(四国名物)郵便荷物気動車


キユ25形(最後尾:手前側)とキニ28形(手前から2両目)を
連結した土讃本線の普通列車(238D)

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1982年5月



 四国は1950年代、無煙化のモデル地区として当時の新型ディーゼルカーが大量に投入された「近代化先進地」であったことは、既に別項で述べた。
 その頃は鉄道による郵便荷物輸送も多く、特に地方線区での郵便・荷物輸送を行うに当たり、その車輌をどうするかという問題が出てきた。

 郵便荷物輸送のために新たに車輌を新製するのは得策ではなかった。そこで当時余剰気味となっていた客車や気動車を郵便荷物車に改造して使用することになり、郵便荷物気動車(客車)が登場することとなった。

 四国の場合、気動車が大量投入されていたという事情があったため、気動車を改造した個性的な郵便荷物車が数多く存在した。


 また、四国の郵便荷物気動車はそのバラエティもさることながら、ほとんどの形式が急行列車運用に充当された実績を持つのが特色であり、ヘッドマークを掲げて四国内を縦横無尽に走っていた。

 特に予讃・土讃本線の優等列車仕業を一手に担っていた高松運転所に配置されていた、キニ15形/キユニ15形以降の郵便荷物気動車は、全ての形式が急行列車運用に充当されたことがある。
 四国では急行列車運転路線でも1986年3月改正まではタブレットを使用していた区間が残っていたため、高松運転所在籍の郵便荷物気動車はそのほとんどがタブレットキャッチャーを装備しており、これも四国の郵便荷物気動車の特色の一つであった。

 また、全国でも数少ない気動車による荷物列車も運転されており(通常の時刻表には掲載されなかった)、時には単行尻切れトンボで走行することもあった。


 国鉄末期の1984年2月においても、当時の高松運転所には合わせて22両の郵便荷物気動車が配置されており、これはもちろん車両基地1箇所あたりの配置数としては国内最多であった。

 そんな郵便荷物気動車も、1985年の郵便輸送廃止、そして翌1986年の小荷物輸送廃止によって、四国はもちろん全国からも姿を消した。
 ごく一部の荷物客車は配給車や救援車の代用として今も生き延びたが、郵便荷物気動車にはそのような選択肢は与えられなかった。


キユニ15形
キニ26/キユニ26/キニ56形
キニ28/キユニ28形
キユ25形

郵便車の通報ブザー






四国名物のゲテモノ
キユニ15形

土讃本線 讃岐財田駅
1980年10月

 当時最新鋭(新製投入1ヶ月後)のキハ47形と、全廃を半年後に控えたキユニ15形との貴重なツーショット。

土讃本線 讃岐財田駅
1980年10月

 郵便室から郵袋を下ろしている様子。
 当時のホームの低さもよく判る。



 1955年前後に製造されたキハ10系の中間車、キロハ18形を改造したキハユ15形を更に再改造した郵便荷物合造車キユニ15形。
 種車が中間車であるために前面強化改造が施されているほか、改造費低減のために種車の出入り口ドアのあった部分の出っ張りがそのまま残されたため、正面から見るとまるで鬼が牙をむいたような特徴的なスタイルをしていた。

 全国でも四国に5両しか存在しなかった珍車である。
 また、同じくキロハ18形からの改造でこれの荷物専用車バージョンであるキニ15形も2両存在していた(これも四国だけにしかいなかった)。

 急行・快速運用にも充当されたため、ほとんどの車両がタブレットキャッチャーを装備していたが、晩年は後継車種にその任を譲ってローカル専用仕業に就き、タブレットキャッチャーが外される車両も出現した。
 後継車種であるキニ28形/キユニ28形の登場により、キニ15形/キユニ15形共に1981年までには全車廃車となった。


 なお四国へのキハ40系の投入は、キニ15形/キユニ15形が全廃される前年の1980年から始まったが、当初は高知に配置された少数のみであり、上のようなキユニ15形とキハ47形のツーショットは、わずか半年あまりしか見ることが出来なかった、非常に貴重なシーンである。
 ちなみに、松山へのキハ40系の配置は1981年であり、そのとき既にキニ15形/キユニ15形は全廃された後であった。


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キハ55系改造の郵便荷物気動車
キニ26形/キユニ26形/キニ56形
キニ26形
キニ26−3

予讃本線 多度津駅
1984年2月

 通称「バス窓」と呼ばれる初期車からの改造。
 タブレットキャッチャーは四国転入前から装備され、急行「きのくに」運用などで活用されていた模様。
キユニ26形
キユニ26−1

土讃本線 金蔵寺〜多度津間
1986年1月1日

 急行「土佐2号」に連結されたトップナンバー。元のキロハ25形を改造した初期車からの改造で、後部のバス窓が特徴であった。
キユニ26−22

土讃本線 讃岐財田駅
1984年5月

 四国配置の車両は、踏切事故に備えた前面強化工事が施されている車両が多いのが特徴であった。
 同様な改造は関西地区等でも見られたが、前面強化部分の面積がやや小さい。

