24系25形特急形寝台客車


予讃線 鬼無〜端岡間
1992年8月26日



 20系客車に次ぐ固定編成の寝台客車として、編成の分割併合に適した分散電源方式の14系(14形)が1970年の試作を経て1971年から量産開始されていたが、1972年に起こった北陸トンネル列車火災事故の影響により14系は一旦製造が中止され、14系を20系と同様の集中電源方式に変更しつつ火災対策を強化した24系(24形)が1972年より量産開始された。

 その後1975年の新幹線博多開業による寝台列車の乗客減少や生活水準の向上などの将来を睨んで、それまでの三段寝台を二段寝台にし、定員を減らして居住性を向上させた24系25形が1974年に登場した。

 東京〜宇野間(当時)寝台特急「瀬戸」にも、1977年から24系25形が投入されて1998年の285系投入に伴う「サンライズ」化まで使用された。

 24系25形は多くの列車に充当され、新製車のみならず改造車両も含めて大変なバリエーションが存在するが、本項では「瀬戸」として四国へ乗り入れた車両についてのみ記述する。



〜寝台特急「瀬戸」〜

 そもそも四国連絡列車として非常に長い歴史を持つ「瀬戸」は、1988年4月10日の瀬戸大橋開通によって待望の四国乗り入れを果たし、東京〜高松間に1往復の運転となった。
 当初は二段式開放B寝台車のみのモノクラス編成であったが、大橋開通フィーバーと折からのバブル景気により、電源車1両+オハネ(オハネフ)13両の長い編成も連日満員の盛況であった。

 電源車は基本的にカニ24形100番台車が限定運用され、以降は基本的に1/7/9/13号車にオハネフ25形、それ以外が全てオハネ25形が連結され、全てJR西日本・下関運転所(当時)の所属であった。

 カニ24形100番台車は、元々1977年の「瀬戸」「あさかぜ」の24系化に際して新たに登場した、新聞輸送等のために荷物室が荷重5トンに拡大されたグループ。
 オハネフ25形とオハネ25形は基本的に全て100番台車が連結されていた。


 1990年3月改正からは、高い人気の続く「瀬戸」のサービス改善等を目的に、一挙に4車種の新形式・新番号区分が登場した。

 「瀬戸」編成が高松駅6番ホーム(当時)に収まるように編成短縮を図るため、電源車をディーゼル発電機搭載のカニ24形に替えて、オハ12形からの改造でインバータ方式による架線集電式のスハ25形300番台車として編成中間に連結し、同車はラウンジカーとして運用された。
 これにより、当時まだ行われていた新聞等の輸送に使用するための荷物室(名目上は業務用室)を備えたオハネフ25形300番台車が、オハネフ25形100番台車の改造により登場している。

 このほか、従来モノクラスだった編成の質的改善のため、オハネ25形100番台車からの改造により、一人用個室A寝台車のオロネ25形300番台車も登場した。

 なお、当時「瀬戸」は下関発着の「あさかぜ」と共通運用で予備を含めて5編成で運用されていたが、パンタグラフ集電式のスハ25形を使用した編成が2編成(翌1991年からは3編成)のみだったことから、電源車にカニ24形を使用した編成が運用に入ることもあり、その場合は中間のラウンジカーは電源設備を持たないオハ25形300番台車(同じくオハ12形の改造)となった。


 四国内を走行する最後の定期客車列車として1998年7月まで運用されたが、「サンライズ」化によって「瀬戸」運用を離脱した。
 その後は、オロネ25形の一部が「日本海」に転用されるなどしたが、ほとんどの車両は保留車を経て廃車となった。




 オハネフ25−140の通路を出入台デッキ側からトイレのある側を見たところ。


※1991年11月3日撮影


 同車のデッキ側通路終端部。

 消火器が2個設置されてるのに留意(通常の昼間用の車両は1個)。


※1991年11月3日撮影


 オハネ25−165の通路をトイレのある側から出入台デッキのある側を見たところ。

 デッキ横のドア脇に消火器が備えられていた。


※1985年8月1日撮影


 編成中間のオハネフ25形にもテールマークが出ていた。


※1985年8月1日撮影


 二段式開放B寝台の下段ベッド。


※1985年8月1日撮影


 一人用個室A寝台車・オロネ25形300番台車の個室内。

 座席部分の背もたれは電動リクライニング式で、ベッドも通路側半分が電動で角度調節の出来るタイプ。

 寝台向かい側には小型モニタ一体のVHSデッキと洗面所が備えられているほか、壁面には隣室に通じる仕切扉があり、これを開くことでツインルームとしても使用可能な構造となっていた。


