50系 一般形客車
国鉄分割民営化の落とし子
悲運の「レッドトレイン」


50系客車全盛時代
高松駅で「お尻」を揃えて並んだ、3本の50系客車列車
当時四国内で「客車列車」と言えば、全て50系ばかりだった
(昭和60年5月26日)

50系
多度津駅を発車する50系客車8両編成の高松行区間快速 122列車+222列車
(昭和61年3月)




 旧来、普通列車に使用されていた客車は、昭和30年代以前、車両によっては戦前に製造されたモノもあり、老朽化・陳腐化が著しく、加えて自動扉が装備されないなど、安全上も問題があったことから、これら旧型客車を置き換える目的で製造された。

 まずは、1977年(昭和52年)に本州・四国・九州向けとしてオハフ50・オハ50形が、翌78年に北海道向けとしてオハフ51・オハ51形が登場した。


 全長20m、客室内は地方都市圏での通勤輸送を考慮してセミクロスシートで、出入口扉はステンレス製で幅1mの自動ドア。側窓は北海道用は1段上昇式、それ以外は上段下降・下段上昇式のユニットサッシとされた。
 屋根は集中冷房装置の搭載が可能な設計となっており、側面には巻き取り式行先表示幕の取付準備工事が施された。

 1982年(昭和57年)までの間に合計953両が量産されて全国各地で活躍、鮮やかなワインレッドの車体から「レッドトレイン」と呼ばれて、地方都市部やローカル線での客車列車のイメージを変えた。



 これら旅客車とは別に、古い郵便荷物客車を置き換える目的で、マニ50/スユニ50という荷物車が製作された。
 マニ50は旅客車と同じ台車を履いているが、スユニ50は廃車となった旧型客車のTR47形台車を流用している。車体の色はいずれもブルーである。

 マニ50形が236両、スユニ50形が80両製作されて、全国で活躍したが、1986年の鉄道郵便荷物輸送廃止により、全車運用を離脱した。

 その後は、それまで旧型客車の改造車が使用されていた救援車と置き換えられ、救援車代用車として使用されているが、これも現在では少なくなってきており、JR東海・四国・九州の各社からは既に姿を消している。


マニ50
旧高松駅の桟橋近くで昼寝中のマニ50形
(昭和58年3月)



 一族合わせて総勢約1,200両が量産されて全国各地で活躍し、四国に於いても1984〜85年頃は高松・松山・高知・小松島の各車両基地に合計約120両が配置されて、予土線と鳴門線を除く四国内全線で活躍し、特に朝のラッシュ時は6〜8両編成の50系客車列車が満員の乗客を乗せて次々に高松駅に到着し、この頃が最盛期であった。

 しかし、その後は列車の短編成化によるフリークエンシー(運転頻度)のアップや、電化などによる新車の投入によって急速に勢力を縮小し、JR発足時は約100両もの製造後10年にも満たない50系客車が、余剰車として四国内各地に放置されるという惨状を呈した。

 これら余剰車は、5両がジョイフルトレイン「アイランドエクスプレス」に改造された他は、本州や九州に転属したり、廃車・解体され、JR四国管内の50系による定期列車は1993年限りで消滅し、わずか10数年の四国での活躍にピリオドを打った。



 全国的にも、最後まで残っていた津軽海峡線の快速「海峡」と、JR九州・筑豊本線のレッドトレインは、いずれも2001年度をもって全て姿を消し、50系客車による定期旅客列車は既に消滅している。

 新時代を拓く寵児として急速に勢力を拡大し、そして時代の波に呑まれるように急速に消えていった、悲運の客車である。


形式オハフ50形オハ50形マニ50形スユニ50形
最大寸法20,000 mm
2,893 mm2,883 mm2,885 mm
3,895 mm3,865 mm
重量29.5〜30.8 t27.8〜28.1 t28.6〜29.7 t31.5 t
車体普通鋼
ブレーキ方式CL
ブレーキ装置踏面両抱
台車形式TR230TR47B
許容最高速度95km/h
車体構造・客室2扉セミクロスシート
乗車定員(人)92 (座席:67)112 (座席:80)
積載重量(t)荷物:13 荷物:4
郵便:4

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