121系 近郊形直流電車


予讃線 八十場駅
2008年9月25日



 国鉄民営化を目前に控えた1987年3月23日のダイヤ改正で、四国の国鉄線で初の電化区間を走る、国鉄としては四国では最初で最後の電車である。

 車体は当時流行のステンレスとされたが、主幹制御器や台車、主電動機などの足回りやパンタグラフは、廃車になった101系通勤電車のものが流用され、電動発電機も特急形485系の廃車発生品を再利用。制御方式も当時既に時代遅れとなっていた直列弱界磁制御方式、また側面窓も流行に逆行する一段上昇式でしかも半分までしか開かない。

 乗務員室が狭くて運転席背後のスペースが無いため、一部の無人駅では後部車両の乗務員ドアから車掌さんが駆けて集札に来る(ご苦労さんです)など傍目にも相当使い勝手の悪そうな車両でもあり、地方の細かい事情が充分にくみ取れない中央(東京=当時の国鉄本社)で設計されたと思わせられる、いささか急造感のある電車であるが車体が頑丈なのは取り柄。

 ブレーキ方式は最新の電気指令式となっているが、廃車発生品の台車を履いている関係でブレーキそのものが弱く、最高速度は100km/h止まりである。

 2両編成が基本で、19編成38両が製造されて高松運転所に配置されて、比較的利用客の多い高松近郊の都市圏輸送に活躍していた。



〜その後の運用等〜

 登場当初は車体の帯(ラインカラー)は赤であったが、JR化後の87年秋〜冬頃に、早くも他の車両に先駆けてコーポレートカラーであるライトブルー(青26号)に変更されている。ちなみにこの帯は塗装ではなくテープ(シール)である。
 なお、恐らくはこのラインカラーの変更とほぼ同時期に、正面貫通路上の方向幕について、それまでの列車種別表示の物から行先表示の物に交換されている。


 1987年10月1日のダイヤ改正で、高松〜観音寺・琴平間の電化区間が繋がったのを機に、高松近郊区間の普通列車には「サンシャトル」の愛称が付けられ、121系についてのみヘッドマークが掲出されていた。
 このヘッドマークは1990年頃にデザインが変更されて2代目となった(下記「ヘッドマーク」参照)。

 丁度のこの時期はラインカラーの変更が進捗していた時期でもあり、赤帯(+列車種別表示)に初代「サンシャトル」のHMの組み合わせてごく短期間のみ見られた貴重なものであった。


 1989年7月のダイヤ改正では、当時は全て各駅停車だったこの区間の電車列車の一部について、宇多津または丸亀または多度津で特急「しおかぜ」「南風」に接続する形で快速列車「しおかぜリレー」「南風リレー」が設定され、121系も「快速 リレー」のヘッドマークを掲げて運用に就いた(下記「ヘッドマーク」参照)。
 しかし、元々高速運用を前提としていない仕様の121系では、快速運用は少々キツかった模様である。


 1992年7月改正で香川・愛媛県境区間を挟んで、予讃線の高松から新居浜までの電化が完成し、同線の運用区間が高松〜新居浜間に拡大した。
 これに合わせて、パンタグラフをPS16からS−PS58に換装している(下記小ネタ参照)。


 予讃線の高松〜伊予市間の電化が完成した1993年3月改正で、「サンシャトル」の愛称は廃止されてHMの掲出も無くなった。


 この間、1998年に側面のサボの使用を止めている。当時在籍していた111系も同時期に使用停止している。


 2002年3月改正では、リレー号快速は新たに設定された快速「サンポート」に吸収される形で発展解消され、121系も「サンポート」のHMを掲げて運用に就いた。


 121系は当初から半自動ドア扱いに対応しているが、2006年から利用客用のドア開閉ボタンの設置改造が始まり、同年度中にほぼ完了した。
 ドアボタンは、車外側は「開」のみ、車内側は「開/閉」という標準的なもので、ドアに向かって左側に設置されている。


 2011年度末に、第1編成と第2編成の2編成がワンマン運転対応に改造された。
 各種ワンマン機器の設置のほか、帯の色が登場時の赤に戻され、前面に排障器が追加された。


 2016年から7200系への改造が開始された。
 概ね1〜2ヶ月に1編成の割合で進捗し、2018年8月末時点では3編成が残るのみとなっていた。
 この内の2編成はワンマン仕様車(第1・第2編成)であり、青帯のJR四国色で残るのは第18編成の1本のみであった。


