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<国鉄四国総局> |
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キハ181系&キハ185系 特急「南 風」 <JPEG/680×450/24bit/60KB> |
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土讃本線 讃岐財田駅で顔を合わせたキハ181系&185系の特急「南風」(1986年11月2日) 民営化を控えた昭和61年11月1日のダイヤ改正で登場したキハ185系。写真はダイヤ改正の翌日、讃岐財田駅で離合する181系上り特急「南風2号」と185系下り特急「南風3号」 う〜ん、、画面左端の手すりがちょっと邪魔(^_^; |
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キハ181形トップナンバー <JPEG/1,024×768/24bit/171KB> |
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予讃本線 高松駅(1986年9月) 多度津工場で全検を受け、ピカピカの姿でキハ65−24と共に自力回送されてきた、キハ181形のトップナンバー。 台車は真っ黒に、床下機器は鮮やかなシルバーまたはグレーに塗装され、その上座席にはカバーまでかけられて、新車同様の美しい姿で高松駅5番ホームで休息中のシーン。 乗務員室窓下のタブレットキャッチャーと、その後部の補強板が時代を感じさせる。 この時既に予讃線の電化工事が始まっており、この5番ホームにも既に架線が張られている。 |
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DE10形重連貨物 <JPEG/1,024×768/24bit/202KB> |
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土讃本線 黒川〜讃岐財田間(1986年9月) 土讃線の貨物列車は、JR移行を前にして昭和61年に姿を消した(斗賀野の専用貨物列車を除く)。 昭和58年にDF50形が引退したあとは、DE10形が貨物列車の牽引に当たり、時には重連運用もあった。 写真は、運転終了を目前に控えた、DE10形重連による高松発多ノ郷行車扱貨物781列車。 高松運転所所属の139号機が先頭を務める2両のDE10に続くのは、四国ではあまり見る機会の無かったワキ5000形。 フィルムから取り込んだ物だが、フィルムの劣化が激しいためにかなり色補正を加えてある。 |
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キハ181系 特急「しおかぜ3号」 <JPEG/800×600/24bit/59KB> |
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予讃本線 多度津駅(1985年3月13日)に停車中のキハ181系下り特急「しおかぜ3号」 ディーゼル特急のヘッドマークがイラスト入りになったのは昭和60年3月のダイヤ改正の時。写真はその改正前日の姿。 |
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土讃線踏切事故 <JPEG/800×600/24bit/100KB> |
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土讃本線 琴平〜塩入間 真野踏切(1984年10月6日) 1984年10月6日の9時半頃、高松発高知行下り急行「土佐3号」(2両編成:キハ57−11+キハ28−2475)が、仲多度郡満濃町の真野踏切で脱輪・立ち往生していた木材運搬のトレーラーに衝突。 事故から1時間以上が経過してからようやく、DE10の推進運転によって、救援車オエ61−18が到着して、復旧作業が始まったが、現場は夕方まで不通となり、この日の土讃線のダイヤは終日乱れた。尚、この事故による死者はいなかったようである。 また、この踏切はこの事故を契機に大型車の通行が禁止されたほか、新たに大型車の通行可能なバイパス道路が敷設された。 |
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キユニ28他4連 高知行普通241D <JPEG/1,000×640/24bit/115KB> |
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土讃本線 黒川〜讃岐財田間(1984年2月1日) 讃岐財田手前の20‰勾配を登る、キユニ28+キハ47+キハ26+キハ20の異形式混成4連。 列車通学だった当時、土曜日の帰宅時によく利用していた列車で、通常はキユニ28+キハ47+キハ47+キハ40という綺麗な編成なのだが、たまにこのような混成になることもあり、それがまた気動車列車の楽しみでもあった。 ちなみに4両全部合わせても定格出力は760馬力で、近年の高性能特急気動車1両分ほどの低出力編成。 |
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キハ65&58系 急行「土佐4号」 <JPEG/1,024×726/24bit/114KB> |
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盛大に排気ガスをまき散らして予讃本線 多度津駅を発車する、キハ65&58系×6両編成の急行「土佐4号」(1984年1月29日) キハ65形を2両組み込み、1台エンジンのキハ28形は1両のみという強力編成。 四国の急行列車の特徴でもあった荷物車や郵便車を連結した編成も良いが、私的にはこれが当時の土讃線急行列車の中でも、もっとも綺麗な編成だったと私は思う(^^; キハ58に比べてキハ65は性能が良い割には排気ガスの量が少ない上に見た目がクリーンで、ノンターボとターボの性能差が感じられたモノであった。 |
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マヤ組込 車扱直行貨物列車781レ <JPEG/1,024×768/24bit/125KB> |
