを装備

あしずり4号
キハ57形先頭の「あしずり4号」
予讃本線 多度津駅
(1984年1月29日)
こちらは固定式ヘッドマーク


平窓スカート車連結の「あしずり4号」
土讃本線 讃岐財田駅
(1985年3月28日)

 高松を起点に土讃線に乗り入れ、中村線(現土佐くろしお鉄道)の終点中村まで走っていた急行列車。

 1961年4月に、準急「土佐」1往復を高知〜窪川間延長する形で、準急「足摺」として登場。

 63年2月改正で2往復に増発。うち1往復は、阿波池田〜高知間で準急「よしの川」を併結していた。
 同年12月には中村線・窪川〜土佐佐賀間が開通し、土佐佐賀まで運転区間が延長された。

 65年3月改正で3往復に増発。
 66年に急行に格上げされた。

 この間、一部の列車は多度津〜阿波池田間で準急「予土」「いしづち」を、阿波池田〜高知間で準急「よしの川」を併結するなど、他の列車との分割・併合が頻繁に行われていた。

 68年10月改正では「南風」を統合して7往復体制に強化され、愛称名もこのときから平仮名書きの「あしずり」となった。

 84年2月改正で4往復に削減。

 86年11月改正ではさらに3往復に減少した。

 89年7月改正で高松〜高知間が特急化されて廃止され、高知〜中村間に下り3本/上り2本の運転となる。

 90年11月の2000系量産車登場に伴うダイヤ改正で特急に格上げされて急行列車としては姿を消した。


急行「土  佐」
土讃本線 高松〜高知間 / 5.5往復


多度津駅2番ホームいっぱいにその巨体を
横付けした、長大8連の「土 佐4号」
予讃本線 多度津駅
(1982年11月14日)
固定式ヘッドマーク装備


キユニ28を連結した「土 佐2号」
土讃本線 讃岐財田駅
(1985年3月)
こちらは切替タイプ


珍しい3色混色の「土 佐4号」
予讃本線 讃岐塩屋駅
(1988年8月8日)
2両目は現在のJR四国標準色だが、
1両目はそれと比較検討された試験塗色

 高松から高知県の県庁所在地高知まで走っていた急行列車。

 1959年9月にDF50形牽引の客車準急として登場。

 60年2月に1往復が毎日運転の臨時列車として気動車で増発され、同年6月には定期列車に格上げされた。

 さらに同年10月改正では3往復に増発され、同時に全列車が気動車化された。

 61年4月に1往復が新たに増発されたが、同時に1往復が高知〜窪川間延長されて「足摺」となったため、3往復体制は変わらなかった。
 同年10月改正以降は、「土佐」の愛称名は高松〜高知間列車に限定され、本数的には2往復に減少した。

 62年4月に準急「南風」上り1本が気動車化され、その代替として上り1本が客車化された。この列車は、翌63年2月に気動車化され、四国に於ける客車準急はこれが最後となった。

 65年10月に「南風」1往復を統合して3往復となった。

 66年に急行に格上げされたが、当時は同じ土讃本線を走っていた他の急行「南風」「足摺」が一等車も二等車も両方連結していたのに対して「土佐」はその両方とも連結してない列車があり、「南風」「足摺」より格下という位置づけがなされていた。

 68年10月改正での愛称名統合により、先輩急行「黒潮」などを統合して5往復体制となった。

 75年3月改正で下り1本が増発され、本数的には最盛期を迎えた。

 86年11月改正では3往復に削減された。

 90年11月の改正で特急化されて姿を消した。


急行「阿  波」
高徳本線 高松〜徳島間 / 10.5往復




キハ28−5300連結の「阿 波」
予讃本線 高松駅
(1983年3月)
これは固定表示式ヘッドマーク


2連に減車された「阿 波14号」
高徳本線 徳島駅
(1985年5月26日)
こちらは切替式

 高松と徳島県の県庁所在地徳島を結んでいた急行列車。

 1959年9月に、高松桟橋〜徳島間の準急として登場。

 60年3月改正で3往復に増発。

 61年4月改正でさらに5往復に増発。

 同年10月改正では、宇野で電車特急「富士」に接続する列車を「なると」に、同じく急行「瀬戸」に接続する列車を「眉山」と改称し、「阿波」は3往復に削減された。
 しかしこれは長続きせず、翌62年7月にこれらのうち徳島〜牟岐間延長された2往復を「むろと」と命名したのに合わせて、残りの3往復を「阿波」に統一した。

