<国鉄時代(四国以外)>

 が今回の新着
ひたち16号
485系 特急「ひたち16号」
<JPEG/800×600/24bit/81KB>
東北本線 上野駅(85年8月2日)

 1998年秋に常磐線でさよなら運転を行って「ひたち」から撤退した481系のヒゲ付きボンネット車
 85年当時はまだ主力で、約半数の「ひたち」がボンネット車で運転されていた。
エキスポライナー
EF81牽引「エキスポライナー5号」
<JPEG/800×600/24bit/72KB>
東北本線 上野駅(85年8月2日)

 1985年3月から約半年間開催された「つくば科学万博 EXP’O ’85」
 会場の最寄り臨時駅として「万博中央駅」が開設され、上野から臨時快速「エキスポライナー」が多数運転された。

 写真はEF81牽引による12系客車12両編成の「エキスポライナー5号」土浦行で、このほかにも421系電車などによって運転された。
SLやまぐち号
C57+12系 「SLやまぐち号」
<JPEG/1,024×768/24bit/134KB>
山口線 鍋倉〜徳佐間(82年8月5日)

 82年の夏に山口線へ「やまぐち号」の乗りに行ったときに撮影したモノ。
 この前日の8月4日に実際に「やまぐち号」に乗車し、この日は撮影に専念したというわけである。

 ちなみに当時まだ中学生だったので、「煙を沢山出しそうなところで撮影する」などと言うことまで気が回らなかったので、このような平凡な写真となった(^^;;

 当時まだ「やまぐち号」は運転開始から間もなく、客車もオリジナルの12系だった。今では逆にこちらの方が貴重な組み合わせのショットと言えるだろう。
キハ82系特急「まつかぜ」
<JPEG/1,024×768/24bit/106KB>
山陰本線 益田駅(82年8月4日)

 益田駅に到着する、キハ82系による博多行き特急「まつかぜ」。

 当時はまだ食堂車を連結し、往年の特急列車の風格を保っていた。
 自慢ではないが、キハ82系が「走っている」写真を自分で撮影したのは、これが最初で最後である(^^;

 私にとって「山陰線の特急」と言えば、「あさしお」「まつかぜ」「いなば」「出雲」なんである。
 ちなみに、JRTではこの4列車名全て健在である(^^;
おき1号+SLやまぐち号
キハ181系特急「おき1号」&SL「やまぐち号」
<JPEG/800×600/24bit/102KB>
山口線 仁保駅(82年8月4日)

 山口線仁保駅で離合する、キハ181系「おき1号」と「SLやまぐち号」

 仁保駅の跨線橋から撮影したモノだが、当日この時にここからこのアングルで撮影していたのは私だけだった(^^;
 C57がスチームを出しているが、もちろんこれは機関士さんによるサービス。
とき&はくたか
181系 特急「と き21号」&489系 特急「はくたか3号」
<JPEG/1,200×768/24bit/114KB>
東北本線 上野駅(81年3月29日)

 82年11月15日に東北・上越新幹線が大宮始発で暫定開業した。この時には「とき」「ひばり」「やまびこ」「やまばと」「北星」など多くの特急・急行が廃止され、東北・上越方面の特急地図が一変した。

 写真は、新幹線開業を翌年に控えた上野駅での181系「とき」489系「はくたか」のボンネット特急同士の貴重な「並び」シーン。
 左手奥には、長野行きの「あさま13号」が停車中。

 今回、拡大画像を大サイズ&ちょっと高画質版に更新。
485系「ひばり」
485系 特急「ひばり25号」
<JPEG/768×1,024/24bit/99KB>
東北本線 上野駅(81年3月29日)

 82年11月15日の東北新幹線開業時に廃止されたエル特急「ひばり」

 最盛期には485系電車12両編成で15往復が上野〜仙台間に運転されていた。
 今でこそ15往復程度の運転本数ではさほど驚かないが、当時は国鉄特急の中でもTOP3に入るほどの頻繁運転であり、加えて上野駅を毎時00分きっかり1時間ヘッドで発車するなど、エル特急の見本のような存在であり、東北本線特急網の主力として活躍していた。

 今回、拡大画像を縦XGAサイズ&ちょっと高画質版に更新。

485系 特急「ひばり16号」→「やまばと」→「ひばり25号」
<JPEG/1,024×1,050/24bit/121KB>
東北本線 上野駅(81年3月29日)

 「ひばり」で到着して「ひばり」で折り返す列車なのだが、何故か上野に到着して乗客を降ろしている間に、ヘッドマークをチェンジ!
 そのチェンジ途中の「やまばと」マークをキャッチ。
 実は電動ヘッドマークの変換の様子をナマで見たのは、この東京旅行の時が初めてであった(^^;

 ちなみに左に止まっている583系は、青森からの「はつかり4号」
 これが到着する前に、同じホームから485系「やまばと5号」が発車しており、下の画像から時系列的に繋がっているというわけ


485系 特急「ひばり23号」&「やまばと5号」
<JPEG/1,024×768/24bit/101KB>
東北本線 上野駅(81年3月29日)

 2つ上の画像と同日同じ場所で、「ひばり23号」と「やまばと5号」との並び。

 この日上野駅で撮影した特急列車は、「北星」「北陸」「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」「ひばり」「あいづ」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」「やまばと」「ひたち」「とき」「あさま」「白山」「はくたか」とまさに百花繚乱の様相で、休むヒマなど無い程であった。

※実は「みちのく」を撮り漏らしているのだが、、、、まぁ、忘れよう(^^;

 カラフルなヘッドマークを掲げた特急列車の並びシーンも当たり前のように繰り広げられ、東北新幹線開業前の上野駅がとても華やかだった頃の一コマ。

キハ181系「やくも」
キハ181系 特急「やくも」
<JPEG/800×600/24bit/71KB>
山陽本線 岡山駅(80年3月14日)

 伯備線特急「やくも」は1972年3月の新幹線岡山開業時のダイヤ改正でほぼ現在の運転形態となり、気動車特急としては初めての「エル特急」に指定された。

 この「やくも」の活躍によって陰陽(山陽と山陰)連絡のメインルートが伯備線に決定したと言っても良く、キハ181系によって運転されていた気動車時代は最盛期には食堂車を組み込んだ堂々11両編成で6往復が運転されていた。

 1982年7月1日をもって振子式381系電車化され、現在に至っている。
キハ82系「あさしお」
キハ82系 特急「あさしお」
<JPEG/800×600/24bit/69KB>
東海道本線 京都駅(80年3月14日)

 1972年から運転を開始した山陰線特急「あさしお」は当初はキハ82系を使用していたが、キハ82にとって山陰線での仕業はややつらく、表定速度60km/hにも満たない鈍足特急であった。

 82年7月の「やくも」電車化の際、余剰となったキハ181系を転用してスピードアップが図られ、最大で6往復が運転されていたが、運行時刻が一定でなかったためにエル特急とはされなかった。