キハ40系 近郊形気動車

キハ47形

高徳線 佐古駅
2008年5月22日
キハ40形先頭の普通列車

牟岐線 桑野駅
2008年5月22日



〜概要〜

 1953年に登場したキハ10系は初の量産液体式気動車として全国で活躍していたが、エンジン出力の低さを補うために車体幅が狭くしてるなど居住性が劣り、また老朽化が進んでいたため、その代替を目的として1977年に登場した近郊形気動車がキハ40系である。

 急行形のキハ58系並の大型の車体を持ち、明るい室内などでローカル線の体質改善に一役買い、1984年までの間に888両が製造され、暖地向け・寒地向け・北海道向けなど多くの種類が作られた。

 車体が大きく頑丈で、エンジンの始動性やメンテナンス性が格段に良くなっているのは美点であったが、車体の大型化や踏切事故対策のための前面補強などの重装備によって車重が増加したにも関わらず、エンジン出力が小さいために性能的は旧型車と大差なく、燃費も悪いという欠点も持っていた。


 国鉄民営化後はエンジンの改造や換装などによってパワーアップを図った車両や、冷房装置の取り付け改造を受けた車両も多く存在する。

 数が多く全国各地に配置されたことから、塗色変更や改造バリエーションも非常に多く、相当のフリークでもその全てを完全に把握するのはかなり難しい。


 新製時の番号区分等は以下の通り。
形状形式区分新製数仕様四国への配置実績
両運転台
片開きドア
キハ40形100番台150極寒地仕様
500番台94寒地仕様
2000番台148暖地仕様
片運転台
両開きドア
キハ47形0番台193暖地仕様・トイレ付き
500番台22寒地仕様・トイレ付き
1000番台134暖地仕様・トイレ無し
1500番台21寒地仕様・トイレ無し
片運転台
片開きドア
キハ48形0番台暖地仕様・トイレ付き
300番台極寒地仕様・トイレ付き
500番台59寒地仕様・トイレ付き
1000番台暖地仕様・トイレ無し
1300番台極寒地仕様・トイレ無し
1500番台50寒地仕様・トイレ無し
合計888





〜四国のキハ40系〜


 四国のキハ40系は、キハ47形の0番台と1000番台、それにキハ40形の2000番台車が在籍する。
 かつてはキハ47形の寒地向け500番台と1500番台も在籍していたが、既に姿を消している。

 寒地向けは暖地向けに比べて暖房が強化されているほか、雪が台車のスプリングコイルに詰まって乗り心地が悪化するのを防ぐために空気バネ台車を装備している点が異なる。細かい点では、車内の内装色も若干異なっている。


0番台車&1000番台車の
DT−22形
コイルスプリング式台車

500番台車&1500番台車の
DT−44形
空気バネ台車


 当然ながら、空気バネ台車を装備した500番台/1500番台車のほうが乗り心地が良い。

 なお、四国にはキハ48形の配置実績は無い。


<国鉄時代>

 四国へのキハ40系の導入は遅く、1980年7月にキハ47形14両が高知客貨車区(当時)に配置されたのが最初で、翌81年4月にはキハ47形2両とキハ40形4両が追加配置された。
 松山地区への同系投入はさらに遅く、1981年の10月にキハ47形16両、さらに翌82年の5〜6月にキハ40形が7両投入され、四国へのキハ40系の新製配置は43両で終了した。なお、松山地区へ導入された両形式は最終グループで、特にキハ40−2148はキハ40形2000番台のラストナンバー車である。

 1985年4月に、新潟地区ローカル線の電化完成に伴って余剰となった、キハ47形の501〜505/1501〜1505の合わせて10両が四国入りし、当初は高松に配置された。

 合わせて、キハ47形42両とキハ40形11両の、合計53両がJR四国に引き継がれた。



土讃本線 讃岐財田駅
1980年10月

 後部2両が新製投入直後のキハ47形。
 全廃直前のキユニ15形とのレアなツーショット。

予讃本線 多度津駅
1982年11月

 キハ47形を先頭に多度津に到着する、予讃本線の5両編成ローカル。
 5両編成程度になると全車が40系で揃うケースは少なく、この列車もキハ20とキハ55が各1両混ざっている。