 68年10月に急行に格上げされた。

 その後は小刻みに増発を重ね、80年10月までの時点で9往復に達した。

 86年11月改正でさらに10往復に増発。

 87年3月改正ではさらに下り1本が増発されてついに10.5往復に達し、編成は短いものの、急行列車としては全国屈指の運転本数を誇っていた。

 88年4月のダイヤ改正で高徳本線に特急「うずしお」が登場し、高松〜徳島間の列車は全て特急化され、高松〜徳島間の「阿波」は姿を消したが、それまで「むろと」を名乗っていた高松〜牟岐間の急行列車を「阿波」に改称して、2往復が辛うじて生き延びた。

 90年11月改正で、ついに特急に格上げされて姿を消した。


 59年9月登場/90年11月廃止というのは、くしくも土讃線の「土佐」と同じで、予讃線の「伊予」が56年登場/90年廃止というのと合わせ、「讃岐」を除いた四国3県の旧国名列車はほぼ同じ時代に活躍していたことになり、奇妙な巡り合わせと言えよう。


急行「むろと」
高徳本線・牟岐線 高松〜牟岐間 / 5往復


むろと1号
予讃本線 高松駅
(1983年3月)

 高松から徳島を通り、牟岐線の終点海部まで(牟岐〜海部間は普通列車扱い)走っていた急行列車。

 1962年7月に準急として2往復が登場。

 66年10月に急行格上げされると共に3往復に増発。

 68年10月改正ではさらに5往復に増強されたが、本数としてはこの頃をピークに以後はじり貧状態となる。

 70年10月改正で、2往復が徳島〜牟岐間廃止されて再度3往復体制になった。

 73年10月改正からは、一部の列車が牟岐のさらに先の海部まで普通列車として乗り入れるようになった。

 82年11月改正ではさらに2往復に削減された。

 88年4月改正での特急「うずしお」登場時に愛称名が「阿波」に改称され、愛称名としては一旦姿を消した。



 99年3月のダイヤ改正で牟岐線内のみ運転の特急列車が登場することとなり、「むろと」に登板の声がかかり11年ぶりの復活を遂げている。


急行「よしの川」
徳島本線 徳島〜阿波池田間 / 7往復


よしの川1号
高徳本線 徳島駅
(1987年4月9日)


晩年の急行「よしの川」
特急用のキハ185系が使用されていた
徳島線 辻〜阿波加茂間
(1999年3月)

 県庁所在地徳島と、同県西部最大の町であり土讃線との接続駅である阿波池田を結んでいた急行列車。

 1963年10月に、徳島〜高知間の準急として1往復が登場。

 66年に急行格上げ。

 68年10月改正では、徳島線の準急・急行は全て「よしの川」に統合されて、一挙に6往復体制となった。
 またこの時、小松島港〜徳島間は全て快速に格下げされた。

 69年10月改正でさらに7往復に増発された。
 徳島〜阿波池田間では2時間ヘッドであったばかりでなく、小松島発着が3往復、そして高知発着が下り3本/上り4本という充実したダイヤとなり、本数的にも内容的にも最盛期を迎えた。

 75年3月改正では高知発着が2往復に削減された。

 80年に1往復が廃止されて6往復となると共に、高知直通は全廃されてしまった。小松島直通は4往復が残った。

 85年3月改正では小松島線の廃止と共に小松島直通が廃止された上、4往復が快速列車に格下げとなり、2往復体制となった。

 86年頃からは、予讃・土讃線の特急増発によって余剰となったキハ65形が、キハ28形に代わって連結されるようになり、ささやかながらも設備の改善とパワーアップが図られた。

 97年3月改正で特急用のキハ185系が充てられた。

 99年3月のダイヤ改正ではついに姿を消し、36年の歴史に幕を閉じた。





 1965年10月のダイヤ改正は、全国的に列車名の統廃合が図られ、1966年3月5日には走行距離が100km以上の全国の準急列車が一斉に急行列車に格上げされた。残った準急列車についても1968年10月改正で全て急行に格上げされ、この時をもって国鉄線上から準急列車は姿を消した。

 四国においても、65年10月改正での整理で、「四国」「えひめ」「浦戸」「黒潮」「南国」の列車名が消えた。


 全国的な白紙ダイヤ改正である1968年10月改正(通称「ヨン・サン・トオ改正」)で四国内の急行列車網も全面的に見直されて上記の7列車体制に整理され、伝統の愛称名である「せと」「南風」の他、3階建て併結や全区間併結運転といった異色の運転系統を持っていた「いしづち」「阿佐」「予土」も姿を消した。72年3月改正で特急列車が登場しても急行列車主体の体制は変わらず、そのまま国鉄最後の全国統一改正である86年11月改正に至った。



