四国回着日両数製造者車番備考
1次車2006年4月22日新潟トランシス1501〜1504
2006年4月30日1505〜1508
2次車2008年4月1509〜1515 ・正面方向幕位置変更
・乗務員室窓拡大
3次車2009年1月25日1551 ・スカート色変更
・側面ロゴ変更
4次車2010年1月13日1552〜1557
5次車2011年1月11日1558〜1563
6次車2012年1月11日1564〜1565
7次車2013年1月9日近畿車輛1566〜1567 ・デザイン一新
・セミクロスシートに変更
8次車2014年1月9日新潟トランシス1568〜1569 ・デザインは6次車と同一
・セミクロスシート




〜第1次車到着〜


機回しの様子


 新潟トランシスで製作された第1次車は、2006年の4月21日と4月29日に4両づつが高松まで輸送された(いずれも高松到着は翌日)。

 出入口ドアの窓には、輸送方法などを記載したラベルが貼られていた
 発駅と着駅、最大寸法、列車番号などが明記されており、「輸送方法」は「臨時貨物列車」と記されている。


 2006年5月末から徳島地区で8両が営業運転を開始し、これに伴い同数の1000形が高知へ異動したため、玉突きでこれも同数のキハ58/28形が廃車となった。




〜第2次車到着〜

 2008年4月に、さらに第2次車として7両が四国入り。

 正面の行き先表示などの位置が変更になって顔つきが若干変わっているほか、乗務員室の窓が若干大きくなっている。




〜第3次車到着〜



 2009年1月、1両が第3次車として登場。同月25日に高松に到着した。
 牽引機は、EF65−1129。

 新車の輸送は「貨物」としてJR貨物に委託され、臨時貨物列車として運行されている

 2次形をベースに、機関系統に一部変更が加えられている(らしい)ほか、スカートの色も変更となっている。そのため50番台で番号区分され、1551形を名乗る。



〜第4次車到着〜



 2010年1月に6両が第4次車として追加増備され、同月13日に四国に到着した。
 牽引機はEF65−1043。


 見た感じは第3次車と同一仕様のように見え、車番も1552〜1557と、続き番を名乗っている。




〜第5次車到着〜




 新たに1558〜1563の6両が第5次車として増備され、2011年1月11日の早朝に高松に到着した。

 今回も牽引機はEF65−1129であった。

 外見・仕様は第3〜4次車と同一。


、2011年3月改正では、キハ40系最後の独壇場であった鳴門線へ、定期列車として乗り入れを開始した。
 結果、1500形は高徳・徳島・牟岐・鳴門の各線全線で定期運用を持つことになり、名実共に徳島地区の主力となった。

 ちなみにこの時点での28両という数字は、1990年に投入された1000形の第1陣と奇しくも同じ両数である。



〜第6次車到着〜




 第5次車到着のちょうど1年後の同じ日(2012年1月11日)、さらに2両が第6次車として到着した。

 某情報誌では「N1500」などと記載されており、マイナーチェンジ車か? と期待させられたが、到着した2両は、外観上は第5次車と変わったところは見受けられず、車番も1564〜1565と続番となっている。

 牽引は、EF65−1065。



〜第7次車到着〜




 2013年1月9日に、第7次車として2両が四国へ到着

 今回は、製造メーカーが新潟トランシスから近畿車輛に変更となったが、車番が1566〜1567と、第6次車の続番が付与されていることから、基本構造&仕様は同一で前面デザインと塗り分けのみを変更したものと思われる。

 牽引機はEF65−2117で、初めての2000番台機での牽引となった。

 フロントウィンドウは一見すると下向きの後退角が付いているようにも見えるが、実は垂直のようだ
 また、スカートが近年のJR西日本の車両のような、自動車との衝突事故を想定した、やや頑丈(そうに見える(^^; )タイプになっている。

 ロゴなどのデザインは全面刷新、ドアのグリーンも色調が異なる

 形式表記は、ゴシック体のオーソドックスなものになった。

 トイレ部分のロゴ

 この他、室内がそれまでのオールクロスシートからセミクロスシートに変更されている。



〜第8次車到着〜

 第8次車は再び新潟トランシス製となり、2014年1月9日に1568〜1569の2両が四国へ回着した。

 外観等は、同じ新潟製の第6次車と同一の模様だが、室内は第7次車を踏襲している。



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