予讃本線 多度津駅
1982年11月

 新製投入からわずか数ヶ月後のキハ40形だが、既にドロドロの状態・・・

予讃本線 高松駅
1983年6月

 四国ではオールキハ40系の5連は非常に珍しかった。

予讃本線 高松駅
1983年6月

 先頭にキニ26形を連結した予讃本線ローカル列車。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年2月28日

 当時松山配置のキハ40形はキハ20形との共通運用および同形の代走運用が多く、この列車もキハ20形2連が所定のところにキハ40形が入っていた。

 国鉄時代は、青地に白文字の「普通」幕を表示する例はかなり少なかった。

予讃本線 多度津駅
1985年3月13日

 先頭にキユニ28を連結、全車が40系列車体で揃った4連で多度津を発車する予讃本線ローカル。
 左にはキユニから荷物を受け取って駅舎に戻るターレットも写っている。

予讃本線 多度津駅
1985年3月13日

 まもなく姿を消すキハ26形との2両編成の予讃線ローカル。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 所定ではキハ20形2連のところ、珍しくキハ40系で揃った土讃本線ローカル。

予讃本線 高松駅
1985年3月

 高松駅で並んだ、キハ47-117とキハ40-2110。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月14日

 国鉄末期からはキハ58形とペアを組むことが多くなったキハ47形。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年10月16日

 四国へ転属してまだ間もない頃の500番台車。
 空気バネ台車が珍しかった。
キハ40形第3位端

土讃本線 讃岐財田駅
1985年2月

 ドア間の狭いスペースにも鉄板が貼られている。
 第2位端も同じ。
キハ40形第1位端

予讃本線 高松駅
1985年3月23日

 ドア間の間隔に合わせて鉄板も大型化。
 第4位端も同様。
キハ47形

予讃本線 高松駅
1983年6月

 キハ40系は新製当初からタブレットキャッチャー取付台座とボルトが装備され、車体と窓ガラスを保護する鉄板や格子が装備されていた。
 四国配置車両の場合、キャッチャーの取付は行われなかったが、保護板等はそのままの状態で運用された。

 特にキハ47形公式側の半分鉄板・半分格子の保護板は他の形式では見られない特徴的なものであった。

 国鉄末期の通票閉塞の全廃と、民営化によって地域間車両異動の可能性が低くなったことから順次撤去が進み、1990年ぐらいまでには姿を消した(ボルトの撤去と穴埋めも行われている)。




<JR化後>

 JR化後は、新車投入などにより四国内各地を配転されたが、2009年までは国鉄から引き継いだ53両全車が健在であった。

 JR移行後のかなり早い時期に塗色変更と冷房改造が始まり、1989年頃までには全車塗り替えが完了した模様。

 冷房改造については、他のJR各社の同系車に比べてかなり早く進捗し、1988年には全車冷房化された。
 もともと性能に余裕が無い(というよりも絶対的に性能不足)ため、冷房用のサブエンジンを搭載して、駆動機関に負荷がかかるのを回避している。

 室内については、座席のモケットが当初の紺色のものから、121系と同じえんじ色のものに張り替えられた(張り替え時期は不明)。


 キハ40形は1989年3月改正に合わせてワンマン対応改造が実施され、このときにトイレおよび屋上水タンクの撤去と窓の増設、ならびに一部クロスシートのロングシート化が行われた。
 トイレ撤去改造の行われたキハ40形については、トイレ撤去に伴って水タンクも撤去されているが、当初は低屋根のままだった撤去跡について、ベンチレータも撤去して通常の高さにする改造が進捗している模様。
 2010年1月時点で、2146が低屋根のまま、2108/2110/2142/2147/2148が通常高さに改造されているのを確認済み。

 低屋根のままベンチレータの残る、キハ40−2146
 ベンチレータを撤去し、綺麗に埋められているキハ40−2148
 手すりが一対残されているのは、屋根に上がるための梯子に対応しているため。
 なお、同車はキハ40形2000番台のラストナンバー車である。