 こちらは一般的なキハ26形からの改造で、側面の窓配置等が←の1号車と異なっている。
 また、この22号車はこの当時の四国のキハ55系列の中では唯一でかつ最後のオリジナルの大型1灯前照灯(白熱灯)装備車であった。
キニ56形

予讃本線 松山駅
1986年3月24日

 その数、全国でわずか4両という希少車だった。
 予讃本線では急行列車運用でも活躍した。

予讃本線 松山駅
1986年3月24日

 四国独自の全面強化改造とバンパーが特徴的。
 また急行運用にも就くため、タブレットキャッチャーが装備されている。



 元の準急用気動車であるキハ55系を改造した郵便荷物気動車には、キニ26形、キユニ26形、キニ56形の3形式があった。
 これら3形式を全て見ることが出来たのは四国だけであり、しかも全形式が急行列車運用を持っていた点でも特筆される。


 1台エンジンの荷物専用車・キニ26形は、1973年から75年にかけて4両がキハ26形から改造された。
 当初は四国への配置はなかったが、旧型荷物車置き換えのために転入し、最終的にはこのうちの3両(2〜4号車)が四国で活躍していた。
 このうち3/4号車はキハ26形の最初期型からの改造で側面がバス窓になっているが、2号車はキロハ26形(7号車)を改造したキハ26形300番台車(307号車)からの改造車で、側面窓が一段上昇式となっているほか、前後の荷物室の窓サイズが異なっており、またトイレが前位側に設置されているなどの違いがあった。


 郵便荷物合造車キユニ26形は、1台エンジン搭載車キハ26形を種車に、1973年から80年にかけて25両が改造されて全国各地に配置され、四国では最盛期は8両が在籍していた。
 キユニ26形は数が多いことから、改造種車にもいくつかの種類があり、それによって同じ形式でも窓や扉の配置が異なっていて結構面白かったものである。
 外観はキニ26形と似ているが、郵便物の仕訳棚があるため、側面窓がキニ26よりも少ないのが識別点である。

 また、四国のキユニ26形には急行色に塗装されていた車両も存在していた(18号車など)が、晩年は全て首都圏色に塗り替えられた。


 キニ56形は2台エンジン搭載の強力型で、キハ55形を種車にわずか4両が改造された。
 全国でも茨城県の水戸機関区(3/4号車)と、四国の高松運転所(1/2号車)に各2両だけが存在していた希少車であった。

 四国配置の2両は、登場時は急行色(後年首都圏色に変更)で活躍し、夜行急行「うわじま1号」の運用で有名だったが、1両のみとなった最晩年はキニ26形等と共通運用でローカル列車に連結された。


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短命に終わった
キニ28形/キユニ28形
キニ28形(最後尾から2両目)

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1982年5月

 四国のキニ28形は全車タブレットキャッチャー装備。
キユニ28−10

土讃本線 窪川駅
1986年5月5日

 「準急」幕がチラリと見える状態のキユニ28−10。
キユニ28−18

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 サボ受けは装備していたが、使用することはほぼ無かった。
 しかし、ごくごく希に急行運用時に「急行」のサボを挿していることがあった。

 →画像とのヘッドマークの位置の違いに注目(詳細後述)。

 このように、標準の標識灯掛けにヘッドマークを挿し、かつ急行サボもかかっているケースはかなり珍しい。
キユニ28−18

土讃本線 塩入駅
1986年9月

 珍しく「急行」の方向幕を表示している例。

 なお、この18号車は正面のタイホンのフタ駆動部分が他の車両よりも若干小振りである。
 
 郡山工場での改造車両がこのタイプで、この18号車のほかにも19号車が該当すると思われる。
キユニ28−22

予讃本線 高松駅
1983年6月

 急行列車運用でも、正面の方向幕は白幕のままが多かった。

 この22号車はキユニ28形の中で唯一多度津工場で改造された車両であるが、側面の(「急行」等の)列車種別サボ受けの位置が他者よりも低いほか、正面の放送用ジャンパ栓納めの位置も通常の位置(正面向かって左のタイホンの右側)と異なっている(下記小ネタ記事参照)など、識別点の多い異端車であった。
 ちなみに、同じ多度津工場改造のキニ28−5は、他のキニ28形と形態上の差異は見当たらない。

