C56形 蒸気機関車


160号機の牽引する「SL義経号」
予讃線 宇多津〜丸亀間
2005年10月29日


 簡易線への入線が可能な軽軸重の機関車として1932年にC12形が登場したが、同機は小型のタンク機関車であったことから長距離運用に適さないため、比較的距離の長い簡易線区での運用を目的として、C12形をテンダー式に設計し直したのがC56形である。

 そのため基本性能はC12形とほぼ同等となっており、動輪直径も1,400mmでC12形と同一。
 また定格出力は505PSでC12形と同じである。

 軸配置は、C12形の後従輪を省いた1C形で、炭水車を含めた全長は14.325m。


 簡易線では転車台の整備が行き届いていなかったことから、本機はタンク機関車と同様に後進運転を常用することを視野に、後方視界を確保するために炭水車の両肩部が切り取られている。
 しかし、実際には後従輪を省いたことに起因する後進時の脱線が多発したという。

 1935年から1939年にかけて合わせて160両が製作されたが、小型軽量ながら比較的長距離の運用に耐えることから、太平洋戦争開戦直前の1941年に、90両が軍に供出されて若干の改造の上で東南アジア各地に送られた。



 四国地区での活躍はほとんど知られておらず、1938年4月末時点で小松島に133号機の1両が配置されていた記録があるのみで、牟岐線や小松島線、徳島本線等で運用されたものと思われるが、これらの線区での運用はC12形で間に合うという判断から、(C12形に)置き換えられたものと見られ、後年の臨時の復活運転を別にすれば、戦後の四国内での活躍の記録は見当たらない。


〜四国内の配置数〜

 1938年4月末 :小松島 1両

※出典:イカロス出版社「全国蒸気機関車配置表」より


 なお、別の資料によれば1941年時点で6両まで増えていた模様であるが、1944年時点では配置ゼロとなっている。

 四国にほとんど縁がないからか、四国内での保存機は存在しない。



検索サイトから直接来られた方は、ここをクリックしてTopに移動できます