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土讃本線 塩入〜黒川間(1984年1月) DE10形の次位にマヤ34形を連結、軌道検測を行いながら高知方面へ向かう、高松発多ノ郷行貨物781レ。 今でこそDE+マヤ(+DE)という素っ気ない編成で軌道検測を行っているが、貨物列車が健在だった当時はこのような編成で検測を行うことが多く、ワム・ワラを中心にした雑多な貨車と織りなすカラフルな凸凹編成と、その独特なジョイント音は魅力たっぷりであった。 |
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サヨナラDF50 土佐路号 <JPEG/1,024×768/24bit/94KB> |
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1983年9月25日 土讃本線 琴平駅 1983年8月いっぱいで現役引退したDF50だが、翌9月25日に本当のさよなら運転を実施し、「土佐路号」の名で高松〜高知間を往復した。 今回は50系客車の5両編成で、1日だけの運転となった。 この後、トップナンバー1号機は多度津工場にて保存されたが、ラストナンバー65号機は解体されてしまった。 |
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![]() ↑8月23日 8月24日↓ ![]() |
さよならDF50 秘境号 <8月23日:JPEG/1,024×768/24bit/110KB> <8月24日:JPEG/1,024×768/24bit/128KB> |
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1983年8月23日 土讃本線 塩入駅 1983年8月24日 土讃本線 阿波川口駅 1957年に登場し、準急「南風」「土佐」なども牽引して活躍したDF50形。 その独特なスタイルとエンジン音で、今なお多くのファンを持つ、、、もちろん、私もその一人。 1980年代に入ると、残存全機が四国に集められ、最後の活躍をしていた。 1983年8月23日と24日の2日間、高松〜大歩危間にDF50形重連のさよなら列車「さよならDF50 秘境号」が旧型客車5両編成で運転された。 両日ではヘッドマークの取付位置が異なっており、左画像の上が23日、下が実際に乗車した24日のもの。 牽引機はスルザー形のトップナンバー1号機とラストナンバー65号機。 両機とも新製配置当初から廃車までのほとんどを四国で過ごし、踏切事故対策の前面強化や、延長された開放てこ、小型スノープロウ取付用アタッチメント、大型化された手すり、増設されたジャンパ栓、鎧戸のタブレット保護枠、大型化された雨樋など、四国オリジナルの形態を持つ「四国仕様車」である。 ※トップナンバーは2〜3年程長野にいたことがあるが・・・ |
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キハ40系×5連 予讃本線普通 142D <JPEG/1,024×768/24bit/168KB> |
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予讃本線 高松駅4番ホームに到着した、オールキハ40系×5両編成の、松山発高松行普通列車 142D(1983年5月) 1977年に登場したキハ40系であるが、四国地区への同系の投入は遅く、1982年から本格的に始まった。 キハ181系とキハ65形を除けば、非力なDMH系エンジン搭載車ばかりだった四国で、キハ40系のターボサウンドは当時は格好良く聞こえたものであった。 四国のキハ40系は1984年までの間に43両が新製投入された後、1985年に当時の新潟機関区から10両が転属して53両体制となって以降、そのままの数で現在に至っており、実に20年間もその数に変動が無い。 |
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キハ181系 特急「しおかぜ2号」&「南 風2号」 <JPEG/1,024×768/24bit/107KB> |
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予讃本線 高松駅で並んだ、キハ181系特急「しおかぜ2号」と「南風2号」(1983年3月)。 両列車は多度津〜高松間は3〜5分程度の間隔を空けて雁行し、同区間を25分前後で走り、平均時速は80km/h近かった(営業運転最高速度は95km/h)。 2本のキハ181系特急が雁行する姿は、四国以外では見られない貴重なシーンであったが、この区間ではこのような雁行シーンが毎日5回繰り返されていた。 |
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DF50形牽引 予讃線車扱貨物列車 <JPEG/1,024×640/24bit/116KB> |
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予讃本線 多度津駅に停車中の、DF50形52号機牽引の予讃本線貨物列車(1982年11月14日) 黒いワムやワラを中心に組成された古典的な26両編成の貨物列車を、箱形スタイルのDF50形が牽引する姿は結構魅力的であった。 DF50がまだ現役ばりばりだった頃の懐かしい一コマ。 |
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DE10形+50系8連 予讃線区間快速列車 122レ+222レ <JPEG/1,024×640/24bit/177KB> |
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予讃本線 高松駅(1982年8月4日) 高松駅6番ホームに停車中の、予讃線122レ(豊浜始発)+土讃線222レ(阿波池田始発)の区間快速列車。 高松8:10到着という通勤ラッシュ輸送を担うこの列車は、10分程度の連絡で宇野行き連絡船に接続する本州連絡列車でもあり、平日は超満員の乗客で溢れかえっていた。 当時の四国内の旅客列車としては最長編成で、しかも多度津〜高松間は快速運転。その上各車両にはちゃんと号車札も挿されて優等列車ばりの風格を持ち、DE10形がその性能をフルに引き出して、坂出〜高松間をノンストップ・平均時速約70kmで突っ走っていた。 ちなみに、この列車が50系客車に置き換えられたのは1982年2月で、それ以前はスハフ43形やスハ43形を組み込んだ、優等列車と見紛う堂々たる10両編成であった。 |
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