 列車無線装置の搭載改造が1993〜94年度にかけて全車に行われており、運転室側屋根上にアンテナが搭載されている。

 このほか小生は撮影していないが、キハ40−2108が1993年から前面に朱色の試験警戒色が施されていたが、1〜2年間ほどで元に戻されている。


<四国での運用等>

 JR化後も1988年までは、キハ58系などと組んで最大5〜6両編成も見られたが、1990年以降は最長でも4両編成までとなった。

 性能の関係か高知地区からは早くも1990年に撤退、予讃線・高松口からも1995年までには定期運用を終了。以後は松山・徳島地区での通勤時間帯の輸送力列車としての活躍が中心となり、特にキハ47形は日中は車庫や留置線で寝ている姿もよく見られたが、ワンマン対応で単行運転の出来るキハ40形は徳島地区の閑散区間で比較的多用された。

 比較的異動の多かったキハ47形に対して、キハ40形は配置区が安定しており、1981年に高知に新製配置された車両は1983年度に松山に異動し、以降1988年までは11両全車が松山配置であった。
 1989年に一部(6両)が徳島に異動すると共にワンマン化改造が行われ、翌1990年には残る5両も全て徳島へ異動&ワンマン化され、以降2017年度まで11両全車が徳島配置で残存していた。


 2008年2月に、徳島運転所配置のキハ47形114号車と1086号車の2両が国鉄時代の首都圏色に塗り替えられた。

復活首都圏色

徳島駅
2008年5月22日


 2009年3月時点まで、国鉄から引き継いだ53両全車が健在であった。

 しかし、牟岐線の高速化事業と阿南〜牟岐間各駅のホームかさ上げ工事が2008年度に始まり、2010年3月改正では1500形が牟岐線全線へ乗り入れることになった。
 これに先立って2010年1月までに、キハ47−504/505/1502/1503の4両が廃車となった(正式な除籍は3月末)。
 また同ダイヤ改正後に、さらにキハ47−111/116/117/502/503/1087の6両が廃車となっている。


 2011年3月改正では、最後の独壇場であった鳴門線にも、ついに1200/1500形が定期列車として入線し、余剰廃車も発生した。
 同年4月時点の四国のキハ40系の残存数は37両(徳島:27両/松山10両)となっており、寒冷地仕様の500番台車は松山にキハ47−1505が残るのみとなっていた。
 また、徳島在籍車は徳島線の阿波池田までの通し運用が消滅した。


 2012年3月改正、および2013年3月改正に合わせて、さらに一部運用が増備された1500形等に置き換えられた。


 2014年3月末時点では、松山にキハ47形のみ7両、徳島にはキハ40形11両とキハ47形15両の合わせて26両で、合計33両配置となっており、国鉄時代と比べるとキハ40形は数に変化はないが、キハ47形の廃車が進んでいる。


 2015年3月末時点での配置は、松山にキハ47形のみに5両、徳島にキハ40形とキハ47形各11両で、合計27両となっている。


 2016年3月改正で、松山の1両と徳島の2両が廃車&松山から徳島へ4両が異動となり、松山地区からキハ40系が消滅した。
 5月になって多度津駅の例の場所に、(今回廃車になったと思われる)1117/1118/1120が留置されているのを確認。
 これにより、四国のキハ40系は残すところ24両(キハ47:13両/キハ40:11両)となり、キハ47形の1000番台車は残すところ首都圏色の1086号車1両のみとなった模様。
 また、予讃線と高徳線に残っていた定期4両編成運用が消滅した。


 2018年3月改正では、徳島線の全線通し定期運用が消滅。
 これに合わせて2両が廃車となり、残るはキハ47形11両(内1000番台車は1両)とキハ40形11両の22両となった。


 2018年度には、キハ40形に初の廃車が発生(2146号車)。
 残存数はキハ47形11両(内1000番台車1両)とキハ40形10両の合わせて21両となった。

 2019年3月改正では、牟岐線の運用が阿南までとなった。
 これにより、同改正時点でのキハ40系の定期運用区間は、高徳線・鳴門線の全線と牟岐線徳島〜阿南間、それに徳島線の徳島〜穴吹間となっている。