キユニ28−22

土讃本線 讃岐財田駅
1986年3月26日

 タブレットキャッチャー装備のキユニ28形は少ない。

 同車は左画像をはじめ、少なくとも当方手持ち画像では1985年3月末までは未設置であることから、1985年度中に取り付けられたと思われる。



 全国的に活躍したキユニ28形であるが、ヘッドマークを掲げて急行列車運用に入っていたのは四国だけであった(急行運用自体は紀勢本線や高山本線等で見られたがヘッドマークは無かった模様である)。
 その象徴がタブレットキャッチャーと多度津工場オリジナルと思われるヘッドマーク掛けであった。

 後者については、標準の標識灯掛けの位置ではヘッドマーク取付の際にタイホンやジャンパ栓受けなどに支障するほか車体から少しはみ出してしまうためため、その隣にヘッドマーク取付専用のフックを増設したものである。

※なお、他の郵便荷物車形式ではヘッドマークを掲出しての急行運用の例はごく少数ながらも存在した(キユニ17形の「能登路」等)。


(小ネタ1)
四国配置車のヘッドマーク掛け増設改造

予讃本線 高松駅
1985年3月

 キユニ28−22の、増設されたヘッドマーク掛け。

山陰本線 益田駅
1982年8月5日

 比較用に、当時小郡機関区所属のキユニ28−24。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 希に、他地区から転入間もないためにヘッドマーク掛けの取付改造が間に合わないままの車両(画像はキユニ28−11)が急行列車運用(の先頭)に入った場合は・・・ →

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 キユニ次位のキハにヘッドマークを掲げるというケースもあった。

土讃本線 讃岐財田駅
1981年9月

 標準の標識灯掛けにヘッドマークを挿した場合は、このようにタイホーンの蓋と干渉してしまうが、このケースのように列車最後尾の場合は問題なしと判断されてそのまま運用されたケースもあった。

 ちなみにコレは22号車で、少なくとも翌年までにはヘッドマーク掛けが増設されているのが確認できる。


 キユニ28形へのヘッドマーク掲出に関しては、小生および交友関係諸兄の記録画像から、以下のような時系列が推測される。

@ 最初は列車の前後連結位置に関係なく、標準の標識灯掛けにHMを掛けていた。

A しかし、それではタイホンに干渉して蓋が開かないことに気づいた。

B HM掛け増設改造の実施を決定。
 完了までは、標識灯掛けの使用は避け、使用する場合は列車最後尾に限定した。

B−(2) 運用の都合で改造未施工の車両が先頭に来てしまった → やむなく2両目のキハに掲出した。


(小ネタ2)
異端だった多度津工場製キユニ28−22

 四国配置のキユニ28形の中で、何故か多度津工場で改造された22号車は、前面の放送用ジャンパ栓納めの位置と、側面のサボ受けの位置が他車と異なっていた。
 放送用ジャンパ栓納めは、正面向かって左側のタイホンの右側が標準のようであるが、22号車は標準と異なる位置に設置され、しかも途中で少なくとも1回設置場所が変わっているにもかかわらず、そのいずれも標準と異なる場所であった。

 また側面のサボ受けの位置も、標準よりも若干(20cm程度?)低い位置に設置されている。

 さらに、正面の運転席&助手席窓には曇り止めのデフロスタが取り付けられていないなど、なにかと異色ずくめの異端車であった。

土讃本線 黒川〜讃岐財田間
1981年8月

 1981年5月の改造落成からまだ間がない22号車。

 タイホンのすぐ脇に間隔を置かずに設置されている。
 また、サボ受けの位置も上に挙げた他の車両と比べて低いのが判る。

予讃本線 高松駅
1985年3月

 再掲画像となるが、1985年3月時点の状態。

 放送用ジャンパ栓納めの位置が変更されており、標準の標識灯掛けの下のスカート開口部に移設されている。少なくとも当方手持ち画像では、同車は本来の標準の位置に設置されていた時期は確認できないが、その理由は不明。




 キニ28形とキユニ28形は、キハ10系改造の古い郵便荷物車の代替として1978年から84年にかけて、合わせて33両が製作された。
 種車はキハ58系のグリーン車、キロ28形であるが、車体を新たに新製して、それにキロの足回りを履かせた「車体更新改造車」である。


 キニ28形は5両が改造され、うち3両が四国に在籍したが、3両全車がタブレットキャッチャーを装備していた。

 キユニ28形は28両が改造されて全国各地で活躍したが、ヘッドマークを掲げて急行列車運用に就いていたのは四国だけであった(急行運用自体は他地区にもあった)。


 このほか、キニ28形の2台エンジンバージョン(種車はキロ58形)であるキニ58形も3両が存在したが、これは常磐線専用で運用され、四国にはいなかった。


 各形式とも、国鉄の郵便荷物輸送の全廃に伴って1986年までには全車廃車され、もっとも古い車両でも車齢9年、一番若い車両ではわずか4年という短命車両であった。


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珍しい郵政省所有の私有郵便車
四国名物・キユ25形
キユ25−2