 2018年9月に最後の青帯編成(第18編成)と赤帯ワンマン仕様の第1編成が、いずれも多度津工場へ入場していずれも同年末までの間に7200系として出場した。
 同年10月末には121系赤帯編成を使用した121系お別れツアーが計画されており、最後まで残った第2編成が充当された。


 最後の第2編成も2018年末までに工場入場し、2019年2月に7200系として出場したことから、121系は登場から32年で消滅した。



予讃本線 多度津駅
1987年2月

 四国回着後、工場入場のため多度津まで回送されてきた、新製直後の121系。

予讃線 讃岐塩屋〜多度津間
1993年1月2日

 高松行普通列車1252M。
 121系電車は1987年の登場以来、定期仕業で6両編成(3本併結)というのは存在しなかったが、この日は正月3が日の増結措置による、極めて珍しい121系6連が実現した。

 なおこの当時は、S−PS58形パンタグラフに換装済みでかつ、列車無線アンテナ無しという貴重な組み合わせの見られた時期でもあった(下記小ネタ参照)。


予讃線 高松駅
2012年2月18日

 2011年末に登場した、赤い帯と後付けのスカートが特徴のワンマン仕様車。

予讃線 海岸寺〜詫間間
2018年9月11日

 2018年9月当時、最後の青帯編成として残っていた第18編成。



〜121系の小ネタ〜


<パンタグラフ換装>

 落成当初はパンタグラフは廃車発生品のPS16形を搭載していたが、香川・愛媛県境の鳥越トンネルが1992年に電化された際、そのままではそのトンネルを通過できないことから、同年度中に全車両について7000系と同じS−PS58形に換装している。


当初搭載していたPS16形

予讃線 国分駅
1990年12月31日
PS16搭載時代の121系

予讃線 国分〜讃岐府中間
1992年1月1日



<列車無線アンテナ>

 パンタグラフの換装からやや遅れる形で、列車無線アンテナの搭載改造が行われている。
 1993年の2月から4月ぐらいにかけて集中的に設置改造が行われた模様で、S−PS58形パンタグラフと列車無線アンテナ無しという姿は、1年前後の間しか見られなかった。


 なお、第6編成下り方のクハ120−6は、何故かこのアンテナが曲がった状態で取り付けられており、7200系(7306形)に改造された2019年現在も曲がったままとなっている。



予讃線 海岸寺〜詫間間
2004年4月24日

予讃線 八十場駅
2013年4月10日



<試験警戒色>

 1993年から94年までの間、事故防止を図るため、第9編成に試験的に正面のヘッドライト周りの帯を朱色の警戒色としていた時期があった。
 結局期待されたほどの効果がなかったのか、1年程度で元のコーポレートカラー(青26号)に戻された。
 なお、JR四国内で全ての列車について、昼間でも前照灯を点灯するようになったのは、それからさらに2年以上後の1996年後半からであり、ごく一部に見られる警戒色をやめてすぐライト点灯をはじめたという記述は誤解である。


通勤列車の先頭に立つ第9編成

予讃線 八十場駅
1993年4月
「快速 リレー号」のHMを掲げて走る第9編成

予讃線 香西〜鬼無間
1993年4月



<補助電源装置>

 121系の補助電源装置は、第1〜17編成はクモハ121形に、第18〜19編成はクハ120形に搭載されている。
 廃車になった特急形電車(サシ484形)の廃車発生部品のMG装置を搭載しており、元々古いものであったことから運用開始からほどなくして故障が頻発するようになっていたらしい。


 そこで2000年代前半までの間に、このうちクモハ121形については新製品のSIV(静止型インバータ:S−SIV70形)に交換されて、以前に比べて騒音が小さくなっている。

 クハ120形に搭載されている18・19号車については、当初は90kVA対応のS−SIV90形と異なる物が搭載されていたが、2016年末に確認した限りでは、2編成ともに1〜17号車と同様な仕様となっている。
 過去の撮影画像を調べたところ、両編成とも2012年春以降〜2014年初夏までの間に改造されていたようだ。