その他の急行・準急列車
急行「せと」
予讃本線
高松〜宇和島
3往復

 1950年10月に準急として高松桟橋〜松山間に登場。同じ改正で登場した東京〜宇野間急行「瀬戸」に接続する準急列車。当時はC58形蒸気機関車牽引の客車列車であった。
 当時愛称名が付与されていた準急列車は、全国でもこの「せと」と、土讃線の「南風」だけであった。

 翌51年4月11日に運転区間が宇和島まで延長された。

 61年4月15日に気動車化された。

 65年10月改正で急行列車に格上げされると共に、「四国」を統合して2往復体制となった。

 66年10月にはさらに、松山〜宇和島間が延長された「道後」を統合して合計3往復となった。

 68年10月改正で「うわじま」に統合されて姿を消した。

準急「やしま」
予讃本線
高松〜松山
1往復

 1958年11月に四国初の気動車準急として1往復が登場。当時は普通車にキハ55系、グリーン車には半室構造のキロハ18を使用していた。

 59年9月に、松山〜八幡浜間が延長された。

 1960年2月に「いよ」化されて姿を消した。

急行「四国」
予讃本線
高松〜宇和島
1往復

 1961年4月改正で四国初の急行列車として高松〜宇和島間に1往復が登場。

 65年10月に「せと」に統合されて姿を消した。

急行「道後」
予讃本線
高松〜松山
1往復

 1961年10月、予讃本線第2の急行列車として、高松〜松山間に1往復が登場。

 66年10月改正で松山〜宇和島間延長され、「せと」に統合されて姿を消した。

準急「えひめ」
予讃本線
高松〜松山
1往復

 1963年10月に準急として登場。

 65年10月改正で「いよ」に統合されて早くも姿を消した。

急行「南風」
土讃本線
高松〜窪川
3往復

 1950年10月に高松桟橋〜須崎間(高知〜須崎間は普通列車)にC58形蒸気機関車牽引の客車による準急列車として1往復が登場。
 当時は高松〜多度津間はまだ単線であったため、同区間は予讃本線準急「せと」と併結運転であった。

 56年12月からは、牽引機関車がディーゼル(DF40形(後のDF91形)電気式ディーゼル機関車)化されて無煙化を達成。

 翌57年にはDF91形からDF50形に牽引機関車が変更となっている。

 1958年11月1日のダイヤ改正で、運転区間が窪川まで延長された。

 1959年9月15日、高松駅と高松桟橋駅の統合により、運転区間は高松〜窪川間となる。

 61年10月のダイヤ改正で準急「せと」「南風」が分離されて各々単独運転となり、「せと」は気動車化されたものの、「南風」は客車のままとされた。

 62年4月12日改正で、車輌運用上の関係から上り列車のみが気動車化された。
 気動車化と共に運転区間も再度窪川まで延長された。

 63年2月1日に、下り列車も気動車化され、四国内の準急・急行全列車の気動車化が完了した。

 65年10月改正で急行列車に格上げされ、「黒潮」を統合して2往復となった。

 66年10月改正ではさらに「浦戸」「南風」に統合されて3往復体制となり、この頃が急行列車時代の最盛期であった。

 68年10月改正では「あしずり」に統合されて四国では一旦姿を消すが、愛称名としては九州南部を走るローカル急行列車として生き延びた。
 まぁ、サラリーマンで言えば一時出向みたいなモノである(^^;


 その後72年3月改正で特急列車の愛称名としてカムバックを果たし、現在に至る。

急行「浦戸」
土讃本線
高松〜高知
1往復

 1961年10月、土讃線初の急行列車として高松〜高知間に往復が登場。

 66年には「南風」に統合されて早くも姿を消した。

 登場/廃止時期、使用車両、そして宇野で接続する本州側の列車のいずれも、予讃線急行「道後」と同じである。

急行「黒潮」
土讃本線
高松〜窪川
1往復

 1961年10月改正で「浦戸」とともに急行列車として高松〜須崎(窪川)間に1往復が登場。

 65年10月改正では「南風」に統合されて早くも姿を消した。


 尚この時期、土讃本線の他にも紀伊半島の紀勢本線に急行「くろしお」が、また房総半島の外房線にも準急「黒潮」が走っており、違う場所で同じ愛称名の列車が3つも存在していたことで結構有名であった。