土讃本線 讃岐財田駅
1984年1月

 前期の平窓車。
キユ25−1

予讃本線 高松駅
1985年6月16日

 ヘッドマークを掲げて急行列車の先頭に立つこともあった。
 また、画像では「急行」幕を掲出しているが、通常は白幕のまま急行運用に就くことが多かった。
キユ25−4

予讃本線 多度津駅
1983年9月

 パノラミックウィンドウ装備の後期形。
キユ25−3

予讃本線 丸亀駅
1985年10月

 キハ20&キハ40形を5両従えて、6両編成の通学列車の先頭に立つ。

土讃本線 讃岐財田駅
1984年1月

 キユ25形は基本的にキハ58形と同車体だが、屋根の盛り上がり具合が小さく、微妙に車高が低い。
 こうしてキハ58形と並べてみると違いがよく判る。

予讃本線 多度津駅
1986年3月24日

 廃車となり多度津駅構内で留置中のキユ25−2。
 左にももう1両キユ25形(車番不明)。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 1971年に製造された3/4号車には、同時期に製造されたキハ65形と同様にウィンドウウォッシャノズルが装備されていた。






 全国でも四国に4両しかいなかったという珍車、キユ25形。

 この車輌、郵政省所有の私有車であったばかりか、登場当初から冷房装置を搭載し、加えて郵便荷物気動車としては唯一の新製車(全て新しく作られた車輌)で、しかも塗色は急行色という、これを撮るためだけに四国に来るファンもいたほどの、知る人ぞ知る四国名物の珍車中の珍車であった。

 初期の平窓タイプの1〜2号車は1965年製、パノラミックウィンドウスタイルとなった後期型の3〜4号車は1971年に製造された。
 タブレットキャッチャーは、後期の2両(3/4号車)のみが装備していた。


 1970〜80年代の急行「土佐」のほか、晩年は急行「いよ」にも充当され、四国内の郵便輸送の最終列車を飾ったのも「いよ」であった。

 国鉄の郵便輸送は1986年9月30日で終了(当時の新聞記事→)。
 なお、四国の鉄道郵便輸送はそれよりも少し早く、1986年2月26日をもって終了(当時の新聞記事→)しており、キユ25形はその時点で全車運用を終了した。




 四国にはこのほかにも、キニ17形、キニ05形、キユニ07形といった「四国だけ」という珍車がいくつも存在し、中でもキニ19形は全国でも1形式1両のみという、超希少車であった。
 が、残念ながらこれらの車輌については比較的早い時期に姿を消してしまっているため、私の手元には写真が残っていない。


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郵便車両の固有装備
〜郵便車の通報ブザー〜


 かつての郵便車両には、車室内で従業中の郵便職員に外部から異常などを知らせるためと思われるブザーが装備され、郵便気動車の場合は前位運転台助士席側の正面窓の下、あるいは後部標識灯の近くに、その押しボタンが取り付けられていた。

 ただし取付位置については変化があり、例えば四国配置のキユニ26形の場合は1973年9月に改造された1号車と2号車は、前面及び妻面の向かって左側の標識灯掛けの脇に取り付けられているが、それ以降の車両については貫通扉左上、幌枠台座との間の狭い酢ぺーっすに取り付けられている。
 もちろん、それ以前に改造または新製されたキユニ15形やキユ25形は標識灯掛けの脇で、逆にキユニ26形よりも後に登場したキユニ28形は貫通路脇に付いている。

 推察される理由としては、従前は車外からのみボタンを押す前提であったのが、(貫通路で繋がった)隣接車両から押しやすい位置に変えたものと思われるが、この方針転換に至った理由は不明である。


キユニ15形はパッと見では判りづらい位置にある
キユ25形のボタン
キユニ26形1号車のボタン
キユニ26形の22号車は無いように見えるが
実はここに・・・!
キユニ28形も同じ位置に



 なおキユ25形については、郵政博物館収蔵の新製直後と思われる画像ではブザーの存在は確認できないことから、後付け改造によって設置された可能性もある。

(キユ25形前期形)→(画像)
(同後期形)→(画像)

※リンク先:郵政博物館(Web版)



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※ちょっと注釈※
〜形式の見方〜

 形式のカタカナ表記の「ユ」は郵便車「ニ」は荷物車で、例えば荷物専用気動車なら「キニ○○」という形式になる。

 だから「キユニ○○」という形式なら、車体の一部が荷物室と郵便室に別れている気動車という事で、郵便物の普通荷物の両方を積載できるという事。

 ちなみに「ハ」は普通客室で、「キハユ○○」だと、車体の半分が普通の客室で残り半分が郵便室ということである。
 このように異なる種類の用途の小部屋をいくつか持っている車輌のことを「合造車」と呼ぶ。

 また、2桁の形式番号の50台はエンジンを2台搭載した勾配線区向けの車輌、50未満は1台エンジン車であることを表す。





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