スハ43系客車



「サヨナラDF50秘境号」1号車の
スハフ42−2225

土讃本線 大歩危駅
1983年8月21日



 戦後の復興期に復活した優等列車用客車として、特急用の44系客車と共に1951年から量産の始まった急行用客車が43系客車である。

 客室設備は一般形オハ35系の戦後型をベースとしながら、背もたれクッションが上下二分割となってかけ心地が改善されているほか、窓側に栓抜き付きのテーブルが設けられ、さらに頭をもたれかけるためのクッションや、立ち客のための取っ手やが新たに設けられるなど、急行列車用としてふさわしい差別化が行われている。
 台車についも特急用44系と同じウィングはね式のTR47形が装備され、乗り心地の改善が図られている。
 実際、35系と43系を乗り比べると、明らかに43系の方が乗り心地が良かったので、同車が現役だった頃は好んで乗っていた。


 当初は、車掌室を持つ緩急車スハフ42形と中間車スハ43形が登場し、全国で復活しつつあった急行列車に使用され、四国に於いても準急「せと」「南風」に使用されて活躍した。
 これらの北海道用バージョンも存在し、スハフ44/スハ45形を名乗る。

 1955年までの間に、スハフ42形は335両、スハ43形は698両が製造された。



 だが、乗り心地重視のあまり重くなりすぎた為に長編成の列車では機関車の負荷が増すのが問題点であった。

 そこで、ナハ10系で実用化された車体軽量化技術を使って軽量化を図った中間車としてオハ46形が1955年に登場し、60両が製造された。これの車掌室付き緩急車として、オハフ45形も45両が製作された。
 このグループは雨樋や妻面の処理などがスハ43/スハフ42形と異なるのが、外観上の識別点であった。

 これとは別に、スハ43形として製作された車両を再度計量し直した結果、より軽量の「オ」規格に収まることからオハ46形に編入された車両が160両存在した。
 このグループは見た目もスハ43形と全く同じで、形式表記を見なければ区別が付かなかった。

 なお、スハフ42形からオハフ45形に編入された車両は存在しない。


 これに対して、スハ43形の台車をオハ35系と同じTR23系に交換することによって軽量化を図ったのがオハ47形で、1961年から69年にかけて328両が改造された。

 乗り心地が若干悪化するためと、当時既に全国的に優等列車の電車化・気動車化が進んでいたため、オハ47形は当初から専ら普通列車用として使用された。
 これを更に緩急車化改造したオハフ46形も存在した。

 一方で、スハフ42形を台車交換改造した車輌は現れなかった。


 四国では1985年3月改正で全車運用から離脱し現役を引退した。
 民営化後、JR東日本において車籍が復活した車両が存在し、イベント用として現在も使用されている。



土讃本線 塩入駅
1983年8月20日

 「サヨナラDF50秘境号」は5両編成中4両が43系で組成された。
 一番手前の5号車を除く4両が43系。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年2月

 高知行223レの2両目に連結された、スハ43形からの台車交換改造車である、オハ47−107。

予讃本線 多度津駅
1985年3月

 多度津駅構内で廃車留置中の、既に銘板類も外されたスハ43−399。
 向かって左手奥には、ほぼ同じ形態でアルミサッシ化されたスハ43−400。

予讃本線 多度津駅
1986年3月26日

 多度津駅構内で廃車留置中のスハフ42−39(左側)。
 右側には、四国には2両しかいなかった固定窓が縦に二段並んだドアが特徴的な、オハ47−84。



形式
スハフ42
スハ43
オハ46形
オハ47形
寸法

20,000 mm

2,900 mm

4,020 mm
重量
33.4〜35.1 t
32.4〜32.8 t
30.6〜32.1 t
30.5 t
車体
普通鋼
ブレーキ方式
AV
ブレーキ装置
踏面両抱
台車形式
TR47
TR23
許容最高速度
95km/h
車体構造・客室
2扉クロスシート
乗車定員
80
88
88
88

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