r

8620形 蒸気機関車


58685号機(多度津駅前保存機)

2011年12月11日

2007年6月24日




九州スタイルの58654号機
SL「あそBOY」
2004年7月



 大正時代の標準的な旅客用機関車として、1914年から1929年にかけて合計672両が量産され、「ハチロク」の愛称で親しまれた。

 明治末期に急行列車用として各国から輸入された機関車を参考にして設計、製造された。
 最高の性能を狙うのではなく、汎用性を重視した設計が特徴である。

 車軸配置は、先従輪1+動輪3の1C形で、後位側の従輪を持たない。
 先従輪と第1軸動輪を一体化した特殊な台車を履き、最小80mの曲線を通過することが出来る。

 本来は旅客用で当初は東海道・山陽本線で使用されたが、軸重が軽く、使い勝手に優れることから、その後は支線区へ転用されたり、貨物列車牽引や入れ換えにも使用され、当初の設計目標である汎用性の高さを遺憾なく発揮し、SL最終期まで各地でその姿が見られた。

 全長16.765m。動輪直径1,600mmで、動輪周出力は759PS。
 最高速度95km/hという高速性能に、かつての幹線用旅客機の片鱗が窺える。



 四国においては1931年から導入が始まり、予讃・土讃本線はもちろん高徳・徳島本線などの各線で運用された。
 後年導入されたC58形とともに四国の主力機関車として活躍し、1950年頃には総勢約70両が配置されていた。

〜四国内の配置数〜

 1931年1月末 :多度津 6両
 1935年:高松 20両、高知 17両
 1938年4月末 :高松 21両、高知 16両
 1944年1月末 :高松 23両、松山 17両、小松島 13両、高知 10両
 1949年5月1日:高松 24両、松山 22両、宇和島 6両、小松島 16両
 1954年10月1日:高松 22両、多度津 1両(入換専用)、松山 18両、宇和島 5両、小松島 14両、高知 7両
 1959年4月1日:高松 15両、多度津 1両(入換専用)、松山 12両、宇和島 5両、小松島 12両、高知 5両
 1969年3月31日:小松島 2両

※出典:イカロス出版社「全国蒸気機関車配置表」及び「国鉄史」より


 その後はDF50形やDE10形と入れ換わるように姿を消していき、1970年に四国の鉄路から去っていった。
 現在多度津駅前に保存されている58685号機は、最後は小松島の配置であった。



1982年11月

 1982年当時の多度津駅前のハチロク。

1982年11月

 この当時は駅前の、現在セブンイレブンが建っているあたりに設置されていた。


2011年12月11日

 キャブ内の様子。

2011年12月11日

 もちろん、中に入れるわけはなく、この当時でもこの状況。

2007年6月24日

 説明プレート。

2007年6月24日

 右側の碑文を読めるレベルで表示。
 保存展示は1970年10月3日からとある。

2022年1月26日撮影

 説明プレートの裏側にひっそりと取り付けられている「機関車展示経緯」。

 1996年10月に、それまでの駅前から現在位置に移転している。
多度津駅前の保存機は、正月にはしめ飾りが施されている


(2枚とも)
2022年1月2日






検索サイトから直接来られた方は、ここをクリックしてTopに移動できます