 2019年度末(2020年3月31日)に、さらにキハ40形1両(2109号車)が1両廃車となった。
 これにより、2020年度初頭時点での残存数は、キハ47形11両(内1000番台車1両)とキハ40形9両の合計20両となっている。


 2022年3月12日改正では、ついに徳島線の運用が消滅した。
 その代わり、というわけでもないのであろうが、牟岐線の桑野までの運用が復活している。
 同改正時点での定期運用区間は、高徳線・鳴門線の全線と牟岐線徳島〜桑野間となっている模様。




予讃線 丸亀駅
1991年9月

 予讃線電化後もしばらくは高松口でも残存したが、相対的な性能低下等により、遅くとも1995年までには撤退している。

予讃線 市坪〜北伊予間
1992年8月16日

 朝の通勤列車として重信川を渡るキハ47形。

 民営化後もしばらくはキハ58系などとの併結で最長6連の普通列車も存在したが、1990年代以降は最大でも4連までとなった。

予讃線 讃岐塩屋〜多度津間
1992年1月3日

 キハ65形とペアで予讃線を行く、土讃線ローカル。

 この当時の松山運転所所属のキハ47形は、非力な性能を補うためかキハ58形およびキハ65形とのペアが基本であった。
 しかしその組み合わせでは、キハ58形の冷房が使えなくなることから特に夏期にクレームがあった模様で、1995年までには解消された(同時に、土讃線及び予讃線高松口の定期運用が消滅した)。

牟岐線 海部駅
1997年12月15日

 海部駅で阿佐海岸鉄道のASA−101形(左)と並んだ、キハ40形の牟岐線ワンマン列車(右)。

徳島運転所
2003年9月18日

 徳島運転所で並ぶキハ40系。

徳島運転所
2008年5月22日

 屋根上のトイレ用水タンクは、製造時期によって形状が異なる。

 本来の仕様では古い方が角張っているが、四国配置車には新製時に角仕様の車両は存在せず、全て丸いタイプの車両であるが、これを角形に換装している例が多い。画像右側のキハ47−116号車も、本来は左の504号車と同じ丸形であった物を換装している。

※ 詳細は下記小ネタを参照

予讃線 高松駅
2016年9月21日

 高松駅まで尻切れトンボで試運転されてきた多度津工場出場車を運転所まで「牽引」するのも、昼間車庫で寝ていることの多いキハ40系の最近の「仕事」のひとつとなっている。

予讃線 高松駅
2017年5月21日

 復活首都圏色+キハ40形の3両編成の高徳線ローカル。




〜室  内〜

徳島駅
2000年1月31日

 キハ40形2000番台車の室内
 暖地向け車両は寒色系の内装色となっている。

 左右合わせて6ボックス分のクロスシートがロングシート化されている。
 トイレ撤去と合わせて、乗車定員が92名から130名に増加している。

高松駅
2000年2月1日

 今は亡き、キハ47形500番台車の室内。車端側から前位側を見たところ。
 寒地向け車両なので内装は暖色系となる。

徳島駅
2010年1月21日

 キハ47形0番台車の室内。車端側から前位側を見る。
 化粧板の色が異なる以外は、500番台車と同一。

徳島駅
2010年1月21日

 トイレ用水タンクのある部分は低屋根のため、冷風ダクトもそれに合わせて段差付きになっており、見栄えは良くない(キハ47−177)。

徳島駅
2010年1月21日

 0番台車のトイレ部分。

徳島駅
2010年1月21日

 キハ40−2142の運転台。
 床面から2段上がった高運転台となっている。

 ワンマン運転に対応したキハ40形は、後方確認用のミラーを装備しており、貫通路を使用するときは、ミラーを運転台側に収納する。

 暖地向けのキハ47形0・1000番台の客室内は、レイアウトは500・1500番台と同じで、内装色がキハ40形2000番台と同じになる。
 冷房装置の取り付け改造を行っている関係で、天井部分がオリジナルに比べてかなり起伏が激しくなっており、はっきり言って美観は悪く、その上冷房使用時は冷房用エンジンの音も加わって結構五月蠅い。