<ラッピング>

 121系のラッピング歴は実は非常に少なく、特に車体全面にわたるラッピングは2004年に「第24回 全国豊かな海づくり大会」に協賛する形で、第11編成(クモハ121+11/クハ120−11)に「瀬戸内びんび列車」としておさかなラッピングが施されたのが唯一である(2018年時点)。
 このラッピングは2005年末までには元に戻された。


予讃線 多度津駅
2004年9月12日

 多度津駅構内で昼寝中のラッピング車。

予讃線 八十場駅
2005年5月21日

 この当時存在した宇多津折り返しローカルに充当された同編成。
 「宇多津」の幕表示も今となっては貴重。

多度津駅〜多度津工場間
2005年10月12日

 2005年のきしゃぽっぽまつりのシャトル列車にも使用された。


 なお、車体の一部にシールを貼っただけのパターンとしては、2000年の秋に10月1日実施の国勢調査のPRシールがごく短期間貼られていたという記録がある。


<メーカーと形式表記・ドア開閉ボタンの微妙な関係>

 121系は4社のメーカーで製造されたが、製造メーカーによって


 中央扉と形式表記の位置関係を見ると、、、

 日立製作所製と近畿車輛製は、中央扉に向かって運転台側
 川崎重工製は、中央扉に向かって上り方
 東急車輌製は、中央扉に向かって左側

 に、形式名表記が貼られている。


 また、中央扉の車外側扉開ボタンと形式表記の、中央扉に対する位置関係については、、、

 日立製と近畿製は、海側はクモハの場合は同じ側&クハの場合は逆側、山側では海側の逆
 川崎製は、クハ/クモハいずれも、海側では同じ側に、山側では反対側
 東急製は、クハ/クモハともに海側/山側いずれも同じ側

 に位置する。


日立製作所製
近畿車輛製
川崎重工製
東急車輌製



<ワンマン仕様車>

 2011年12月に、ワンマン運転対応車が登場。

 運転台背後に料金箱と運賃表を、さらに両端出入口横に整理券発行機を設置。さらに、室内貫通路上にはLED案内表示器も追加されているほか、運転台側出入口ドア横に車椅子用スペースが設けられている。
 これに合わせて、乗車定員がオリジナルの118名から132名に増加している(座席定員は10名減少)。

 外観では、帯が赤(京葉線カラー)に変更されたほか、後付け感満点のスカートが取り付けられている。
 また、車体に向かって両端の出入口ドア左側の戸袋窓の上部半分を埋てLED表示器が設置され、ワンマン運転時に「入口」「出口」などの表示を行っているほか、LED式の側面方向幕が追加されている。
 さらに連結面には転落防止幌まで追加されており、比較的大がかりな改造が行われている。

 2012年2月までに、クハ+クモハの各1・2号車の2編成が改造を受け、高松地区で運用された。

 なおワンマン運転時には、後ろの車両を締め切って、前側の1両だけで営業運転を行っている


運転台
2006年秋頃から2007年にかけて
ドア開閉ボタンが、車外からドアに
向かって左側に追加されている
客室(標準型)
客室(ワンマン対応車)
7000系タイプの室内に改装されている
ワンマン対応車の運転台付近

右側のドア右手が車椅子スペース
ワンマン対応車は後位側にも
整理券発行機を設置
貫通路上にはLED案内表示器も設置
戸袋窓を埋めて出入口表示を設置
さらにLED式の方向幕のほか、
転落防止幌も追加されている
現在、ワンマン仕様車限定の
装備と思われる、「快速サンポート」
文字入りの方向幕

この場合、「サンポート」の
ヘッドマークは掲出していない




<121系のヘッドマーク色々>
「サンシャトル」(初代)

予讃線 国分〜讃岐府中間
1988年8月8日
「サンシャトル」(2代目)

予讃線 国分〜讃岐府中間
1992年1月
 予讃線・坂出〜多度津間の高架化&電化が完成して、高松〜観音寺・琴平間で電車による直通運転のはじまった1987年10月2日のダイヤ改正で、予讃線・高松都市圏の普通電車に「サンシャトル」の愛称が付与され、そのヘッドマークを掲げて走っていた。
 この「サンシャトル」のヘッドマークは、1990年の元日からデザインが変更されて2代目に移行しているが、予讃線の伊予市までの電化が完成した1993年3月改正以降は使用されなくなった。
「快速リレー」