※1993年10月25日撮影


 シングルDXの寝台側から出入口側を見る。

 出入口上に荷物棚、向かって左のカーテンの奥に扉が設置されている。
 左下端には洗面台がチラリと写っている。


※1993年10月25日撮影


 スハ25形300番台車のラウンジコーナー。

 ソファ席とバーカウンター、その脇にはカード専用公衆電話、さらに画像右手前側壁面(バーカウンターの向かい側)には、TV等のAV機器も搭載されていた。


 なお、カウンターのさらに奥(背後)には静止型インバータ発電装置が搭載されているが、発電装置を持たないオハ25形300番台の場合はその部分もソファ席になっていた。


※1991年11月3日撮影


 写ルんですで撮った物なので酷い画像だが、←のバーカウンター側から撮ったもの。

 ブラウン管TV等のAV機器が設置されている。


※1991年11月3日撮影




宇野線 宇野駅
1987年4月

 切妻貫通構造のカニ24形100番台車。

予讃線 高松駅
1991年7月24日

 高松駅の留置線で整備・昼寝中のスハ25形300番台車。

予讃線 国分〜讃岐府中間
1991年9月

 1990年に増備・改造されたオハ25形とオロネ25形300番台車は金帯を巻いており、ステンレス帯が基本の24系25形の編成の中では比較的目立つ存在であった。

 また、オハ25形(及びスハ25形)300番台車は12系からの改造のため、雨樋の高さや車体断面が24系25形と微妙に異なっていた。

 なお、上画像のオハ25形は電源設備を持たないため、スハ25形よりもソファ席のスペースが拡大されている。左のスハ24形と比べると、窓の数が多いのが判る。


東海道本線 東京駅
1989年10月31日


予讃線 高松駅
1991年11月3日

 「瀬戸」の方向幕。

 長い間、本州と海で隔てられた四国民としては、高松駅で「東京行」の文字を、また東京駅で「高松行」の文字を見ると、感慨深い気持ちになったものであった。

予讃線 鬼無〜端岡間
1991年9月16日

 スハネ25形とオハネフ25形300番台車を組み込んだ13両編成。
 機関車次位がオハネフ25形300番台車。

予讃線 鬼無〜端岡間
1992年8月26日

 こちらはカニ24形とオハ25形を組み込んだ14両編成。

予讃線 八十場駅
1993年4月

 オハネフ25形100番台を最後尾にした高松行の下り「瀬戸」

予讃線 高松駅
1996年4月28日

 高松駅構内で昼寝・整備中の、スハ25形込みの13両編成。
 一番手前がオハネフ25形300番台車。4号車のスハ25形はパンタグラフを上げて集電中。

東海道本線 茅ヶ崎〜平塚間
1998年7月8日

 電車化を間近に控えた「瀬戸」。
 最後部がオハネフ25形300番台。

 客車時代の「瀬戸」は現在の「サンライズ」とは逆に、海側に通路、山側に寝台が並ぶのが基本であったが、この車両だけは改造時に方向転換されたため他の車両とは逆に寝台が海側に寄っていた。側面窓の高さの違いに注目。




形式 カニ24
100番台
オハネフ25
300番台
オハネフ25
100番台
オハネ25
100番台
オロネ25
300番台
オハ25
300番台
スハ25
300番台
製造・改造両数1657146
最大寸法19,500 mm21,300 mm
2,993 mm
4,090 mm
重量48.8 t t33.2 t32.0 t


発電機形式
DM95 x2
(300 kVA)
SIV x2
(230 kVA)
発電用エンジン形式
DMF31ZG x2
(430 ps)
パンタグラフ形式PS16 x2
ブレーキ方式CL
ブレーキ装置 踏面両抱
レジン制輪子
台車形式TR-66C TR-217C
軸距2,100 mm2,000 mm
冷房装置AU77 x 2AU13 x 4AU13 x 3
許容最高速度110km/h
構造等車体普通鋼製
客用扉1扉
室内 電源車
荷物車
二段式開放B寝台
ピッチ:1,920 mm
一人用
個室A寝台
ラウンジカー
乗車定員・荷重定員26323410
荷重5t3t
その他設備
業務用室

シャワー室シャワー室シャワー室

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