<四国在籍車両の小ネタ>


〜砂撒き装置〜

 車両重量に対して非力なエンジンを搭載し、しかも1軸のみを駆動するキハ40系は、主に勾配登坂時などのスリップ対策として、砂撒き装置が設置されている。

 取付方はキハ40形とキハ47形とで異なっており、キハ40形の場合は駆動軸の両側任意の方向に撒ける構造になっているが、キハ47形の場合は前位側のみに撒けるようになっている。
 キハ47形の500&1500番台車は砂箱等の構造が異なり、予熱機能付きの寒地仕様の物を取り付けていると思われる。

キハ40形の台車
向かって右側車軸の上にあるのが砂箱
車輪の両側に撒ける構造

牟岐線 牟岐駅
2010年9月8日
キハ47−1118の台車(公式側)
前位側にだけ撒ける構造

予讃線 松山駅
2005年6月18日
キハ47−114の台車(非公式側)
これも前位側にのみ撒けるようになっている

高徳線 徳島駅
2020年5月12日
キハ47−1505の公式側
向かって右の車軸の左側の四角い箱が砂箱

高徳線 徳島駅
2008年8月15日
キハ47−503の非公式側

高徳線 徳島駅
2008年8月15日
国鉄時代のキハ47−118の台車
砂撒き装置はまだ無い

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月13日

 四国配置車の砂撒き装置は民営化後に取り付けられたものであると思われるが、詳細な時期は不明。

 当方手持ち画像では、国鉄時代には見当たらず、徳島配置車両については1999年時点においてもまだ付いてない車両が存在した(例:キハ47−505=1999年3月12日撮影)が、同時期のそれ以外の徳島配置車は概ね取付済であった(例:キハ47−1085=1999年3月13日撮影)ことから、少なくとも徳島配置車両はその頃が取付過渡期であったのかもしれない。
 松山配置車については確認できる画像は全くと言っていいほど無いことから不明であるが、かつては33‰の急勾配区間を(キハ54形などの強力型と連結とはいえ)登坂していたことから、もう少し早い時期に取り付けられた可能性もある。




〜冷房化と暖房改造〜

 四国のキハ40系は現在に至るまで機関換装は受けておらず、駆動系は基本的に登場時のオリジナルの状態となっている(ただし燃料噴射系が直噴化改造されている)。

 しかし空調に関しては、南国という地理的条件もあり民営化後まもなく冷房装置の取付改造が始まった。
 元々キハ40系は車体重量の割にエンジン出力が小さいことから、冷房電源用のサブエンジン(S4F形:4気筒)が搭載されることとなったが、標準状態では床下に設置する空間がなかったため、もともと四国向けとしては強力すぎる暖房用の熱交換機を撤去してその場所に搭載している。
 元々熱交換機があった場所の車体部分には外気導入口のスリットが設けられていたが、キハ40形/47形とも公式側のみのスリットが塞ぎ板で埋められている(非公式側の物は残っている)。

 改造進捗は非常に速く、1988年7月には当時在籍する53両全車の冷房改造が完了している。


2019年2月23日
高徳線 徳島駅

 FTUR−300−104形インバーター式冷房装置。
 各車両にこれを2基搭載。

2008年10月11日
多度津工場

 冷房駆動用のS4F形4気筒エンジンと発電機のユニット。

2008年10月11日
多度津工場

 反対側。

2010年9月8日
牟岐線 牟岐駅

 キハ40−2146の、暖房用外気導入口を塞いだ痕跡。

2008年10月25日
予讃線 八幡浜駅

 此方はキハ47形。



1983年6月
予讃線 高松駅

 冷房化前のキハ47形の暖房用熱交換機(L字形及び逆L字形の部品)と外気導入口のスリット。


2010年1月21日
徳島運転所

 冷房化後の同じ部位。
 燃料タンクの前位側に隣接しているのが冷房電源用発電ユニット。

 外気導入口のスリットは非公式側(車両前位側に向かって右側側面)はそのまま残っている。




〜簡易検測車〜

 国鉄時代は独自の検測車を保有していなかった四国総局であるが、民営化後は軌道検測車として当時向日町運転所所属だったマヤ34形を1両譲り受けた。
 これとは別に、キヤ191形等によって行っていた電気関係などの検測を一部自前で行うため、キハ40形の2147号車に簡易検測装置の取付を行った。
 改造内容は以下の通りとなっている。