予讃線 高松駅
1991年7月29日
「南風リレー」

予讃線 高松駅
2001年9月16日
 1990年11月改正より、宇多津・丸亀・多度津で特急「しおかぜ」「南風」に接続する普通列車について、原則として高松〜多度津間を快速運転とした上で、それぞれ「しおかぜリレー」「南風リレー」という愛称が付与された。

 この愛称は時刻表上でも記載されたが、ヘッドマークについては当初は両者を区別せずに、「快速 リレー」と表記されていた。
 のち、1998年3月改正で特急「いしづち」が日中完全毎時1本の16往復体制に強化されて「しおかぜリレー」が消滅して以降は、ヘッドマークについても「南風 リレー」と表記が変更された。

 これらのリレー快速列車は、2002年3月改正で新たに設定された「快速 サンポート」に吸収される形で、ヘッドマークについても全て「サンポート」に変更された。
多度津工場まつり・シャトル列車(2005年版)


多度津工場まつり・シャトル列車(2007年版)



 鉄道の日協賛行事として毎年開催されている多度津工場一般公開に際して、多度津駅と工場を結ぶシャトル列車が運行され、特製ヘッドマークが掲げられている。
 午前と午後や、あるいは列車毎に異なるマークが用意されており、使用済みとなったマークは工場内で即売されている。
高松運転所まつり・シャトル列車(2011年版)


 同じく鉄道日協賛行事である、高松運転所一般公開時に高松駅と運転所との間で運転されているシャトル列車。
快速「サンポート」


 現在の121系の常設ヘッドマークといればコレ。
 2002年3月改正で高松都市圏の快速輸送改善を目的に設定された列車で、それまでの「南風リレー号」の発展解消型とも言える。
快速「サンポート」+香川オリーブガイナース

予讃線 国分駅
2005年4月29日

 2005年に新たに発足した四国アイランドリーグの宣伝のため、1年目のオープン戦開催時期に各地域オリジナルチームのヘッドマークが製作されて、各々のエリアの車両基地に所属する普通列車用車両に掲出されていた(一部の車両は不掲出)。




形式クモハ121形クハ120形
製造元 日立製作所 (1,12,13,14)
近畿車輛 (2,5,6,7,18,19)
川崎重工 (3,4,15,16,17)
東急車輌 (8,9,10,11)
製造初年1986年
製造両数1919
画像車体クモハ121クハ210
 高松方に連結される電動制御車。 下り方に連結される付随制御車。
 ワンマン仕様車。
 車体に向かって両端の出入口扉の左側の戸袋窓の一部が埋められ、出入口表示のLEDが設置されている。
 ワンマン仕様車。
 後付けのスカートが結構目立つ。
屋根上
 パンタグラフ、避雷器、無線アンテナ、信号煙管、冷房装置、それにベンチレータとほぼ一通りの機器類が載っている屋根上。  クハ120は、クモハ121と比較して、パンタと避雷器が無い代わりに、ベンチレータが2個多い。
 両形式とも、無線アンテナは後付けだったため、その周囲に取付痕がかすかに残る。
 正面向かって左上の3桁の数字は、100の位「0」がクハを、「1」がクモハを示し、下2桁は製造番号を表している。
 「001」は「クハ120−1」のこと、「117」は「クモハ121−17」のことになる。
最大外寸20,000 mm
2,870 mm
4,140 mm
車体寸法19,500 mm
2,800 mm
3,670 mm
台車中心間距離13,800 mm
パンタグラフ
折り畳み高さ
3,995 mm
重量37.3 t32.0 t
車体ステンレス
電動機形式
出力
MT55A
110kw×4
歯数比6.07
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用
電気指令式空気ブレーキ
ブレーキ装置踏面片押
台車形式 DT33A
TR201T
軸距
車輪直径
2,300 mm
910 mm
2,100 mm
860 mm
パンタグラフ形式 S-PS58
補助電源 70kVA 静止型
S-SIV70
空気圧縮機MH80A-C1000
冷房装置 AU79A
33,000 kcal
客室暖房装置11.7 kW
許容最高速度100km/h
車体構造・客室3扉セミクロスシート
ドア幅1,300 mm × 3
シートピッチ1,490 mm
床面高さ1,180 mm
乗車定員 通常タイプ:118(座席:62)
ワンマン対応タイプ:132(座席:52)

※さらに詳細はスペック一覧表参照

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