準急「南国」
土讃本線
高松〜高知
2往復

 1964年10月に高松〜高知間の準急列車として登場。2往復のうちの1往復は季節列車だった。

 65年10月では準急「土佐」「足摺」に改称され、わずか1年で姿を消してしまった。

急行「いしづち」
予讃・土讃・徳島本線
松山〜小松島港
1往復

 1963年2月に登場。松山から予讃・土讃・徳島線を経由して徳島へ向かい、小松島港まで乗り入れて和歌山航路に連絡していた異色の準急列車。

 64年10月改正では下りは多度津〜松山間は準急「いよ1号」に、上りは松山〜多度津間準急「うわじま1号」に、そして阿波池田〜小松島港間は上下とも準急「阿佐2号」との併結となる。

 65年10月からは、下りは小松島港〜阿波池田間準急「阿佐2号」に、阿波池田〜松山間は準急「予土」に、そして多度津〜松山間は準急「うわじま5号」との併結。上りは松山〜多度津間準急「うわじま1号」阿波池田〜小松島港間準急「阿佐3号」との併結となる。
 即ち、この当時は準急「うわじま5号/いしづち/予土」の3階建て併結列車が多度津〜松山間に存在したわけである。
 また、下り列車は小松島港〜松山間の全区間が他の列車との併結となるなど、相変わらず異色の準急列車であった。

 66年に急行格上げ。

 68年10月のダイヤ改正での四国内の優等列車網整理に伴い、廃止となった。

準急「眉山」
高徳本線
高松〜徳島間
1往復

 1961年10月、「阿波」のうち宇野で急行「瀬戸」に接続する1往復を「眉山」に改称して登場。

 1962年7月には「むろと」登場に伴う愛称名整理により、たった9ヶ月で姿を消した。

準急「なると」
高徳本線
高松〜徳島間
1往復

 1961年10月、「阿波」のうち宇野で電車特急「富士」に接続する1往復を「なると」に改称して登場。

 1962年7月には「むろと」登場に伴う愛称名整理により、たった9ヶ月で姿を消してしまった。

急行「阿佐」
小松島線・徳島・土讃本線
小松島港〜高知
3往復

 1962年4月、小松島航路に連絡する準急列車として2往復が登場した。
 後の高知行特急「剣山」のルーツとも言える列車で、今は亡き小松島線の小松島港まで乗り入れ、和歌山航路に連絡して小松島港〜高知間を結んでいた。

 64年10月改正では上下とも1号は全区間単独運転、2号は下りは阿波池田〜高知間は土佐に、上りは同区間準急「南風」との併結となる。

 65年には3往復に増発。阿波池田〜高知間は全列車が併結運転となり、併結相手も「南風」「足摺」「土佐」とバラエティ豊か。なお、このとき既に「南風」は急行列車となっていたため、全国でも珍しい急行と準急の併結列車が見られた。

 66年に急行に格上げされた。

 67年10月改正で3往復に増発。

 68年10月改正で「よしの川」に統合されて姿を消した。

急行「予土」
徳島・土讃本線
徳島〜高知間
1往復

 1965年6月登場。
 松山から多度津を経由して高知をまでを結んでいた準急列車。随分大回りだが、当時はまだ予土線が全通していなかったためこのルート以外になかったのである。
 併結相手は、下りは高知〜阿波池田間が急行「第3南風」阿波池田〜松山間準急「いしづち」多度津〜松山間準急「うわじま5号」、上りは松山〜多度津間準急「いよ3号」多度津〜高知間準急「足摺2号」となる。
 なお、急行「第3南風」は高知〜阿波池田間準急「阿佐2号」を、準急「足摺2号」は阿波池田〜土佐佐賀間準急「よしの川」も併結し、予讃線と同様の3階建て併結列車が存在したが、いずれもこの準急「予土」が絡んできているという共通点があるほか、急行列車と準急列車の併結という点でも珍しかった。

 66年に急行格上げ。

 68年10月改正での愛称名統合の折り、松山〜高知間の道路整備に伴う国鉄バス「なんごく号」の増発とスピードアップ、それに車両運用上の不都合もあって、わずか3年ほどで廃止されてしまった。



 なお、上記の各列車の列車種別・運転区間・運転本数はいずれも最盛期の時のものである。

<参考資料>
 鉄道ジャーナル紙/鉄道ピクトリアル誌
 その他たくさん(おひ)(^^;

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