(1)車両両端のスカート下端部分に踏切制御子測定用の受電器を各2個取付。
(2)後位側台車にATS地上子測定用の車上子を2個取付。
(3)後位台車に速度発電機を1個取付。
(4)後位運転台に接続部を設置。

 改造は1988年に行われ、少なくとも2015年までは設置されていた模様であるが、2016年には撤去されているのが確認されている。
 また、後位側の踏切制御子測定用受電器は2008年の時点でも取り付けられていない状態のが確認されており、一時的に取り外していた時もあったものと思われる。

高徳線 徳島駅(徳島運転所)
1999年3月13日

 1999年当時の同車。
 スカート下端に箱状の物が設置されている。

予讃線 高松駅
2003年10月5日

 前位側正面から見たところ。
 レールの幅に合わせられている。

高徳線 池谷〜勝瑞間
2008年5月12日

 後位側の受電器はこの時点では確認されなかった。
 2015年時点で取り付けられていたという情報があり、このときは一時的に撤去されていたものと思われる。

予讃線 高松駅構内
2016年9月21日

 高松まで試運転されてきた点検出場後のN2400形を運転所まで回送していくシーンで撮影した連結面(前位側)。
 装置が取り外されているのが判る

予讃線 高松駅
2017年5月21日

 後位側。
 受電器撤去跡のスカート部分には取付ネジの穴が開いたままとなっている。



〜前面方向幕〜

 JR四国では、それまで列車種別のみを表示していた国鉄形車両の前面方向幕を、1998年末頃に行先表示の物に取り替え、同時にサボの使用をやめている。
 恐らく省力化と部品調達の関係と思われる。

 なお、1000形等のJR形車両は登場当初から行先表示タイプとなっている。

土讃本線 讃岐財田駅
1985年3月

 国鉄時代、普通列車の方向幕は上のように白幕表示のままが多かったが、希に青地の「普通」表示を出していることもあった。

予讃線 丸亀駅
1991年9月

 民営化後は「普通」表示をするのが普通になったが、国鉄時代と異なり白地表示に変わった。

徳島線 辻〜佃間
1998年5月

 1998年の秋から年末の間に現在のような行先表示に変わったが、その直前まで青地幕の残っている車両も見受けられた。



〜スリットホーン化〜

 キハ40系は本来、前面に備えられたホーンには開閉式の蓋が付いていたが、民営化後の早い時期からスリット式への交換が進んだ。

 しかし当方手持ち画像を見ると、1992〜93年頃の時点では、徳島配置車はほぼ全てスリット式に交換されているのに対し、松山配置車はほぼ全てが蓋式のままで残っていた。
 松山配置車は、少なくとも1990年代末までほとんどが蓋式のままで、当方で確認できる画像では2005年6月13日時点でもまだ蓋ホーン車が残存していた。

 このように配置区所によって極端な差が出ている理由は不明である。



 情報に寄れば、松山のキハ47−175と、徳島のキハ47−1120が2013年まで蓋式であったとのことである。
 1120については、2016年に廃車後に多度津の留置線に移動してきた時点では既にスリット式であったので、その間に交換された模様であるが、175については最後はどうなったのか不明である。

予讃線 今治駅
1992年12月

 当時松山配置のキハ47−1117。
 オリジナルの蓋ホーンのままである。

高徳線 志度〜造田間
1993年4月

 当時徳島配置のキハ47−145。スリット式である、なお、2両目の1000番台車(車番不明)もスリット式であった。

予讃線 伊予若宮(信)〜伊予大洲間
1997年6月7日

 この当時においても松山配置車はほぼ全て蓋式のまま残存していた。

予讃線 松山駅
2005年6月13日

 車番が確認できないが、当方手持ち画像で最後に確認される蓋式のキハ47形。
 情報筋と照らし合わせると、松山配置車で最後まで蓋式で残っていたキハ47−175の可能性が高い。

予讃線 多度津駅
2016年5月25日

 徳島配置車で最後の蓋式であったとの情報があるキハ47−1120であるが、最後はやはりスリット式に・・・



〜水タンク換装〜

 キハ40系はトイレ用の水タンクを屋根上に搭載しているが、四国在籍車両についてはキハ47形の初期の車両について、このタンクが換装されている車両が存在する。

 当方手持ち画像で確認できる範囲では、114/118/145/505号車の4両が当初の丸形タンクから、角形タンクに交換されている。
 交換の理由については腐食等が考えられるが、正確なところは不明である。

国鉄時代の114号車

土讃本線 多度津〜金蔵寺間
1986年1月1日
土讃線ローカルの118号車

土讃本線 讃岐財田間
1985年3月14日
土讃線ローカル最後尾の145号車

土讃本線 讃岐財田駅
1982年8月
予讃線ローカルの先頭に立つ505号車

予讃線 市坪〜北伊予間
1992年8月16日
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徳島運転所で昼寝中の114号車

高徳線 徳島駅
2008年5月22日
牟岐線ローカル列車先頭の118号車

高徳線 徳島駅
2010年1月21日
角形タンク化された145号車

予讃線 高松〜香西間
2019年9月19日
徳島へ転じた505号車

高徳線 徳島駅
1999年3月12日

 上記の例で例えば505号車の場合は1992年8月までは丸タンクであることから、他の車両についても換装されたのはそれ以降である可能性がある。


 この4両以外にも、112/113/116/117/144/191/503号車の7両が、末期および現在は角形タンクとなっているのが確認できている。
 残念ながら当方手持ち画像には、これらの車両が丸形タンクであったことを確認できる画像が無いが、本来は丸形の仕様であるはずなので、これらの車両も換装された可能性がきわめて高い。


 なお、このタンクは多度津工場で作成されているものである可能性が高いが、手作りのせいなのか厳密にサイズが決まってないのか、結構個体差が見られるのが面白い


 キハ40形については換装された車両は見当たらないが、キハ47形でタンク換装が始まったと思われる1992年の時点では、既にキハ40形は全車がワンマン改造を受けてトイレが撤去されており、わざわざタンクを換装する必要がなかったためと推察される。




〜キハ40形「JR」マーク位置変更〜

 キハ40形はJR化後に、他の一般車両と同様なJR四国標準色に塗り替えられて、水色の「JR」マークも描かれているが、このマークの位置が近年になって変更されている。

 その前にまずキハ40形の「位置称呼」であるが、両運転台車である同車は「エンジンのある側が前」「元トイレのあった側が後」であり、後位側の前面運転助手席側には、製造銘板や検査標記が記載されている。
 つまり、エンジンのある前側の運転助手席側が「第1位側」、同じく運転席側が「第2位側」、そしてエンジンが無い後ろ側の運転席側が「第3位側」、同運転助手席側(=銘板や検査標記のある側)が「第4位側」となる。
 ちなみに、エンジンの排気管は第1位側、屋根に上がるための折り畳み梯子が第4位側に設置されている。


 以上を念頭にいきなり結論から言うと、「JR」マークの位置が、以前の「第3位側および第4位側」から、最近になって「第1位側および第4位側」に変わっている。
 つまり、第4位側は変更はないが、従来第3位側にあったものが第1位側に移動している。

 別の言い方をすれば、第1−3位側側面を見た場合(この場合、車両に向かって右が「前」になる)に、JRマークが左から右に移動している。
 さらに別の表現をすれば、車両側面に向かってサボ受けの反対側(=右側)にJRマークが付くようになった。ということになる。

 以下に画像を例示する。

(2107号車の例)

牟岐線 牟岐駅
2003年9月18日
(2147号車の例)

高徳線 池谷〜勝瑞間
2008年5月12日
(反対側は、第4位側のままで変わっていない)
(2147号車の例)

高徳線 徳島駅
1999年3月13日
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予讃線 鬼無駅
2020年3月17日

予讃線 高松駅
2016年9月21日

予讃線 高松駅
2017年5月21日

 恐らく、マークの付ける位置の基準等が変更になったものと思われるが、当方手持ち画像では遅くとも2016年には新しい位置に付いている車両が出現していることから、その前に変更されたのであろうか。

 変更された理由は不明であるが、位置の変更は全般検査等の時の全再塗装の際に変更(適用)されているものと見受けられ、2022年1月時点では、まだ「第3位側および第4位側」にマークが付いている車両も散見される。





<キハ40系運用列車>
 (2021年3月13日改正)

 基本的に朝と夕方以降のみの運用で、データイムは車庫で寝ていることが多い。

<高徳線>
 〜高松発〜
 361D(3連)/367D
 〜板野始発〜
 4303D(3連)/309D
 〜高松着〜
 314D/316D/4378D
 〜板野終着〜
 318D/4378D(3連)
 〜引田終着〜
 368D

<牟岐線>
 577D/583D
 520D/524D

<徳島線>
 435D/442D

<鳴門線>
 953D(3連)/955D(3連)/975D/979D
 950D(3連)/970D/974D/982D(3連)

※953Dは始終着駅間ノンストップ


形式写真形式 キハ47形
500番台
(四国では消滅)
キハ47形
1500番台
(四国では消滅)
キハ47形
0番台
キハ47形
1000番台
キハ40形
2000番台
車体 (公式側)


(非公式側)
(公式側)
(公式側)


(非公式側)

(公式側)

(非公式側)
(公式側)



(非公式側)


 寒地向け片運転台式の500/1500番台。台車が異なる以外は暖地向け0/1000番台と外見上の区別が付かない。

 500番台と1500番台の見た目の差異は、トイレ設備と屋上の水タンクの有無だけである。
 暖地向け0/1000番台車。最近はホーンの蓋が単なるスリットに交換された車輌が増えている。

 0番台と1000番台の外観上の差異は、やはり屋根上の水タンクとトイレ設備の有無のみである。
 暖地向け両運転台式のキハ40形2000番台。
 JR四国のキハ40形は、新製当初装備されていたトイレ設備は廃止され、屋上の水タンクも撤去されているほか、ワンマン設備が搭載されている。
屋根上
 ベンチレータが2個撤去されて、その跡にセパレート式クーラーが搭載されている。
 トイレ付きなので水タンクも搭載。
 水タンクの部分は低屋根になっている。
 水タンクが無い以外は0番台車と同じ。  トイレ撤去に伴って水タンクも撤去されているが、撤去跡が低屋根のままになっている車両と、ベンチレータも撤去して通常の高さに改造したものとが存在する。

 上画像は2148号車。
製造元新潟鐵工所/日本車輌
寸法21,300 mm
2,930 mm
4,055 mm
重量
 ( )内はJR四国在籍車の各種改造後の妻面標記による数値
39.0 t
(37.2 t)
38.4 t
(36.8 t)
39.0 t
(36.9 t)
38.4 t
(36.5 t)
39.8 t
(37.8 t)
車体普通鋼
機関形式
出力
DMF15HSA
220PS/1,600rpm

整備直後(?)でピカピカのDMF15HS

松山駅にて

エンジン単体の画像
シリンダーヘッドは反対側
右端の出力軸の出ている部分はDW10形液体変速機

多度津工場にて

冷房駆動用のS4F形サブエンジン
4気筒

多度津工場にて
変速機 DW10
(変速1段・直結1段手動変速)


変速機には減速機が内蔵されていないため、
車軸側にに減速機が付いている(DT44C)
最終減速比2.995
ブレーキ方式 機関ブレーキ付
CLE
ブレーキ装置踏面片押
台車形式 DT44C
TR227
DT22D
TR51C
許容最高速度95km/h
冷房装置FTUR-300-104 × 2
車体構造・客室2扉セミクロスシート
乗車定員124(座席:76)128(座席:80)124(座席:76)128(座席:80)130




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